花と緑を追いかけて

山を愛し、花を愛し、旅と
映画とパソコンと、好奇心も
いっぱいの主婦の日記です

相模川を歩こう。「山中湖」を目指して・・・(1)

2015年04月22日 | ハイキング・散策
今日(22日)から、天気予報は連日ピカピカマーク
午前中洗濯物を干してから、庭の草取り・・・

外回りは夫の領域でしたが、今年からは私がしなくてはなりません
ひと汗かきました。

4月18日・「相模川を歩こう」(藤野~簗川)
ワンゲルの会で去年の初秋から始まった相模川歩き、

最初に第二部の津久井湖から相模湾に注ぐ河口までのコースを5回にわたってこなした後
(私は5回目の寒川神社から相模湾までのコースに参加しましたこちらこちらです)

この春から第一部が始まり、中央線の藤野駅から源流の山中湖を目指します。


藤野駅前に9時45分集合です。
(中央線の駅までは我が家から2時間半かかりますので、この時間の集合は助かりますね)

歩きだすとすぐに「相模川」が見えてきました。
相模湖の続きのような広さです。


「弁天橋」を渡ります。

今回の参加者は男性8名、女性5名の計13名、
私は早咲き桜の「松田山」以来でしたが、もう皆さまとはすっかり顔馴染みになりました。


この日は春の日差しが眩しい日で、気温もグングン上がったようです。
春の代表的な野の花のスミレもあちこちに見られました。

黄色いお花のクサノウは毒草らしい・・・アケビの花を初めて見ました。




雨続きの4月でしたが、流石に中旬ともなると木々の芽吹きが始まり
若緑が輝いています

前を歩くのはブログ仲間の山小屋さん。

一ヶ月ぶりの再会ですが、その間彼はネパールに行き
帰国して2日後に箱根の山登り、そして札幌&長野と遠出をし

信じられないくらいタフでフットワークの良いお方です

石楯尾神社(いわたておのじんじゃ)
弁天橋からおよそ40分、古い神社の階段を登りました。
創建年は不詳。応神天皇の御幸所であったという古社。「名倉の権現さま」とも呼ばれていたそうです。

頼朝が祈願所として御墨印七十五石余を寄進武田信玄が小田原を攻めた際に社殿を焼失。

現在の社殿は1724年(享保9年)に再建されたもの。
江戸時代には、武甲相三州から善男善女が参詣し、幼児の癇虫除けの祈祷を受けたという。

境内には春蘭が咲きイカリソウも見られました。


古い神社を後にして、およそ10分でハイキングコースの入り口に出ます。

「石楯山・見晴らし台」へ

私たちは相模川が望める見晴らし台(石楯山)まで登って戻るだけ・・・


山桜のピンクとヤマツツジの朱色が新緑の中に混じり、とても綺麗でした。


見事な「ジュウニヒトエ」の群生があちこちに見られました

小さなチゴユリと・・・可愛いフデリンドウも咲いていました。




「石楯山」頂上の見晴らし台からの眺望です。

一休みしてから、眼下に見える相模川に架かる「桂川橋」を目指して下ります


登山道の周りには「ヤマツツジ」がたくさん見られました。
あと一週間もすれば見事な朱色のトンネルの中での歩きが楽しめそうです。


「石楯山」を下り、15分歩くと「相模川」が目の前に現れました。

カワウが潜っては顔を出していましたが、変幻自在に動き回り
画像が撮れませんでした。
えさが豊富なのでしょう・・・


案の定、釣りのメッカのようでした。

芝桜も満開で、これが増えれば観光客も呼べるのでは?


いよいよ神奈川県から山梨県に入ります。
相模川もここからは通称「桂川」となるようです。



       

今日も晴れのお天気は長続きせず、3時過ぎから曇りだしついに雨が落ちてきて
防犯パトロールも中止のようです。

毎週孫たちがやってきていた水曜日ですが・・・
この春からはママの仕事のシフトも変わり、お兄ちゃんのテニススクールの曜日も変わったとかで
「ばぁ~ばの手を借りなくてよくなりました」とのこと

私が週に一回頑張って、孫の面倒見と手料理をふるまった時間から解放されました。
(先週は菜奈ちゃんが風邪をひき学校を休んだので、私が息子宅に行ってきましたが)

ホッとしたような、ガックリきたような・・・
それで私も風邪をひいたのかも知れません。

結局、私は孫を見ていたつもりですが、お嫁ちゃんにしてみれば
夫を亡くしてオロオロしていた私の面倒を見てくれていたのだと思います
ありがとうね

私もまだ感情は不安定ながらも大分元気になりました。
これからは息子も一緒の休日にお食事会でも致しましょうね・・・









コメント (16)
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