英の放電日記

将棋、スポーツ、テレビ等、日々感じること。発信というより放電に近い戯言。

電王戦考 危機的状況なんだけどなあ

2013-05-25 21:51:50 | 将棋
 この件についてずっと放置していたのは、ssayさん「コンピューター将棋について・その3」が、私の意見そのもののように一致していたので、書けなくなってしまったからです。(書いても、それ以上の記事は書けないしパクリになってしまう)。いっそのこと、そのまま全文引用しようと思ったほどです(許可はいただいてあります)。
 その他の関連記事も素晴らしいですし、nanaponさん「電王戦考察」「電王戦考察・その2」で多面的な視点を含めた考察をされています。
 なので、私が書くことは全くなくなってしまいました。
 それでも、私が後で振り返った場合に、「現時点での私の考えを整理して記しておく」という価値はありそうです。もちろん、上記のお二人の記事と重複しているのはもちろんのこと、参考にしていたり、影響を受けているとお考えくださって構いません。

 この電王戦やコンピュータ将棋を考察するに当たり、いろいろな要素が絡み合っていて、多方向から考えなければならないと思います。

①コンピュータ将棋の強さ
 強い。相当強い。人間の英知を結集しフル稼働させないと勝つのは容易でないというレベルに到達していると考えられる。
 第5局を戦った三浦八段は「対局前は勝つ可能性が希望的観測で50%、悲観的に考えると5%。実際に対局してみて、勝つ可能性は5%だった」と述べている。
 三浦八段、GPS将棋より遥かに低レベルの私の棋力で判断するのはおこがましいが、実際はもう少し勝つ期待値は高いのではないだろうか?
 怖れや焦りという感情がなく、疲れも知らず、あきらめもしない。その上、思考過程もわからず、計算力はけた違いで詰みは瞬殺。人知の及ばない得体の知れない恐ろしさを感じて、過大評価している可能性もある。
 もう少しコンピュータ将棋の正体を見極めたい。

②徹底的に戦って、コンピュータ将棋の正体を解明して欲しい
 ただ、過去の実績(対渡辺竜王戦、対清水女流戦、対米長会長戦、その他コンピュータ選手権や「将棋24」での実績などでの強さを考慮すると、今回の棋士の人選には疑問が残る。世間一般に公開(アピール)するのだから、棋界を代表するメンバーを揃えなければならなかった。
 はっきり言って、三浦八段はともかく、あのメンバーで「棋士がコンピュータに敗れた」と認知されてしまうのは納得がいかない。
 この際、世代ごとに選出して欲しい。まず、有望若手の面々なら豊島七段、広瀬七段、佐藤天七段、糸谷六段、菅井五段。
 この先鋒戦の結果を踏まえて、久保九段、深浦九段、木村八段、橋本八段、山崎七段らの今後将棋界の中核を成す世代との中将戦、そして、羽生三冠、渡辺竜王、森内名人、佐藤九段、郷田九段らの大将戦を観てみたい。(コンピュータソフト側は固定、GPSだけでもよい)
 このメンバーで臨み、全敗してしまったら目も当てられないが、個人的にはどんな将棋になるか、非常に興味がある。

③対局の公平性
 今回、ソフトの事前貸出しの有無が問題になった。
A「棋士だけが実戦譜を相手に調べられ、自分はソフトの気風を知らないのは不公平」
B「事前貸与は、ソフトの穴やクセを見つけられてしまう」

 どちらの言い分も理解できる。
 最初の私の考えは、A寄りだった。ソフトの棋風を知らずに指すのはフェアじゃないと思っていた。しかし、貸与した結果、綿密にソフトのクセを調べられ、穴を見つけられそこをつかれた場合、実力以外のところで勝負がつけられてしまうことが考えられる。
 ゲーム性を考え、ランダムの偶発的要素を加え、指し手が一定にならないような工夫も考えられるが、強さを追求し計算結果を最優先する場合、指し手の再現性は高くなるように考えられる。
 もちろん、ソフトの実力が人間をはるかに超えるものであれば、そういう可能性は杞憂に終わるが、現段階では棋士とコンピュータ将棋の棋力は拮抗していると考えていいのではないだろうか。
 そう考えると、対局日の一か月前の段階のソフトを貸与するのが公平のように思う(コンピュータソフトがどのくらいの進歩率か私は分からないので、1か月前という期間が妥当かどうかは分からない)。

④棋士の価値、棋譜の価値
 「自動車に競走で勝てないのは当たり前、だからと言って短距離ランナーの価値が認められないわけではない」という理屈は、将棋にも当てはまるように思う。100mを9秒台で走るランナーなんて、人間離れした速さだ。それと同様に、アマチュアと比較した棋士の強さはとんでもないものだと思う。そして、その相対的な強さの差は、コンピュータ将棋の存在には関係ない。
 しかし、短距離ランナーと自動車の違いと、棋士とコンピュータの違いを比べた場合、後者の方が遥かに前者より小さい。また、自分が将棋に傾倒しているせいか、将棋に芸術性を感じ、棋士にロマンを感じ、棋士がコンピュータに破れるというのは受け入れがたい出来事である。
 まあ、そう感じる者は少数であり、短距離ランナーの価値同様、棋士の存在価値は損なわれないと割り切ればいいのかもしれない。

 また、棋譜(将棋の内容)も「人間対人間」という視点で捉えればいいのかもしれない。心理的な戦いや棋風(個性)の主張など、必ずしも手の最善を追求しなくてもいいのではないかとも思う。
 しかし、最高峰の対局である「羽生対森内」「羽生対渡辺」戦がソフトの検討によって、あれこれ欠陥を指摘され、稚拙なものと思えてしまうのは、やはり「がっかり」である。


⑤棋士とコンピュータ将棋との共存
 棋士の意見で多いのが「将棋ソフトを認め、ソフトを研究に利用して、将棋を高めていけばいい」というものだ。
 しかし、将棋ソフトを利用した研究成果が、はたしてその棋士の実力と言えるのだろうか?筋肉強化のトレーニングマシーンのように、純粋にトレーニングパートナーとして棋力そのものを高める棋士もいるだろうが、研究局面を指定して将棋ソフトで検証することも十分可能なレベルである。実際に、詰みの局面まで調べられている研究もあり、そういった局面での検証なら現段階の手持ちのPCやソフトで十分可能である。
 コンピュータに教えてもらった手順で対局する行為そのものが、自らの棋士の存在価値を否定することにならないのだろうか?
 できることなら、これ以上将棋ソフトが強くなり、その使用環境が実生活に浸透しないでほしいと願っている。

⑥将棋ソフトの不正使用
 スマートフォンなどの携帯機器の進化と将棋ソフトの進化によって 対局中、詰みの有無などを検証や指し手の参考にスマートホンなどを利用することは可能な状況と言える。
 ニコニコ生放送の解説者のひとりであった木村八段の言によると、不正行為は許されないという意識(通念)はあるが、実際には携帯機器の規制(規則や実際の防止措置)が何もなされていないそうだ。
 私は以前(2009年)も「『週刊将棋』 驚きの記事」という記事でこの点を危惧しているが、ここまで切迫した状況になっても、⑤と⑥について全く危機感がないのは、唖然としてしまうくらい不思議でしょうがない。
 「コンピュータに棋士が負けた」というプライドの問題よりも、はるかに棋士の存在を揺るがす問題だとまるで理解していない。


 棋士の誇りがあれば、そんな不正行為は考えられないと思っているのだろうか?多くの一流棋士はそうだと思いたいし私も信じているが、先述の記事をご覧くださればそれは杞憂でないことは誰もが思うのではないだろうか。
 百歩譲って、棋士がそういう不正行為を全く行わないとしても、不正行為が可能な現状において、一般的にはそういう疑惑の目で見られる可能性があるのだ。⑤についても同様で、棋士が独自で汗を流した研究成果も、ソフトの研究成果と見られ、せっかくの会心譜が疑惑のスクリーンが掛けられてしまう可能性もあるのだ。

 早急な規制が必要だと思うが、せめて、棋士会の議題に挙げて、不正行為の意味の重大性の確認を行うのが急務である。それと同時に、⑤の観点も話し合ってほしいものである。


 

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2 コメント

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長いコメントでごめんなさい (ssay)
2013-05-26 11:48:38
「今更」なんて、全然思いません。こうして箇条書きにしていただくと、大変わかりやすですし、よくまとまっていて見易いです。
もう、この件に関しては私もお腹一杯という感じですが、この記事に触発されて、これだけは強調しておきたいという内容をコメントいたします。
特に④と⑤については、まだまだ認識が甘いような気がします。
もちろん、今すぐどうこうという問題ではなく、コンピューター将棋の更なる進化を待ってからの課題となるのですが。
英さんが取り上げた、人間より自動車の方が早いという例え。英さんは将棋にも当てはまるとおっしゃいましたが、私の意見はもっと深刻でして、この手の例えは将棋には当てはまらないと思うのです(部分的には当てはまりますが)。
陸上競技って、マラソンもそうですが、別に目的地までどれだけ早く到着するのかを競う競技ではないです。結果としてはそうなのですが、あくまで人間同士が競争する、競うその姿が観たいというものです。
他のスポーツの例でもそうですが、機械が人間の身体能力を超えたからと言って、人間同士の競技には何の関わも無いわけです。
あえて関連を言えば、その機械を使って人間が効果的なトレーニングができるということで、実際試合をやるのは人間ですから。
ところが、将棋はちょと違うのですよね。
将棋で人間がやる事を突き詰めてしまうと、それは「指し手を示すこと」ということになります。
それで、今回の電王戦でもそうですが、コンピューターは指し手を示せばいいのですよね。実際に指すのは、奨励会員の方である。(もちろん、COMもモニター上では指すことはできますし、いざとなれば、機械の手を使って・・・うあっ嫌だよっ!そんなの、想像させないで(笑)。)
自動車や自転車は陸上競技の場には立てないのです。それぞれ、自動車レースや自転車競技ってのもありますし。ピッチングマシーンは、マウンドには立てないのです。
機械と人間は、同じ土俵には立てないのです。
人間が機械を排斥して土俵に立たせないというのではありません。
そんなことしても、ナンセンスであるという認識だからです。
しかし、コンピューターと人間は対局ができるのですよね。
しかもプロ棋士、トッププロとも対局することが可能となってしまいました。
これ自体がもうすごいことなのですよね。
アマチュア四、五段の方でも、プロと対局はできないですよね、本質的には。
プロが馬鹿にしてやらないというのではなく、競技として成り立たないのです。
今回の電王戦で最も驚いたことは、コンピューター将棋がプロと対局して、
それ相応の棋譜を作り上げ、しかも勝ってしまったということです。
ほとんど、競技として成り立ってしまったということなのです。
なぜ、このことに、本職のプロ棋士たちがもっと危機感を抱かないのかが不思議です。
むしろ、私や英さんは競技としてのプロ将棋のファンだから騒いでいるのです。
そうでなければ、まあ、ハッキリ申し上げて、どうでもいいのです。
将棋というゲームを極めるのに、人間よりもコンピューターの手を借りた方が早いや、というのであればそれでいいのです。
円周率を小数点以下何桁まで計算するかのように。
その点に関して、人間よりもコンピューターの方が優秀であるというのなら、それはそれで大変結構なことだと思います。
そんなことではないのです。
機械が人間よりも優秀であるとか、そんなことどうでもいいのです。
英さんや私や、おそらくnanaponさんも、将棋ファンみんなが危惧していることは、プロの将棋トーナメント(つまり棋戦)が成り立たなくなる可能性があるということなのです。
今すぐ、どうこうではありません。
下手をすれば、そういう可能性があるということなのです。
ここまで述べれば、⑤についても自ずとその危険性が理解できるはずなのです。
ちょっと揺らぎつつありますが、私は今まで、そして今でも、このように確信しておりました。
「でも、コンピューターに藤井システムは開発できないでしょう。」
将棋の序盤は広いです。
最後の最後は、人間はコンピューター将棋に対しては序盤で勝負するしかないと思っております。
コンピューター将棋が進化しすぎて、評価関数の精度が高すぎてしまった場合、序盤で少し不利になったコンピューターがこのまま指し手も勝ち目はないと判断して、中盤に差しかかる前に投了ということも・・・無いか(笑)?
まあ、そのくらい、序盤は広いはずだという認識だったのですが、自信を失っております。
しかし、藤井さんのような棋士は、50年にひとりの天才であって、他の凡百の棋士達がそれを言ってはいけないのですよね。
他の凡百の棋士達が、将来極めて高性能化したコンピューター将棋ソフトを使えば、どう考えても自分より優秀なのだから、そのソフトの指し手を参考に、いや、まんま利用することだって考えられるわけです。
「へっ、ソフトの指し手なんて(嘲笑)」と馬鹿にしていられた時期が華だったわけです。
将来極めて高性能化したソフトでの研究は、マシンを使ったトレーニングなどとは次元が違います。
ドーピングを使って筋力を増強しているという行為に匹敵するほどのものなのです。
最後にもう一度。
将棋ファンでなければ、こんなに騒ぎません。
勝手にコンピューターに将棋の指し手を分析させていればいいのです。
プロの棋戦が好きだから、大好きだから、英さんも私も騒いでいるのです。
杞憂に終われば、それでいいのです。
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熱いコメント、ありがとうございます ()
2013-05-26 13:38:35
ssayさん、こんにちは。

 ssayさんについての私の評価ですが、私より論理的で視野が広く客観的だと思っていましたが、その上に「熱い」という要素が加わりました。

>英さんが取り上げた、人間より自動車の方が早いという例え。英さんは将棋にも当てはまるとおっしゃいましたが、私の意見はもっと深刻でして、この手の例えは将棋には当てはまらないと思うのです(部分的には当てはまりますが)。

 この点ですが、私もその理論は当てはめることができると述べましたが、それと同時に「短距離ランナーと自動車の違いと、棋士とコンピュータの違いを比べた場合、後者の方が遥かに前者より小さい」とも述べていますので、ssayさんの考えと同じだとお考えください。

 ただ、一点だけ

>陸上競技って……あくまで人間同士が競争する、競うその姿が観たいというものです。

 これは将棋にも言えることだと思います。
 最近の例では、先崎氏が「天才ですね」と連発したNHK杯、郷田-羽生戦がそれで、羽生三冠の銀捨てを見て、「ん?」→「そうか」→「落胆」に変化していく様は感動的でした。
 まあ、このことは、ssayさんが力説したいことの枝葉には過ぎず、コメントの主旨には、100%同意です。

>将来極めて高性能化したソフトでの研究は、マシンを使ったトレーニングなどとは次元が違います。
>ドーピングを使って筋力を増強しているという行為に匹敵するほどのものなのです。

 そう、ここなんです。ssayさんがブログで述べられていた遠山五段の
「コンピューターを将棋界としていい意味で積極的に取り入れたいです。いいと思えば取り入れる」
という「「いい意味」って、どういう意味でなのか、具体的にはどう取り入れていくのか」はっきり述べろよというのは、まったく同意しますし、将棋世界誌で紹介されていた
「コンピュータと人間は共存共栄して人工知能の進歩、発展につなげていただきたい」
という谷川会長のコメントも、そんな安易に発していいの?「いただきたい」という他人事でいいのか?と思ってしまいます。
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