電王戦考察・その2・その3・その4と電王戦についていろいろ思うところを書いてきました。
その4の記事にレギュラーコメンテーターのたまもさんがコメントをくれました。まずはそのレスから始めます。
- たまもさん、こんにちは。
>「人間には怖い変化も、コンピュータはちゃんと読んで踏み込んでくる」「僕は習甦のおかげで強くなれた」との阿部四段の言葉、「不利になってもあきらめず最善手を探すツツカナの精神力を見習いたい」との谷川会長の言葉。私は「人間と全く違う思考過程と非人間的精神力から導き出されたソフトの将棋を、人間の思考方法で学習し、再構成する」という前向きさに思えました。
はい、もちろんそう思いますよ。何でも否定しようとか、全面的に悲観的とかではないです。
ちょっと心配性でおせっかいのオヤジがまだグズグズボヤいてるって感じでしょうか。
最初に火をつけた二人はもう呑気なもんで。(笑)
>もっとも、自宅研究で終盤の詰む詰まないをソフトに頼ったら、棋力低下の自殺行為でしょう。
僕が一番危惧するのは、不正などということよりも、明らかに強いコンピュータがすぐそばにあったら弱い人間としてはどうなるのだろうか、ということです。
今までのように不屈の闘志を持って全然動じずに日々努力を重ねていけるのかどうか。
習甦のおかげで強くなれた、とか、ツツカナの精神力を見習うとか、メリットの部分は当然あるのだろうけど、デメリットの部分を正面切って見つめて行かなくて大丈夫なのだろうか、ということです。
>私が当面心配しているのは、プロ将棋の観戦です。ネットの掲示板等で「うちのボナンザの評価値ー200」とかやられたら、興ざめですね(ニコ動のコメントではすでにありました)。
はい、たまもさんのおっしゃるように、トップ棋士でも全然かなわない実力の誰もが認める強さのソフトができたとして(何年後かはわからないけど絶対にできると思います。)、ハラハラドキドキしながら見ているプロの対局でその情報や評価や指摘が出てきてしまったら興ざめじゃないかと思うわけです。
大盤解説とか、ネット中継とかには出ないとしても、もしそのソフトが世間に出回っていたらtwitterなどで誰かがつぶやきますよね。プロが苦心して予想したりして解説してるニコ生で、画面いっぱいに書き込みますよね。
《二人(対局者)とも全然わかってないなあ。》
《あー、こうやれば詰んでたのに、また逃しちゃったよ。》
《何でそっちに逃げるかなあ、違うだろ、あ~あ。》
ってなことになっちゃいませんか?
プロ棋士へのリスペクトや敬愛はどうなる?
棋士よりもコンピュータを敬愛してどうする?
いや、すみませんね。
ま、付き合い方なわけで。
連盟の内部でもいろんな角度から議論されているのだとは思うけど、この先、電王戦を続けていくのかどうなのか、そして、メリットは当然あるからさらに深い協力関係でいくのか、どうするのか。
将棋の健全な発展。
棋士の幸せ、将棋ファンの幸せ。
とりあえず、そこでしょ、と思います。
もとより先人たちの血と汗の結晶である棋譜をデータベースにしてどんどん強くなってきたソフトなわけだから棋界のため、将棋の発展のためになってほしいと皆が望んでいるはずです。
想定できるメリット、デメリットをすべて勘案してメリットが確かに大きいのであればいいけど、そうでないのであれば、何かの手を打つべきでしょう。
最近、島九段のこの本を読みました。
冷静な知見溢れる文章の中に、あまりにあけすけで素直な本音の心理や考え方が伝わってきて、1ページ、1ページ、ズシンズシンと打ちのめされました。
島研ノート 心の鍛え方 | |
講談社 |
ずっと考えてきた電王戦関連のこととリンクする部分があったので引用させてもらいます。(別にコンピュータとかソフトのことについて言っている部分ではないです。)
今、将棋界の若者たちの最大の武器であると思われるデータベースなどの勉強ツールが、真の勝負に直面した時には、それが両刃の剣になる可能性があることを、彼らの世代は常に戒めておかなければならない。
勉強の環境は存分に生かすとして、その先を見据えた時に必ずしも恵まれた時代と言い切れない部分がそこにはある。心を弱める誘惑で言えば、むしろかつてないほど厳しい時代でもあるのだ。機械は人間を便利にはしても、創造する力・考え抜く能力を伸ばすために作られてはいない。特に協調の世界でないここでは、人より抜きん出るためには何の努力もいらないノートパソコンやスマートフォンから得られるものではなく、自分が長く生き抜くための、人が真似できない部分の能力を伸ばすのが最大の武器になる。人間が戦う以上それがいつの時代でも変わらない心の部分であり、羽生さん、佐藤さん、森内さんが息長く勝てる理由のひとつにほかならない。
島さんの真摯に将棋と向き合っている姿勢が重く読み取れる文章です。
梅田さんの高速道路論とも重なってきますね。
さらにもうひとつ。
私がソーシャルメディアと距離を置いているのは、今の社会風潮が含羞の精神に欠ける気がするからだ。時代の進化として受け止めると同時に、それに付随するマイナス面にも慎重すぎるほど配慮する必要がある。何でも知ればいいものでもないし、言わずに察する精神がなければ、それは語らない文化の後退を示しているような気がする。
ソーシャルメディアの話ではあるけど、きちんとマイナス面を理解した上で慎重すぎるほど配慮して使うべきだ、と書かれています。今の時代の風潮の中で島さんが何を大切に考えているのかがよくわかる文章です。
最後にもうひとつだけ。
時代の将棋感覚と他人の考え方の違いは、無限に新しいものを生み出すものなのである。将棋は浅いものではなく、現代の棋士が毎日のように鍛錬を積んだとしても、それは全体の一隅を照らす作業に等しいと考えていい。そして、その一隅を照らす作業こそもちろんプロの価値であるのも、どの時代でも真理である。
人生を賭けた棋士たちの日々の鍛錬の集積が全体の一隅を照らす作業である。
それがプロの価値でもあり、棋士にとってその作業がこの上なく貴重なものだと言っています。
この話、とてもよくわかりますし、心に響くフレーズです。
この文章を読んで、もしもコンピュータが加速度的に進化して、一辺に全体を照らしてしまったら、どうなるのだろうか、と思いました。
そんな心配は要らない、とか、ありえない、とかきっと言われるのでしょうけど、全体を照らせるように日々開発は続けられているのではないのでしょうか?
現状どこまで行っていて、どこまで行く可能性があるのかはまるでわからないのだけど、一隅を照らす地道で貴重な作業を続けているさなかに、宇宙から飛んできたような強烈なレーザービームが当たって、すべてが白日の下に晒されてしまうなんてことにはならないのか、とても気にかかります。
なんだか文明否定論者みたいになってきた。
多分また続きます。