即席の足跡《CURIO DAYS》

毎日の不思議に思ったことを感じるままに。キーワードは、知的?好奇心、生活者発想。観る将棋ファン。線路内人立ち入り研究。

電王戦考察・その4

2013年06月02日 14時26分00秒 | 将棋

少し間が空いてしまいましたが、その間に名人戦、(あっさりと)終わってしまいました。

羽生さんがらしさを全く発揮できないうちに、森内名人の盤石の強さだけが光った名人戦でした。

さて、電王戦の続きです。(電王戦考察その2その3

このテーマのレギュラーコメンテーターのたまもさんがブログに記事を書いてくれました。

強豪将棋ソフトから見えたもの

プロ将棋の魅力は失われるのか

それから英さんの再度警鐘を鳴らした記事。

電王戦考 危機的状況なんだけどなあ

そして、僕の前回の記事のコメントに対しての意見を書いてくれました。

将棋(界)、そもそもの問題 ~nanaponさんところのコメントに、思わず「う~ん」~

書きたかったことがどんどん膨らんで行って、また新たなテーマも出てきて、寄り道したいことも増えてきて、もう収集つかない状況に陥っています。

 ちょっと整理しましょう。

要は、英さんもまとめてくれていますが、僕らが大好きな将棋というものが、トップ棋士よりもどんどん強いソフトができることによっていろいろやばくならないのだろうか、つまらなくならないのだろうか、という懸念が大きなテーマです。

まだまだ先のことだし、そんな要らん心配せんでもええよ、という声が聞こえてくるのはわかってるのだけど、いろいろイマジネーションを働かせれば働かせるほど心配になってきて、うーん、と唸ってしまうわけです。

棋士と比べようもないくらいめちゃくちゃ強くなったソフトが存在すること、巷に出回ることによってどんな影響が予測されるのか。

将棋は、そして、棋士は大丈夫なのだろうか。

モバイルもニコ生も含め、個性溢れるプロの将棋を夢中で楽しんでいる我々観る将棋ファンとしては、もしもこの流れが高じてプロ棋戦が味気ないものになっちゃったら一体どうしてくれるんだい、誰が責任取ってくれるんだい、という問題です。

この人とかあの人などはすでに夜も眠れぬほど心配になって、そのうち千駄ヶ谷でデモをしようかと企んでるほどです。(ウソ)

強いソフトは人間の頭脳では難解極まりない将棋をどんどん丸裸にしていく。

そうなると、極端な話、序盤で勝負が見えてしまうのではないか。                       

将棋そのもののゲーム性が浅くて薄っぺらなものになってしまう可能性をはらんではいないのか。

将棋の面白さを毀損するようなことにはならないのだろうか。
将棋の持つ深遠な魅力が徐々に失われていくのではないだろうか。
将棋のゲームとしての機能的な側面と、文化としての側面のバランスが次第に悪くなっていかないのだろうか。

棋士は日々の研究にどう使うのか、使わないのか。

もし棋士の家にあったとしたらどうなるのか。

安直にコンピュータを頼ってしまうことが増えて行かないのだろうか?

不正はともかく、退化につながっていくことはないのだろうか?

何時間考えても次の一手がわからない時、もがき苦しんで必死に解を求めようとしている時、ふと悪魔の声がしないのだろうか。この誘惑を断ち切れるのだろうか。

そもそも人間は弱いものだから、誘惑に素直になってしまったら、この素晴らしい将棋というゲーム、将棋の文化は果たしてどうなっていくのだろうか。

研究の時だけでなく、対局の時、そして解説や観戦記も含め、強いソフトの出現は今後どのような影響を与えることになるのだろうか。

チェスに詳しい人の情報だけど、やはりあれ(カスパロフ対ディープブルー)以来、チェスはかなりパワーダウンしているとのこと。

本当かどうかは知らないけれど、ほんの一握りの人しか食べていけてないし、明るい未来に向けて普及も進み発展してる状況とは決して言えないようです。

それがコンピュータのせいなのかどうかもわからないけれど、チェスの事例もきちんと学習した上で今後の付き合い方を慎重に考えるべきかと思います。

前回、強い将棋ソフトを作るのは何のためなの?っていう疑問について書きましたが、これは別に否定でも批判でもないですし、僕の中での好奇心というか素朴な疑問なのです。

科学も技術開発も研究も門外漢な僕は、何でなんだろ?と、勝手に思いを巡らしている自問自答の展開が続いています。

強い将棋ソフトを作ること、ましてやプロ棋士に勝つことは究極の目的なわけではないはず。

強い将棋ソフトを作ることは、人工知能やロボットなどの研究開発に役立つから、ということ。

では優れた人工知能やロボットの開発、人間を上回る人工知能やロボットができたら、何にどう使うのか、我々はどう便利に、豊かに、幸せになるのか。

こんなことを考えていてふと気になった小田嶋隆さんの最新のコラム。

無意味で、だからこそ偉大な

三浦雄一郎さんが世界最高峰のエベレスト登頂の話です。

ここで、小田嶋さんが例に出している 

「どうして山に登るのですか」「そこに山があるからだ」という有名な話。

「山に登る人間にその理由を尋ねるのは愚かなことだよ」以下、答えが見つからない自問自答の話が続きます。

もちろんコンピュータと登山は別物ではあるけど、今回の電王戦から始まったこのちょっとした心配事は、結局のところ人間の幸せとは何?という永遠のテーマに収斂されていく。

棋士の方、開発者の方、そしてプロ棋戦を思いっきり楽しんでいる将棋ファンの方々は、このことをどのように思っているのだろうか。

この流れはもう止められない。

コンピュータvs.渡辺三冠、羽生三冠、という世紀の対決が行われようがどうしようが、トッププロが束になってかかってもかなわない強いソフトは近い将来できるに決まっている。

僕らファンの立場とすれば今までと同じように将棋を楽しみ続けていけるのであればそれでいいのだけれど、棋士の方々を始め、棋界関係者としてはもっと事態は複雑だと思えます。

果たしてコンピュータとどのように付き合っていくのか、どのように活用していくのか、この局面での形勢判断や次の一手は難解だと思います。

長考も良し、ここはどっしりと落ち着いて大局観に基づく好手、妙手を指してほしいと願っています。

まだまだ続きます、多分。

コメント (1)
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