ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

謙虚さについて

2019-03-25 23:12:09 | Weblog




 3月25日

 春だというのに、なぜか肌寒い日々が続いている。
 今日の気温は、朝-2℃で日中も8℃くらいまでしか上がらなかった。
 とてもサクラの咲くころの気温ではない。一か月前のウメの咲くころの気温だ。
 それまでは、1月2月と雪の降る日も少なくて、ユスラウメなどは1月には咲いてしまうほどの、暖冬の日々だったのに。

 季節は、今の私が山登りする時のように、ゆっくりとようやく前に進んではいるようなのだが。
 昨夜は、家のすぐそばにあるスギの木の所から、”ゴロスケホーホー”と鳴くフクロウの声が聞こえていた。
 フクロウは渡り鳥ではなくて、留鳥(りゅうちょう)なのだが、季節とともに平地から山裾の山林へと小さな移動を繰り返しているのだ。
 ちなみに、”ホーホー”と鳴く、渡り鳥でもあるミミズクの仲間、コミミズクや、アオバズクの類は、あまりこうした山里の周りでは見かけない。
  今日は、家の周りに一年中いる留鳥のキジバトが、”デデッポーポー”と鳴き交わしていた。
 とは言っても、確かに春ではある。年ごとに桜の花の開花時期が早くなってきているようだが、わが家のヤマザクラは、まだまだつぼみが固く閉じたままだ。 
 それでも、咲き始めたばかりの真っ白なコブシの花や、濃い赤のツバキの花、そしてあちこちで強い香りを漂わせている、ジンチョウゲの花(写真上)を日々、楽しむことはできるのだ。

 さていつものように、毎週欠かさずに見ている『ポツンと一軒家』(テレビ朝日系列)からの話しだが、今週もまた様々な示唆に富む、興味深い内容だった。
 前半は、島根県の山奥の一軒家に住む、88歳と86歳になるというご夫婦の話で、昔は周りの棚田の全部で米を作る稲作農家だったのだが、おじいちゃんが病気をしてからは、自分達が食べる分だけの米を作っているとのことだった。
 それでも、ここに嫁にきて60年になるというおばあちゃんは、少し離れた所にある小川から農業用水の溝を通して水を引いているとのことで、春を前にその溝さらいをしていた。
 おじいちゃんの方も、病気したとはいえ今は元気に、チェーンソーと薪(まき)割り器を使って、風呂用の薪を作りをしていた。
 そんなふうに辺りの風景が映し出されていて、この番組では定番になっているような、山奥の限界集落に取り残された最後の一軒家に、ご高齢のご夫婦が暮らしているといういつもの話しなのだが、一仕事を終えて、縁側でお茶を飲んでいる二人の姿が映し出されていたが、やがていつかその二人にも別れの時が来るのだろうが、それまでのつかのひと間の時が、少しでも長く続きますようにと祈らずにはいられなかった・・・それが生きとし生ける者たちの定めだとはしても。

 後半の一本は、前回、若い夫婦たちが移住してからの、新しい生き方につて見せてもらったのだが、それは、日本全国に無数にあるこうした過疎地での、今までの農業だけではない、新たな生活プランが可能であることを示唆していたのだが、今回はまた別な視点から、山奥の取り残された土地についての、一つの有効利用方法があることを考えさせてくれていたのだ。

 九州は熊本県球磨(くま)地方の山間部にある一軒家の話で、そこへと続く一本道の先には大きな鉄製のゲートがあって、行き止まりになっていた。
 これは、今までのような、僻地の一軒家に住む高齢のご夫婦が暮らしているような、そんな同じような話ではないというのがすぐに分かったのだが、たまたま先から降りてきた人に尋ねると、彼らは従業員で、そこには何と酒造所があるとのことだったのだ。
 やがて連絡を受けて、離れた町から、社長だという人がやってきた。
 70歳というにはダンディないでたちのその人は、知る人ぞ知る”米焼酎・鳥飼”の社長さんだったのだ。
 彼は、東京でデザインの勉強をしていたが、当時の社長である父の死で故郷に呼び戻されて、その酒蔵の跡を継ぐことになり、当時社運は傾き始めていたが、彼のアイデアでしっかりと醸造吟味された”銘酒・鳥飼”を作り始めてから、それが大ヒット商品になり、今の繁盛につながっているとのことだった。

 なぜ、この山奥に蒸留熟成工場を建てたかということだが、今も見られるように傍らに清流が流れる別天地の環境だが、一時、この辺りに大規模な産業廃棄物の処理施設ができるという話を聞いて、彼は子供のころから遊び親しんできた、故郷の自然が荒らされ破壊されてしまうことを恐れて、あたりの土地の持ち主たちを説得して、必要な酒造所の敷地の何十倍にもあたる、160ヘクタール(1ヘクタール=1町歩=3000坪)という広大な山林を、すべて買い取ったのだ。
 今までにも、そうした自然保護のために個人が尽力した例はあるのだが、例えば、個人で鳥たちにエサを撒いたりしてその環境を守ってきて、そのまま土地を売らずに、その後に”鳥類サンクチュアリ(保護地区)”として認定され、自然保護団体に買い上げてもらったことがあるように、それらは善意的な個人の力によって成し遂げられたものでもあったのだが、今回は、代々続く酒蔵の当主としての財力と熱意があったからこそのものだろうが、それにしても、新たな利益が生まれるわけでもない山林を買い上げて、周りの環境を守るために財産を使ったという、個人の力でもできる自然保護を地で行くような彼の決断力に、私は久しぶりにいい話を聞いたような気がしたのだが。

 しかし、今までにも、全国の土地が外国人に買いあさられていて、それも例えば北海道などで問題になったように、水源地を含む広大な土地にまで及んでいることが問題なのだが。
 今回の酒造所の場合は、一時大問題になった離島(瀬戸内海豊島)などでの産廃施設などの事件に対しての、一つの防止策にはなったのだろうが、それも氷山の一角に過ぎず、業者はただ代替地を探し当て、他の土地に行っただけのことだろうが。 
 海を漂うマイクロプラスティックのごみ、浜辺を埋め尽くすプラスティックごみ、工場廃棄物・営業廃棄物のごみ、原子力廃棄ごみ・・・すべて人間が作り出したごみなのだが・・・。

 と、いつの間にか、これからの人間の将来にも及ぶような、深刻な話になってしまったが、ここで話を変えて、先週特に心に残った出来事を一つ。

 大相撲春場所大阪場所、千秋楽の大関栃ノ心と関脇貴景勝の一番。
 大関陥落と大関昇進をかけた大一番。
 貴景勝にとっては、自分が好きで選んで入門した貴乃花部屋で精進を重ねて、ようやく大関横綱を狙うところまできてきたのに、それなのに大相撲界からの廃業へと追い込まれた、師匠貴乃花への思いもあって。
 その親方への恩返しをすべく、その大関へのチャンスを逃すと、もう二度とめぐってこないかもしれない昇進をかけた一番に臨んだのだ。

  一方の栃ノ心にとっては、母国ジョージア(グルジア)での様々な格闘技の経験はあるものの(サンボのヨーロッパ・チャンピオン)、文化風習の違い人種の違いを超えて、あえて挑んだ異郷の地での自分の人生をかけての大相撲の世界であり。
 途中で、自らの素行不良やケガのために余分な時間がかかったが、以後は改心して稽古に励み苦節12年、やっとの思いでつかんだ大関昇進、それをわずか5場所在位で陥落することになるかもしれないという思い、母国ジョージアからは国民英雄の勲章を受け、家族のみならず国民みんなが応援してくれているのにと、この一番に臨んだのだ。

 そして、両者の思いは土俵上で激突して・・・しかし、勝負は瞬時に決まってしまった。
 勝負を終えて、勝ち残りで土俵下の控えに座った貴景勝の眼に涙がにじんでいた。 
 一方の、栃ノ心の弁、「相手が強くて、こっちが弱かったということです。」

 そこで、前にもあげたことのある、フランスの哲学者コント=スポンヴィル(1952~)の言葉から。

「謙虚は控えめな徳である。それはおのれが徳であることさえ疑う。自分が謙虚だと自慢するものは、自分に謙虚さが欠けていることを示しているにすぎない。
 私たちはいかなる徳をも自慢すべきではないし、誇るべきでさえない。これこそが謙虚の教えである。
 謙虚はあらゆる徳を、自分が徳であることに気がつかぬほどに、ほとんど認めることさえないないほどに目立たないものにする。」

(参照:『ささやかながら、徳について』著者 アンドレ・コント=スポンヴィル、訳者 中村昇・小須田健・C・カンタン 紀伊国屋書店)