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即席の足跡《CURIO DAYS》

毎日の不思議に思ったことを感じるままに。キーワードは、知的?好奇心、生活者発想。観る将棋ファン。線路内人立ち入り研究。

作戦間違い@電王戦・その4

2014年04月06日 12時08分17秒 | 将棋
先日、<作戦間違い@電王戦><その2>、そして<その3>と、勝手にもやもやしていることを書いてきました。

昨日の第四局も一時は森下九段が指せそうなところまでは頑張ったのですけど、第三局の豊島七段のように序中盤のうちに明確な差がつけられるようにできないと結局かなわないという図式ができつつあるようです。
(それにしてもあのトイレの位置っていうのは何なんだ?!和服着てる棋士に対するいじめみたいに見える。大雨とかだったらどうなってたの?試合放棄もんじゃない?そして外に出て階段下りてトイレに行く様を中継してるってどうなの??)

さて、電王戦の仕掛け人の記事がありました。
「将棋、そして囲碁」電脳に負ける人類を待つもの (川上量生)
<一部引用させてもらいます。>======================
身の回りの強い人から挑んでいって負けていく。だんだん勝てるひとが少なくなって、そして、最終的にはプロが人間を代表して戦う。そういう構図です。素人から徐々に勝てなくなっていく様子をリアルタイムで歴史に残していける、というのが、囲碁電王戦の役割だと思っています。

 そこから人々は何を学ぶことができるのか。それは、コンピューターとのつきあい方でしょう。人間よりも優秀になってくコンピュータに対して、正々堂々と一騎打ちを挑む道もあれば、戦いを避けることもできる。また、利用するという生き方もある。

 だれもコンピューターに負けたくないわけですよ、人間は。でも現実はいつかは負ける。コンピューターが進化したらどうなるかというと、徐々に人間の頭脳は必要とされなくなっていくのです。

 この問題に対して向き合うというのが、これから21世紀を生きる我々にとって重要だと思っています。コンピューターの頭脳が人間を追い越したときのひとつの回答として、人間には共存を選ぶという道がある。将棋電王戦ではそれを試しました。

<中略>

そういう意味では、将棋電王戦はAIの進化に少なからず影響を与えるとは思います。でも、将棋電王戦をやったところで、AIの進化の速度はさほど変わらない。コンピューターは知らないうちに賢くなるし、知らないうちに人間に勝つ。

 ただ、将棋や囲碁というのは、人間がやってきたことにコンピューターが挑戦してくるわけで、分かりやすくその進化が可視化される。つまり、人間が知らないうちに追い抜かれるのではなくて、ちゃんとわかる形で追い抜かれるんです。

 そのとき、人間はどう対応していくかのモデルケースが電王戦です。進化していくコンピューター、人工知能にどう対応すればいいのかを人間側に考えさせる極めていいモデルケース、というのが、電王戦の意義だと思っています。そこに、社会的な意味がある。

 少なくとも5年10年は電王戦を盛り上げたいと思っています。人間がどこまでやれるか、見守る。それが僕らの義務だと思っているので。
==========================

僕はプログラマーとか科学者じゃないのでわからないけど、なんだかずいぶんと不遜な言い方に聞こえるし、上から目線も感じるし、正しいことを言ってるのかもしれないけど、どうにも友達にはなりたくない人っていう印象が残る。
いや、言ってるように電王戦の意味とか役割っていうのは理屈としてはよくわかるのだけど。。

『コンピューターは知らないうちに賢くなるし、知らないうちに人間に勝つ。』って、誰かが一生懸命そういう研究開発をしてるからそうなるんですよね?
もちろんメーカーや国も加担してるということだろうけど、なんだか人の手を離れて、人間の意志とは別のところで勝手にそうなってるわけではないですよね?

ITとか科学技術の研究開発はすごいスピードで進んでいるし、もうどうにも止まらない状況なのかもしれないけど、それってどうなのだろうか。
もちろん人類の発展や進化や幸せに結びつくことは計り知れない価値があるのだと思う。
でも負の部分だってたくさんある。
結局は人間が主導的に自分の幸せ、地球全体の幸せとは何かをきちんと考えて取捨選択したり判断したりしていかないと歯止めがきかなくなる。

環境問題、地球温暖化の問題、核や原発の問題、市場経済・金融経済の問題などなど科学技術の進化は巨大な文明や経済発展をもたらし、限りなく地球や人間を変えていってる。

人間はそれでいいのか。
将棋はそれでいいのか。

ずいぶん前の<成長し続けること>という記事の中でも書いているけど、近代化、文明化、経済発展のこの流れは我々にとって本当にいいのだろうか、という懸念です。
経済発展による恩恵は十分受けているし感謝もしているけど、
いささか調子に乗りすぎなんじゃないの?
少し立ち止まって反省したり振り返ったりする時期なんじゃないの?
3年前の東日本大震災を機に皆がそういう気持ちになったのではないの?
と冷静に、客観的にそう思うのです。

ips細胞やSTAP細胞ができて、病気が治って、若返って、すべての人が120歳まで生きられることが本当に幸せなのかどうか。
そのことで社会全体のデメリットはないのか。
戻りたくても後戻りできなくなることはないのか。

いろんな画期的なものができてしまったときにそれをきちんと運用できるだけの信頼感がコントロールする人間に対して持てるのかどうか。

などと、話は将棋と関係なくどんどん大げさな展開になっていって収拾つかなくなっていってるけど、こんな記事も見つけました。
電王戦は,21世紀を生きる人類を映し出す鏡なのかも――将棋棋士・谷川浩司氏がゲストの「ゲーマーはもっと経営者を目指すべき!」第16回

山崎バニラが語る今回の将棋電王戦について思うこと

羽生善治三冠と川上量生ドワンゴ会長のスペシャル対談

また電王戦に話をもどしてこのシリーズ続けますね。
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作戦間違い@電王戦・その3

2014年04月03日 22時26分51秒 | 将棋
先日、<作戦間違い@電王戦>、そして<作戦間違い@電王戦・その2>という記事を書きました。

最初の記事にコメントいただいた九鬼さんの意見を元に電王戦について考察していますが今回は前の記事の続きです。
前回の記事では「このままコンピューター将棋が強くなっていっても、プロ将棋は大丈夫なのか?」について考察したので、今回はもう1つの問題点、「強い将棋ソフトを作るのは何のためなのか?」についてです。

まず九鬼さんのコメントを引用させてもらいます。

冷めた見方?   by 九鬼さん

<九鬼さん>もう1つの問題点、「強い将棋ソフトを作るのは何のためなのか?」に対して、私は直接回答できませんが、こう言わせてください。将棋自体はゲームにすぎません。将棋のプロ棋戦が成り立たなくなっても、将棋はなくならないでしょう。じゃあ、将棋のプロ棋戦は何のためにあるのでしょうか? 将棋文化は? そんなに社会の役に立っていますでしょうか?

いや、私自身はプロの将棋を観戦するのが大好きだし、今後も絶対になくなって欲しくないですが、でもエゴを抑えて冷静に見てみると、将棋のプロ棋戦とか、将棋文化とかが、強い将棋ソフトの開発以上に社会の役に立っている、代替不能の価値を有している、と断言することは難しいように思います。繰り返しますが、将棋自体は、所詮は有限ゲームですし。

将棋自体の歴史をみても、プロ棋戦っていうのは割と最近にできたもので、それ以前は家元制度があったわけです。じゃあ家元制度がプロ棋戦になって失われた文化の価値と、プロ棋戦がなくなって失われる文化の価値を比較せよ、と言われても困ります。他方で、強いコンピューター将棋同士を戦わせる世界にも、文化がないと言えないわけではない。文化って何のためにあるんでしょうね?
===============


かなり奥深いところに行ってしまいそうなテーマです。

将棋は何のためにあるのか?
名人戦などのプロの棋戦は何のためにあるのか?

そして、将棋ソフトは何のためにあるのか?
何のために強いソフトを開発するのか?

さらにはもっと大きなテーマになり、
文化とは何のためにあるのか?
そして科学とは一体何のためにあるのか?

これはでかすぎるし深すぎますね。

文化についてはこんな言葉があります。
《文化芸術は、人々の創造性をはぐくみ、その表現力を高めるとともに、人々の心のつながりや相互に理解し尊重し合う土壌を提供し、多様性を受け入れることができる心豊かな社会を形成するものであり、世界の平和に寄与するものである。》

心豊かな社会、そして、世界平和まで登場しちゃってますね。
普通に考えたら、科学も同じだと思いますが、要は人間、人類の幸せのため、ということでしょう。

しかし、まだ文化の方がとてもわかりやすいし受け入れやすいですけど、それが科学技術とかとなると一段階難しくなる気がします。

さて長くなりますが、科学って一体なんのためにあるの?というお題について考察します。

科学技術の意義という教えてgoo!の記事です。
Q:《大学の講義で,「科学技術には裏表があり,ある技術を開発すると,その技術は,社会にプラスの影響と同じだけのマイナスの影響を与える」というものです.例えば,車を開発したら,いろいろ便利だけど,同時に環境を悪化させるといえますよね.どんな技術にも当てはまると思いませんか.

では,科学技術を進展させることの真の意義とは何でしょうか.プラマイゼロなら,進展させることに意義などありませんよね.難しい問題ですので,そこまで本質を突いた回答でなくて構いません.》


とてもわかりやすく共感する疑問です。
そのベストアンサーがこちら↓。

A:《電気を使ういろいろな技術が開発されています。しかし、なぜ、電子があるのか、なぜ、原子があり、その存在意義は何か、と言う意味でのwhyについてはなんら答えられていません。そういう意味でのwhyです。

ある課題、たとえば、100mを5秒以内に移動するというものを解決することは、技術を持って出来るわけです。しかし、「移動」はなぜ必要なのか、そもそも「移動」って何だという問いは、多くの場合、答えないままでいるわけです。

もっと卑近な例で言えば、「食べる」と言うことです。おなかがすいたから食べる、生きるために栄養が必要だから食べる、これが答えでしょうが、では、人間を食料として必要な生物が出てきて、彼等が「腹が減ったから食うぞ」と言ったら、それで納得がいくのかと言うことです。
なぜ、「食べる」と言うことが出来るのか。植物も、鳥も、牛や豚も同じ生き物であり、人間が彼等を食べることが出来るのは、単に「強い」からに過ぎないのか。それなら、もっと強いものが出てきたら、どうするのか。「強さ」の裏づけである進化は、何を目指しているのか。人間が進化してきたというのは、本当はどんな意味があってのことなのか。

これらの問いに、まったく答えることが出来ていないわけです。そして、その状態で、人類は巨大技術というか、人間のコントロールを超えた技術を開発してしまっています。それは、遺伝子操作であり、核関連技術です。起こると予測されているプレート境界型の大地震で原発が地震で壊れたら、六ヶ所村の核廃棄物保管施設が壊れたら、それこそ地球規模の震災になります。》


どんどん深い話になっていきます。

また有名な書評ブロガーの小飼弾さんは科学の存在理由、目標についてこう述べています。

『人間にとってそれが自然の姿なので、「信じたい」より「知りたい」を優先するのが、科学だ。

人間の幸せのためとかではなく、「知りたい」は「信じたい」よりも強いからこそ科学の意味があるはずだ。

ゆえに科学に存在理由は不要だ。』


NHK-E「新世代が解く ! ニッポンのジレンマ」感想の中に小飼さんと同じようなこんな意見もありました。

『科学とは、自然なる真実の探求であり、実践にどう役立つのか、科学者の社会貢献という問題はまた別のテーマ。
たとえば車を作ろうとするときには、こんな車ができたらいい、こんなことが可能になったら楽しいのでこんな車を作りたい、と科学者はいろいろ考える。
でもその時に、轢かれて死ぬかもしれない、とか排気ガスはどうなんだ?と考え始めたら車なんて一生できやしない。
実際に車ができて、使うときに初めて議論すればいい。』

『一部の非常にずば抜けた能力を持つ人が、自分が追求したいことをパッションの赴くままに追求することが真の科学者の役割とすれば、そうして生まれた科学技術をリスクを管理していかに社会に役立てるかという役割と本来切り分けられているべきではないか。』


どんどん電王戦の話からずれていってますね。

ここまで来ると話はどういう方向に進むのか自分でもわからなくなってきました。

強い将棋ソフトを作るのは真実の探求なので、知りたいという欲求のままに研究を進めていく。
できたらどうするのか、世の中にどういう価値を提供するのかは謎のままに、日々強いソフトを作るための研究を進めていく。
そして出来上がった時に初めて、そのソフトをどう使うのか、どう伝統文化と融合させればいいのか、どう役割分担するのか、どう協力したらいいのかということを検討して決めていけばいい。

まあそうなんでしょうね。
科学者ではない僕はなんかひとつ腑に落ちない気もするけど。

開発者、研究者のそもそもの思いってあるわけですよね?
ざっくりとでもいいので、こんなものを作りたい、の先にあることってあるんですよね?
そこがないと、何かひょんなことですごいものができちゃった時に、そこから使い方とか社会にどう取り込んでいくのか考えるってとても怖い気がします。

昨日から始まったNHKのNEWS WEBで中村太地ネットナビゲーターも言ってました。
コンピュータと人間がそれぞれに得意とするところを組み合わせてどんどん新しいものを生み出していければいい。
伝統文化である将棋にとってもどんどん新しいものを取り入れていく部分と決して変えてはいけない部分もあるので今後しっかりその辺を考えていかなければいけない、と。

まあ、何度も言ってるけど、強いソフトのとめどない進化は続いているわけだから、将来的な共存共栄できる形を皆で想像力を目一杯働かせて議論しなければいけない時なんじゃないのかなあ、って思うわけですね。心配性のオジサンとしては。

九鬼さんからまたまたコメントいただいたこともあり、このネタ続く予定です。
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絶対に負けられない戦い

2014年03月31日 18時39分19秒 | 将棋
ちょっと時間は経ってしまったけど先週行われた天下分け目の王将戦七番勝負最終局、渡辺王将vs.羽生三冠についての感想です。

一番ファンを熱狂させるこのフルセットの大熱戦は既報の通り、渡辺王将の見事な防衛で幕を閉じました。

大の羽生ファンの英さん第63期王将戦第7局 ~渡辺王将、完勝~という記事の中で、敗因(?)についてこう語っています。

①棋王戦で三浦九段が0-3で敗れ、渡辺二冠を消耗させないから……
②羽生三冠は年度最終局、成績良くないんだよな…通算17勝11敗 .607は、通算勝率.722と比べると相当低い。
③今回の敗退も、名人位を奪取すればおつりがくる
④勝者罰ゲームが嫌だった

特に②などは、ほんと、超マニアの分析ですね。

一方大の渡辺ファンのssayさんや九鬼さんはいまだに感涙にむせんでいます。

王将戦第6局であっさり負けてしまいフルセットにもつれ込んだ時、ssayさんは第63期王将戦七番勝負第6局の記事の中で『こういう負け方は、全然納得できない。』『本局のような「あっさり」した負け方は、嫌いだ!』と失望を露わにしています。

また同じく渡辺ファンの九鬼さんもその時の負け方については納得できないでいて、ssayさんの第39期期王戦五番勝負第3局の記事のコメントでこう語っています。
======================
王将戦第6局は、結果も残念ですし、ssayさんがご指摘のように負け方も良くなかったと思うのですが、私はそれ以前にここで振り飛車をやめた意図が気になっています。最後、第7局で後手番を引いた時、再び振り飛車投入するなら、私は一応納得です(もちろんその後の戦い次第ですが)。でも、羽生三冠相手にここぞという勝負のときは後手番でも常に居飛車で行くなら、ちょっと、いやかなり残念です。それだと、先のゴキゲン三連荘は単なるお試しか、目くらましの為だけってことになってしまい、何だか恐ろしく小手先感が漂います。
======================
勝ち負けだけではない。
負けるにしても納得のいく負け方をしてくれないと浦和レッズサポー・・・、じゃない、小穴、じゃない、コアな渡辺ファンとしてはどうにもこうにも収まりがつかないわけですね。

それは当然です。

それにしても第6局の負け方といい、棋王戦の完璧な強さといい、竜王という呼び名がまだ似合っているさなかに二組に降級しちゃうとか、そんなことも含めて彼の魅力なのでしょうか。

さて、ssayさんが最終局を振り返って書かれた記事、第63期王将戦七番勝負第7局
ホッとしつつ、安心して一人にんまりしつつ盃を傾けている姿が目に浮かびます。
=======================
さて、第7局だが、後手番となったあきら王将が採用した作戦は「ごきげん中飛車」。
九鬼さん、感涙にむせんでいますか?
この大一番に持ってきたということは、単なる目くらましではありません。
かと言って、直ちに有利になるほど、おいしい作戦でもありません。
あきら王将なりの試行錯誤の中で、あえて採用したのでしょう
=======================

思い起こせばちょうど一年前、去年の名人戦第一局の時に上京した英さん、ssayさんと3人で初めて会って飲んだあの楽しい思い出が蘇ります。

豊島六段が一矢を報いた電王戦のことはさておいて、今回の王将戦はいろいろ見ごたえありましたね。
渡辺二冠は棋王、王将ともにしっかりと防衛。隙のない強さを存分に発揮しました。

一方の羽生三冠は、気を取り直して来週にはもう始まる名人戦にすべてを賭ける。
4年連続の同一カード。
小学校の時からずっと戦い続けている気心の知れたライバル。
4-3、4-2、4-1と次第に差がついて負け続けてきたので、ここで(4-0とか)負けるわけには絶対にいかない意地がある。

優先順位をつけるわけではないものの、今は打倒渡辺明!というフェイズというよりも、打倒森内俊之!という思いの方が強いはず。
(渡辺ファンに失礼な書き方かもしれず、すみません。)
羽生三冠の将棋人生の中で、何としても今成し遂げなければならないのは、ここ3年も厚い壁にぶち当たって敗退した森内名人を破って名人位を奪取すること。
そして、秋の竜王戦の舞台にも挑戦者として名乗り出て、そこでも森内竜王を倒して、永世竜王位を獲ること、そして永世七冠という前人未到の高みに立つこと。

七冠という快挙さえすでに成し遂げた羽生三冠が、今棋士人生を賭けてどうしても達成したい目の前の目標がこの二つなのではないかと思います。

羽生三冠にとってはめったにない、絶対に負けられない戦いがここにある。
すっかり桜も咲いて、来週から始まる名人戦、楽しみです。

ところで英さん、今年は来ないの?
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作戦間違い@電王戦・その2

2014年03月22日 22時54分25秒 | 将棋
今日の国技館での電王戦第二局、佐藤紳哉六段対やねうら王。
しっかりした隙のない指しまわしのコンピュータ側が勝って2連勝。
このまま人間はいいところなくふがいなさを見せつけて終わってしまうのかどうか、気がかりです。

先日、<作戦間違い@電王戦>という久々の将棋関連記事を書いてたくさんのコメントいただきました。
皆様、ありがとうございました。

その中に九鬼さんからの長文コメントがあり、とても興味深かったのでここで部分的に引用させていただきつつ意見交換というような形にしたいと思います。

冷めた見方?   by 九鬼さん

<九鬼さん>昨年の一連の記事のなかで、nanaponさんは、問題点を2つに分けて、整理していらっしゃいましたよね? 1つは、「このままコンピューター将棋が強くなっていっても、プロ将棋は大丈夫なのか?」で、もう1つは「強い将棋ソフトを作るのは何のためか?」です。

そうなんですね。忘れてました。(ほんと歳だよね、すぐに忘れちゃう。)
で、読み返してみました。結構興奮して書いてますね。(あの人この人に刺激されちゃって)
昨年書いた記事はこちら。
(九鬼さんの指摘内容はその2、その3です。)
電王戦考察その1
その2
その3
その4
その5
その6
久々に読み返してみました。いろいろ考えて一生懸命熱くなって書いたますね。若い!(笑)
ssayさん英さんともかなり深いやりとりをしてるし、コメントいただいた方々の意見も含めいろいろな視点から皆で議論してます。
そして結構もがいていろいろ書き続け、終盤は結構煮詰まっちゃって、もうおなかいっぱいな感じになってました。

<九鬼さん>コンピューター将棋がプロ棋士より遥かに強くなっても、将棋のプロ棋戦が成り立つかどうか、つまりCOMより弱いプロ棋士にファンとスポンサーが十分に付くかどうかは、結局私達が「コンピューターよりずっと弱いが人間のなかでは圧倒的に将棋に強い人たち」であるプロ棋士の指す将棋に魅力を感じられるかどうか、にかかっているのだと思います。

私は、将棋はものすごくよくできた有限ゲーム(有限確定完全情報ゲーム)の一つと割り切っていますので、もし将棋の神がいるとしたらそれは進化したコンピューター(+進化したコンピュータ将棋ソフト)でしかありえないと思っています。なので、コンピューター将棋(ハード+ソフト)が一定水準以上に進化したとき人間が勝てなくなるのは当然であり、そのことによってプロ棋士やプロ棋戦の魅力はいささかも減じない、と思っています。
コンピューター将棋がプロ棋士よりはるかに強くなったとき、プロ棋士や彼らの指す将棋の魅力が減じるとしたら、それは従来のファンが「先生」を半ば神格化してしまっていたからで、一種の偶像破壊に対する嫌悪感を抱いてしまうからではないかと思います。そういう人がいるのは大いに理解できますし、その方々の気持ちを踏みにじっていいとは思わないのですが、ともかく私の場合はそれがないですし、多くの将棋ファンも割とすぐに「コンピューターより弱いプロ棋士」に慣れるのではないかと思います。問題はスポンサーですが、ファンが大丈夫であればスポンサーについても悲観する必要はないく、新聞社の衰退や、日本経済自体の縮小の方が深刻な問題なのではないかと思っています。


九鬼さんは、コンピュータソフトがプロ棋士よりもはるかに強くなったとしても、プロ棋士たちの将棋の魅力はいささかも減じることはないというふうに言われています。
個人の好みや価値観もあるし、人それぞれなんだとは思いますが、僕はこう思います。

たしかにコンピュータの進化は著しいし、人間の進歩に比べたら月とすっぽんなわけで、このままの勢いでいけば、羽生さんや渡辺さんでも、いや束になってかかっても全く箸にも棒にもかからない位差がついちゃうのだと思います。
そうなった時、今我々が興奮して楽しんでいるプロ棋士同志の将棋の魅力がどうなってしまうのか。
それは我々のコンピュータとの付き合い方次第だと思います。

前にも書いたけど、懸念しているのは例えばこんな例。
羽生・渡辺のタイトル戦の対局中、ニコ生、とか、大盤解説会で木村八段がユーモアたっぷりに次の一手とか、どちらが優勢とかいろいろ解説していてファンが固唾を飲んで見守っている時。
そこで、ニコ生の画面とか、twitterとかで強いコンピュータソフトの手が示されてしまった場合。

なーんだ、解説者は全然わかってねーじゃん。
対局者だって、こう指したら一発なのに、何考えてるんだろ?
こんな手もわかんないのか、あーあ。

ってなっちゃう。興醒め。(極端な例)

ニコ生やtwitterなど見なけりゃいいじゃん、と言えばそうなのだけど、こうなってもいいのかどうか。

もうひとつ。
対局中は電子機器の電源を切るなどの規定が設けられたけど、棋士よりも強いソフトが普及したとしたら昼食も何も外出禁止とかにしないと、やばいことになるのではという不安。
フェアプレイが当たり前の世界にそんなことはありえないと言えばそれまでだけど、いろんな規定をさらに整備しないといろいろ面倒なことが起こるかもしれない心配が募ります。

さらに言えば観戦記の問題。
現在、多くの観戦記者は担当のプロ棋士の解説を参考にして観戦記を書いているわけだけど、そこにコンピュータソフトも登場してくる(かもしれない)。
この局面ではこうだったかもしれない、ここは難しくてこういう見方もできた、とか、対局者の感想や解説の棋士の分析だけでなく、強いソフトだったらこう考えたし、こうした方がよかったというコメントも入ってくる。
そうなった時、プロ棋士や人間の世界だけでは気づかない新たな発見や事実が示されることになる。

棋士同士の将棋の稚拙さが指摘され、タイトル保持者ってそんなもんか、ってことが僕らの目の前に示されてしまう。

観戦記にコンピュータソフトの解析なんて要らないと言ったって、もしも我々がコンピュータを使って検証できるのであれば、今タイトル戦で起こっているような、課題の局面に敢えてまた誘導して研究成果をぶつけて深めていきたい、極めていきたいというようこともバカバカしくなってしまいます。

ここまで一般にも普及するにはまだまだ時間はかかるのでしょうけど、どちらにしても僕が思うのは僕らがプロの将棋を楽しんでいる場所に、出て来てほしくないということ。盛り下げちゃうような影響を与えてほしくないと言うこと。
棋士対コンピュータの電王戦をやること自体はまだいいのだけど、僕らがプロ棋士たちの味わい深い将棋を心行くまで楽しんでる現場には絡んでこないでほしいということ。
考え方が古いと言えばそうかもしれないし、心配性と言えばそうなのかもしれないけど、どうにもそこがとても気がかりなのです。

あと、九鬼さんの指摘している点、プロ棋士を神格化してしまっていること、偶像破壊的な印象については他の人はどうかわからないけど、僕はそれについての失望はありません。
科学の進歩は目を見張るものがあり、このままどんどん進めていけば、囲碁だろうが何だろうが所詮はかなわないレベルにいってしまうのでしょう。
単純にコンピューターとプロ棋士の格付けが済んでしまったとしても、プロ棋士に対して、また、棋士同士が力一杯紡ぐ将棋への興味関心は決して薄らいだりはしません。

ということで、この点については、保守的な人間の意見になってしまうかもしれないけど、観る将棋の醍醐味を毀損しないようにしてほしいなあ、というのが僕の切なる思いです。

長くなったので、もうひとつのテーマ、「強い将棋ソフトを作るのは何のためか?」の論議についてはまた次回にしたいと思います。

関連記事:ssayさん・・・もう、やめたら?(その2)まだ始まったばかりの第3回電王戦について
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作戦間違い@電王戦

2014年03月17日 12時40分19秒 | 将棋
昨年の電王戦のことに関しては以前たくさん書きました
いよいよ第三回が始まり、おととい菅井五段対習甦の第一局があったので、ニコニコなどちょこちょこチェックしてました。

感想は、ssayさんの記事、・・・もう、やめたら?に集約されています。

“将棋ファンの中には、傷ついている人もいるということを理解してほしいのだ。”

と繊細で傷つきやすいssayさんは嘆いています。
もちろんいろんな意味で話題性もあり、十二分に楽しんだという人もいることだろうと思います。

しかし、僕にとっても、

なんなんだ、これは!?

異種格闘技?

と、変な演出や盛り上げのところにまず目が行ってしまいます。

電王手君?
ちゃんと一礼したけど可愛くないですよ。
こんなのすぐに飽きます。子供だまし。
新聞の一面にも出たけど、大体この絵がひどい。

ワクワクしないです。
第二局以降はさらにビックリするような電王手君2ndバージョンを登場させるのでしょうか?

そういう風に言うと、古くからの将棋ファンはひとまず置いといて、ここは新たな将棋ファンの開拓が狙いだと言われてしまうのでしょう。

あの菅井五段が必死で戦っても難しいくらいの強さです。
彼が真剣にやってあれだけかなわないのであれば、もう手合い違いではないですか?
去年から1年経っていたら、いや、3か月違ったら敵の開発スピードはものすごいだろうからずいぶん手合いが変わってきちゃうんだろうと思います。
出場棋士うんぬんではなく、これではいいところなく5戦全敗が現実的なものになってます。

有明コロシアム、国技館という会場選定もなんか指しすぎの感がする。
伝統と近未来の異種格闘技ということで、全国の1000万格闘技ファンを将棋に引きずり込もうという作戦なのでしょうか。
もしそうであれば、ssayさんも言ってたけど、第三局大阪府立体育館、第四局後楽園ホールとすればいいんです。

連盟モバイル編集長の遠山五段第3回電王戦第1局という記事でこう言ってます。
==========================
ビッグイベントの運営ということで色々なことがあるのは致し方ありません。私としても知らないことばかりで、記者会見を見て知ったことも多く、判断つきかねています。
2点残念なのは、
前回の記事で書いた「ファンに喜ばれるかどうか?」の雲行きがだいぶ怪しくなったこと
・佐藤紳六段はじめここから登場する棋士が、集中して盤に向かえるかが大変心配なこと
将棋連盟が出来る唯一最大のことはイベントを成功させることですし、関係者一同それに向けて頑張るよりありません。
===========================
そうです、『どれだけファンが喜んだのかどうか』の一点。
どれだけメディアに取り上げられたか、とか、どれだけ収益が上がったかとは二の次です。
百歩譲って、古くからのファンには悪評だったけど、今回の目的だった新たなファン層拡大ということでは十分に効果があったということであれば作戦成功です。
(仮にそうだとしても古くからのファンに対する配慮も考えるべきですけど。)

言葉は悪いけど、質の悪いSFドラマです。
安物の格闘技イベントです。

保守的なファンの目線だと言われるかもしれないけど、将棋の本来の良さ、楽しさ、醍醐味とはまるで別物ではないの?と思えて仕方ありません。
僕らの好きな将棋はどこ行っちゃうのですか?

なんかボタンのかけ方が狂っています。

お願いだから僕らがリスペクトしてやまない崇高な棋士の方々を変な方向に引きずり込まないでほしいです。
オジサンファンの悲痛な心の叫びです。

>来年以降はドワンゴさんが手を引くだろうけどね。

全国の格闘技ファンがほっておかなくて、さらにイベント的な盛り上げ、とんでもない話題性溢れる趣向を凝らして、無理やりでも互角に戦えるようなハンディマッチにしてやるんじゃないでしょうかね。
角落ちとか、飛車落ち、いや六枚落ちくらい?
いや、金網とか、鎖とか?(笑)

はい、ファンが喜ぶ第四回電王戦を心から楽しみにしています。

ということで終わりにしようかと思ったら、こんなことになってるの?
将棋電王戦「やねうら王」改変問題、ponanzaの山本一成が激怒、対戦相手・佐藤紳哉が不快感。ネットでも批判の声が続出
将棋電王戦】 レギュレーション違反? 佐藤紳哉六段、怒りの会見

ネット上でかなりヒートアップしてる。
どうでもいいけど、ますまず場末のプロレスじゃん。
試合前の会見で花束投げつけるあれ。
こりゃ東スポの1面で大きく取り上げないといけませんねえ。
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情報技術とともに加速度的に発展する将棋を観る楽しみ

2013年10月20日 18時53分22秒 | 将棋
先日、日経ビジネスイノベーションフォーラム 「ビジョナリーであるために」
~誰にもみえない未来をつくる~ 将棋から学ぶ次の一手
に行ってきました。

このような3部構成のメニューです。

1.講演 「情報技術の進化と企業経営」
梅田 望夫氏 ( リコー社外取締役)

2.対談 「次の一手を決断するための思考プロセス」
渡辺明竜王・棋王・王将× 矢内理絵子女流四段

3.特選対局
加藤桃子女流王座VS 矢内理絵子女流四段
  《 解説:渡辺明竜王・棋王・王将 》
  《 聞き手:上田初美女流三段 》

ちょっと遅れて行って案内され、一番後ろの席に座ったら、偶然すぐ隣が遠山編集長okadaicさんでした。

ということで今日は第一部の梅田望夫さんの話を簡単にまとめてみようと思います。

まず梅田さんが最初に象徴的に紹介してくれた、一般将棋ファンのこのtweet。
“リアルタイムで将棋が見られるようになって本当によかった。
棋譜を並べただけでは伝わらない感動が、棋力に関係なく多くの人たちと共有できるようになった。”


そうですね、ほんと、すっかりそういう時代になりましたね。
梅田さんの提唱した『将棋を観る楽しみ』というものが我々将棋ファンの間ですっかり定着して当たり前のようにリアルタイムに、カジュアルに、楽しめる状況になったわけです。
将棋連盟の方、棋士の方、遠山編集長を筆頭とする関係者の方々、数年前まではなかったこの幸せすぎる環境、本当に感謝しています。ありがとうございます。

そもそも、すべての始まりはここからでした。

シリコンバレーから将棋を観る―羽生善治と現代
クリエーター情報なし
中央公論新社


梅田さんやokadaicさんと初めてお目にかかったあの時。思い出します。
『シリコンバレーから将棋を観る』サイン会

これ、2009年春のことなんですね。
まだ4年半前ですか。
なんだか隔世の感があります。

 


この本があまりにもインパクト大きかったのでずいぶんブログにも取り上げました。

本屋の売り場に関する話を1話から7話まで書いたりとか、僕の中でのこの本の影響力についてもいろいろ書かせてもらいました。

梅田さん、okadaicさんからも直接コメントをいただいた記事。
シリコンバレーと本屋の売り場・その2

書評のような記事。
シリコンバレーから将棋を観る
将棋を観る楽しみ

もうかなり忘れてましたけど、感慨深いです。
すっかり新しい時代になりましたね。
今ではタイトル戦などはニコ生も当たり前のようになり、皆、リアルタイムで将棋を観戦し、twitterであれこれ言い合ったり、その臨場感を共有しつつ楽しんでいます。

今までは将棋の強い人、上級者たちだけの場だった。
ほんの一部のマニアの人たちだけのニッチなコンテンツ、エンターテインメントだった。
それが、ここ数年で、イメージも含めすっかり将棋の見え方、位置づけが変貌した。
棋士たちの真剣勝負の醍醐味、それにまつわる興味深い情報などが広く世の中に伝えられるようになり、楽しみ方もいろいろ幅ができ、それとともに裾野も一気に拡大した。
若い人、そして女性、子供などがどんどん新たなファンとして流入してきて、もともとずっといて幅を利かせていたタバコ臭いオヤジたちはすっかり肩身が狭くなった。

プロの将棋を味わうのは、ずっと、何十年も、新聞の観戦記、そして、将棋世界と週刊将棋を中心にして歴史が刻まれてきた。
あと、NHK杯や名人戦竜王戦のBS放送のテレビ中継を加えたらそれが将棋を楽しむすべてのチャネルだった。
そこに登場したインターネット。
インターネットの発展のおかげで、将棋やスポーツなど、観戦する側の楽しみ方の深さ、充実度は急速に変化してきた。
しかし、その中でも将棋を観る楽しみは、インターネットの恩恵を受けてるものの最右翼かもしれないとマジに思えてくる。
楽しみ方が100倍返しになっていると言えるくらい、大きな影響を受けているのではないかと思う。

こんなイベントもありましたね。
羽生さんイベント@アップルストア
電王戦も含め、数々広いジャンルの将棋イベントも全国各地で頻繁に行われています。
タイトル戦の大盤解説会なども現地、ニコ生、連盟、主催者、など、ファンが自分の好みや利便性に応じて選べる選択肢もどんどん増えています。

インターネットがある程度普及しても、将棋コンテンツは大スポンサーの新聞の利権であり収益源たる独占情報だから、そう簡単にはネット上にOPENにしていくことは長い間困難であった。

それがある時から堰を切ったように、誰でも気軽に(それほどお金もかからず)享受できるような時代になった。

昔は情報を制限することで価値が生まれたけど、今は情報は公開することで全体としての価値が高まる。情報をOPENにしてしまうことが誰にも見えない未来を作ることになる、と梅田さんは言う。

ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書)
クリエーター情報なし
筑摩書房

この2006年に上梓したウェブ進化論でも書かれているが、
オープンソースということに注目している。

ネット上で公開することにより、金銭の授受も、指示や強制のメカニズムもなく、自発的に知恵が集まり自然に成長していく。

プロ棋士の世界、将棋の研究や進化はそんなオープンソースの世界と似ている。

将棋は「オープンソース的な営み」「オープンソース現象」と言えるのではないか。

異質な個性が思考を共有しそれぞれの持ち味を発揮し、自主的に全体として大きな達成を成し遂げる場。
足りない部分を補い、アイデアの連鎖反応を起こすこと大きなインパクトを与えること。
労働に見合った報酬とか関係なく、その対象が好きという一点で結ばれている。
こういうことが誰にも見えないこれからの世界を考える大きな指針になっていく。

現在のイノベーションにおける二つの流れ。
A.基盤事業やしくみ、カルチャーを破壊しない範囲で、ITを導入してイノベーションを起こす。
B.新しいITを前提に、何も拘らずに破壊型イノベーションを起こす。新しい可能性を追求していく、見定めていこうとする方向。

今回の電王戦は、明らかにB。
故米長会長の考えで、いいことか悪いことかわからないけど、時代の流れなのだから逃げずに取り組んでいこうと主張し始まったイノベーション。

梅田さんの締めの言葉は、
『ITの本質を見据えたイノベーションをしていくことが人間の役割。
それはまだ緒についたばかりなので、一緒に誰にも見えない未来を作っていきましょう。』
とのこと。

ITの力。
梅田さんの指摘するオープンソース的な営みは未来の可能性を大きく広げていくことができそうな気がする。
とりあえず現代に生きる人間として、“将棋を楽しむ”ということを通してであれば、人間とITがどうリンクしていくのがいいのかを見守ったり考えたりすることはとても興味深い。

そういう意味で以前何度も書いた電王戦に関しては、現状ではかなり批判的な見方になっているのだけど、人間の英知や見識を信じて、まだ誰にも見えない未来を積極的に創造して行こうとすることは恐れてはいけない、という勇気をもらいました。
梅田さん、ありがとうございました。
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アラフォーの時代

2013年06月26日 11時43分06秒 | 将棋

先日の棋聖戦第二局。三冠対決はまたも羽生棋聖の快勝でした。

今年になってから朝日杯優勝、NHK杯優勝、王将位獲得、棋王位獲得、最優秀棋士賞、棋聖戦挑戦者と飛ぶ鳥を落とす勢いだった渡辺竜王は、先日の棋聖戦第一局、A級順位戦緒戦の深浦戦、そして王座戦トーナメント準決勝の郷田戦に続いてまたしても“らしさ”のまるで出ない敗戦でした。

竜王ファンの方もすっかりいじけちゃってます

もう秋の竜王戦10連覇に向けて調整段階に入ったなんてことはないでしょうけど、春の勢いが止まってしまい、一体どうしちゃったのでしょうか?

昔、2007年、2008年くらいに、羽生世代になかなか勝てない渡辺竜王を筆頭にした20代棋士たちに対する応援歌3部作を書きました。

20代の反乱

20代の反乱・その2

30代に負けるな!

それから、これは去年ですが、一時はそうでもなかった羽生世代がまた一丸となって台頭してきたことを書いた記事、羽生世代3部作とおまけです。

羽生世代の逆襲

羽生世代の復権

羽生世代の時代

まわるまわるよ時代はまわる

さて、今年のA級順位戦が始まりました。

昨日は今年も本命の羽生三冠、危なげなく初戦をものにしました。

今年のメンバーを改めて見てみましょう。

棋界のトップの10人、いや、森内名人も入れて、世界のベスト11。

この11人を年齢別に見ると、なんと9人が37歳から43歳に固まってます。

そして、あとの二人は渡辺竜王の29歳と谷川九段の51歳。

こんな分布になります。(PC環境によってうまく出てるかな?)

 ・・30  ・・・・・・・・・・・・・・・      40    ・・・・・・・・・・・・・・・  50 ・・

★              ★★★★★★★★★                ★


固まりすぎだろ!?!

なかなかスポーツの世界ではありえない構図です。

いつまでこんなイメージの勢力図になっているのだろう?

渡辺竜王も言ってたし、そんなに世代論を気にしてる人はいないのだろうけど、 この世界のベスト11の年齢分布はかつてはあり得なかったと思う。

すでに30代に突入してしまった橋本八段、山崎七段、阿久津七段、松尾七段。

そして、伸び盛りの20代の広瀬七段、豊島七段、それに続く佐藤天彦七段、戸辺六段、稲葉六段、中村六段、などなどこのアラフォーの塊を押しのけて行かないといけません。

しかし、考えてみれば、大山十五世名人は別格にしても、米長新名人誕生が49歳11か月。

それを考えたら、谷川九段もそうだけど、島九段、森下九段、中村九段あたりの世代もまだまだタイトル戦に出てきてほしいです。

昨日のウィンブルドンの伊達のプレー。

いろんな引き出しを使って若手を走らせて、省エネプレーで完勝。

本人も楽しいし、見てる方もさすがだと唸ってしまう。

ジャンボや中嶋がレギュラーツアーでの活躍、そして山本昌や谷繁などの頑張りを見ているとベテランの活躍の余地だって十分にある。

それにしても、この偏り、この真ん中の塊は何を表しているのか?

昔の将棋と、コンピュータができてからの現代将棋との狭間の世代だから強いということもあるのだろうか?

この現状の分布図を眺めつつ、3年後、5年後はどんな構図になっているのか、想像しつつ、棋聖戦、王位戦、王座戦と続く熱戦を楽しみたいと思っています。 

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棋王就位式

2013年06月16日 18時20分14秒 | 将棋

ちょっと遅くなりましたが、5月末に行われた棋王就位式のレポートです。

連盟のレポートにもありますので詳細はそちらで。

過去、毎年参加させてもらってます。

※過去レポートはこちら⇒2009年2010年2011年2012年

今回の主役は渡辺新棋王。

飛ぶ鳥を落とす勢いで、竜王戦9連覇、王将位奪取、棋王位奪取=三冠、棋聖戦挑戦者と来て、このままグングン行くのかなと思ったら、先日の棋聖戦第一局、そしてつい先日のA級順位戦緒戦でいいところなく敗れてしまいました。

式次第です。

会場はすごい人。見たことある顔がいっぱいです。

共同通信社古賀社長のご挨拶。

谷川会長も風格が出てきましたね。

嬉しそうです。

本当に充実してる新棋王です。

棋王の謝辞です。

ユーモアも交え、競馬の話も含め、堂々たる挨拶。

いよいよパーティ。モテモテでデレデレです。

今回、いろいろな棋士や業界の方々とお話しすることができました。

今回初めて長いことお話することができた所司先生。右の怪しいオジサンは僕です。(絵、下手!)

以前もブログにコメントいただいたこともあり、コンピュータ将棋の話、象棋の話など楽しくお話しさせていただきました。

もう一人、いろいろお話させていただいたのが島九段。

電王戦の記事でも取り上げましたが、最近読んだ本でかなり心を打たれたのがこれ。

この本の感想を率直にお話しさせてもらい、島さんの書かれた時の気持ちなども伺うことができました。、

島研ノート 心の鍛え方
 

講談社    

 

甘えてちょうど持っていた本に、サイン、いただいちゃいました。

本当に実直な感じだし、すごく腰も低くてすっかりファンになってしまいました。

連盟の新常務理事として、米長前会長が作ってきた道をベースにしつつ、棋界のさらなる発展のために新たな道を切り拓いていけるよう期待しています。

主賓の渡辺棋王にもお祝いを言ってから、その日のスポニチの一面で華々しく予想をしていたダービーネタでしばしお話しさせてもらいました。

4月の名人戦第一局の前夜祭↓(その時の写真)でもお目にかかったばかりだったのでちゃんと覚えていてくれて、気さくな感じで競馬ネタに終始しました。

 もともと僕が約7年前にこのブログを始めるきっかけになったのは、渡辺明ブログのお蔭です。

「渡辺明ブログ」の功績という3年半前の記事でも書いてますが、渡辺明ブログに出会わなかったらブログを初めてなかったし、このブログを始めてなかったらこんなにも将棋に興味を持つこともなかったし、就位式を始めいろんなイベントに行くこともありませんでした。そして今では大切ないろいろな方々と出会うこともありませんでした。

あらためて渡辺竜王に本当に感謝です。

ブログを始めてから、将棋ファンも含め、いろんなブロガーの方々との交流も始まったわけだけど、ついおとといの金曜日、ブロガー仲間のオフ会がありました。

もともと渡辺明ブログのコメント欄を通じて知り合ったDanchoさんssayさんをはじめ、ブログ開設当初からすっかり仲良くさせてもらっている川島さん風屋さん(今回は欠席)との恒例の年に一度の楽しいオフ会です。

話は就位式に戻りますが、会場でお話しさせてもらった棋士の方の中には、片上六段遠山五段瀬川五段もいました。

渡辺竜王を含めたブログ研のメンバーなわけですよね。(まだ続いてるんですね、すごいです。)

あの頃、とても懐かしいです。4人の棋士の方のブログを毎日欠かさず訪問し、それに触発されて僕も毎日のように将棋関連記事を書き、コメントやTBの交流をさせていただいてました。 

ということでいろいろな方とお目にかかれて本当に楽しく過ごさせていただいた棋王就位式。

渡辺新棋王、おめでとうございました!

※これがお土産の記念扇子です。

 

 

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電王戦考察・その6

2013年06月14日 12時43分04秒 | 将棋

電王戦考察その2その3その4その5と電王戦についていろいろ思うところを書いてきました。

もう飽きたよって言われるのはわかるけど、しつこい、しぶとい、っていうのが持ち味、棋風。

いろいろ心配したり問題提起したりしましたが、この後、どこに行こうとしてるのかもはやわからなくなってきました。大体、書こうと思ってたあのことはもう書いたのか、まだなのかも曖昧になってきた。(いつもこれじゃん。)

“果敢”にも“難解”なテーマを“何回”も“書かん”としてることは褒めてあげてもいいけど、最後がそれじゃあ閉まんねーよ。

電王戦はこれからもつづくのでしょうけど、果たしてどうするのか、次は誰が出るのか、あるいは持ち時間のハンディとか事前貸出しをどうするのか、とか、いろいろ議論はあると思います。

しかし、阿部光瑠四段が指摘したように、これは全く別物という説、賛成です。(参考:番外編)将棋とコンピュータ将棋の違い

別の競技を無理やり条件を揃えようとしても無理がある。

猪木とアリのプロレスでもボクシングでもない格闘技のように、どうやったところで、これじゃあっちが不利、それでは公平性に欠ける、とかって意見が出てくる。

コンピュータの進化は人間が苦手としてきたことへの対応など、メリットは山ほどあるとは思うし、人間の進化を助けるものであるという側面はよくわかる。

しかし、いずれコンピュータの方が人間が逆立ちしても及ばないほど強くなっていくのは時間の問題だと思うけど、そうなった時にどのようにつきあうのか。

3年後か30年後かはわからないけど、そうなることを前提にして今からどのような関係性を作っていくのがいいのか。

チェスはコンピュータに負けてからどうも発展の速度が落ちているらしいけど(そのせいなのかどうかは要検証)、 将棋はその轍を踏まないようにできるのかどうか。

極端に言うと、序盤で勝負が見えてしまうというような、将棋の持つゲーム性が魅力ないものになってしまう可能性をはらんではいないのか。
見えてなかったものが丸裸にされて、毀損するようなことにはならないのだろうか。
将棋ってこんなもんか。思ってたよりも浅い。なんだ、意外につまらない。欠点があって楽しめない。
将棋のゲームとしての側面ばかりをすごい勢いで突き詰めていくと、文化としての側面とのバランスが悪くなり、おかしなことになっていかないのだろうか。

茂木健一郎さんのこの本に興味深いフレーズがありました。 

新しい日本の愛し方 (新潮新書)
 
新潮社

これは柔道の話です。

【講道館において生み出された文化としての柔道と、オリンピック競技となり国際化した文明としての柔道の間には数々の齟齬がある。 

カラー柔道着は文化としての柔道の視点から見れば醜い堕落であることだろう。一方、文明としての柔道の観点からは、グローバル化する中で、カラー柔道着は避けて通れない変化だったのかもしれない。】

将棋における文化と文明の視点。

ガラパゴス化とグローバル化のクロスポイント。

コンピュータが代表する文明の波、時代の嵐に飲み込まれていくと、いまだかつて将棋が経験したことのない未知の世界に足を踏み入れていくことになる。

400年の歴史を誇る名人戦に象徴される伝統文化としての将棋は、これから青い柔道着を纏うことになっていくのだろうか?

それにしても技術革新、それに伴うグローバル化のスピードは速い。

これは前の記事(その2)に対するssayさんのコメントです。

【いえ、あまりに急展開すぎたのですよね。
現役A級棋士の三浦八段が負けたのは、結果としては仕方ありませんが、あまりにも私達に心の準備ができていませんでした。もう少し、何年か掛かりで段階を踏んでいただければ・・・。】

ほんと、ここ、失敗しましたね。明らかな作戦負けです。
棋士の成長のスピードとコンピュータの進化のスピードは全く違うので、もしも何回かのシリーズでやるのなら、今回の5対5はもう1年から1年半くらい早くやればよかったのではと思います。

一回とは言え、A級棋士が負けてしまったからには、次回の時期、メンバーややり方をどうするのか。

連盟新体制にとってはかなり難しい局面です。

どちらかの三冠が登場したりすればそりゃ興行的には盛り上がるものの、コテンパに負けてしまった時のリスクは計り知れない。

どちらにしても、勝つか負けるかハラハラドキドキという勝負ができるのは、ここ数年なんだろうと思いますし(1,2年か?)、客観的に見たら、平手で普通に勝負できる期間は限られてくるのだと思います。

いつの日か棋士に勝てるようなソフトを作りたい。

そしてその途方もない夢が実現する。

その夢の向こう側には何があるんだろ?

何度も言うけど、別に否定はしてません。

電王戦の話から多少ずれてしまうけど、僕の感覚から言えば、もっとゆっくり人間が全力を出し切りつつ、考えながら進化していけばいいのではないだろうかと思う。

もっとゆっくり、君は速すぎる

この朝が続くように、

石の道をただブラブラと楽しいことがありそうな

すてきな気分

《サイモンとガーファンクル「59番街橋の歌」》

そんなに急いでどこへゆく。何かに急かされ焦りすぎているのではないか。

自分を見失っているのではないか。

例えば、昔は10時間とか6時間とかかかっていた大阪までの移動だって、もう2時間半が当たり前。

そしてもっともっと早く行けないかいろいろやってる。

何時間で行けたら満足するの?

要望、欲望はいつになったら止まるの?

足るを知る、 ですね。

昔鈍行列車に揺られてゆっくりのんびりと旅行していたのが懐かしい。

景色を楽しむ。経過を楽しむ。いろいろ振り返って考える。

皆すごいスピードで走っている。

脇目も振らずに突進している。

ドッグイヤー、マウスイヤー。

技術、経済、文明など、すべてが加速している。アクセル全開。

そのことが人間にとって本当に幸せなことなのかどうか。

すっかり余裕をなくしてることがいろんな問題を起こしたり、解決のネックになっているのではないか。

将棋は将棋でコンピュータの力を借りずとも、徐々に少しずつ進化発展していけばいいのではないか。

長い歴史の中で、将棋を愛してやまないその時代のトップ棋士たちが、己のすべてを賭けた盤上の一手。

それが凝縮して受け継がれ、新たな時代の中で定着したり修正されたりしつつ、大きな川の流れのようになってゆったりと流れ続けている。

自然の中で大きなうねりとなって流れているこの川が、一歩コンピュータとの関係を間違うと、違う流れ方になっていかないのだろうか。

こんなことを考えつつ再度上記の茂木さんの本から引用させてもらいます。

【日本人は、「文化」は理解しても、「文明」は、畢竟、理解していないのではないか。

そのことが、近代における日本の失敗、そして、今、ヴィジョンなくさまよう我が国の現状に関わるのではないか。】

将棋とコンピュータの交わり、そしてその未来のことに思いを巡らしていたら、何だか知らないけど大げさな話になってきちゃいました。 

【近代における日本の失敗、そして、今、ヴィジョンなくさまよう我が国の現状】の中に将棋が迷いこまないことを祈っています。

【文明は文化を包摂し、文化は、文明というゆりかごの中で新陳代謝する。そのような人間のありさまを曇りのない目で見れば、ひとつの文化の純粋さに固執することは、必ずしも永続可能な態度ではないということが明らかにされるだろう。】

大きな目で見れば、こういうことにもなるのだろう。

文化としての逞しさ、時代の変遷の中でもみくちゃにされたとしてもしっかりと着実に進化し続けられる力、それが問われているのだと思います。

そういう意味からしたら、絶滅危惧種をいろんな危険にさらさないようにして守ろうとする姿勢ではなく、これだけ着実に根付いて日本中の老若男女からしっかり支持されているのだから、ほっといたとしても、時代の波に翻弄されずに大きなうねりになっていくのかなあ、と楽観的にも思えます。

【文化は、文明というゆりかごの中で新陳代謝する。】

いい言葉ですよね。

細胞が活発になり、細胞分裂してどんどん増殖していく。

将棋の健康。将棋の幸せ。

明るい将棋の未来を願っています。

何か大げさな話になってきたし、どこに向かって進むのやら皆目見当もつかないのだけど、多分、まだ続きます。(しつこい!) 

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電王戦考察・その5

2013年06月08日 20時34分04秒 | 将棋

電王戦考察その2その3その4と電王戦についていろいろ思うところを書いてきました。

その4の記事にレギュラーコメンテーターのたまもさんがコメントをくれました。まずはそのレスから始めます。

たまもさん、こんにちは。

>「人間には怖い変化も、コンピュータはちゃんと読んで踏み込んでくる」「僕は習甦のおかげで強くなれた」との阿部四段の言葉、「不利になってもあきらめず最善手を探すツツカナの精神力を見習いたい」との谷川会長の言葉。私は「人間と全く違う思考過程と非人間的精神力から導き出されたソフトの将棋を、人間の思考方法で学習し、再構成する」という前向きさに思えました。

はい、もちろんそう思いますよ。何でも否定しようとか、全面的に悲観的とかではないです。

ちょっと心配性でおせっかいのオヤジがまだグズグズボヤいてるって感じでしょうか。

最初に火をつけた二人はもう呑気なもんで。(笑)

>もっとも、自宅研究で終盤の詰む詰まないをソフトに頼ったら、棋力低下の自殺行為でしょう。

僕が一番危惧するのは、不正などということよりも、明らかに強いコンピュータがすぐそばにあったら弱い人間としてはどうなるのだろうか、ということです。

今までのように不屈の闘志を持って全然動じずに日々努力を重ねていけるのかどうか。

習甦のおかげで強くなれた、とか、ツツカナの精神力を見習うとか、メリットの部分は当然あるのだろうけど、デメリットの部分を正面切って見つめて行かなくて大丈夫なのだろうか、ということです。

>私が当面心配しているのは、プロ将棋の観戦です。ネットの掲示板等で「うちのボナンザの評価値ー200」とかやられたら、興ざめですね(ニコ動のコメントではすでにありました)。

はい、たまもさんのおっしゃるように、トップ棋士でも全然かなわない実力の誰もが認める強さのソフトができたとして(何年後かはわからないけど絶対にできると思います。)、ハラハラドキドキしながら見ているプロの対局でその情報や評価や指摘が出てきてしまったら興ざめじゃないかと思うわけです。

大盤解説とか、ネット中継とかには出ないとしても、もしそのソフトが世間に出回っていたらtwitterなどで誰かがつぶやきますよね。プロが苦心して予想したりして解説してるニコ生で、画面いっぱいに書き込みますよね。

《二人(対局者)とも全然わかってないなあ。》

《あー、こうやれば詰んでたのに、また逃しちゃったよ。》

《何でそっちに逃げるかなあ、違うだろ、あ~あ。》

ってなことになっちゃいませんか?

プロ棋士へのリスペクトや敬愛はどうなる?

棋士よりもコンピュータを敬愛してどうする?

いや、すみませんね。

ま、付き合い方なわけで。

連盟の内部でもいろんな角度から議論されているのだとは思うけど、この先、電王戦を続けていくのかどうなのか、そして、メリットは当然あるからさらに深い協力関係でいくのか、どうするのか。

将棋の健全な発展。

棋士の幸せ、将棋ファンの幸せ。

とりあえず、そこでしょ、と思います。

もとより先人たちの血と汗の結晶である棋譜をデータベースにしてどんどん強くなってきたソフトなわけだから棋界のため、将棋の発展のためになってほしいと皆が望んでいるはずです。

想定できるメリット、デメリットをすべて勘案してメリットが確かに大きいのであればいいけど、そうでないのであれば、何かの手を打つべきでしょう。

最近、島九段のこの本を読みました。

冷静な知見溢れる文章の中に、あまりにあけすけで素直な本音の心理や考え方が伝わってきて、1ページ、1ページ、ズシンズシンと打ちのめされました。

 

島研ノート 心の鍛え方
 
講談社

ずっと考えてきた電王戦関連のこととリンクする部分があったので引用させてもらいます。(別にコンピュータとかソフトのことについて言っている部分ではないです。)

今、将棋界の若者たちの最大の武器であると思われるデータベースなどの勉強ツールが、真の勝負に直面した時には、それが両刃の剣になる可能性があることを、彼らの世代は常に戒めておかなければならない。

勉強の環境は存分に生かすとして、その先を見据えた時に必ずしも恵まれた時代と言い切れない部分がそこにはある。心を弱める誘惑で言えば、むしろかつてないほど厳しい時代でもあるのだ。機械は人間を便利にはしても、創造する力・考え抜く能力を伸ばすために作られてはいない。特に協調の世界でないここでは、人より抜きん出るためには何の努力もいらないノートパソコンやスマートフォンから得られるものではなく、自分が長く生き抜くための、人が真似できない部分の能力を伸ばすのが最大の武器になる。人間が戦う以上それがいつの時代でも変わらない心の部分であり、羽生さん、佐藤さん、森内さんが息長く勝てる理由のひとつにほかならない。

島さんの真摯に将棋と向き合っている姿勢が重く読み取れる文章です。

梅田さんの高速道路論とも重なってきますね。

さらにもうひとつ。

私がソーシャルメディアと距離を置いているのは、今の社会風潮が含羞の精神に欠ける気がするからだ。時代の進化として受け止めると同時に、それに付随するマイナス面にも慎重すぎるほど配慮する必要がある。何でも知ればいいものでもないし、言わずに察する精神がなければ、それは語らない文化の後退を示しているような気がする。

ソーシャルメディアの話ではあるけど、きちんとマイナス面を理解した上で慎重すぎるほど配慮して使うべきだ、と書かれています。今の時代の風潮の中で島さんが何を大切に考えているのかがよくわかる文章です。

最後にもうひとつだけ。

時代の将棋感覚と他人の考え方の違いは、無限に新しいものを生み出すものなのである。将棋は浅いものではなく、現代の棋士が毎日のように鍛錬を積んだとしても、それは全体の一隅を照らす作業に等しいと考えていい。そして、その一隅を照らす作業こそもちろんプロの価値であるのも、どの時代でも真理である。

人生を賭けた棋士たちの日々の鍛錬の集積が全体の一隅を照らす作業である。

それがプロの価値でもあり、棋士にとってその作業がこの上なく貴重なものだと言っています。

この話、とてもよくわかりますし、心に響くフレーズです。

この文章を読んで、もしもコンピュータが加速度的に進化して、一辺に全体を照らしてしまったら、どうなるのだろうか、と思いました。

そんな心配は要らない、とか、ありえない、とかきっと言われるのでしょうけど、全体を照らせるように日々開発は続けられているのではないのでしょうか?

現状どこまで行っていて、どこまで行く可能性があるのかはまるでわからないのだけど、一隅を照らす地道で貴重な作業を続けているさなかに、宇宙から飛んできたような強烈なレーザービームが当たって、すべてが白日の下に晒されてしまうなんてことにはならないのか、とても気にかかります。

なんだか文明否定論者みたいになってきた。

多分また続きます。

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