6月15日
二日ほど、小雨模様の日があった後、それまでの北国らしい少し肌寒い日から、はっきりと空気が入れ替わって、生暖かい南からの空気が入ってきた。
やはりこの北海道にも、夏が来ているのだ。
あれほどまでに鳴いていたエゾハルゼミも、今では林の遠くの方から一二匹、聞こえるだけ。
その林の中に入れば、さすがに涼しいのだが、日向の光はもう夏の暑さを感じるほどだ。
といっても、まだ25度の夏日には届かず、朝は10度くらいで、まだ長袖が必要なのだが。
庭の生垣(いけがき)ふうにしつらえた、緑のハマナスの葉が茂る中に、点々と赤い花が咲いている。
近づくと、あの独特の少し強すぎる、化粧品の成分として使われることもある、甘い香りが漂ってくる。
その咲き始めたばかりの花の中に、一匹のマルハナバチがいて、ちょうど自分の体でいっぱいになるほどの花びらの中で、あちこちに体勢を変えながら、花粉を集めている。(写真上)
私が近づき、目の前にカメラを構えてもお構いなしだ。
わずか一日二日で終わってしまう、ハマナスの花だけに、かかりっきりになっているのだ。働くときは今なのだ、他に何をやることがあるだろうと。
何かを得たいと思う時には、そのための行動を起こしてひたむきにやるだけのことだ。
毎日数輪ほどが開く、このハマナスの花には、2cmほどにもなるマルハナバチの他に、わずか5㎜程の小さなハナバチやハムシなどが群れ集まっていることもあって、虫のいない花の写真を撮るほうがむずかしいほどだ。
このハマナスは、そのあまりにも鮮やかな真紅(しんく)の花と強い香りで、こうして虫たちを呼び寄せているのだろうが、不思議にも、チョウがとまっているのをあまり見たことはない。
人間として見れば、何とも魅力的で惹きつけられてしまう色と香りのハマナスの花だが、チョウの方から見れば、何ともしがたい花粉だけの花なのかもしれない。
さらにハマナスの方から考えてみれば、あの花の中で動き回り、おしべとめしべにたっぷりと受粉させてくれる、マルハナバチやハナバチ、ハムシの類だけに的を絞った、効能を用意しているからなのだろうか。
”蓼(たで)食う虫も好きずき”のことわざのとおりに、誰も食べたがらない苦い蓼の葉を食べる虫もいるくらいだから、確かに好みは人それぞれ、虫それぞれということなのだろうが、つまりそれは、物事の今を考える場合には、一つに見えて実は様々な側面があり、それぞれ別の視点から見る必要があるということなのだろう。
”世の中よ、あわれなりけり。
常なけど、うれしかりけり。
山川にやまがわの音、
からまつにからまつのかぜ。”
(北原白秋 「落葉松」 『日本の詩歌9 北原白秋』 中央公論社)
AKBの総選挙が終わったばかりなのに、衝撃的なニュースが飛び込んできた。
今度の選挙での、1位の有力候補であり、結局は2位になった、”ゆきりん”柏木由紀のスキャンダルである。
その週刊文春報道による、相手のジャニーズ系のNEWSに属する男と一緒の写真があまりにも生々しく、当の二人でさえ申し開きのできないような現場写真だったために、ネット上のAKB情報サイトには、ファンたちの様々な怒りや嘆きの声が書き込まれていた。
その中には、柏木由紀のCDやグッズが燃やされている、”ゆきりんオタク”と呼ばれるファンからの写真があったほどだ。
何しろ、今を時めくAKBグループの中でナンバー2の”ゆきりん”と、同じようにジャニーズ系NEWSの人気アイドルの一人とのスキャンダル発覚だけに、周りに与える影響は計り知れぬものがあることだろう。
ことの顛末(てんまつ)は、当の二人だけにしか分からぬこととはいえ、まずはこの事件が二人のタレント生命に与える打撃は自業自得だとしても、今やその凋落(ちょうらく)がささやかれはじめている、AKBグループそのものへの影響は、相手のNEWSに対する場合とは、比べ物にならないほどの衝撃を与えることになるだろう。
一応は”恋愛禁止”の不文律(ふぶんりつ)があっての、少女アイドル・グループAKBだっただけに、その中でも”アイドル王道”を進み、自らもアイドルとしてAKB一筋だと公言していた”ゆきりん”だけに、今までに彼女を”おしメン(推しメンバー)”として応援し、握手会に出かけ、公演を見に行き、何枚ものCDを買って彼女に投票したばかりのファンからしてみれば、許すことのできない裏切り行為に見えたことだろう。
さらには、彼女の属するAKBの運営サイドは、将来を含めての難しい対応を迫られることになり、今までの様々なスキャンダル報道に対して、時にはスルー(無視)してきたこともあったのだが、今回は現時点の人気投票2位でもある大物のスキャンダルなだけに、何らかの早急な処置をしないと、ファンに対してだけでなく、同じAKBグループの他のメンバー娘たちにも、しめしがつかないだろうし、ともかくAKBの行く末を考えての彼女の処遇を決めねばならず、この1週間の沈黙が、今回の事件で針のむしろに座らされた、運営サイドの深刻さを示しているようでもあるが。
あの宝塚が、なぜにかくも長きにわたって存続し人気を保ち続け得たのか、言うまでもなく、それは団員達一丸となっての、厳しい日々のレッスンと運営側が管理してきた鉄の団体規律があったからなのだろう。そうして、公演されるミュージカルは、ずっと一級品であり続けたのだ。
一方で、今の時代のタレント志望の娘たちを集めて、”第二の宝塚”たらんとしたAKBには、もちろん初めからそれほどの高度な歌や踊りの技術が求められたわけではなく、おそらくは容姿スタイルを含めた見た目に重きが置かれて、彼女たちは選ばれたのだろうし、それだから、オーディション合格後も一応のレッスンを受けた後に、すぐに日を置かずに公演の舞台に立てるほどの”芸”でしかないし、それぞれのグループごとの仲間としてのまとまりはあるとしても、宝塚ほどに日常的な上下関係やしつけとしての厳格な行動が求められているわけでもなく、その”ゆるい”まとまりこそが、今の時代の”アイドル・グループ”には、ふさわしいことだったのだろうが。
そして、そのゆるさの隙間が、今までも何度かあったように、こうしたスキャンダル事件につながることになったのではないのか。
とすると、設立時にしっかりとした規範を決めていなかった運営サイドの責任であるとも、言えるのだろうが。
中高校生でAKBに入って、”恋愛禁止”の不文律を頭に入れながら、アイドル・グループの一員としてステージに立ち、歌い踊りながら、AKB1位の座をあるいは選抜に選ばれることを夢見て、がんばっている娘たち・・・。
他の同年代の子たちが、明るく遊びまわり、恋愛を楽しんでいる中で・・・大勢のファンたちの仮想恋愛の相手たるべく、清純な想いを貫き、自分の夢のためにも、ひたすら、歌に踊りに話しに励むこと・・・それが、自分が選んだアイドルの道なのだから・・・。
しかし、少女から大人の女へと成長していく中で、あふれくる女としての思い・・・”命短し恋せよ乙女”(「ゴンドラの唄」)・・・そんな気持ちも抑えて、自ら決めた道を歩くことは、何ともつらいことに違いはないだろうが・・・、しかし、AKBは、ファンに支えられたアイドル・グループなのだ。
”娘盛りを 渡世にかけて
張った体に 緋牡丹燃える
女の女の 女の意気地(いきじ)
旅の夜空に 恋も散る。”
(『緋牡丹博徒』 歌 藤純子 作詞作曲 渡辺岳夫)
渡世人の父親を殺され、跡を継いだ女一匹、女つぼ振り師として各地の賭場(とば)をめぐり、父の仇を探して回る。
そんな”お竜”ねえさんを助ける、一人の侠客、高倉健登場!
場末の三番館の壊れかけた座席に座って、学生時代の私たちは、思わず手をたたき拍手を送ったものだった。
今の時代の、卑劣で勝手な自分だけの理屈ではなく、正義に基づいた”弱きを助け強きをくじく”無頼者にあこがれた時代・・・そんな時代もあったねと・・・。
と、思わず昔の歌の一節を思い出したのだが。
そして、私からすれば、もともと特定の”おしメン”(推しメンバー)がいるわけでもなく、熱烈な”オタ”(おたく)でもなく、ただ今もAKBファンでいるのは、秋元康の作る歌にひかれて、さらにその歌を歌う、今に生きる明るく個性豊かな孫娘の集団として、好きになったのだから、若いファンたちのように疑似(ぎじ)恋愛相手として、彼女たちにアイドルとしての、昔の少女マンガのような清純さを求めているわけではないから、スキャンダルの衝撃としてよりは、孫娘が恋につまづいたのではないのかという心配で、その”ゆきりん”の今後の身の上と、さらにはAKBの行く末が気がかりなだけなのだ。
総選挙2位の”ゆきりん”とはいえ、若い娘なのだから、同じ年頃の子がそうであるように、ただの恋愛一つにすぎないものなのに、それは自分の若いころと比べても、後になって思えば、同じように人生の中の一コマにすぎなかったのだから、(と今この年になって言えるのだが)、ともかく、こんな恋愛の一つや二つは、好奇心あふれる年ごろの若い娘としてはありがちなことであり、何も体までもが傷ついたわけではなく、心の傷だけならば、まだ若いのだし、そのうえに”きれいなおねえさん”としては変わらないのだから、いくらでも未来へのやり直しはできるだろうに。
ただし、本人はそれでいいとしても、責任ある地位にいただけに、周囲へのそれなりのきちんとした対応が必要にはなるだろう。
まずは、アイドルとしての彼女をここまで支えてくれた、熱心な”オタ”のファンたち、そして彼女に憧れていた後輩メンバーの娘たちにも、当然一言あってしかるべきだろうし、同時に、共同責任者として、運営側も対外的に含めてつらい処遇を含めた選択を取らざるを得ないだろう。
私は遠くから見てきただけの、”じじいファン”にすぎないし、エラそうなことは言えないのだけれども、まずは、人気商売として成り立つアイドル・グループとして、表面的にも熱狂的なファンに支えられていたAKBが、今回はそのファンたちに対する大きな失望を与えたことで、多方面にわたる代償を支払うことにはなるのだろうが。
もちろん、人気のあったこの”ゆきりん”も、300人もの娘たちからなるAKBグループの、一人にすぎず、彼女以外を応援しているファンの方が圧倒的に多いのだから、逆に言えば、今回の件に対しては、やむを得ず当然処置されるべき事件の一つにすぎず、AKBそのものの屋台骨にまで及ぶほどの影響はないとも言えるのだろうが。
つまり大切なのは、今までも、さまざまに世間を騒がせ被害を与えた不祥事や事故等に対して、それぞれの企業がとってきた事故処理や対応能力が、その時々にあらためて問題にされてきたのと同じように、今こそのAKB運営サイドの管理能力が問われているのだ。
誰のために。
それは、事業として成り立たせるための運営側のためだけではなく、ましてはファンたちのためだけでもなく、ただAKBの旗の下に集まってきた、他のメンバーの娘たち、特にまだ幼さの残る娘たちさえいるのだから・・・。
あの子たちが受けたであろう心の傷をいやし、さらに将来への夢を持ち続けさせるためにも。
遠い昔のことだが、私は若いころにオーストラリアを旅したことがある。
エイヤーズ・ロックへのミニ・ツアーの時に、まだ小学生くらいの子供が私になついてくれて、しばらく二人でふざけ合い遊んだのだが、学校にも行かずにどうしてと思い、そのアメリカから来ていたまだ若いお父さんに尋ねてみた。彼は、私の方に向き直り、答えてくれた。
「彼の母親が、つまり私の妻が死んでしまって、それで息子を連れて、しばらく外国を回ってみようと思ってね。」
問題が起きた時には、それと正面に向き合うか、逃げるかだが、もう一つ方法がある。
事実は事実として認めたうえで、離れた道を行くこともできるということだ。
さて話は変わるが、毎年、このブログにも写真を載せているヒオウギアヤメの花が、今年も庭の片隅で咲いてくれた。(写真下)
そして、家の裏手にある、まだ低い植林地の中に群生しているヒオウギアヤメ・・・やがて、それらの植林された木が大きくなっていけば、自然にそのヒオウギアヤメの花も咲かなくなり、消えていくことだろう。
しかし、そうして、あの群生の光景は見られなくなったとしても、何年たっても、変わらずに私の心には見えてくるものがあるだろう・・・まだ植林される前の原野の中に、果てしなく続く朝もやの霧の中に浮かび上がってきた、ヒオウギアヤメたち、一本一本の姿・・・。
(追記1: 前回、土曜日のNHK・BSの『AKB48SHOW』は、総選挙に対する私たちAKBファンの思いの一部をかなえてくれるものであった。
まずは始めのNMBの二人によるコントは、ベタな展開でもう一つではあったが、NMBの新曲は、目新しい若い人がセンターにいて、それまでに兼任で他のグループからきていたメンバーがいなくなって(”ゆきりん”もその一人)、本来のNMBメンバーだけで、ようやくのびのびと明るく歌い踊っているようにさえ見えた。これでいいのだ。
それから、あの総選挙でのランクダウンに大泣きしていたSKEの”だーすー”須田亜香里と、若手のホープ”りょうは”北川綾巴”などによる、コント”マッチ売りのだーすー”があった後に、予期していなかったありがたい場面が・・・。
それは、私たちファンの総選挙への物足りない思いを知っていたかのような、以下の映像だった。
つまり、今度の選挙で、壇上に立った80位までのメンバーたち、そのすべての子たちのそれぞれのスピーチを、わずか5秒ほどずつではあったが、通して見ることができたことである。
前回も書いたように、私たちAKBファンが聞きたいのは、上位メンバーたちのコメントはもとより、それぞれに自分のドラマをかかえてこの日を迎えて、ランクインすることのできた彼女たち全員の、今の言葉なのだ。
もちろん、できるならばもっと長く、彼女たちが涙ながらに話したすべてを聞きたかったのだが、わざわざ中継までもした民放テレビ局が、スタジオ司会者やスポンサーの意向で呼び集められただけのタレントたちの、どうでもいいような話に時間を割くくらいなら、そのままのメンバーたちだけの話を、下手な解説など入れずに流してくれた方がどれほどよかったことか。
何度も繰り返すが、私はNHKとは何の関係もないが、この『AKB48SHOW』のスタッフが、他のどの放送局よりもよくAKBのことを、そのファンたちのことを分かっていると思う。
もしいつか、この『AKB48SHOW』が終わったとしたら、その時が私のAKBファンとしての終わりだとさえ思っているほどだ。
そして、今回の番組の最後は、名前はどこかで聞いていたが顔は知らなかった、名古屋SKEの竹内舞と矢方美紀によるデュオ”まいてぃ”の、フォークソング風な歌だったのだが、なかなかに良かった。
声も悪くないし、何より、ハモっていたのだ!)
(追記2: 今回の”柏木スキャンダル”で、あちこちのAKB情報サイトを見て、もちろん多くは非難の言葉やあきらめに似た書き込みだったのだが、中には聞くに堪えない言葉の羅列で、AKBファンなのかと疑うような書き込みもあって、いやな思いをすることもあったのだが、他にも的を得た正論の書き込みをしたり、ウイットに富んだ一言を書いたりしている人もあって、そのために、そんな情報サイトをのぞいてみたくなったのだ。
そんな今回の多くの書き込みの中で、思わず笑ってしまった秀逸なユーモアにあふれた一連の書き込みがあったことを、どうしてもここで取り上げておきたい。
それは、”地下帝国AKB48”というサイトの6月12日付けの項目で、”木ゆりあ 「隊士の中に、局中法度(はっと)を犯した不心得者がおるようだな」”と題されたスレッド(共通話題の投稿欄)である。
今回の事件のことを、AKBグループ一の正義派である、”木ゆりあ”をあの幕末の”新撰組”局長に見立てての、投稿者達が作る寸劇である。
私が運営サイドの一人だとしたら、その見事な発想力と確かな知識に、思わずAKBの次の新公演の脚本をお願いしたくなることだろう。
ちなみに、ここで使われているスキャンダラスという言葉は、少し学力に難のある”おバカキャラ”の”ゆりあ”が、去年の暮の番組、『ナインティナインのAKBドッキリ総選挙』の中で、”スキャンダルはキライ”と言うべきところを、間違えて憶えていて形容詞である”スキャンダラスはキライ”と言って、メンバーの皆に笑われて、それ以来”スキャンダラスぎらい”の”ゆりあ”と、やゆされるようになったのだ。)