ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

飼い主よりミャオへ(124)

2010-10-16 18:04:57 | Weblog



10月16日

 拝啓 ミャオ様

 この五日ほどは、天気が思わしくなく、昨日などは、一日中冷たい雨模様の空が続き、朝の気温の8度から余り上がらず、最高でも10度という有様だった。
 それでも、あの夏からの暖かい日を引きずっていて、まだ霜は降りていないし、山も9月半ばの初冠雪以降、まとまった雪は降らず、寒さへの歩みは、平年と比べれば遅いようにも思える。
 とは言っても、家の林の中を歩けば、樹々が色づいてきていて、曇り空ながらも、ずいぶんと明るく感じるようになった。
 イタヤカエデやホザキカエデ、そしてエゾヤマザクラやタラノキなどの黄色い葉が、幾つか地面に散り落ちている。

 ミャオはどうしているだろうか。まだ九州地方の気温は、高めに推移しているようだから、寒さの心配はないのだろうが、誰もいない家のベランダで、ただ一日中、寝ているだろうオマエのことを思うと、さすがの私も気がとがめてしまうのだ。自分だけ、山登りに行ったりして、いい思いをしているのにと。

 しかし、オマエは、山育ちの半ノラネコで、クルマに乗ることさえ嫌がるから、とてもこの北海道に連れて来ることなどできはしないのだ。
 殆んどの飼い猫は、クルマに乗せられたり、中には、後で書く、マルタ島の猫などのように、船に乗せられても平気なものもいるし、どこかへ連れて行かれることをそう怖がらないのだ。
 それどころか何と、自分が先に立って、山に登る猫さえいるのだ。
 今まで度々、ニュースネタになった名物駅長猫や、店の看板娘ならぬ看板猫の話は聞くけれど、60もの山に、飼い主と登った猫がいるなんて・・・。

 話は、あの紅葉の盛りには少し早すぎた、穂高連峰への山歩きの旅に出かける前のことだ。
 雨のために、仕方なく東京にいた時に、八重洲のブックセンターで長い時間を過ごした。それは時間つぶしとかというのではなく、日ごろから地方にいて、なかなか新しい本を手にとって見る機会がないものだから、ここぞとばかりに、見て歩く楽しい時間でもあったのだ。

 まず8階まで上がって、芸術関係から見て回り、順に下へと降りていく。途中、山で読むための文庫本(10月6日の項)を一冊買い、そして、地階の山関係の本が置いてあるコーナーで、あれこれ本を引っ張り出して見ていた所、何と、”山登りねこ”という表紙が目についた。
 私は、山登りをするし、家にはネコがいて、一緒に散歩もする。なのに、山登りをするネコだと・・・。表紙には、安曇野(あずみの)からの北アルプスの山々を背景にして、一匹の三毛猫らしい賢そうなネコが写っている。

 『山登りねこ、ミケ 60の山頂に立ったオスの三毛猫』(岡田裕著 日本機関紙出版センター)という、写真エッセイ集である。
 登った山の殆んどは地元の里山であるが、なかには2200mもの山にも登っているのだ。今年で15歳。ゲッ、ミャオと同じ歳だ。
 飼い主のご夫婦は、大阪の出身で、山好きがこうじて安曇野に引っ越されたとか。
 さらに、ミケが山登りするようになったことについて、飼い主は言っている。「ミケは野生的な性格だから、山登りをするようになったのかもしれない。」

 まず気に入ったのは、その名前である。三毛猫だから、ミケ。私の家のミャオも、ミャオミャオ鳴いてばかりいたから、ミャオなのだ。ネコの名前は、タマとか、クロとかシロで十分だ。本人たちにとっては、何と呼ばれようが同じことなのだから。
 そのミケを、一緒に散歩に連れ出し、野山を歩くようにしたのも、飼い主の山好きゆえとはいえ、家族のひとりだからという思いからでもあったのだろう。
 そして何より、山が好きで、北アルプスの麓(ふもと)の安曇野に、引っ越してきたというのが嬉しい。この飼い主に、このネコありということだ。

 だからといって、別に私は、ミャオがどうだとか言うつもりはない。ネコにはネコそれぞれの性格があり、育ってきた環境があり、飼い主の良し悪しもある。
 つまり、こうした立派なネコを見て、あーあ自分の家のネコは、などと言ってはならないのだ。それは逆に、飼い主の人となりを、その甲斐性(かいしょう)なし振りを、さらけ出すことにもなりかねないからだ。ごめんね、ミャオ。

 それにしても、この本を買いたかったが、これから山に行く身だから、余分な荷物は持たないようにしなければならない。ミャオのことを思い出しつつ、後ろ髪を引かれる思いで、ブックセンターを後にしたのだ。
 その後、帰りに東京で降りる時間はなくて、こちらに戻ってきてからも、まだ本屋では見かけてはいないのだが。
 この記事を書くにあたって、ネット上で調べてみたのだが、この本はすでに今年の春に発売されていて、評判になっていたとのことであり、私は、うかつにもその時まで知らなかったのだ。

 
 ところで、ネコの話のついでにもう一つ。
 もう6,7年前の番組だが、前にも何度も再放送されたこともあり、最近また、NHK・Hiで放送された『マルタの猫』についてである。
 前にも一度途中から見たことがあるのだが、再放送されていて、それを始めから録画して見たのだ。

 良かった。優れたドキュメンタリー番組だった。『マルタの猫』がそのタイトルだが、主題は猫というよりは、その猫たちにかかわる人間たちの、静かなドラマだったからだ。
 イタリアのシシリア島のさらに南、アフリカ大陸のチュニジア、リビアの北にある、島国マルタは、地中海の要衝(ようしょう)として長らく、イギリスの支配下にあったが、1964年に独立し、日本の淡路島の半分ほどの面積の島に、38万ほどの人々が住み、猫は、その人間の数の2倍近くいるといわれている。
 
 猫の天国といわれるほどに、マルタに猫が多いのはなぜか。
 それは、地中海の交易が盛んな頃、貿易船の食料などの積荷が、ネズミに食い荒らされないように、それぞれの船には猫がいて、重要な中継点であったマルタで、下ろされたり逃げ出したりして増えてきたものだといわれている。
 
 そんな猫の多いマルタには、ちゃんと「マルタ猫協会」なるものもあり、専属のスタッフがいて、猫に関する諸問題に対応しているのだ。
 そんなスタッフの話に、猫を飼う一般家庭の話、そして野良猫にエサをやる人たちの話などが、それぞれに、決して劇的な話にはならず、淡々と映し出されていくのだ。ナレーターや撮影スタッフの質問も、控えめになされていて、余分な説明などなくて、私たちは、ただ猫とそれにかかわる人たちの姿を、見守るだけである。
 それで良い。現実の毎日とは、そういったものだからだ。

 (最近、奈良・飛鳥時代の特集番組が3回にも分けて放送されたが、案内人・ナレーターの若手俳優の出演が、その時代の雰囲気を壊してしまっていた。番組として、それぞれの分野の専門家の人たちの話が興味深かっただけに、残念だったが、私は、録画したすべてを消してしまった。わかりやすくという意図が度を越すと、低俗な今風の娯楽番組にしかならないのだ。)

 さて番組のラスト近く、その港町が一面の夕焼け空の下のシルエットになる頃、教会の鐘が鳴り響く中、エサをやる人の影があり、猫たちの影があった。
 2002年6月から12月のクリスマスまでの記録だが、そこに番組としての、なんらかの結論を映し出す必要などないのだ。恐らくは今もなお、同じように猫を飼い、あるいは野良猫たちにエサをあげている人たちがいるのだろうから。
 

 午後になって、ようやく少しずつ日が差してきて、私は、外に出た。
 林の中の、ハウチワカエデの葉が、部分的に赤く色づきはじめている(写真)。もう10日もすれば、真っ赤に染まり、家の林の紅葉も、盛りの時を迎えることだろう。
 そして、ミャオのもとに帰る日も近づいてくるのだ。
 ミャオ、元気でいておくれ。

                      飼い主より 敬具