ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

飼い主よりミャオへ(121)

2010-10-06 20:54:46 | Weblog



10月6日

 拝啓 ミャオ様

 一日中降り続いた雨の後、昨日今日と晴れの天気が続いて、さすがに朝は8度位まで冷え込むが、日中は20度までも上がり、日向を歩くと汗ばむくらいの暖かさになる。
 今の時期の雨の後には、カラマツの林の中に入っていって、探しものがある。キノコのラクヨウタケ(ハナイグチ)である。特に出始めのナメコのように、ぬるぬるとした小さなものは、見た目もきれいだし、秋の山野で取れる楽しみな収穫物の一つだ。
 簡単に、大根おろしにしょうゆをかけて、あるいはカツオブシをあえた三杯酢に、一晩漬けておいて食べるかだが、どちらにしても、温かいごはんにのせて食べる時にはいつも、こんな山の中で貧乏暮らしをしているがゆえの喜びを感じる。

 私は、キャビアもトリュフも北京ダックの味も知らない。一流シェフの作る料理を食べたこともないし、もし余分なお金があったとしても、そんな三ツ星レストランに行きたいとも思わない。
 評判のラーメン屋の前に並んでまで、そのラーメンを食べたいとも思はないし、近頃はやりの、B級グルメの店を訪ねる気などさらさらない。
 つまり、ぐうたらな私は、わざわざそんな店に情報通(つう)のように出かけて行くのがいやなだけだ。
 家で何もおかずがない時には、まず庭の畑からミニトマトやキャベツをとってきて、あとは温かいご飯に、カツオブシか卵をかけて食べれば、それで十分だ。

 そんな、他人から見れば情けないほどの食事、食べればいいだけの私の食生活は、思えば学生時代に一人暮らしをはじめてから、次第に身についたものであり、さらに前にも書いたことのある、若き日の長期間のヨーロッパ旅行の時に、さらに、その思いを強くしたことでもある。
 あの時、短い間だったが一緒にいたアイルランド娘は、買ってきたパンで三食をすませていたし、イギリスで訪ねた、その前の旅で知り合った彼は、何とお城に住んでいて、招かれた夕食は彼等の普通の食事である、フィッシュ・アンド・チップス(魚のフライとフライド・ポテト)だけだった。

 それだから、私は、不便な山の上での食事に、さしたる不満はないのだ。ひとりで食料を持参して簡単な食事を作るしかない、テント(日高の山、’09.5.17~5.21の項)や山小屋泊り(今年の飯豊山、7.30~8.04の項)の山旅にしろ、今回の北アルプスは穂高連峰をめぐる山旅での、2食付の山小屋泊まりにしろ、ただ腹いっぱいに食べられればそれで良いのだ。

 とはいっても、最近の食事つきの山小屋の献立は、昔に比べれば、品数も増え、味も良くなってきた。
 もっともそれだけではなくて、もともとずうたいも態度もデカイ私は、山小屋では払ったお金の元は取り返そうと、大喰(おおぐ)らいの山男に変身して、いつも、ご飯に味噌汁それぞれを、三杯ずつはお代わりするという浅ましさ。
 ああ、今は亡き母が、わが息子のそのおぞましき姿を見たならば、きっと言うだろう。
 「この子だけには、決して食べ物に不自由はさせまいと、わが身を粉(こ)にして働いては、十分に食べさせてきたはず。それが何のたたりか、ごの餓鬼道(がきどう)ぶりの情けなさ、ああ親の因果(いんが)が子に報い、あな、恐ろしや・・・。」と嘆くことだろう。


 さて、前回からの、山登りの話だが、涸沢の小屋に泊った翌日は、やはり予報通りに天気は良くなかった、午前中は時折小雨が降るくらいだったが、午後からは本格的に雨になった。
 それでも殆どの登山者たちは、朝早くからそれぞれに出かけて行った。雨の中、頂上を目指す人も、上高地へと降りて行く人もと。
 写真撮りのために連泊した人たちもいて、雨の中の紅葉を写すために、この涸沢周辺を歩き回っていた。
 しかし、私は一日中、小屋にいた。従業員たちによる朝の掃除が終わった後、誰もいないその穴倉のような薄暗い部屋に戻り、一畳ほどの自分のスペースに布団を敷いて、そこで持ってきていた文庫本を読んだ。

 泉鏡花(いずみきょうか)の『春昼(しゅんちゅう)・春昼後刻』(岩波文庫)である。それは、こんな部屋の片隅で読むにふさわしかった。
 山に来る前に、雨で東京にいた時、いつも立ち寄る八重洲のブック・センターで、いろいろと立ち読みなどをして長い時間を過ごし、その時に買ったものである。
 
 鏡花は、私の好きな作家の一人である。若い頃、当時は、まだ旧かなづかいの原文のままで出版されていて、読みにくかったのだが、それでも時間をかけて、その短編作品の多くを読んだ憶えがある。
 泉鏡花(1873~1939年、明治6年~昭和14年)は、主に明治から大正時代にかけて、『外科室』『夜行巡査』『高野聖(こうやひじり)』『婦(おんな)系図』『歌行燈(うたあんどん)』などの、幻想文学的な優れた中篇や短編の小説を数多く発表した。

 なかでもこの一編ということになれば、やはりあの有名な『高野聖』であろう。山奥の一軒家に住むうら若き美女と、そこに宿を求めた修行僧との話は、怪奇的な幻想の世界へと私たちを引きずり込んでいく。
 あのラフカディオ・ハーン(小泉八雲)による日本の怪談話と同じような、否、それ以上に、上田秋成などの江戸怪奇文学の流れをも、色濃く感じ取ることができる。

 鏡花の小説には、封建制度の江戸時代から、一気に近代国家への道を歩み始めた明治時代の日本の、しかし、いまだに古い江戸時代の文化様式からは抜け出すことのできない、当時の日本人の心のありようが、見事に映し出されている。
 それらを決して、懐古(かいこ)調だ古臭い世界だと切り捨ててはならない。次なる、近代文学、現代文学へと移行していくための大事な過渡期にもなる、独自の世界を持った作品群だからである。

 鏡花の師でもあった尾崎紅葉(こうよう、1868~1903)の描く、『三人妻』『伽羅枕(きゃらまくら)』などの耐える女たちの姿も見事であるが(わずか35歳で夭折したのが惜しまれる)、その紅葉と伴に紅露時代と呼ばれた擬古典(ぎこてん)派のもうひとりの巨匠、幸田露伴(ろはん、1867~1947)の描く、『風流佛』『五重塔』などの雄渾(ゆうこん)な男の世界もまた素晴らしい。
 彼らは、前の時代の江戸文学の世界に、例えば、近松(ちかまつ)門左衛門や井原西鶴(さいかく)の描く、義理人情の狭間にあえぐ人々の物語に、彼らの時代に生きる人々の姿を投影させたのである。

 一方で、同時代には、森鴎外(おうがい、1862~1922)がいて、彼はそうであっただろう一昔前の世界を、口語体による話として分かりやすくまとめ上げ(『高瀬舟』『山椒大夫』など)、さらに歴史伝記小説としての分野に、並ぶ者なき成果を打ち立てた(『阿部一族』『渋江抽斎(しぶえちゅうさい)』など)。
 さらに、まだ封建色が強く残るその時代の中でも、女として強く生き抜こうとした樋口一葉(いちよう、1872~1896)が、書き残した名作短編や日記の数々(『にごりえ』『たけくらべ』など)は、彼女がわずか24歳で亡くなったことを思うと、余りにも惜しまれる才能の喪失であった。
 そして、現代文学の最大のテーマともなった自我の相克を、すでにその時代から取り上げて苦闘してきた、夏目漱石(そうせき、1867~1916)の偉大さを、今にして思い知らされるのだ(『こころ』『道草』『明暗』など)。

 まだまだ他にも、名前をあげたい明治時代の作家は何人もいるのだが、それにしても、なんという日本文学の新しい息吹の時代だったことだろう、明治という時代は。そこは、すべての日本文学の、以前以後の集約点になったのだ。

 さて思えば、私の好きな時代の文学の話だけに、すっかり横道にそれてしまった。
 ところで午後になって、新たな登山者たちが次々に雨の中、到着するころまでには、私は、その鏡花の文庫本を読み終えていた。
 それは、成り上がりの分限者(ぶげんしゃ)の妻になった美女と、ひとりの書生との夢幻の恋物語であり、いかにも鏡花らしい一編だったことに満足した。

 この短編は、確か昔にも読んだような気がするのだが、ただ思い出すのは、彼の小説に挿絵(さしえ)を書いていた小村雪岱(こむらせったい、1887~1940)が描いていた、丸髷(まげ)を結ったきゃしゃな着物姿の女を描いた、淡く凛(りん)とした一枚の絵である。
 それは、美人画で有名な、同時代の上村松園(うえむらしょうえん、1875~1949)や、一時期挿絵も描いたという鏑木清方(かぶらききよかた、1878~1972)などの、余りにも鮮やか過ぎる美人像とは違って、静寂の中に秘めたる思いを抱いた、しかしか細く消え行きそうな物腰の美人画だった。


 夕方にかけて、小屋の中はにぎやかになってきた。私は、同じ部屋の人たちとしばらく話しをして、夕食はいつものとおりに、ガッツリと食べて、早めに布団の中に入った。
 それでも、なかなか眠れない。そして何度かに分けて眠った後、人々の声で目が覚めた。東の空がほんの少し明るくなってきていて、その上に星がまたたいていた。

 早めに朝食を終え、ザックをかついで外に出た。同じように写真を撮る人たちが、それぞれの場所で立ち尽くし、待ち構えていた。
 この半円形の涸沢カールを取り囲む峰々、前穂、奥穂、涸沢、北穂のそれぞれに日が当たり始めた。後ろに雲がなくて、朝焼けにはならなかったが、それでも岩壁と草紅葉の斜面をうす赤く染めていった。(写真)
 私は、写真を何枚か撮った後、ザイテングラートのコースの道を登り始めた。
 上空には、真っ青な空が広がっていた。よし、いいぞ。

 この山の話は、次回へと続く。


                      飼い主より 敬具