ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

飼い主よりミャオへ(123)

2010-10-11 18:56:13 | Weblog



10月11日

 拝啓 ミャオ様

 昨日は、一日中、雨が降り続き、気温も14度位までしか上がらなかった。ただ家の中は、まだ20度近くもあって、薪(まき)ストーヴに火をつけるほどではなかった。
 しかし、窓の外から見える家の周りの樹々の葉は、日一日と、ほんの少しずつだが、黄色や赤い色に変わってきている。
 秋の初めまでは、あれほどの暑さにあえいでいたのに、季節は暦(こよみ)どおりに、進んでいるのだ。

 そんな、秋の盛りの山の風景を、先取りして見たいと思い、私は、北アルプスの、涸沢(からさわ)周辺をめぐる山旅に出かけたのだ。
 前回からの話の続きは、もうこれで4回目になってしまった。

 さて、涸沢に入ってからの3日目の朝を、私は北穂高小屋で迎えた。前回書いたように、それは、朝焼けの山々が鮮やかに見えるほどの、申し分のない見事な快晴の朝だったのだが、しかし、もう下界に戻らなければならない日でもあった。
 北穂高岳北峰で、日の出前後の光景を心ゆくまで写真にとって、私は頂上を後にした。

 この北穂から涸沢に降りる道は、昨日の縦走路と比べれば、比較的楽なコースだが、悲しいことに一ヶ月ほど前に、あるヴェテラン山岳写真家が、この道から転落死している。山にいる間は、危険は常に隣り合わせにあるということだ。
 次々に、下の涸沢から登ってくる人たちと挨拶(あいさつ)を交わし、紅葉が始まったばかりの周囲の写真を撮りながら、南稜のジグザグ道を降りて行く。
 涸沢に着くと、三日前と比べれば、明らかに樹々の色づきが進んでいた。まだ全体のほんの一部だけれども、真っ赤に色づいたナナカマドもあり、黄色くなったダケカンバもある。
 紅葉風景とは、いっせいにすべての樹が色づくわけではなく、それぞれに微妙に時期がずれて、全体的なベストの時はあるにせよ、長い間、その紅葉を楽しめることにもなるのだ。

 私は、それらの赤くなったナナカマドを入れて、奥穂高岳と涸沢岳を背景に(写真上)、そして北穂高岳を背景に(写真下)、何枚もの絵葉書的な写真を撮った。
 本来、私が目指していた紅葉の盛りの涸沢の風景と比べれば、明らかに早すぎたのだが、今、目の前にある、青空と山と樹々の彩(いろどり)の光景には、十分に満足していた。これはこれで良かったのだ。

 (昨日、今日時点で見る涸沢からのブログ写真は、まさにあの涸沢全体が、すべて赤や黄色に彩られていて、近年まれに見る美しさだそうであり、その場にいたらまさしく息を呑むだろう風景だった。
 しかし、写真に写っているテント場はいっぱいになっているし、この連休の間は、二つの小屋も恐らくはすし詰め状態だったはずだ。
 すべてにおいて、混んだ所が嫌いな私には、このくらいの所でちょうど良かったのかもしれない。)

 涸沢から横尾へと下る途中で、私は登ってくる何人もの人々と、またも挨拶を交わさなければならなかった。この土曜日の混雑から、逃れるために、私は山を降りて行くのだ。
 今日が平日ならば、この天気の良い日に、さらに涸沢のあちこちを歩き回り過ごせたのにとも思うが、まあ文句は言うまい、今まで天気に恵まれて、涸沢・穂高連峰の山歩きを楽しむことができたのだから。
 
 横尾からさらに3時間ほどもかかる、上高地への長い単調な道も、退屈することはなかった。
 いつもと変わらぬ、梓川の流れを傍に見て、ある時は日陰になった長い林の中の道を行き、ある時は開けた所から、前穂高岳から明神岳へと続く峰々を振り仰ぎ見ながら・・・。
 しかし、三日間にわたる8時間前後もの歩行で、さすがに私も疲れていて、足の歩みが遅くなってきた。
 そして、やっとの思いで、上高地にたどり着き、人々で混雑する河童橋(かっぱばし)から、まだ晴れている空の下に、淡い絵のような穂高連峰の姿を見た。昨日はあの頂にいたのだ。
 そこで、私の今回の山旅は、終わりだった。


 初めて見た涸沢の紅葉であり、まだそのはしりの時期だったから、余り正確な評価とはいえないだろうが、私なりに納得する所があった。
 その特徴は、紅葉そのものだけではなく、背景となる山々、氷河が削り作り上げたアルペン的な岩稜にもあるのではないのかと。
 写真からもうかがい知れるように、青空と、白い岩稜、そして紅葉の赤のそれぞれが目立っている。
 このトリコロール(フランスの三色旗)の、鮮やかな色の対比こそが、紅葉をより強く印象づけているのだ。(トリコローレになれば、青の代わりに緑を入れてのイタリアの三色旗になる。)
 
 紅葉の規模から言えば、北海道の大雪山系の山々やニセコ山群、あるいは東北の山々などの方が、勝(まさ)っているのかもしれない。しかし、それらの山々には、背景となる、アルペン的な景観に乏しいのだ。
 北海道には、唯一、氷河地形を残す日高山脈の山々があるのだが、惜しいかな、稜線まで続くハイマツの緑が多すぎる。むしろ火山地形ではあるが、紅葉の時期に、山頂から稜線にかけて雪が降った時の、大雪山は素晴らしい。

 ともかく、何年にもわたり、今もなお涸沢の紅葉を見に通い詰めているという人が、何十人、何百人といるはずだから、初めて見たばかりの私が、あれこれと評価する資格はないのだろうが、涸沢が日本有数の、山の紅葉の名所であることは確かである。

 
 さて、話は変わるけれども、私はこの旅で、もうひとつの彩り(いろどり)を見てきた。
 雨のために、東京で一日を過ごした時に、美術館に行ってきたのである。それは、世田谷美術館で開催されていた、『ザ・コレクション・ヴィンタートゥール』である。
 このヴィンタートゥールという、スイスの町の名前には、聞き憶えがあった。確か、あのヴァイオリンのヘンリク・シェリングが演奏する、『バッハ・ヴァイオリン協奏曲』でのオーケストラが、確かこのヴィンタートゥールだったはずだ。(シェリングは後年、マリナー指揮で再度録音しているが、私は、古いこちらの演奏の方が好きだった。)
 
 それはともかく、平日の雨の朝の美術館は空いていて、そのヴィンタートゥールの引越し展覧会を、一作品ごとにゆっくりと見て回ることができた。
 嬉しかったのは、思いのほかに、数多くの名だたる画家たちの作品が多かったことだ。ドラクロアに始まり、ブーダン、モネ、ピサロ、シスレー、ドガ、ルノアールと印象派の画家たちの作品が並び、さらにゴーギャン、ゴッホ、ルドン、ボナール、ユトリロ、ルソー、マグリットから、抽象画のカディンスキー、クレー、ブラック、ピカソと、さながら絵画史を見る趣(おもむき)があった。

 後になって、先生に連れられた小学生たちが入ってきて、ざわついてしまったが、美術の生きた教材なのだから仕方あるまい。
 テーマを絞った作品展ではなく、まして有名絵画が売りでもない、地方の豊かな収蔵物を誇る美術展という感じだった。本来絵を見に行くのは、こうした美術館から始まるのだ。
 そして、こうした小品の中にこそ、画家たちの次のステップへと踏み出す兆(きざ)しが見えていたりして、確かにそれぞれの画家の特徴が現れていた。

 ルノワールは、あのドガの小さなバレリーナ像を思わせるような彫像1点の他に4点の絵画があり、ルドンの3点、ボナールの6点と伴に、印象に残っている。
 さらに、ゴッホの有名な『郵便配達夫』の絵もあったのだが、実は『ゴッホ展』が、この10月から、国立新美術館で開催されていて、しかし旅行中の私には、その初めの土日しかなく、あの恐ろしい人出を思うと、とても出かけて行く気にはならなかった。

 ともかくこの、絵画展で私が見たのは、画家たちのそれぞれの思いをこめた色の配色、錯綜(さくそう)する彩(いろど)りの妙であった。
 それは、涸沢で見た、トリコロールの鮮やかな自然界の光景とは違う、人々の思いが息づく、生々しい人生のキャンバスの色合いだったのだ。


 今日は、昨日の人生模様を思わせるような暗い空から、一転して、単純な一色の青空になり、気温も20度を越えるほどに上がってきた。
 一週間前に私が滞在した、あの涸沢も好天に恵まれ、大勢の人が、今を盛りの紅葉風景に酔っていることだろう。
 私は、この連休の間、家で過ごした。そして、次に行く、山のことを思っていた。青空に、小さな雲がひとつ流れて行った。

                       飼い主より 敬具