2月11日
ワタシはもう春になったのかと思っていた。あれほどに長く、晴れた暖かい日が続いていたからだ。ところが、今朝、飼い主と一緒にベランダに出てみて驚いた、外は一面真っ白の雪景色に変わり、また冬に戻っていたのだ。
ともかく庭に下りて、雪のない木の下を通って一回りし、適当な所でトイレをすませて戻ってきた。飼い主が、タオルで体をふいてくれた。
ストーヴの前に戻り、念入りに毛づくろいをする。これでは、今日はいつもの散歩にも出られないだろう。また一日、寝て過ごす他はない。
それにしても、昨日までよく暖かい日が続いたものだ。ワタシは、いつも昼前後になると、飼い主に散歩に行こうと鳴きかけた。
パソコンの前で、忙しく手を動かしていた飼い主は、鳴いているワタシをじっと見て、やおらどっこいしょと声をあげて立ち上がる。ああ、ジジくさくてイヤなかけ声だ。黙って立ち上がることができないものか。
それでも、今までは顔をゆがめてアイテテテーと声に出していた位だから、体のケガも良くなったということなのだろう。ひと安心だ。
外に出ると、もう雪は、日の当らない日陰のあちこちに残るだけで、草原斜面には暖かい春の空気が漂っている。まだ枯れ草が多くて、ワタシの食べる緑の新葉は余り出ていない。
道の両側の草むらなどに、他のネコたちや獣たちの臭いが残っていて、それを一つずつ、これはあのクロネコだ、あれはパンダネコだとていねいに臭いをかぎ分けていく。
と夢中になっている間に、飼い主の姿が見えなくなった。まあいい、先に帰ったのだろう。ワタシは、自分の日課をこなして帰ればいいのだから。
といった毎日だったのに、この雪でまたあの1月と同じように、寝て暮らす日々が続くのだろうか。何事も神様の思し召しのままに、インシアラー。
それは、飼い主が見ていたテレビ映画の一場面で、誰かが話していた言葉なのだが・・・。
「 久しぶりに雪が降り、10cmほど積もった。それは、1月の間中積もっていた雪が、最近ようやく溶けてなくなろうとしていた時に降った雪である。しかし、今回の雪は、あの1月の寒い時のさらさらとした雪ではなく、いつもの九州に降る湿った雪だった。
気温も高く、日も差さない天気なのに、夕方までには半分ほど溶けてしまった。もっとも、この二三日は雪の予報が続いているのだが。
さて相変わらずに、肩と腰の痛みが残るので、無理な仕事はせずにおとなしく家にいて、本を読んだり、録画していた番組などを見たりしていた。
まずは、前回少しふれた地方局のテレビ番組について、あのテレビ金沢制作の『田舎のコンビニ~一軒の商店から見た過疎の4年間』である。
それは、何気なくテレビをつけてたまたま見た番組だから、最初からちゃんと見たわけでもなく、すでに5分ほど過ぎていたのだが、その後の50分余りをずっと見続けてしまった。
つまり、九州のそして北海道の田舎に住む私だからこそ、余計に思い当ることも多かったのだが、現代日本の社会が抱える、地域の過疎化、高齢化といった問題を、かろうじてつなぎとめている村落共同体意識としての、人々の心のつながりを描いた見事なドキュメンタリー番組だった。
北陸は能登半島の、とある小さな町の、その海辺の一つの集落にある一軒の商店が舞台である。そこには、その女店主とその顔なじみの年寄りのお客たちとの、日常のやりとりが記録されていた。
食品からちょっとした衣類までも売っている、いわゆる田舎の万屋(よろずや)であり、店の中には、幾つかの椅子が置いてあり、買い物ついでの年寄りたちが集まっては、女店主と話をしていた。
その女店主は、店の軽ワゴン車で品物の配達をし、足の不自由なお年寄りのために店への送り迎えだけでなく、時には離れた病院への送迎までもしてやっていた。
たったひとりで暮らしているお年寄りにとって、そんな彼女は、遠く離れた所にいる子供たちたちよりも、はるかに頼りになるかけがいのない存在になっていた。
集落の年寄りたちが主なお客のその商店は、彼女と裏方の仕事を黙々とこなす口数の少ない夫との二人だけの経営であり、内情は苦しく赤字ギリギリの状態だという。それでも、周りにいるお年寄りのためにやめるわけにもいかないのだ。
その毎日の話の中で、時は過ぎて行き、お客だったお年寄りが一人二人と、亡くなっていく。番組のナレーターは、短く結果だけをたんたんと伝える。
その亡くなったおばあちゃんの一人が、まだ元気だったころ、テレビ・スタッフが家に行って、尋ねていた。『今、お幸せですか。』
広い家の一部屋に座っていた彼女は、後ろを向いたまま答える。『そんな幸せなわけがなかろうが。子供たちと一緒に暮らして、孫を抱いていたかったわ。』
やがて、その商店もいつかは店を閉める日が来るだろう。クルマを持つ若い人以外のお年寄りたちは、遠く離れた病院へはもとより、日々の食料の買い物にさえ困るようになるだろう。
そのころ、都会に住む子供たちは、新しい便利な家に住み、明るい光の中で、家族で食卓についているのかもしれないが、しかしその子供たちが悪いわけでもない、彼らは彼らなりに手いっぱいなのだから・・・。
それとは別に、一年前にも取り上げたことのある、あのNHKのドキュメンタリー番組『無縁社会』の続編が、『無縁社会の衝撃 若者と働き盛りの叫び 失業・病・独り暮らし・結婚できない』という副題をつけて、今夜新たに放送されていた。
前回は中高年や高齢者たちに焦点があてられていたのに比べて、その問題が今や、若い人や働き盛りの人々にまで広がっていることを伝えていたのだ。
あの能登半島の小さな集落の年寄りたちのように、ひとりで死んでゆく人々の話を聞いた後、さらに、まだ若い人たちが、孤独の果てに死に向かおうとする話を聞くのは、余りにも哀しい。
誰に責任があり、誰が悪いのかということを軽々しくは言えないし、もちろん私ごときが、何かを提言できる立場にはないのだが、ただそこで思うのは、ひとりになってつらいと思う人々と、ひとりでいるしかなった人々との、大きな思いの差である。
つまり、そんな孤独な逆境の中でも、しっかりと生きていこうとする若者たちもいるということだ。
さらにもう一つ、別な角度から、今の世相の一端をうかがわせる番組もあった。2日前のNHK『クローズアップ現代』であり、そこでは今、爆発的人気の漫画『ワンピース』が取り上げられていた。
20代から50代にまで及ぶ広い読者層の人々は、その漫画やアニメに描かれている、主人公を中心とした仲間意識と連帯感に、感動し憧れているのだ。現実にはない架空の設定の中で・・・。
思えば、人は一人であることに、早くから慣れておくべきではないのだろうか。どのみち社会に出れば、若者は、ひとりで自分の道を進んで行くしかなく、何かを得ては失い、成功しては挫折し、自分ひとりでできる事とできない事を学びとるに違いない。
併せて、仲間たちとあるいは集団になって行動して初めて、大きなことができることを知り、ひとりと集団であることの意義の違いを学ぶことにもなるだろう。
そんな若者の時代なればこそ、自分が、今まさにその泥濘(でいねい)にまみれながらも、きらびやかな生のただ中にいることにも気づくのである・・・。
第一次大戦のさ中、青空の広がるエジプトはカイロの、駐在イギリス陸軍情報部にその若者はいた。名前は、トーマス・エドワード・ロレンス(1888~1935)である。
先日NHK・BSで放映された、映画『アラビアのロレンス(1962年)』(写真)は、私の青春時代の一つの方向を指し示してくれた作品である。
話は、陸軍情報部の一将校だったロレンスが、イギリスの利権確保のために送られたアラビアで、当時のオスマン・トルコ帝国の支配下にあった砂漠の部族たちと協力して、反乱を起こそうと画策する。それは、イギリスの交戦国であったドイツの同盟国トルコを側面から脅(おびや)かすことでもあった。
だが彼は、いつしかその砂漠の民に深く心ひかれるようになり、彼らのためにと弱小のアラブ軍を率いて立ち上がり、紅海の要衝(ようしょう)アカバを陥(おとしい)れ、さらに王都ダマスカスにまで進軍する。
しかし、そこで開催したアラブの諸民族の会議をまとめ上げることができず、イギリス・フランスなどの国家の力を前にして挫折し、失意のまま母国に戻り、退役将校としての田園生活を送るさ中に、オートバイで事故死して、その生涯を終えるのだ。
中学生のころから山登りに親しみ、自然への憧憬(どうけい)を深めていた私は、当時の70ミリ大画面いっぱいに映し出された砂漠の風景に、ただただ見入ってしまった。
こごしい岩峰群の彼方に地平線が見え、やがて広大な砂丘が続き、まるで雪山と同じように風に舞い形づくられる風紋の波・・・。
そして、その砂漠を目指してやってきた若者、ロレンスは、ラクダや馬にまたがる砂漠の民たちをまとめあげて、異民族の圧政から救うべく立ち上がるのだ。第一部のアカバ進行までのシーンを、私は、胸躍らせながら食い入るように見続けた。
第二部は、トルコ軍の生命線であった鉄道の爆破と、ダマスカス進行そして挫折に至るまでの場面が続き、そこには、自己顕示欲が強く倒錯的趣向があると言われている、彼の人間性と心理状態が描かれていて、当時は少し退屈に思われたのだが、今になって見てみると、さすがに名匠デイヴィッド・リーン監督であり、あの砂漠の帝王と呼ばれたロレンスの、英雄としての輝かしい部分と、その背後にある屈折した思いを、陽と陰の一部二部に分けて、イギリスらしい慎み深さを持って的確に描き出していたのだ。
俳優たちも、舞台俳優から抜擢(ばってき)されたピーター・オトゥールが見事に主役をこなし、アリ役のオマー・シャリフは、後のリーン作品『ドクトル・ジバゴ(1965年)』で主役を演じることになり、さらにそうそうたる顔ぶれの助役陣は、リーン監督の前作『戦場にかける橋(1957年)』の、アレック・ギネスとジャック・ホーキンス、あの名作『道(1954年)』のアンソニー・クィン等などである。
劇中のロバート・ボルト脚本による、セリフの幾つかも見事であり、詳しく書いて行くときりがないので、一つだけあげるとすれば、ロレンスが炎熱の砂漠行軍中に、ラクダから落ちてはぐれてしまった男を助けるために、死の危険を冒してまで一人で引き返し、男を見つけて戻って来た時のセリフだ。
『宿命などというものはないのだ。』
この言葉は、当時、反運命論としての『運命は自ら切り開くもの』という、いかにも青臭い考えに凝り固まっていた私にとって、それはまさしくやり遂げた男だから言うことのできる、雄々しい言葉に思えたのだ。
ちなみに、そのころ私は、アンドレ・マルローの小説に心酔していて、その中でも『征服者』『人間の条件』などの革命を題材にした話よりは、若者が出会ったある種の冒険譚(たん)的な、『王道』に強く惹(ひ)かれていた。
『自己を世間から切り離す者が最も信ずることのできる武器、それは勇気である。人生を何らかの済度(さいど)に役立つものと考えている人間どもの思想の屍(かばね)がいったい何になるだろう。』
『未知への探求、一時的にしろ征服、被征服の関係を打ち破ること。こうした経験を持たない人間たちは、それらを冒険と呼んでいるが、しかしこれが死にたいする防御(ぼうぎょ)でないとしたら何であろう。
毎日己の周囲に見る塵埃(じんあい)のような人間の生活から一刻も早く抜け出して、彼以外の、かなたの何物かをかち得なければ!』
(以上 小松清訳)
『アラビアのロレンス』について書いていけば、まだまだいろいろとあるのだが、今回、1990年に再編集されて227分になった完全版を、改めて見直して、それはしっかりとブルーレイに録画して一安心なのだが、私の今まで見てきた映画の中で、やはり大きな感動を与えてくれた映画の一つであったことを再認識した。
ちなみに、この映画は私のベスト10の中に入れたい一つではあるが、まだその上に置きたい作品たちもある。それらの映画についてはいずれまた、触れる機会があれば書いてみたいと思う。
余談だが、キネマ旬報社から『映画遺産200』という特集号が出ていて、映画関係者や愛好家たち150人ほどによるそれぞれのベストテンの記事が載っていた。しかし、それほど多くの人々から選ばれた、数多(あまた)の映画の中に、私のベスト5の作品は一本も挙げられていなかった。
それは、別に自分を恥じることでも、驕漫(きょうまん)になることでもない。ただ、ことほど左様に、たかが映画ベスト10といっても、その思いは千差万別であり、決して同じ10本の並びにはならず、遺伝子配列ほどに個性の違いが出るものなのだ。
例えば、この『アラビアのロレンス』にしても、インターネットの映画評で見てみれば、星5つから星1つの評価までさまざまなのであり、だから、映画は面白いし、人間もまた、その一人一人の人生もまた、興味深いものなのだ。
私は、この『アラビアのロレンス』を見た後、しばらくしてから、ラクダの代わりにオートバイの背に乗って、オーストラリアの砂漠を目指したのだった。若い時だから、できたことだが・・・。
私の人生・・・。ミャオの猫生・・・。」
(参照文献): 『知恵の七柱』1,2,3(T・E・ロレンス 柏原俊三訳 平凡社東洋文庫)、『アラビアのロレンス』(ロバート・グレイヴス 小野忍訳 角川文庫)、『アラビアのロレンス』(ジェレミー・ウィルソン 山口圭三郎訳 新書館)、『王道』(アンドレ・マルロー 小松清訳 筑摩書房 世界名作全集)他。
(以上のブログ記事は2月12日、午前10時に改編。)