2月2日
ワタシは、昨日の夜から今朝までコタツの中で、さらに午前中にかけてはストーヴの前で、ただひたすらに寝ていた。飼い主が呼びかけても、目を閉じたまま、小さくニャーと返事するだけだった。
というのは、昨日の昼間に余り寝ていなかったからだ。
昨日の朝、飼い主はストーヴの火を消して、クルマで出かけて行った。天気は良かったので、ワタシはベランダの日当たりの良い所でじっと座っていた。
すると、またも、ノラネコの一匹が、遠くから鳴きかけてきた。その黒ネコは、先日、ベランダの下で鳴いていて、飼い主から手ひどくおどかされて逃げ出し、ワタシの家に近づけなくなっていたのだ。
ワタシが傍に寄って行くと、さらにもう一匹の黒白のパンダネコもやって来て、3匹でそれぞれに鳴き合ったり、近づいてちょっかい出したりしていた。そうして、ずいぶん長い間を過ごし、太陽の光が傾き始めた頃になって、エサの時間を考え家に戻った。
しかし、家に飼い主はいない。ワタシは仕方なく、ベランダで辛抱強く待っていた。クルマの音がして、飼い主が戻ってきた。
その顔を見ると、久し振りに、またあの季節外れの赤鼻のトナカイ状態だ。
夜遊びはおろか、昼遊びもせず、大した道楽もない飼い主だから、まあ山登りくらいには行ってもいいけれど、こうやって、ワタシのエサの時間だけは、ちゃんと守って帰ってきてほしい。
まあ今日は、大体時間通りだし、いつものように飼い主の周りにまとわりついて催促し、すぐに出されたコアジをひたすらに食べた。
腹がいっぱいになり、昼間寝なかった分を取り返すために、それからワタシはひたすらに眠り続けたのだ。
今日は晴れたり曇ったり、みぞれが降ったりの一日だったが、昨日までと比べれば、明らかに空気が少し暖かく感じられた。
寒い日ばかりがずっと続くわけでもなく、急に暖かい春になってしまうわけでもない。
太陽は、日ごとにその位置を変え、この地球を照らし続ける。
飼い主から聞いた話によれば、その地球は、太陽系の惑星の中でただ一つ、適度な気温を受ける距離にあり、偶然にも豊かな水に恵まれて、植物や動物そして人間までもを生み出してきたということだが、そんな母なる地球に住んでいるのだから、そこに生きている事自体がまたありがたいことなのだ。
不思議な縁で、この家に住みつくようになり、前の亡くなったおばあさんと、そのバカ息子、というのも時々長期間いなくなるのが許せないけれども、ともかくやさしい二人の飼い主に恵まれ、この年になるまで、16年も生き延びて来たのだ。
ああ、ありがたや。
所で、それはさておき、今はもうひと眠りすることにしよう。夢の中こそ、もうひとつの母のふところなのだから・・・。
「 昨日、久し振りに山登りに行ってきた。前回(1月10日の項)からは、4週間近くも間が空いたことになる。もちろんその間、山に行かなかった自分への言い訳は、前回書いたように、肩が痛いから、タイヤが古いからなどと言ってはきていたのだが、昨日は、どうしても行かざるを得ない気持ちになっていたのだ。
今年の冬もまた、あの純白の装いに姿を変えているだろう山々が、目に浮かんでくる・・・。長年にわたって毎年、雪に被われた九重の山々を見続けてきた私に、何かが呼びかけてくるのだ。
そして一つには、これからの天気予報で、今までの寒波は過ぎ去り、暖かい日が続くとのことだったから、それでは、夏のアイスクリームのような九州の山の雪は、すぐに溶けてしまうだろうということ。
さらには、その二日前に雪が降り、次の日は曇り空で風が強く、そしてようやく、今日の晴れマークの予報が出ていたのだ。よし行こう。
その単純な思いは、先日、モバイル・インターネットを申し込んだ時の気持ちに良く似ている(1月19日の項)。それは、係のきれいなおねえさんに目がくらみ、ただのミニノートをもらい、早いネット接続と、もうただただ目の前の欲に駆られた感じだったが。
とはいっても、この三日の気温は、-8、-9、-6度と冷え込んでいたし、さらにまだ朝だということもあって、覚悟はしていたのだが、途中の道は殆ど圧雪アイスバーンの状態だった。7年目の古いスタドレスタイヤだから、ギヤを落として慎重に、カーブの多い山道を曲がって行く。
幸いにも、こんな道だからクルマは少ない。一台を先にかせてやり、別の一台を抜いた。
思えば、北海道で冬を過ごしていた時、三度ほど雪道でスリップしたことがある。二つは、運良く対向車のいない道で、180度も回転してしまい、一度は農家のトラクターに引き上げてもらった。
しかし、何と言っても肝を冷やしたのは、三度目の時である。村の道から国道に出ようとした時、その手前でブレーキをかけたのに、ミラーバーン(鏡のようにツルツルの路面)の道を、クルマは滑っていくのだ・・・ちょうど右側から走ってくる車が見えた、ああ、ぶつかる、クルマが衝突するイヤな音、私のクルマは滑る路面から弾き飛ばされ、路外に一回転・・・と覚悟した時、まさしく間一髪、走ってきた車は私の目の前を通り過ぎた。
それはただの数センチ、イヤほんの2、3センチだったのかもしれない。何という、不運と幸運だったことだろう。
その後、私がそのまま、新しいスタッドレス・タイヤを買うために、町に向かったのは言うまでもない。その時のタイヤは、3年目のものだったのに。
さて、何とか走り続けて九重の長者原の平原に出ると、青空の下には、白銀の九重の山々が立ち並んでいた。しかし、そこからは、もう白一色の圧雪アイスバーンの道だった。私のクルマは四駆の乗用車だが、ギアを落として慎重に走る。
そして、たどり着いた牧ノ戸峠(1330m)の駐車場には、すでに30台ほどのクルマが停まっていた。平日だというのに、この雪道だというのに。
9時過ぎに、登山靴にアイゼンをつけたまま歩き始める。
白い雪景色は素晴らしいとしても、残念なのは周りの木々に全く霧氷が見られないことだ。枝先についているのは、柔らかい雪玉ばかりだ。いつもなら、これから展望台まで続く遊歩道は、霧氷のトンネルになっているというのに。
しかし、雪の量は確かに多かった。50cmから深い所では1mくらいはあって、余り記憶にないほどの量だった。そのため、トレース(雪の上の踏み跡)をつけられた道以外には、踏み込む気にもならない。
牧ノ戸からのコースでは、メインルートの久住山(1787m)や中岳(1791m)へははっきりとしたトレースがあったが、他の山には、今まさに登っている人も見られたが、深い雪の中で苦労しているようだった。
西千里浜から上の稜線は、雪が風に吹き飛ばされて、むき出しの地面さえ出ていた。
それ以上に残念だったのは、風による雪模様の、シュカブラや風紋が少ししか見られなかったことである。冬の九重の写真撮りの楽しみの一つなのに、残念なばかりである。(’10.1.18、’09.1.17の項参照)
なぜなのか、気温は十分に低く、風もあったのに。
考えてみれば、昨日は午後から晴れて来ていたから、霧氷が全部落ちてしまったのか、いや、それなら下にばらばらになって落ちた氷片があるはずなのに、見られない。
何より、稜線などにシュカブラがないということは、気温が低すぎて、初めの雪片が木の枝や岩につかなかったこと。つまり適度な水分を持つ雪の方が、岩や木の枝につきやすいはずだからだ。
思えば確かに、いつもの九重の雪は重たいのに、今日の雪は、冬の北アルプスや北海道の雪のようにサラサラとしていて、歩いている間ずっとキュッキュッと音がして、アイゼンに雪がからまり雪ダンゴになることも少なかったのだ。
さらに残念だったことは、メインルートを歩いたために、常に前後に人々の声が聞こえていて、静かな山歩きを楽しめなかったことだ。
しかし、上空には、澄み渡った快晴の空が広がっていて、白い九重の山々が立ち並び、南の彼方には、祖母(1756m)・傾連峰と阿蘇山(1592m)がくっきりと見え、その間の向霧立山群(国見岳1739m)の後ろには、150キロ彼方の、霧島山群、新燃岳(1421m)の噴煙までもが見えていた。(写真は、天狗ヶ城下からの星生山1762mと硫黄山噴気孔)
牧ノ戸から西千里浜、久住分かれ、御池、中岳、天狗ヶ城(1780m)、とたどり、再び久住分かれに出て牧ノ戸に戻った。5時間半の、適度な雪山歩きだった。
心配した肩の痛みは、途中で少し痛くなることもあったが、痛み止めの薬も湿布薬も使うほどではなく、無事に戻ってくることができた。
帰りの道は、楽だった。長者原まではもう半分ほどが溶けていて、それから先は、朝あれほどの圧雪アイスバーンだったことが信じられないほどに、ただシャーベット状部分を残すだけの、水たまりの道になっていた。その日から一気に気温が上がり始めたのだ。
帰ってくると、ミャオが待っていて、すぐにサカナをやった。ベランダの手すりには、いつものヒヨドリがやってきて、リンゴの残りをついばんでいた。
私は、ベランダの椅子に腰を下して、まだ暖かい夕方前の光を浴びながら、雪の残る庭と上空の青空を見ていた。
ひとつひとつの時間が、ありがたく過ぎてゆく・・・。」