ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

飼い主よりミャオへ(126)

2010-10-28 19:06:54 | Weblog



10月28日

 拝啓 ミャオ様

 ついに、北海道も雪の季節を迎えた。
 去年よりも早く、旭川、札幌、函館と北海道の西半分で、昨日、初雪が降ったとのこと。札幌市内では、ちらつくだけではなく本格的に降って、7cmもの積雪というのは、初雪とは思えないほどである。
 もちろん、山間部では30cm以上の積雪となり、高い山々ではさらに雪が降り積もっているはずだ。1週間前に登ったあの美瑛岳の雪景色の上にも、さらに雪が吹きつけていることだろう。

 ところが、私の住む十勝から、釧路、根室にかけての道東では、風が強く寒いものの、見事な青空が広がっているのだ。
 それは、学校の社会科の時に習った、冬の裏日本、表日本の天気分布そのままであり、私が、北海道の中でも、十勝に住みたいと思った理由のひとつでもある。
 (私の性格がお天気屋なのは、そういうことなのだ。晴れてさえいれば、ごきげんだというのは。)
 そんな、西高東低の冬型の気圧配置になった時に、旭川や札幌などで雪が降っていても、あの大雪山や日高山脈が、その雪雲を受け止める障壁(しょうへき)になってくれて、その東に広がる平野部では、からっ風の晴れた日が続くのだ。
 
 さらに時々は、その雪雲が取れて、眼前に百数十キロもの長さに渡って、純白の日高山脈の峰々が連なっているのを見ることができる。
 夜明けの頃、ひとり裏山に向かい、マイナス20度の寒さの中で見る、赤く染まった日高の山なみ・・・、吹きつける風に向かい、ああ私の喜びはいかばかりだったことか。

 できることなら、私の一番好きなそんな厳冬の季節に、この十勝の私の家で暮らしていたい、そして、ミャオも一緒に傍にいて、赤々と燃えるストーヴで寝ていてくれたらいいのに・・・。
 
 しかしミャオは、九州育ちの年寄りネコだ。夏の間は、飼い主の私がめんどうも見ずに放っておいたから、その罪滅ぼしに、せめて寒い冬の間は、傍にいてやらなければならない。
 ミャオ、オマエと一緒に過ごすために九州に戻るのは、イヤイヤすることではないし、オマエを重荷に感じているわけでもないのだよ。ミャオは私の大切な家族だし、一緒に暮らす話し相手いるということは、ありがたいことだと思っている。
 しばらくしたら帰るから、それまで元気にしていておくれ。

 だから私は今、冬の先取りをして、雪の山に登り、秋から冬への北海道を楽しんでいるというわけなのだ。
 前回の美瑛岳登山のように、この初冬の時期にも、今まで何度も北海道の山に登ってきた。もちろん、真冬にもこちらにいて、厳冬期の山々にも登ったことはあるのだが、それができない今、この10月から11月にかけての登山は意味のあることなのだ。
 とはいっても、前回、北海道の紅葉時期の登山について書いたように、長年にわたって同じような山にばかり登っていると、いつしかゼイタクになり、他の山々にも行ってみたくなる。
 
 その私の思いは、数年ほど前から強くなってきた。例えば、日本の中央高地と呼ばれる長野県には、日本の山々の中でも、最もアルペン的な鋭い岩稜の峰々が連なる、北アルプスや南アルプス、中央アルプス、八ヶ岳などの魅力溢れる山々がある。
 私は、若い頃から今に至るまで、何度となくそれらの山々に登っていて、新たな頂に立ちたいと思う所は、もう一つか二つ残るくらいなのだが、しかし昔登った思い出も遠くなり、前回書いたように、フィルムからデジタルへの写真の取り直し、さらには季節を変えての山への思いから、今では年に二三回は、それらの山々に、北海道から遠征するようになったのだ。
 
 そして特に、今の時期の新雪にいろどられた山々を、ぜひとも見たくて、毎年一つずつ実行してきたのだ。
 中央アルプス駒ケ岳、八ヶ岳(硫黄岳から赤岳)、立山連峰(’10.8.12の項参照)、常念山脈(’08,11.01~05の項)、八方尾根からの唐松岳(’09.11.01~05の項)と、そのいずれもが、新雪の山と青空という、私の思い描いた情景に見事に当てはまってくれたのだ。
 そして、今年も私は計画を立てていた。しかし、予定した日が近づいてきても、週間天気予報は思わしくなかった。とはいっても、しっかりと準備をして、出発当日まで、変わるかもしれない天気予報を待ってみた。
 
 そして発表された予報、長野県のこの一週間は、傘(かさ)のマークが5日の曇りマークが2日という有様だった。冬型の気圧配置から見ても、その後大きく変わることもなさそうだし、もう断念する他はなかった。
 私は、始めから天気の悪いとわかっている山には、登らないことにしている。この北海道でも、クルマで2,3時間かけて登山口まで行って、多少晴れ間が見えていても、雲がかかっているだけであきらめて、戻ってきてしまうほどだ。
 登りはじめて、途中からの天気の変化は、仕方がないけれども、あの2年前の、白馬乗鞍岳から唐松岳への縦走の旅(’08.7.29~8.02の項)は、山登りとしては数少ない失敗の思い出である。

 つまり、私はトレーニングや健康のため、あるいは誰かと話すために山に行くのではなく、ただ山の美しい姿を見たいから行くのであり、いくら咲き誇る花々や紅葉がきれいだったとしても、雨や白い霧の中を歩いただけの山登りをするくらいなら、最初から出かけないことにしている。
 近くに山があれば、天気を見て当日にでも決められる。しかし、遠くから飛行機に乗って行く場合は、そういうわけにもいかない。2か月前に買った、変更のきかない安い切符だからだ。

 今回、私はあきらめて、半額しか戻らないキャンセルをした。今まで何度も安い切符で往復したのだから、一回ぐらいは、そういうことがあってもと自分に言い聞かせて。
 まして前回の遠征では、あんなに見事に晴れた日の、穂高連峰と紅葉の涸沢を見ることができたのたのだから、そう何度も良いことばかりは続かないのだ。
 これはきっと、行くなという虫の知らせに違いない。そして、そのおかげで、私は今、日々色づいていく自宅林内の紅葉を楽しむことができたし、こうしてストーヴの傍で静かに本を読むことができ、音楽を聴くことができたのだから。

 それは、山にいれ込む私の気持ちを、静かになだめてくれるありがたい神の一声だったのかも知れない・・・と、私は、自分が納得できるような結論を出した。
 つまり、前回書いたような生物学的に言えば、人は、自分の体の中の遺伝子が、不平不満によるストレスで傷つかぬように、きわめて自己弁護的な言い訳を考えて、偶発的出来事の悪影響から逃れようとするのだ。
 それはまさしく、自分の遺伝子を守るための利己的な行為に他ならない。
 とは言っても、もう私は年だし、自分の遺伝子なんぞどーでもいいことなのだが、あー、コリャコリャと。

 と、その時、揺り椅子に腰をおろして、馬鹿ヅラ下げてアホな考えにうつつを抜かしていた私の頭の上で、何かパタパタと音がした。ハエなどの小さな虫ではないしと、一瞬、身構えした私の前で、蝶が一匹、ガラス戸とカーテンの間で、羽を動かしていた。
 それにしても、どこから入ってきたのだろう。
 自分で建てた家だから、軒先、天井などには小さな隙間(すきま)ができていて、そこから、越冬バエが入ってきて、今の時期には、それを掃除機で吸い取って駆除するのに一苦労なのだが、蝶が入ってくるとは・・・。
 窓は締め切ってあるから、考えられるのは、短い廊下の先にある玄関のドアを、私が開けた時だ。蝶は、家の中の温かい空気に誘われて、飛んできたに違いない。
 
 羽を広げて休んでいるその蝶は、北海道では普通に見られるクジャクチョウである(写真)。
 私が、春先になって九州からまたこの家に戻ってきて、薪(まき)小屋や風呂小屋などを開けると、そこにいつもあの寒い冬を越したらしい、クジャクチョウやクロヒカゲなどを見ることがある。
 最も、それらのうちの幾つかは、そのままの姿でもう動くこともないのだが、それにしても、-20度までも下がる冬の寒さに良く耐えられるものだと思う。生き物たちの自ら住み分けていく本能や、環境に順応する能力には、いつも驚かされるのだ。

 しかし、いくら越冬するにしてもまだ早すぎる。私は、そのクジャクチョウをつまんで、外に出してやった。彼は、そのまま、あわてているふうでもなく、ハラハラと飛んで行った。
 
 そういえば、子供の頃、他の友達と伴に、大きな家に住む同級生の女の子の家に遊びに行ったことがあった。私は、すらりと背の高い上品な感じのその子に、淡い想いを抱いていた。
 広い客間の、応接台の上に置いてある花瓶に、たくさんの花が活(い)けられていた。その中の、大きな白いユリの花の香りが、私のまだ幼い胸にも強く匂ってきた。そこに、どこから入ってきたのか、一匹のモンシロチョウが、部屋の中をユラユラと飛んで行った。
 彼女の白い顔と、ゆりの花の香り、揺れ動くモンシロチョウ・・・。それは、今でも思い出すことのできる、子供の頃の、一枚の写真のような光景だった。

 フランスの作家、ルナール(1864~1910)は、『にんじん』や『葡萄(ぶどう)畑の葡萄作り』などの作品で有名であるが、短文の連作では特に評判が高く、なかでも『博物誌』には、彼の生き物たちに注ぐ温かい眼差しとエスプリが溢れていて、私は、折にふれて、どこかのページを開きたくなるのだ。
 その中で、『蝶』と題された短い一文。

 「二つ折りの恋文が、花の番地を探している。」

 さらに、もう一つあげてみる。『蟻(あり)』という題だ。

 「一匹一匹が、3という数字に似ている。
  それも、いること、いること。
  どれくらいかというと、333333333333・・・ああ、きりがない。」

  (『博物誌』ルナール 岸田国士訳 新潮文庫)

 ルナールは、あの有名な昆虫学者のファーブル(1823~1915)や詩人作家のジャム(1868~1938)と伴に、その本を読めばいつも会うことのできる、私の大切なフランスの田園詩人たちなのだ。

 今日は、ストーヴの燃える部屋の中にいて、ゆっくりと過ごした。朝はー2度まで下がり、辺りは霜で白くなり、日中も曇り空のまま、7度までしか上がらない、肌寒い一日だった。
 風もなく、窓から見える林の紅葉も、その色合いのままで動かない。少し離れて、渡りの途中らしいヒヨドリたちの声が聞こえている。
 明日は、晴れの予報だ。しかし、峠は凍りついているだろうし、山の天気もすぐに回復するわけではなさそうだ。
 とりあえず、薪(まき)割りに精を出すことにしよう。

                      飼い主より 敬具