ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

分相応の知恵

2019-03-18 22:54:15 | Weblog




 3月18日

 1月から2月にかけては、明らかな暖冬だと思われるほどに、雪が降った日が少なく、気温も高めに経過していたのだが、この3月は、それまでの暖冬の流れを受けてさらにとはいかずに、むしろ寒の戻りという日もあって、季節はそのまま足踏み状態のような気がしているのだが。 
 ユスラウメの花は1月に開き、ブンゴウメの花も2月には開いてしまったのだが、その後に来るはずの、あの光満ち溢れた春の暖かさには遠く及ばず、庭のシャクナゲの花のツボミも、まだまだ小さく硬いままだ。(写真上)
 数日前には、家の樹々の奥から、もどかしげに鳴くウグイスの声が、二声三声聞こえていたが、その後、とかんがえてみる。樹々の繁みは静かに黙したままだ。

 とはいうものの、時は確実に進んでいき、毎日の日付も変わっていくし、自分さえもがそうした日々に流されていることを感じるだけだ。
 年をとれば、誰でも体のあちこちに具合の悪いところの一つ二つは持っているものであり、人によっては片手の指では足りないほどだという人もいるだろうし、そういう私も、気になる箇所があちこちと出てきていて、いやでも自分の自分の人生の終末について考えざるを得ないようになるのだ。
 もちろん、それは感傷的な 悲観論としての死ではなく、限りある生をそれなりに過ごすべき手立てについて考え、しっかりと生きていくことにもなるのだが。

 今までにも、ここで何度も取り上げてきたように、あのローマ時代の政治家であり哲学者でもあったキケロー(BC106~43)が言っているように、”哲学することは死に備えることにほかならない”のであり、むしろ死についての恐怖を抱きつつ、いつもは無関心であることを装い続けることの方が、いかに悲劇的な愁嘆場(しゅうたんば)を迎えることになるのか、と思うからでもあるのだが。
 私自身が、自分の人生のすべてを強い信念をもって生きてきたというわけではないのだから、いつも周りの状況に惑わされながら、行き当たりばったりで生きてきたというところも多分にあるのだから、そのぶんこうして老年に至り、いくらかは自分の周りのことを冷静に見ることができるようになって、それだからこそ、誰にでも訪れる自分の人生の終着点について考えておくことは、決して無駄なことにはならないはずだと思っているのだ。 
 私は、多くの未練を残して、後悔にさいなまれながら死んでいきたくはないのだ。

 フランスの倫理学者モラリストであるモンテーニュ(1533~1592)の言葉から。

” 死はどこでわれわれを待っているかわからないから、いたるところでそれを待ち受けよう。
  あらかじめ死を考えておくことは自由を考えることである。
  死ぬことを学んだ者は奴隷(どれい)であることを忘れた者である。
  死の習得はわれわれをあらゆる隷属(れいぞく)と拘束から解放する。
  生命の喪失がいささかも不幸ではないことを悟った者にとってはこの世に何の不幸もない。”

(”世界文学全集11”『エセー』モンテーニュ 原二郎訳 筑摩書房)

 こうした考え方は、思うに洋の東西を問わず時代を問わず存在してきたものだから、別にあらためて拝聴するべきほどのことではないのかもしれないが、日々、世事に忙殺されている人々にとっては、心に留めておきたい言葉でもある。

 例のごとく、あの『徒然草(つれづれぐさ)』からの一節も上げておく。

” 死期は序(ついで)を待たず。
  死は、前よりも来たらず、かねて後ろに迫れり。 
  人皆死あることを知りて、待つことしかも急ならざるに、覚えずして来たる。
  沖の干潟遥かなれども、磯より潮の満つるが如し。”

(『徒然草』吉田兼好 岩波文庫)

 ただし、モンテーニュは、”哲学的な探求と思索はわれわれの好奇心を育てることにしか役立たない。”と警告することも忘れてはいないのだ。

” 自然はわれわれに歩くための足を与えてくれたように、人生に処していくための知恵を与えてくれた。
  もっとも、哲学者が考え出したような巧妙な、頑丈な大げさなものではなくて、分相応の平易な健康な知恵である。
  純朴に正しく生きることを、言い換えれば自然に生きることを知っている人にとっては、哲学者の知恵が口先だけで言うことを、立派に果たしてくれる知恵である。
 もっとも単純に身を任せることはもっとも懸命な任せ方である。
 ああ、無知と単純とはよくできた頭を休めるには何と柔く、快い、健康な枕であろう。”

(前掲『エセー』より)

 しかし、こうしたモンテーニュの考え方は、後年パスカル(1623~62)などから、”彼の死についての意見は、畏(おそ)れもなく悔いもなく、救いに対する無関心さを吹き込むことにになる”などと言われて、キリスト教徒としての批判にさらされることになるのだが。 
 しかし、このパスカルや、近代哲学への道を開いたあのデカルト(1596~1632)などよりも、さらに昔の時代に生きた、哲学者というよりは倫理学者でありモラリストであった、モンテーニュの方に心惹(ひ)かれてしまうのは、山が好きで自然の中にいることが好きな私としては、当然のことかもしれないが。

 昨日たまたま見た『ナニコレ珍百景』(テレビ朝日系列)に出ていた二人のおばあちゃんに、感心することしきりだった。
 一人は、九州は筑豊地方添田(そえだ)町に住む今年88歳(あの三浦雄一郎さんの三つ年上)にもなるというおばあちゃんが、近くの山に毎日登っているというのだ。
 岩石山(がんじゃくざん、454m)は、戦国時代には山城が築かれていて、今もその跡が残っていて山頂部には立派な祠(ほこら)も祭られているのだが、その城跡に至るまでの途中には、花崗岩の岩があちこちに露頭していて、さすが難攻不落を誇った山城だったのだろうと思わせるのだが、そんな山に、自宅から登山口まで20分、そこから頂上まで1時間かかり、往復で約3時間の道のりのところを、とても御高齢とは思えぬ足取りで、所々険しいところもある山道を毎日つえをついて登っているのだ。 

 それも、雨が降ろうが雪が降ろうが、法事の日を除いてこの48年間、毎日欠かさず登っているとのことで、時間があれば毎日2回往復しているが、多いときには3回往復することもあるというのだ。(計算すると、この山に登ったのは、なんと3万回にもなるそうだが。)
 さらにスタッフの問いに答えて言うには、富士山には若いころ3度登ったことがあるが、大変じゃななかったと言っていたけれども、彼女の毎日山に登る足取りからすれば、あながち威勢だけだとは思えなかった。
 「元気をもらうために山に登っています」という言葉の中に、おばあちゃんの自然に対する謙虚な感謝の気持ちが表れていた。

 そんなおばあちゃんから見れば、まだ鼻たれ小僧にもならない私が、なだらかな九重の山ごときで弱音を吐いてる姿なんぞ、とても見られたもんじゃない。
 はい、深く反省しております。”謝るだけならサルでもできる。”

 もう一人のおばあちゃんは96歳で、北海道は弟子屈(てしかが)町で、今なお昔から続く古い小さな商店を一人でやっているのだが、足が痛くなってきて毎年店を止めようと思っているのだが、周りの人が毎日”ばあちゃん”と訪ねてくるのでやめるわけにもいかないし、顔の肌つやも若々しく、早口の話し言葉とともにとてもその年には見えないほどで、ただ店を少しでも長く続けるためにと、毎日家の周りを痛む足で散歩していた。

 再び『エセー』からの言葉をあげておく。

” 自然はやさしい案内者である。だが、それに劣らず、賢明で公正な案内者である。”

 先週の『ブラタモリ』、前回からの引き続き徳島県であり、その中で讃岐山脈と四国山脈の間に挟まれた、吉野川流域の、中央構造線の地形が実地説明されていて、番組で喜んでいたタモリさんならずとも、地理地質学ファンならだれでも、図面としては理解していた、あの西日本の中央部を地質学的に分断する断層線を見ることができて、実に興味深かったはずだ。 
 この冬に放送されたNHKの『ジオ・ジャパン~絶景列島を行く~』第1集の九州から、第4集の東北・北海道までの4回のシリーズの放送は、今まで書籍や地図帳でしか見ていなかったものが、実写の映像やコンピューター・グラフィック画面として目の当たりに映し出されていて、これまたファンとしては十分に興奮する企画だった。

 まだまだ、知識欲に顔の皮までつっぱったこのじじい、そうやすやすと死んでたまるかと思っているのではありますが。

(上記以外の参考文献:『老年について』キケロー 中務哲郎訳 岩波文庫、『生の短さについて』セネカ 大西英文訳 岩波文庫、『死の思索』松浪信三郎 岩波新書、『いのちの作法』中野孝次 青春新書)