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即席の足跡《CURIO DAYS》

毎日の不思議に思ったことを感じるままに。キーワードは、知的?好奇心、生活者発想。観る将棋ファン。線路内人立ち入り研究。

電王戦考察・その4

2013年06月02日 14時26分00秒 | 将棋

少し間が空いてしまいましたが、その間に名人戦、(あっさりと)終わってしまいました。

羽生さんがらしさを全く発揮できないうちに、森内名人の盤石の強さだけが光った名人戦でした。

さて、電王戦の続きです。(電王戦考察その2その3

このテーマのレギュラーコメンテーターのたまもさんがブログに記事を書いてくれました。

強豪将棋ソフトから見えたもの

プロ将棋の魅力は失われるのか

それから英さんの再度警鐘を鳴らした記事。

電王戦考 危機的状況なんだけどなあ

そして、僕の前回の記事のコメントに対しての意見を書いてくれました。

将棋(界)、そもそもの問題 ~nanaponさんところのコメントに、思わず「う~ん」~

書きたかったことがどんどん膨らんで行って、また新たなテーマも出てきて、寄り道したいことも増えてきて、もう収集つかない状況に陥っています。

 ちょっと整理しましょう。

要は、英さんもまとめてくれていますが、僕らが大好きな将棋というものが、トップ棋士よりもどんどん強いソフトができることによっていろいろやばくならないのだろうか、つまらなくならないのだろうか、という懸念が大きなテーマです。

まだまだ先のことだし、そんな要らん心配せんでもええよ、という声が聞こえてくるのはわかってるのだけど、いろいろイマジネーションを働かせれば働かせるほど心配になってきて、うーん、と唸ってしまうわけです。

棋士と比べようもないくらいめちゃくちゃ強くなったソフトが存在すること、巷に出回ることによってどんな影響が予測されるのか。

将棋は、そして、棋士は大丈夫なのだろうか。

モバイルもニコ生も含め、個性溢れるプロの将棋を夢中で楽しんでいる我々観る将棋ファンとしては、もしもこの流れが高じてプロ棋戦が味気ないものになっちゃったら一体どうしてくれるんだい、誰が責任取ってくれるんだい、という問題です。

この人とかあの人などはすでに夜も眠れぬほど心配になって、そのうち千駄ヶ谷でデモをしようかと企んでるほどです。(ウソ)

強いソフトは人間の頭脳では難解極まりない将棋をどんどん丸裸にしていく。

そうなると、極端な話、序盤で勝負が見えてしまうのではないか。                       

将棋そのもののゲーム性が浅くて薄っぺらなものになってしまう可能性をはらんではいないのか。

将棋の面白さを毀損するようなことにはならないのだろうか。
将棋の持つ深遠な魅力が徐々に失われていくのではないだろうか。
将棋のゲームとしての機能的な側面と、文化としての側面のバランスが次第に悪くなっていかないのだろうか。

棋士は日々の研究にどう使うのか、使わないのか。

もし棋士の家にあったとしたらどうなるのか。

安直にコンピュータを頼ってしまうことが増えて行かないのだろうか?

不正はともかく、退化につながっていくことはないのだろうか?

何時間考えても次の一手がわからない時、もがき苦しんで必死に解を求めようとしている時、ふと悪魔の声がしないのだろうか。この誘惑を断ち切れるのだろうか。

そもそも人間は弱いものだから、誘惑に素直になってしまったら、この素晴らしい将棋というゲーム、将棋の文化は果たしてどうなっていくのだろうか。

研究の時だけでなく、対局の時、そして解説や観戦記も含め、強いソフトの出現は今後どのような影響を与えることになるのだろうか。

チェスに詳しい人の情報だけど、やはりあれ(カスパロフ対ディープブルー)以来、チェスはかなりパワーダウンしているとのこと。

本当かどうかは知らないけれど、ほんの一握りの人しか食べていけてないし、明るい未来に向けて普及も進み発展してる状況とは決して言えないようです。

それがコンピュータのせいなのかどうかもわからないけれど、チェスの事例もきちんと学習した上で今後の付き合い方を慎重に考えるべきかと思います。

前回、強い将棋ソフトを作るのは何のためなの?っていう疑問について書きましたが、これは別に否定でも批判でもないですし、僕の中での好奇心というか素朴な疑問なのです。

科学も技術開発も研究も門外漢な僕は、何でなんだろ?と、勝手に思いを巡らしている自問自答の展開が続いています。

強い将棋ソフトを作ること、ましてやプロ棋士に勝つことは究極の目的なわけではないはず。

強い将棋ソフトを作ることは、人工知能やロボットなどの研究開発に役立つから、ということ。

では優れた人工知能やロボットの開発、人間を上回る人工知能やロボットができたら、何にどう使うのか、我々はどう便利に、豊かに、幸せになるのか。

こんなことを考えていてふと気になった小田嶋隆さんの最新のコラム。

無意味で、だからこそ偉大な

三浦雄一郎さんが世界最高峰のエベレスト登頂の話です。

ここで、小田嶋さんが例に出している 

「どうして山に登るのですか」「そこに山があるからだ」という有名な話。

「山に登る人間にその理由を尋ねるのは愚かなことだよ」以下、答えが見つからない自問自答の話が続きます。

もちろんコンピュータと登山は別物ではあるけど、今回の電王戦から始まったこのちょっとした心配事は、結局のところ人間の幸せとは何?という永遠のテーマに収斂されていく。

棋士の方、開発者の方、そしてプロ棋戦を思いっきり楽しんでいる将棋ファンの方々は、このことをどのように思っているのだろうか。

この流れはもう止められない。

コンピュータvs.渡辺三冠、羽生三冠、という世紀の対決が行われようがどうしようが、トッププロが束になってかかってもかなわない強いソフトは近い将来できるに決まっている。

僕らファンの立場とすれば今までと同じように将棋を楽しみ続けていけるのであればそれでいいのだけれど、棋士の方々を始め、棋界関係者としてはもっと事態は複雑だと思えます。

果たしてコンピュータとどのように付き合っていくのか、どのように活用していくのか、この局面での形勢判断や次の一手は難解だと思います。

長考も良し、ここはどっしりと落ち着いて大局観に基づく好手、妙手を指してほしいと願っています。

まだまだ続きます、多分。

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電王戦考察・その3

2013年05月25日 23時00分54秒 | 将棋

電王戦考察電王戦考察・その2の続編です。

前回の記事その2.では、1.このままソフトが強くなっていったら、将棋は大丈夫なの?って心配。》について書いたので、今回は、2.強い将棋ソフトを作るのは何のためなの?っていう疑問。》について思うところを書いてみます。

ssayさんの記事の中でも取り上げられている遠山五段の記事、電王戦総括 「将棋界は何と戦っていたのか」

そのコメント欄でもこのことに関してのいろいろな意見が出ています。

白石淳さんのコメントの一部を引用させてもらいます。

《私の素朴な疑問に、そもそも研究者の方々は何のためにソフトの開発をしているのか、というのがあります。将棋文化を破壊してまでする開発に、それに見合った成果は何なのか、ということです。

私は、コンピュータ将棋側の人からも、将棋連盟からも、コンピュータ将棋が強くなることの意義を聞いたことがありません。
山本さんによれば、この国の情報科学としては偉大な一歩であり、編集長様も、将棋が社会の役に立つ、素晴らしいと大喜びされてますが、それは具体的には何なのでしょうか?(将棋ファンは、将棋が社会の役に立つから将棋が好きなわけではないと思いますし、そもそも文化というのは別にこの世に絶対必要なものではないものばかりではないでしょうか)》

さらに、電王戦についてさんのコメントです。(部分的に引用させてもらいます。)

《それは過激な言葉を用いるならば上の方が言うように「文化の破壊」であり、より正確にいえばいままでの「将棋」を成り立たせていたいろいろの前提が、コンピューター将棋の到来によって覆される、ということであって、個人的には今回の電王戦でプロ棋士がまさに「全生命をかけて戦っているように見えた」理由は、そうした前提が覆されることに対する将棋に人生をささげたプロ棋士の抵抗心そのものゆえだったと考えます。もちろん、人によっては自動車と人が100メートル走を競うようなものだから、たとえ負けたとしても人間の尊厳や将棋そのものの魅力にはいくばくかの影響も与えないとする意見もあるのですが、それはいくつかの理由により不適なたとえだと考えます。

<中略>

電王戦の結果が明らかになった今本当に語られるべきなのは、コンピューターの棋力が人と相並び超えるというもはや避けられない現実がもたらし得る様々な可能性のすべてについてであり、すべてが調和され共存共栄とともにあるバラ色の未来の話や、ネットやテクノロジーを用いて将棋という文化の魅力をいかに盛り上げていくかといった前向きな話だけではなく、上で具体的にあげられているような将棋という「伝統文化」の成り立ちを変えていくかもしれない負の側面についてもいまこそ真剣に語られるべきと信じます。》

技術開発の目的は?

何のための開発なのか?

上記の方々のコメントに対して、それは近視眼的な意見だ、とか、

下記のシーサーさんのような意見も出ています。

《数年、数十年後に別の技術が発見された時、コンピュータ将棋でノウハウを蓄えてきた
とあるアルゴリズムが思わぬ応用のされ方をして有用な何かができるようになる…
技術というのはそんな感じで発展していきます。長い目で見ましょう。》

莫大な時間も労力もお金も使ったコンピュータに関わるハード、ソフトの開発、技術革新はどこに向かって進もうとしているのか。

果たして社会のためにどんな役に立とうとしているのか、という疑問。

そして、将棋の強いソフトを作ることが人類を幸せにすることに直結するのかどうか。

前回までに問題提起した危険性の話をもとに言えば、むしろ不幸にすることにならないのだろうか、という不安。

もしも研究開発の目的が達成感充足感とか、知的好奇心のレベルであったなら、今後の将棋のまっとうな発展に対して大きな影響力を持ちすぎるのではないか。
技術の粋を集めて寄ってたかって神様しかわからなかった将棋を丸裸にしてしまう功罪はいかがなものなのか。

否定するわけではないけど、一抹の不安がうずまく。

前の記事《電王戦考察》では週刊将棋の松原先生の記事を紹介しましたが、先日、NHKの視点論点で「将棋ソフト勝利の意味」というテーマの話をされていました。

《人工知能の研究、人間のように賢いコンピュータやロボットを作りたいということから出発したし、そもそもの発端は子供の頃に鉄腕アトムを作りたいという純粋な夢だった。

その研究には、ルールが明確なチェスや将棋を題材にすることが適している。

ずいぶん前に世界チャンピオンを負かしたチェスのソフトはその後探索の部分を生かし電車の乗り換えソフトに応用されている。(世の中の役に立っている。)

人間より強いコンピュータが現れてしまったチェスがその後どうなったかと言えば、すたれてもいないし、トッププレーヤーはずっと尊敬され続けているし、食えなくなったということもない。

つまり、人間が負けたからと言って人間の尊厳が傷つくものでもないし、人間の脳の存在意義が脅かされているということはない。

コンピュータの発達は人類の幸福の実現に貢献しているものの、その一方で人間の従来の仕事、あるいは生き甲斐の範囲を狭めている側面がある。

人間は、発明、創造性など、人間にしかできないこと、人間だからこそできることにシフトしていくようになっていくはずだ。

コンピュータとどう付き合って、どううまく使っていけばより住みやすい社会ができるようになるのか、それが我々に問われている。》

松原先生の話はとてもわかりやすかったし、説得力もありました。

当然強い将棋ソフトを作ることのその先には人工知能やロボットをより高度にしていくことでどうしたら社会に役立つようにできるのか、ということが根本にあるのだと思います。

人間がよりよい社会を作るために、より幸せな未来を築くために、コンピュータを道具としてうまく使いこなさないといけない。

当初の意図、目的とは違って、コンピュータに使われるようになってはいけない。

そこがブレて行ったら本末転倒。

結局のところ、そこにずべてかかっている。

要は使い方次第。どっちにも転がっていく。

人間が良かれと思って開発したコンピュータなのだから、その本来的な目的のためにきちんと使われていくのかどうか、それを確認し、検証し、しっかり使っていくことが重要。

しかし、人間て結構弱いし、脆いし、忘れるし、適当でいい加減な部分もかなりあるので、人間より賢いコンピュータができたら結構そこが悩ましいポイントになる。

飼い犬に手を噛まれるみたいなことになってしまってはバカバカしい限り。

噛まれないような飼い主に我々はちゃんとなれるのだろうか。

この先、人間とコンピュータの関係はどうなっていくのだろう。

さてさて話はとめどなく広がっていって収集つかない状況に。

そんな時、またまた下記のブログが更新されました。

ちきりんさん人間ドラマを惹き出したプログラム

英さん電王戦考 危機的状況なんだけどなあ

ますますどう収集つけたらいいのかわからなくなってきました。

この先どういう展開にしていくのか読めてはないし、説得力ある結論が導き出せる自信はまるでないのだけれど、とりあえずまだまだ続きそうなので今日はここまで。

多分まだ続きます。

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電王戦考察・その2

2013年05月23日 20時50分25秒 | 将棋

電王戦考察という記事を書きましたがその続編です。

電王戦については最近書かれたこの記事がかなり評判になっています。

「人間対コンピュータ将棋」頂上決戦の真実 【前編】
対局3日前、「棋界の武蔵」三浦八段が漏らした本音

「人間対コンピュータ将棋」頂上決戦の真実【後編】
一手も悪手を指さなかった三浦八段は、なぜ敗れたのか

この記事の中で気になった部分を引用させてもらいます。

 阿部光瑠四段

『そもそも僕は、コンピュータとの勝負は人間どうしの将棋とは違う、別のゲームだと考えています。ですから、『将棋のプロなのだから将棋で勝たなくては』とは思っていなかったです。『ルールにさえ違反しなければいい』と思っていました。

 コンピュータが人間を超えるのは『時間の問題』です。もう、コンピュータとまともに戦うことにこだわっている時代ではないと思います。』

そうですね。

阿部四段の指摘の通り、これは別物。

我々の慣れ親しんでいる日本文化としての将棋とは全く別のもの。

別のゲーム、別の種目、別のエンターテインメント。

今回は同じ土俵で人間とコンピュータが戦ったけど、本来的には別々のもの。

例えて言えば猪木とアリが、プロレスでもボクシングでもない別の格闘技で戦ったような感じ。

あるいは将棋ボクシングのようなイメージか。とにかく別種目。

もし、そこが明確であるのなら、持ち時間の問題とか、事前の貸し出しとか、条件をできるだけ対等にするために熱くなることはなんだか不毛なことだと思います。

この先、条件をさらに調整して(いろんなハンディをつけて)第三回をやることになるのでしょうか?

ドワンゴはぜひそうしたいと思っているでしょうし、興行的な意味はすごくわかるけど、連盟HPの中の棋戦一覧の中に名人戦、竜王戦などと同じレベルで入っていることがおかしいのではないでしょうか。

ponanzaの開発者、山本一成さん

「でも、人間との勝負にこだわっているわけではありません。僕はただソフトを強くしたいんです。

「ただ、自分の中でもたしかに矛盾はあるんです。人間がコンピュータに負けてほしくはなくて、電王戦でもponanza以外はみんな人間を応援していました。

 ずっと将棋をやってきた者としては、プロの権威を傷つけたくはない。でも開発者としては、ソフトの力を試したい。葛藤があります。傷つきなんかしない、杞憂だとは思うけど、でも杞憂であってほしいという願望かもしれない。

 うーん、やっぱり杞憂かな・・・でもそうでもないかな・・・わからないです。だけど、こういうことは、これからどの分野でも起こることですよね。でも・・・すみません、混迷しています」

山本さんが混迷、葛藤しているこの部分。

プロの権威を傷つけたくはない。

プロ棋士に勝ちたいということでなく、単にソフトを強くしたい欲求。

棋士は強くあってほしい、負けないでほしい。しかし、自分は開発者魂として強いソフトを作りたいだけ。

よくわかります。

山本さんの意見や考え方については最近のChikirinさんの日記にも出ています

『われ敗れたり』 米長邦雄

盤上の勝負 盤外の勝負

お互い、大衝撃!

あらためてちょっと整理してみます。

ここまでで出てきた疑問は以下の二つ。 

1.このままソフトが強くなっていったら、将棋は大丈夫なの?って心配。

2.強い将棋ソフトを作るのは何のためなの?っていう疑問。

まず1.のテーマについてあれこれ思いを巡らしてみます。

トップ棋士もまるでかなわないような強いソフトがこの先どんどんできてしまうのは仕方ない。

もうそれは時間の問題。

そうなると、前回書いたようないろいろな危険性、心配は大丈夫なのだろうか?

人類対コンピュータとか、そういうレベルの話ではなく、例えば名人戦の解説をponanzaがやって、この手はこうです、この先はこうなります、普通にやれば先手勝ちです、などと言い切ってしまったらどうなるのか。

要らぬ心配とは思うけど、プロ棋士の価値が落ちたりはしないのだろうか。

対局中、棋士が昼休みに気分転換のために外食に行くことも怪しまれるような、不正の問題は大丈夫なのだろうか。

我々ファンは今までよりも純粋に将棋を楽しめなくなっていかないのだろうか?

もちろん使う方がきちんとした姿勢でしっかりマネージメントするのであればそんな心配は杞憂だという理屈はわかる。

しかし、今まではトップ棋士たちがいくら考えてもわからない、明確な結論が出ない、ということが当たり前であった将棋。

これだけ考えてわからないのだから、相手だってわかるはずもない。

あとは将棋の神様のみぞ知る。

皆がストレス溜めて、命を削ってギリギリの思いで戦いながら少しでも深い部分、先の部分を突き詰めようとしていた。

そして、その課題やテーマを棋士たちが寄ってたかって何年もかけて、研究を重ねてようやっと結論めいたものが導き出されてくる。

またさらに時間が経つと、その時代の風潮とも重なって今までは注目されなかった、あるいは無理だとされた戦法が再び浮き上がってきたりもする。

将棋にはそんな面白さ、楽しみ方もある。

でも、そういうことが、コンピュータにかかると一瞬でわかってしまうことになる。

正確な最善手や結論を即座に冷徹にはじきだしてしまう。

棋士たちの長い期間をかけた情熱や勇気や努力が無駄にはならないのだろうか。

長い間熟成させてきたひらめきや発想が、一刀両断に切り捨てられたり、決めつけられたりする5年後の世界。

人間をはるかに超えて強くなったコンピュータが出した結論、情報はどこかから広く伝わるはずだ。

そうなった時にどうなるのか。

誰も結論が出せない中で、研究に研究を重ねて身を削って読もうとあがいていた今までの状況と、ソフトに聞けば一瞬で明快な答えが出てくるという今後の状況。

今まで通り、いや今まで以上にアマチュアも含めた棋士たちは、脳細胞をフル回転させ続けていくのだろうか。

このことは棋界に、棋士に、ファンに、どういう影響を与えるのか、与えないのか。

理科系のことはまるで疎いし、心配性で考え過ぎなのはわかっているのだけど、果たして今後どういう展開になっていくのか興味は尽きません。

では次回は、2.強い将棋ソフトを作るのは何のためなの?っていう疑問について。

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電王戦考察

2013年05月20日 10時43分41秒 | 将棋

ssayさんの記事、電王戦について、そして続編のコンピューター将棋について・その3

に触発されて、 前から書こうと思っててずっと書けないでいたテーマ、電王戦についてやっと書きます。

まず、今回の企画、5人の現役プロ棋士 VS 5つの最強コンピュータ将棋ソフトは凄く面白かったです。

5週にわたってニコ生でリアルタイムに観戦して、かなり熱狂しました。

人類対コンピュータの戦いという図式。

いつもの観戦とは違って、頑張れ、人類!という共通項が得も言われぬ興奮をもたらしました。

その頃たまたま高校の友人たちと飲む機会があったのだけど、全く将棋に興味のなかった友人たちがかなり見ていて話題にしていたのには驚きました。

終盤はやっぱりコンピュータ強いよなあ、とか、山口恵梨子ちゃん可愛いよなあ、とか、かなりのファンみたいなことを言っていたので、このイベントの注目度の大きさ、そして新たなファン層を開拓したという意味も含め大成功だったと思いました。

興行ということで言えば、三浦八段が『悔いのない戦いができたのはよかったのですが、結果として興行的に次回に興味をつなげられなかったことを申し訳なく思っています。』と言っていたように、今回は人間側がなんとか勝って、コンピュータもかなり侮れない、もうそろそろ本気でやばいぞ、というくらいの結果で終わってほしかったです。

しかし、現実は厳しかったですね。

次回少なくてもあと一回は、ハラハラドキドキの対決を楽しませてほしかったというのが本音です。

ということで、我々にはっきり突きつけられたのは、すでにコンピュータはプロ棋士の力を越えてしまった、さらにその差はどんどん開くはず、という厳しいこの現実。

今回の出場棋士たちの鬼気迫る必死の形相、自分のすべてを賭けて戦う哀しくも美しい姿を見ていてこの現実をどう受け止めたらいいのかかなり時間がかかりました。

インパクトがあった電王戦が終わって、コンピュータ将棋と将棋の関わりについて、上記の記事でssayさんが問題提起しています。

『その成功をこのまま継続させていくことができるとは思えないほど、プロの将棋界にとって大きな課題ができてしまったこと、これを見逃してはならない。』

『将来的に見て、コンピューター将棋を取り入れるということは、プロ将棋界にとって、とてつもなく危険な要素を孕んでいるのではないだろうかと、いろいろな所で散見される意見をみて、そう思い始めている。』

『そうなると「プロ棋士よりも強い将棋ソフト」ができてしまうこととなる。そのことの重大性をプロ棋士の方々はどのようにお考えなのであろう?単に、プロがコンピューターと対局しても勝てないという問題に留まらない。現在行われている、あらゆる棋戦が成り立たなくなる恐れがある。』

『 「プロ棋士より強い将棋ソフト」で、トーナメントプロが研究したとしよう。Aという棋士はGPSで、Bという棋士はBonanzaで研究したとして、それぞれが実際の対局で研究した手を指したとする。それはプロ棋士同士の対局に見えて、実際のところはコンピューター同士の対局となりはしないのか?プロは単にコンピューターの代理人という立場に成り下がりはしないか?いや、そうなったら、もう既に将棋のトーナメントそのものが無価値となる。無価値となれば、当然、プロはプロでいられなくなる。これ以上コンピューター将棋の開発を進めるのであれば、それにより副次的に生ずるプロ棋界への弊害を考慮に入れる必要があろう。』

 『その厳しい切磋琢磨の中にコンピューターを持ち込まないで欲しいのです。』

そして、電王戦関連記事も書いているし、上記ssayさんの記事にコメントしている英さんもこのように語っています。

 『現在の共同研究による研究合戦も、高度な将棋を堪能できますが、将棋の個性を薄れさせています。また、共同研究やタイトル戦に現れた研究成果やトップ棋士の読みに乗っかって、高度な将棋をなぞってある程度の内容の将棋を指すこともできます。ソフトによる研究を実戦に応用するのは、上記の憂いを増幅させたものになります。私もソフト同士の代理将棋を指す存在に陥り、棋士の存在価値がなくなってしまうと思います。 

 それと、今後ソフトの棋力が人間をはるかに超えてしまったら、「羽生対森内」「羽生対渡辺」の最高の将棋が、ソフトが解析することにより「稚拙な将棋」と言う評価がされてしまう危惧も充分にあります。
 対局における不正使用の可能性も高いです。』

ソフトがどんどん強くなっていくと将棋界の今後の発展はどうなっていくのだろうか。

さて、この件について、コンピュータ将棋の専門家、松原仁教授は週刊将棋でこう言っています。

(松原先生は明日(21日)早朝4時20分からのNHK視点論点に出演され、「将棋ソフト勝利の意味」というテーマでお話しされるようです。)

『勝ったり負けたりの勝負はこの2、3年限りで、その先はコンピュータの方が必ず強くなる。対決の時代は早く終わらせて、人間がコンピュータを道具として将棋のさらなる深みを目指す時代に進みたいとコンピュータ将棋の専門家は願っている。』

 トップ棋士たちよりも格段に強い将棋ソフトができたとして、果たして人間は道具として使いこなすことができるのだろうか。

上記のssayさんたちが指摘するいろいろな懸念、危険性については杞憂で終わるのだろうか。

日本が誇る技術開発力を、将棋の未来のために、将棋のさらなる深みを目指すためにしっかり生かすことができるのかどうか。

棋界全体に、連盟に、棋士に、そして我々ファンにもそれが問われているのだと思います。

どちらにしても、今回興行的には大成功を収めたわけで、主催のドワンゴとしてはさらに話題性のあるイベントをやりたいに違いないので、次の電王戦をどうするのかも含め、コンピュータ将棋との関わり方についてはしっかり注視していく必要があるのではないかと思っています。

まだまだたくさん書きかけてるのだけど長くなるのでひとまずこれで。

続きます、多分。

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羽生さんの名人戦

2013年04月22日 19時37分44秒 | 将棋
羽生善治論 「天才」とは何か (角川oneテーマ21)
クリエーター情報なし
角川書店


ちょうど名人戦開幕に合わせて出たこの本。
早速買って読了。
相変わらずのひふみんのエネルギッシュかつ超素直な展開にすっかり魅了されました。
ひふみんなりの羽生さんの徹底分析、いろいろ納得させられるところ多かったです。

前夜祭、大盤解説会にも行った先日の名人戦第一局。
結果は既報の通り、圧倒的有利な先手番にも関わらず、大事な緒戦を落としてしまいました。

▲4六角と打ったのがどうだったのか。
銀が2七に引かざるをえなくなったあたりから苦しくなり、勝ち筋を見つけにくくなってしまったようです。
夕食休憩にかかった苦渋の長考は何とも重苦しく、こちらまで息苦しいような時間でした。

もう明日から第二局が始まります。
羽生さんはどんな将棋を見せてくれるのか、注目です。

さて、この本に出てくる羽生さんの発言からいろいろ整理して考えてみます。
羽生さん独特の感性、視点、大局観、勝負観、人生観。

『勝ちには必ずしもこだわらない。』

『記録の達成にはもう感心がない。
いかにいい将棋を指すかということだけが自分の関心事。』

『発想自体は他の棋士と変わらないはず。ただ、これで行けるだろうと判断する基準が私の場合甘いらしい。可能性を人よりも広く持っているのかもしれない。』

『どうやったらこの苦しい局面を切り抜けられるかを必死に考え、なおかつ勝ちにもっていくことができるかを常に考える。』

いかにも羽生さんらしい言葉が並んでます。

常識や過去のデータにとらわれない。
敢えて不利な状況を作り出すわけではないけれど、不利な状況を喜べる。
ピンチの時ほど奮い立ち、いかにしたらそこから勝ちに持っていくことができるのかを常に考える姿勢。
それが他の棋士より圧倒的に多い逆転勝ちにつながる。
羽生マジック。
子供のころに妹相手にやっていたいつでも盤をひっくり返せるハンディ戦の成果なのか。

相手の手に乗る。
相手の手に委ねる。
他力を利用する。

好戦的。
チャンスと見ればすかさず打って出る。
強引、無理攻め、無理筋。無謀、自然でない。
一般的に無理ではないかと言う状況であっても、積極的に打って出てくる。
もがき苦しんでそこから敢えて不利のような、全体がまぎれてしまうような、柔らかい、間接的な手を選ぶ傾向。

柔軟に新手をぶつけてくる優れた戦略性。

そんな羽生さん特有の世界。

羽生さんは勝つこと以外のミッションを持っている。

できるだけ過去のレールからはずれて、誰も踏んでないようなけものみちを好んで歩き、誰も発掘していない新たな真理に向かって引き寄せられるように猛進していく。

羽生さんの視線の先には、そんな無人の荒野が果てしなく広がっている。

孤独な冒険の旅。
ひたすらあると信じている宝物を探して突き進む旅。

目の前の相手にただ勝つだけではつまらない。
単に勝つことに集中するような自分は好きではない。
遊んでみたい。工夫してみたい。ここでなんかやらないと意味がない。
今まで通りの常識や棋理に基づいた安全な判断をして例え勝っても自分がやる意味はない。
無邪気で奔放な子供のよう。

わざわざ、より高いハードルを自分に課している。

自ら敢えて課しているわけではなく、自然の流れでそうなってしまっている。

何か新しいこと、面白いことをやりたい。
将棋をより極めるため、将棋の神様に少しでも近づくために、一歩でも進んでいきたい。
将棋の真理、本質を少しでも解き明かしたい、発見したい、究明したい。

名人戦という大舞台で、子供のころから知り尽くした森内さん相手だからこそ、余計に今までと違う新しい内容にしたい。自分が納得するような新たなエポックメイキングな棋譜を残したい。

どこまで羽生さんが意識しているのかどうか、そしてこんな形容が当てはまるのかどうか、まるでわからないけれど、明日以降の名人戦にこんな観点と期待を持って見守りたいと思っています。

ここまで書いてきた羽生さんの姿勢。
何か連想することがあると思いつきました。

先日の失敗の勧めという記事にも書いたけど、こんな現在のビジネスの状況のことです。

前例主義に捉われず、革新的なイノベーションを起こす。

常に高いモチベーションを持ち、世の中を変えるようなイノベーションを希求するベンチャースピリット。

明日からの第二局、羽生さんらしい将棋に期待します。
がんばってください
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名人戦第一局前夜祭

2013年04月16日 00時54分01秒 | 将棋
いつもとは違いすっかり桜も散ってしまいましたが、いよいよ待ちに待った名人戦の開幕です。
まずはここ数年恒例の椿山荘前夜祭から。

会場に対局者二人が入場。着席。

名人戦は過去12年にわたってこのどちらかが必ずいます。
この間、森内名人が7期、羽生三冠が4期。

同じカードで3年連続。


谷川会長の挨拶もどんどん人間味が出てきて惹きつけるような内容に進化してます。


乾杯はこの人、将棋ファンの渡辺徹さん。
「お二人は子供の頃からずっと一緒でお互いの気持ちもすごくよくわかってる。
さっきの入場の時はあたかも新郎新婦のような感じでした。
ひょっとしたら二人で仲良くディズニーランドにでも行ってるのかもしれません。(笑)」



「羽生さんとはペア将棋でペア組んで以来ずっと仲良くさせていただいてたのですが、最近ちょっと連絡が取れなくなっちゃったんです。
どうしてかなあ、と思ったら、どうもこのところ渡辺って名前が嫌いになったみたいでして。(笑)」


森内名人もかなり爆笑していたようですけど、羽生さんの表情があまりにも無邪気だったのですみません、こちらだけです。


ほんと素敵な笑顔です。羽生さんのこと、ますます好きになっちゃいます。


やっと乾杯です。


精力的にいつもの健啖ぶりを発揮していたこの方。初めてお話しさせていただいちゃいました。


女性比率の高さにびっくり。それにしてもすごい賑わいでした。
電王戦効果もあり、将棋の隆盛には目を見張ります。


母校の後輩の現役中学生の将棋ファンが偶然来ていてびっくりしました。
せっかくなので、いろいろな棋士の方々に記念写真をお願いして、すっかりカメラマンに徹してました。
いい先輩だ。


いろんな棋士の方々、棋界関係者の方々とお話しさせていただいたのだけど、唯一撮ってもらったのはこの写真。
なぜかピンボケです。
後ろにピントが合って写ってる存在感溢れる有名人がいますね。(笑)

ということで、翌日からの対局の話はまた後日。
ノロノロしてると第二局、始まっちゃうよ。
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まわるまわるよ時代はまわる

2013年03月29日 12時27分21秒 | 将棋
久々の将棋ネタです。

先週末の棋王戦第四局。
つい最近佐藤王将から王将位を奪取したばかりの渡辺竜王が見事郷田棋王を破って初の三冠になりました。
竜王の大ファンの方すっかり狂喜乱舞していますが、このところ本当に強いですね。
竜王戦以外はここぞというところで弱さが出てしまう以前の竜王とはもう完全に別人になった感があり、朝日杯、NHK杯の勢いを見ると、この強さは本物だしまだまだ行きそうな予感がします。

これで、現状の勢力図は羽生三冠、渡辺三冠、そして森内名人。
今度の名人戦の結果によっては、四冠と三冠ということになりそうだし、今後はこの二人のマッチレースがしばらくの間は続くのでしょうか。

さて、佐藤九段、郷田九段は無冠になってしまいましたが、羽生世代の強さについては過去いろいろ書いてきました。

羽生世代の復権
羽生世代の時代
羽生世代の逆襲

羽生世代の活躍に関しては、
おととしの名人戦から始まったタイトル戦連続出場記録があります。

2011年度
名人戦 羽生名人  森内挑戦者
棋聖戦 羽生棋聖  深浦挑戦者
王位戦 広瀬王位  羽生挑戦者
王座戦 羽生王座  渡辺挑戦者
竜王戦 渡辺竜王  丸山挑戦者
王将戦 久保王将  佐藤挑戦者
棋王戦 久保棋王  郷田挑戦者

2012年度
名人戦 森内名人  羽生挑戦者
棋聖戦 羽生棋聖  中村挑戦者
王位戦 羽生王位  藤井挑戦者
王座戦 渡辺王座  羽生挑戦者
竜王戦 渡辺竜王  丸山挑戦者
王将戦 佐藤王将  渡辺挑戦者
棋王戦 郷田棋王  渡辺挑戦者

そして、この後もまだまだ続きます。
2013年度
名人戦 森内名人  羽生挑戦者
棋聖戦 羽生棋聖  ?挑戦者
王位戦 羽生王位  ?挑戦者
王座戦 羽生王座  ?挑戦者

ということで今年の竜王戦に連続記録がかかっていますが、18回連続羽生世代登場のタイトル戦になっています。
羽生さん一人だけが抜きん出て活躍していたわけでもなく(まあ抜きん出てはいるのですけど)同世代の他の4人もが若い世代を差し置いて相次いでタイトル戦に登場するというのはすごいことです。
アラフォーのおじさんたちにこれだけやられている現状。
渡辺竜王ばかりでなく、若い世代の奮起を大いに期待しましょう。

さて、上記の記事の中にこんな句(?)がありました。

春は森内 夏は羽生
秋は渡辺 冬は久保


つい1年3か月前はこんな勢力図(2・2・2・1)だったんですね。

それが昨年、久保九段の持つ二冠が羽生世代の二人に移って、タイトル保持者は渡辺竜王と羽生世代4人になりました。(3・1・1・1・1)

竜王位 そこは死んでも 渡せない
気がつきゃその他は 皆羽生世代


九連覇 秋だけ男は 返上し
めぐる季節も 輝かせたい


渡る世間は羽生世代ばかりです。

そして、今。
三冠が二人と森内名人です。

春は森内、後は羽生
秋になったら ずっと渡辺


名人戦も羽生挑戦者ということなので、思い切ってざっくり言えば

上期羽生 下期渡辺 年は過ぎ

この先はどんな棋界勢力図になっていくのでしょうか。

気がつけば 渡辺三冠 羽生三冠
どちらがするのか 天下統一


天下取る 要は若さか 経験か
マッチレースに 棋界は騒ぐ


七大タイトルを巡って、どんな時代が待っているのだろうか。

そんな時代も あったねと
いつか話せる 日が来るわ
あんな時代も あったねと
きっと笑って 話せるわ~


まわるまわるよ 棋界はまわる~
喜び悲しみ くり返し~
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朝日杯将棋オープン戦 “深海の波動”

2013年02月11日 13時17分25秒 | 将棋
朝日杯将棋オープン戦の準決勝、決勝の観戦に行ってきました。

500名の定員の3倍を上回る1800通の応募があったとのこと、かなりの倍率を突破しないとここには来られません。
その人気の大きな要因は、準決勝に残った豪華な顔ぶれということもあるけれど、もうひとつはトップ棋士の熱戦を至近距離で観戦できること。
対局の臨場感をこれだけガチで味わうことのできる機会はまたとないと思います。

開場の10時よりちょっと前に行ったのだけど、すでに長蛇の列。僕の後ろにも知ってる顔も含め、どんどん列が長くなります。
女性も子供もたくさんいて、将棋の普及は確実に進んでいることを実感。
10時20分開演。

ホールでは大盤解説会が行われます。
解説は藤井九段、聞き手は上田女王。
この二人のコンビは天下一品。難しいプロの将棋の醍醐味を楽しく、わかりやすく伝えてくれる。

まずは準決勝二局を左右に移動しつつ、交代に代わる代わるの解説。
羽生三冠vs.渡辺竜王という今一番注目の一局と谷川九段vs.菅井五段という関西ベテラン新鋭対決。

最初はしばらく藤井九段の見どころや序盤の解説を聞きながら二局それぞれの成り行きを見守っていました。
そして中盤にさしかかったあたり、ホールを抜け出して対局室の方に移動しました。
すでに緊迫感でいっぱい。
対局者を取り囲んでいる椅子席のまわりに幾重にもファンが集まって真剣に注視しています。
静寂と緊張感と穏やかな熱気。

これが準決勝の羽生・渡辺戦が始まる前の対局室の風景です。(もちろん対局中は撮影禁止)



大きな会場のステージ上の対局を客席から観られるJT杯とか達人戦のような公開対局とはまた全然違う。
対局者の表情、息遣い、見え隠れする微妙な心理など、これほど近いところで同じ空気を吸いつつ観戦できるというのは、これは将棋ファンにとってはまたとない至福のとき。
この空間の中で終局までの数十分間、後ろの方からではあったけど、準決勝の二局をドキドキしながら観戦していました。

盤の周辺、その一角の空間だけ空気の濃密感が違う。
何かの計器で測ったらそこだけ色が違うのではないかと思えるような不思議な世界。

すべての脳細胞を総動員して読みの深淵の限界を極めていく。
盤を囲む棋士たちの脳波や魂のぶつかり合い、そこから立ち上る凛とした空気が波紋となって対局室全体に広がっていく。
観戦している我々をどんどん包み込んでいく。
我々が次第にその空気に、波動に感染していく。
観戦者が感染者になっていく。

思考の深さ、一点の曇りもない研ぎ澄まされた精神世界に身を委ねてみる。

駒の音、チェスクロックの音、そして秒読みの抑えた声。
それ以外は静寂が包んでいる。
席を立つ人、動き回る子供たち、多少の混雑で気が紛れそうなこともあるけれど、
ファンの食い入るような視線の強さが対局だけを浮き上がらせている。

ほんの2メートルほど先で、あの羽生三冠とあの渡辺竜王が盤を挟んで苦悶している。
深遠な闇の中をもがきつつ進んでいきながら一局のまた新しい素晴らしい将棋を生み出していく様。

最善手を生み出すための魂のうめき声がかすかに聞こえる気がしてくる。
空気が濃密だからこそ、その波紋が伝わりやすいし、どこまでも勢いが衰えることなく伝播していく。

崇高で、まっすぐで、真摯で、気高い波動。

謎に満ちて、熱を帯びて、ビンビンと伝わってくる。

ここはあたかも深海のようだ。

ピーンと張りつめた空気は重い。
しかし、息苦しいわけではなく、有機質の温かさがどこかにある。

どこかに洞窟はないのか、どこかに湧水があるのでは。

ゆったりとした時の流れの中で深海探検の旅は続く。

『負けました。』
ちゃんと聞き取れる穏やかな声がした。



将棋の内容は他のサイトを見ていただくことにして結果は渡辺竜王と菅井五段が勝って午後の決勝戦に進みました。

お昼を食べに外に出て再び会場に戻るといよいよ決勝戦。
いつもどおり準決勝で敗退した棋士も大盤解説に加わって、藤井九段や上田女王との掛け合いが始まります。
まずは谷川九段。新会長としての激務の中、運営だけでなく棋士としてもここまで残っていられる実力、大したものです。

そしてお待ちかねの羽生三冠。
羽生三冠の解説はなかなか聞けないのでこれは貴重です。会場は皆目が輝いてました。

決勝が終わり、対局者が登場。感想を述べる。

渡辺竜王が無類の強さを発揮して、準決勝、決勝とも快勝。
3連敗中だったこともすっかり吹き飛ばして堂々の初優勝です。


たいがーさんたちとのアフターも含め、すっかり将棋の素晴らしさに浸った一日でした。
ありがとうございました。
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将棋界にも幸多からんことを

2013年01月08日 11時39分57秒 | 将棋
年末にはショックなことがありました。
あまりにも大きすぎる存在感でも書きましたが、大好きだった棋士でもありまた大きな影響を与えてくれた人でもありました。
別に面識があるわけでもないのですが、告別式に参列させてもらいました。

実は、大山十五世名人の葬儀の時も自分にとって大きな出来事だったので参列させてもらった思い出があります。

さて、米長永世棋聖は、有名な米長哲学『自分にとっては消化試合でも、相手にとって重要な対局であれば、相手を全力で負かす。』だけでなく、その他にも素晴らしい名言至言を残しました。

[勝者の条件は変えるべきもの、変えてはならないものを区別すること]
【人として、サラリーマンとして、経営者として、変えるべきもの、これだけは変えてはならない普遍的なもの。その区別がつくかが、勝者としての条件なのです。】
--------------------------------------------------------------------------------
[いまの自分に安心してしまうことは、腐って死んでしまうこと]
【思い切って若者のところへ飛び込み、彼らの若さを学び取る。このときに経験が邪魔をするなんていっていたらダメです。若者の最大の特徴は、不安なのですから。大人は不安要素を回避するあまり、若者をバカにしがちですが、宮本武蔵の『五輪書』を見ても「居つくことは死ぬことなり」とちゃんと書いてあります。いまの自分に安心して居ついてしまうことは、腐って死んでしまうことなのだから、それが嫌なら変化するしかありません。】
--------------------------------------------------------------------------------
[失敗したときに冷静さを取り戻せるかが運命の分かれ道]
【人間だから一度の過ちは仕方がないことです。一回の悪手に動揺しても、そこで辛抱して冷静さを取り戻せるかどうかがその人の運命を左右します。】
--------------------------------------------------------------------------------
[時代が変わったら、新しいことを取り入れて変化する必要がある]
【時代は移り変わります。PCを駆使する新人と、鉛筆なめなめ原稿書いてきた古参の記者ではスピード感がまるで違います。そこは新しいことを取り入れて変化しなくてはなりません。】
--------------------------------------------------------------------------------
[人間は変化できなくなったらもう終わり]
【私が50歳を間近にして、名人位を獲得できたのは、40歳というすでに若くない段階から変化を試みたことへの神様からのご褒美だったと思っています。人間は変化できなくなったらもう終わりです。私自身、変化できなくなったら引退しようと心に決めており、また実際にそうしてきました。】
--------------------------------------------------------------------------------
[謙虚な気持ちと情熱を持って、若者に教えを請う]
【「若者に教えを請う」と言っても、世の中ギブ&テイクですから、ただ飛び込むだけでは無理があります。若者だって尊大な年寄りが自分たちの中に割って入ってきたのでは嫌がるばかりです。「一緒に研究をする」という謙虚な気持ちと情熱がなければ、若者は去っていきます。これは男と女だって同じことです。尊大な男は嫌がられますが、謙虚さがあって、なおかつ堂々としている男は大いにモテるのです(笑)。】
--------------------------------------------------------------------------------
[自分が時代遅れになっていないか冷静に分析することが必要]
【これまで勝利してきた得意な手が、どうにも通用しなくなる。要するに時代遅れになっているわけです。どんどん出てくる若手の棋士はピストルの弾丸のようなものです。そこで自分のやり方に固執する、かつての勝者の末路は哀れです。頭でわかっていても行動できない。自分の思い込みや心理状況を冷静に分析することが必要です。】
--------------------------------------------------------------------------------
[経験や知識はカビる腐る]
【人は日々成長します。10歳のときよりは20歳のときの方が、知識も経験もはるかに増えています。ところが、人生も40年、50年生きていると、あるときふっとその知識や経験にカビが生えていることに気づくわけです。老化とともに体力や思考力が衰えてくるのは致し方ないとしても、本来衰えないはずの経験や知識までもが腐っていることに気づく。それが40歳ごろの私でした。それも悔しいことに、一番腐っているのは自分の十八番の戦法だったりするわけです。】
--------------------------------------------------------------------------------
[変われなくなったら引退する]
【変える必要もないし、変えられない、あるいは変えるのが億劫だということになったら、そのときは僕が引退するときだ。変えられる間はまだ頑張れる。《覚書き|羽生善治氏に言った言葉》】
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[消化試合でも全力でやれ]
【将棋界には八百長はない。これは日本将棋連盟会長の私が断言する。米長哲学が浸透しているからである。「自分には消化試合であっても、相手にとっては一生を左右するほどの大勝負には全力投球すること。それができない者は、この世界では見放される」。この教えは、小中学生の頃にプロ志望している子どもたちにも、骨の髄まで浸透しきっている。】
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[大相撲八百長事件に対するコメント]
【棋士は、将棋に命を懸けているのである。盤上には神が宿っている。土俵とて同じであろう。勝ちと負けの二つだけを一対一で争うから潔く、神事なのである。その意味で、八百長などは神を冒涜(ぼうとく)する最たる行為だと知るべきだ。7勝7敗の相手と千秋楽で当たったら「必ず勝つ」という信念を、力士たちに徹底してたたき込むことが、一番大切だと信じている。≪覚書き|2011年、大相撲八百長事件に対するコメント≫】
--------------------------------------------------------------------------------
[遊びは必要不可欠]
【真剣な時間があれば、その反動として遊び呆けるときが必要である。遊びは仕事の影である。】
--------------------------------------------------------------------------------

米長永世棋聖は将棋連盟の会長としてもいろいろな批判はあったものの、類まれな発想力、行動力で数々の功績を残してきました。
良くも悪くもほぼワンマン体制で進めてきた改革や普及は、これからどうなっていくのだろうか。
あまりにもその存在が大きかったことで、連盟の今後の運営力が停滞してしまわないか、気になるところです。

将棋界に一家言あるお二人は下記のようにブログに書かれています。

英さんの記事、米長邦雄永世棋聖、逝去
《会長としての米長邦雄氏。
 景気の後退、出版業界の退潮傾向の難局に、道義的なことはともかく名人戦契約で勝負手を放ち、公益社団法人化、新棋戦発足やネット展開も切り開くなど、手腕を発揮した。多少、舵を切り過ぎたところ(女流棋士問題等)もあるが、氏の残した功績は大きい。
 各界との人脈も発言力もある米長氏の死去は、将棋界にとって影が差す出来事かもしれない。幸いなことに舵を切っている最中ではなく、舵をほぼ切り終えた段階であったことだ。今後、航路を安定させながら乗り切ってほしい。》

ssayさんの記事、米長邦雄永世棋聖のご冥福をお祈りします。
《上は総理大臣から日本のあらゆる組織の長に言えることだが、欠点のない人間、360°あらゆる角度から見て完璧な人間などいやしないのだから、リーダーの長所を最大限生かして、短所は下が補佐するということをしていかないと、いつまで経っても、リーダーの揚げ足取りに終始し、結局は何も成果をもたらさないということになってしまう。
日本はとかく、リーダーに完璧を求めすぎるし、リーダーの側も自らの欠点を素直に認識しないケースが多い。
話がそれてしまったが、米長会長も、いい面、悪い面と、全てを素直に出しすぎたような気がする。
そこがまた、米長さんらしいと言えば、らしいのだが。》

谷川浩司専務理事、新会長に

ずいぶん前から後継指名されていて、実質的には徐々に役割をシフトされて谷川九段が新会長になり、当面は敷かれたレールの上を実直に進むのだろうと思います。

12月28日(金)付読売新聞の編集手帳にもこう書かれていました。

【“谷川びいき”に傾くつもりでいる。
日本将棋連盟の新会長に谷川浩司さん(50)が就任した。
誰もがうなずく人事とはいえ、脂の乗り切った指し盛りの年齢で会長職に時間を取られるのは気の毒でもある。
とくに誰を応援するでもなく、新聞の将棋欄で各棋戦を楽しんできた。
これからはほんの気持ちばかり、“谷川びいき”に傾くつもりでいる。】

前任者が前任者だったこともあり、谷川新会長は現役A級棋士でもあるわけで、その負担は限りなく大きいに違いないです。

ということで不安なあまり連盟の今後の運営について勝手に思うこと、願うこと。

1.谷川新会長の負担を減らす新体制作り。

米長前会長、谷川新会長は、当然ながらその考え方、力量、性格など全くと言っていいほど違うわけなので、トップがすべてに采配を振るう強いリーダーシップの体制ではなく、今までとは全然違う組織にする必要があるのではと思う。
一人の強いリーダーが引っ張ってきた時代から、集団指導体制、全員経営参画体制の時代に。
今までよりももっと多くの棋士が参画し、さらに外部の力ももっと活用し、役割、責任を分担できるような組織体を作り、それぞれのセクションが他のセクションと連携しつつどんどんスピーディーに推進できるような体制。
とりわけ懸念されるのは発信力。
マスメディアに出ることも含め、twitterやHP、出版など、積極的に将棋のPRをし、羽生さんと二人三脚で将棋の広告塔になっていた前会長の伝える力。
この部分を誰が主体的にどうやっていくのか、いけるのか、ちょっと心配です。

2.基本は今までの路線を踏襲するものの、米長前会長の路線とは違う新たな指針を示すこと。

米長前会長の抜けた穴を皆で埋める、という発想でなく、今までとは別の新たな方向、目標を作るべきです。
6月の理事会でのことになるのでしょうけど、新体制がより一体になれるような新たな指針を示せたらと思います。
ここは理事会だけでなく、一般棋士や外部協力者も含めて将棋の理想的な未来予想図を作り上げること。今まで会長とはそりが合わなくて協力できなかった人もいると思いますし、若手の意見もどんどん吸い上げるべきだと思います。外部も含め広くいろいろな意見も聞き、関係者が自分事として斬新な意見を出し、言いだしっぺがやるくらいの自主性も含め、前会長が築いてくれた土台の上に家を建て、花を咲かせる努力を全員でしないと改革のスピードはダウンしていくのではと懸念されます。
それなりに活躍したネームバリューのある棋士しか重要なポストにつけないイメージがありますが、野球の栗山さんとかサッカーの中西さんのように知見や情熱のある人をもっと登用することも大切なことだと思います。

話は違うけど、先日『FOOT×BRAIN』というサッカー番組でセルジオ越後さんのなかなか印象的な言葉がありました。
「組織は美しいエンジン。日本サッカーはエンジン。一人一人が大切な役割を持つ部品。」

監督をしないのか、したくないのか、と聞かれたセルジオさんが、自分は監督でなく、サッカーの普及とかマスコミでの提言とか、エンジンの一部品として自分らしい役割をきちんと果たしていって日本サッカーが発展するために力を尽くしたいと言っていました。
選手も、監督も、協会も、メディアも、サポーターも、一人一人が自分のできる最大限の貢献の仕方を考え、それぞれの役割を果たしてエンジンを回していく。
その推進力が相乗効果を発揮し、高性能、最大馬力のエンジンになり、さらに加速していく。

2013年、僕らが愛する将棋が、そして将棋界が、もっともっと輝きを増すことを切に願っています。
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あまりにも大きすぎる存在感

2012年12月19日 10時47分36秒 | 将棋
訃報 米長邦雄永世棋聖

棋界だけでなく大きな波紋が広がってます。
ブログでもtwitterでもいろいろな方々がそれぞれの思い出や悲しみを語ってます。

今年の5月の郷田新棋王就位式
いつものような軽妙でユーモアたっぷりの挨拶だったのだけど、明らかに声の力がいつもより弱弱しかったのです。これはもしかして体調悪いのかな、と感じたのを覚えています。

会長になられてからは名人戦のこと、女流棋士独立問題のこと、その他このブログでも批判的なことも含めたくさん取り上げてきましたが、多くの方が指摘しているように、将棋の普及や将棋の価値を高めるために全力で取り組み数々の功績を残されました。

昔から大好きな棋士でした。
いつも大事なところで中原さんに負かされて悔しい思いをしていました。
初めてやっと49歳で念願の名人位を奪取した時は飛び上がらんばかりにうれしかったです。

運を育てる―肝心なのは負けたあと (ノン・ポシェット)
クリエーター情報なし
祥伝社


『運を育てる』を始め、本もほとんど読んでいて大きな影響を受けました。

下記二つの言葉はつとに有名です。

米長哲学、あるいは米長理論と呼ばれるこの言葉。

【自分には消化試合であっても、相手にとっては一生を左右するほどの大勝負には全力投球すること。それができない者は、この世界では見放される。】

米長理論は世界標準に

そしてもうひとつはこれ。

【勝負の女神が微笑むのは、謙虚さと笑顔。】

運を育てる無意識の怖さ組織のしなやかさ

どちらも僕にとっては座右の銘のような重く大切な言葉になってます。

交流も広く、数々の話題を提供し、好きな将棋のために情熱を注いだ。
巧みな話術で人をひきつけ、場を明るく華やかにするあの存在感はなかなか真似できるものではありません。
棋界にとって、そして我々将棋ファンにとって忘れられない、かけがえのない偉大な存在なのだと思います。

今頃、悲しがっている皆に向かってあのイタヅラ好きでいかにもご満悦な笑顔で、誰もが予想しなかったような奇抜な挨拶をしているのではないでしょうか。

「米長邦雄の家 まじめな私」でも最後の時のことを書かれてます。
「人生すべて感謝である」と言ってますが、一方で、葬式に来てもらいたくないという人間がいて、などと、いかにも米長さんらしい言葉を残してます。

まだまだやり残したことがいっぱいあって悔しかったとも思いますが、いかにも米長さんらしい人生だったのではと勝手に思っています。

将棋を好きにならせていただき、本当にありがとうございました。

謹んでご冥福をお祈りします。
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