ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

それぞれの田舎暮らし

2019-03-11 22:10:53 | Weblog




 3月11日

 ”3.11.”・・・今は、8年前に起きたあの未曽有の災害について、頭(こうべ)を垂れて黙とうすることしかできないけれど、”ニューヨーク 9.11”とともに、私が今までニュース映像として見て来たものの中で、信じられないほどに、最も衝撃的なものであった。
 もちろんこの世の中には、さらに言えば映像が残っていない昔の時代まで入れれば、さらに信じられないほどの、様々な出来事、事件が起きたのであろうが・・・ただ私たちはそれらの出来事を知らないままに、安穏(あんのん)と自分の毎日を送っていただけなのだろうが・・・。
 そういうことなのだろう。かの地を思いやることはできても、今、自分の眼の間にある日常は、季節どおりに過ぎていくだけのことなのだから。

 例年と比べれば、明らかに暖かい冬の季節が通り過ぎて、しかしまだ寒い日もあって、数日前、九重は牧ノ戸峠のライブカメラには、雪化粧した山の姿が映っていた。
 一瞬、不意を突かれた寒波の戻りによる冬景色を見て、しかし今から出かけるには遅すぎるし、何より前回に登った時と同じような、あの春先の泥水ぬかるみの道を思うととても出かけて行く気にはならなかった。
 もう次に行くのは、春の花の季節、黄色のマンサクや白や薄紅のアセビの花が咲くころになるのだろうが。
 こうして、自分で理屈をつけては、日々、山から足が遠のいていくことになるのだ。
 あのボーボワールの『第二の性』からの受け売りになるかもしれないけれど、”人間はいつしか年寄りになるのではない、自らを年寄り扱いにして年寄りになって行くのだ”ということなのかもしれない。
 しかし、繰り返し言うことになるけれども、年寄りになっていくことが決して悪いことではないのだ。

 ” そして敗北感を味わうのではなくて、優越感をもって私たちが年をとってそのような(若いころ年寄りたちを馬鹿にしたような)年代を卒業し、ちょっぴり賢くなり、辛抱強くなったと考えよう。”

(『人は成熟するにつれて若くなる』ヘルマン・ヘッセ 岡田朝雄訳 草思社文庫)

 庭のウメの花も、満開から盛りを過ぎて、今はもう半分ほどが散ってしまい、あの香りだけが残っている。
 すべてにおいて、例年よりは早めに春が近づいてきていて、次のサクラの花を待つころになってしまった。 
 他にも、ツバキの花が咲き始め(冒頭にあげた写真は直径10㎝ほどもある大ぶりのヤエツバキの花)、あの香りかぐわしいジンチョウゲの花も、そのいくつかがほころびはじめてきている。
 まだマイナスになる日もあるけれども、季節はもう、疑いもなく春の初めからさらに進みつつあるのだ。

 さて、いつものように先週のテレビ番組からだけれども、『ブラタモリ』の今回は徳島の話しだが、名物の”阿波踊り”が、地元の”藍(あい)染め染料生産の隆盛とともにあったというのは、実に興味深い話しだったのだが、この番組の冒頭で、彼が”これで国内すべての都道府県を訪れたことになる”と言っていたことや、『日本人のおなまえっ』でも、今回は日本の昔話にある名前の話しだったのだが、まだまだなるほどとうなづくことばかりで、ただその前の回の放送では、”日本人の名前のほとんどが、町民農民にも、江戸時代前にはすでに名づけられていた”という、総論的な話でまとめられていたことを考え合わせると、これは、もう両番組の放送が終わりに近いのではないのかとも思われてしまい・・・”ひじょうに、きびしー”とはあの財津一郎の古いギャグだが(若い人は知らないだろうが)、それにちなんで言えば、”ひじょうに、さびしいー”ことになるやも知れず。

 それでも、まだ毎週楽しみにしている番組が残っている。いつもここで取り上げている『ポツンと一軒家』である。
 この1時間枠の番組内に、普通は二つの話が入っているのだが、今回は和歌山県の話だけの一本だけだったが、それだけでも十分なほどに素晴らしい家族の話になっていた。
 今から9年前、まだ30代だった若い夫婦が、人里離れた田舎暮らしを始めようと、和歌山県の山奥にある一軒家とその周りの土地を合わせて手に入れて、まだ小さい子供たち二人を連れて移住してきたのだ。
 家の周りにある田んぼや畑で、自分たちの食べるコメや野菜を作り、草刈りの手間がかからぬようにと三頭のヤギ(白いヤギの両親から黒いヤギの子供が生まれたとニュースになったそうだ)と一頭のブタを飼い、放し飼いのニワトリは毎日タマゴを生み、人慣れしていない犬はよく吠えて、イノシシ、シカなどの害獣へのよい番犬になっていたし、前の持ち主がしっかりと建てていた家には、大きな薪(まき)ストーヴがあり、雪が積もる冬でもこれ一つあるだけで十分だと言っていた。
 風呂は、こうした田舎暮らしには定番の薪による五右衛門風呂ががあって、いつも一人で下の学校に通っている小学生の息子は、この風呂が大好きだと言っていたし、夏になって家の前に流れるきれいな川で遊ぶのが楽しみだと言っていた。
 たまたま戻ってきていた上の姉は、高校生になって下の町のおばあさんのもとで学校に通っているが、近くを通る電車の音が気になると言っていたし、大きくなってからも、こうした静かな田舎で暮らしたい、少しセミや虫たちの音がうるさいけれどもと笑いながら話していた。

 まだ40代半ばの父親は、都会での他人を相手の勤め人の暮らしができなくて、一人で何でもできるしやらなければならない田舎暮らしをしたくて、ここにやってきたのとのことだが、一人で炭焼き窯(かま)を作り、今ではウバメガシから作る立派な備長炭(びんちょうたん)を近隣の料理店に出荷しているのだと言っていた。
 彼より少し年上の奥さんの方は、近くの森林組合の圃場(ほじょう)に手伝いに行っているとのことだが、自分で染色から手縫いまでもやって衣類を作り、娘の子供時代の服は全部作っていたのだそうで、娘が好きだったというピンク色の服が並んでいた。
 そして、この家にはテレビがなくて、奥さんは一緒に働いている女の人たちから『ポツンと一軒家』という番組があることを知らされたそうだ。
 今や、この『ポツンと一軒家』は、全国の過疎地域での”輝く期待の星”的な番組になっていて、地元民の話題の中心になっているほどの番組だから、毎回取り上げられた人たちは、”ついにわが家にも来たか”と思うそうだが、そんなことも知らない、純朴な田舎暮らしを楽しむこの一家は、むしろカントリーライフを楽しむ一家と呼んだほうがいいような、新世代の『ポツンと一軒家』を見せられたような気がして、なんともうれしい気持ちになったものだ。

 もちろん、今までこの番組で放送されてきた、それぞれに古くから続く山奥の一軒家の話も、各家ごとにに歴史があり事情があって、毎回興味深いものばかりだったのだが、それぞれに高齢になった彼らの生活を考えると、今後はどうなるのだろうかという心配があったのだが、今回の夫婦はまだ若く、今学校に通っている子供たちのこれからを含めて、どうなっていくのだろうかという興味もわいてくるのだが。
 もし今回の家族の話が、彼らがこの地に移住してきたころからの映像として撮られていたら、それはまた別の優れたドキュメンタリー・ドラマになっていたのにと思ったりもするのだが。
 というのも、私の北海道の友だち知人たちには、そうした田舎暮らしやカントリーライフを求めて移住してきた人たちが多くて、私もその端くれの一人だったのだが、今の生活事情も含めて、その裏側にある多くの困難ごとにも思いをはせるていくと、とても他人事には思えなかったのだ。

 思えば、昔の『北の国から』のドラマに始まって、不定期なドキュメンタリーとして放送されていた『大草原の少女みゆきちゃん』、さらには方向性は違うが、北海道の『ムツゴロウ動物王国』や、子だくさんの大家族の日常をドラマ的なドキュメンタリーとして撮影していた『ビッグダディ』シリーズ、さらには田舎暮らしをテーマにした、あの”いかりや長介”が初代ナレーターだったころから続く長寿番組の『人生の楽園』などなどを思い出してしまったのだ。

 いつの世にも、都会や町中にしか住めない人と田舎にしか住めない人がいて、その割合は100対1にもならないのだろうが、実はそのはざまで心揺れ動く人たちが大勢いて、この番組が同時間帯のテレビ視聴率1位になっているというのも、そうした”隠れ田舎ファン”が多いということを証明しているのではないのだろうか。 
 古い昔の言葉だが、アメリカの地理学者センプルが言ったように、”人間は地球を母として生まれてきたその子供なのだから・・・”、いつでもその内懐(うちふところ)へ戻りたいという気持ちがあるのも、これまた当然のことなのだ。 
 ただ、便利な都会に住み続けるという日常が、いつしか慣れや慣習となって、自然という存在をただ遠くにあるものとしてしか見ないようになることを、私は一番恐れているのだ。
 ある面では都会の便利さに頼りつつも、田舎の静穏さも味わうことのできるようなことが、つまり、両者に敬意を払うような生き方はできないのだろうか、とも考えてみるのだが。               

 未開民族たちの中に受け継がれてきた、すべての物事の中に魂が宿っているとする宗教心は、アニミズムと呼ばれてきたのだが、それは自然界の物事を畏怖(いふ)する心というよりは、自分たち人間と対等にある生物たちへの、尊敬の気持ちから生まれてきたものではなかったのか。
 一緒に暮らす家族はもとより、犬もヒツジもブタもニワトリも、鳥や虫たちも稲穂も野菜も、ウバメガシの木も、同じ大切な仲間たちなのだ。

 そうした思いを持つ人々が、へき地の人里離れた場所に住むということは、たんに都会での息苦しさや田舎へのあこがれというものだけで、実行できるものではない。
 そこで、あのアメリカでの山奥での移住生活を描いた名著『森の生活』の一節から。

”  私が森へ行ったのは、思慮深く生き、人生の本質的な事実のみに直面し、人生が教えてくれるものを自分が学び取れるかどうか確かめてみたかったからである。
 死ぬときになって、自分が生きてはいなかったことを発見するようなはめにおちいりたくなかったからである。
 人生とはいえないような人生は生きたくなかった。生きるということはそんなにもたいせつなのだから。”

(『森の生活(ウォールデン)』H.D.ソロー著 飯田実訳 岩波文庫)

 ともかく、今回の『ポツンと一軒家』の和歌山編での家族の生き方は、この時のプロデューサーの意向もあったのだろうが、今までとは違う別な切り口として、番組に新しい光を与えてくれたような気がするし、私の立場から見ても、若いころの私と今の自分を考えさせてくれることにもなったのだと思う。
 良くも悪しくも、私は若かったのだ。
 ありがとう。