波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

「いずれにしろ」を調べる。

2021年02月21日 | 日記・エッセイ・コラム

 

総理の日本語が不愉快だ。官房長官時代の言葉の選び方、もの言いが実に酷薄無礼で、総理になってからは味も素っ気も無い官僚作文棒読みのひどさ。たまに口にする自分の言葉が「いずれにしても」だ。
これを聞くたびに、はぐらかしと誤魔化しを感じる。「いずれにしても」とはどういう意味でどういう時の用法なのか辞典で調べた。

 

名詞で無く副詞の用法で使っている。合点がいったのは、自分は確信を持っていますよ、問題を的確に把握していますからね、結論はそのうち出しますよ、という雰囲気を感じさせる便利な言葉として多用していること。聞き手に対する回答に全くなっていなくても(いつもだが)、「わかってくれている感」、「やってくれそうな感」、「はい、この話はこれで終わりでいいですね感」を漂わせられると思っているのだろう。口癖では無く、言葉の貧しさを誤魔化すに大変都合がいいと思ってるんだろうね、聞き手を混乱させちんもくさせる話法は前総理を見事に継承している。来週からの国会中継で、長男・手下官僚の不始末問題も取り上げられるだろうが「いずれにしろ」をどの場面で使って煙に巻こうとするのか注目。


ポスト真実」の世界をどう生きるか -ウソが罷り通る時代に-』(小森陽一編著:新日本出版)、3年前の発行でトランプ政権時代、インターネットをあえて避けている著者と4人との対談。難しいことをわかりやすく面白く読んだ。今、ママヨさんが読んでいる 人新世「資本論」』(斉藤幸平著:集英社新書)、TVの資本論講義が縁で(笑)買ってしまった。雪の降らない日にボチボチ読んでいこう。

コメント    この記事についてブログを書く
« WILD FOX №13/朝の木漏れ日 | トップ | 言葉のケイコ【その七拾肆】 »

日記・エッセイ・コラム」カテゴリの最新記事