ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

飼い主よりミャオへ(125)

2010-10-23 18:46:52 | Weblog



10月23日
 
 拝啓 ミャオ様

 夏からの暑さをいくらか残しているような、この秋の季節だったが、それでも、日ごとに冷え込みが増してくる。
 4日前には、ついに朝の気温が-2度まで下がり、強い霜が降り、薄い氷が張った。平年よりは10日くらい遅いとのことだが、庭先には、雪虫(ゆきむし)も飛んでいて、初雪の降る日もそう遠くはないのだろう。

 家の薪(まき)ストーヴにも、火をつけた。赤々と燃え盛る炎の音が、静かに聞こえている。
 やわらかく暖まっていく部屋の中で、揺り椅子に体を預けて、バッハのヴァイオリン曲を聴く。
 
  「秋風の ヴィオロンの ふし長きすすり泣き
  もの憂(う)き哀しみに わがこころ 傷(いた)みくる」
  (ヴェルレーヌ 「秋の歌」 堀口大学訳)

 過去の思い出がゆっくりと現れては、消え去り、ただ、今こうしていることだけが、心地よい。今を生きること、それで良いのだ。
 この三日の間、天気の日が続き、私は山登りに行ってきた。
  
 いつも9月から10月半ばにかけて、毎年数回は、紅葉の山の風景を求めて、北海道内各地の山々に登りに出かけていたのだが、今年は何と、あの9月16日の黒岳から北鎮岳への高原歩き(9月18日の項)一度だけになってしまった。
 それは、天気が思わしくなかったこと、内地遠征の山旅(10月4日~11日の項)に出かけたことなどもあるけれども、もう何年もの間、同じ山に登り続けてきて、紅葉の風景を堪能(たんのう)し、是非ともという気概(きがい)がなくなってきたからかもしれない。人は、慣れればゼイタクになるものだ。
 かといって、山そのものの興味が薄れたわけではない。むしろ年を経るにつれて、今だからこそ登っておかなければという思いが、強くなっていくのだ。

 私もやがては、老いの一徹(いってつ)、などと言われるようになり、さらには年寄りの浅ましさ、ごうつくばりと呼ばれるようになるのだろうが、しかし、今を生きるという思いにおいては、老いも若きも関係なく、地上に生きるすべてのものの、本能としての強い意志なのかもしれない。
 前にもあげたことのある、『利己としての死』(日高敏隆著)の中では、動物の死は、自らの遺伝子を残すために次なる若い世代に道を譲り、老いて死ぬことであり、それを利己的な行為として捕らえているのだが、立場の違う私は、行動の根幹そのものが利己的なものであって、単純な嗜好(しこう)と本能によるものであり、死はその行動の果てだと考えたいのだ。
 まあ平たく言えば、私は、山で死んでも仕方ないと思っているのだが、その前に、ぐうたらな生活とメタボ体型でくたばるかも知れず、まあ物事はそう簡単なことではない・・・。

 さて、この三日間、快晴の天気が続いた。その最初の日、私は、ウェブ上のライブカメラで、ようやく雪で白くなった山を確認して、午後になって家を出た。その日は、なじみの民宿に泊り、翌朝、大雪山か十勝岳連峰の山に登るつもりだった。
 昔は、まだ暗い3時過ぎに家を出て、日の出の頃に登山口に着き、8,9時間の山登りの後、夜の9時頃に帰り着くという、往復500キロ近くをクルマで走っての日帰り登山をやっていたものだが、さすがに今では、もうそんな元気はなくなった。
 行きか帰りに、宿に泊って、ゆっくり山旅を楽しむことにしたのだ。若い頃には、まだ長い人生の時間があるのに、気ぜわしく動き回り、年をとると、もう残りの時間は少ないのに、のんびりと動く、それは、まるであのスフィンクスの謎かけのようでもあるが。

 朝7時、美瑛(びえい)町の望岳台(ぼうがくだい、930m)にクルマを停めて、出発する。道の先には、人の姿も見えない。
 快晴の空の下、行く手の正面には、二つの噴火口から煙を上げる十勝岳(2077m)の姿が見え、その右手には、朝の光に陰影深く富良野岳(1912m)があり、左手には山陰になって美瑛岳(2052m)から、美瑛富士(1888m)、オプタテシケ山(2013m)の、十勝岳連峰の山々がずらりと並んでいる。
 今日目指すのは、美瑛岳である。この山の頂上には、数回ほど立っているが、こんな雪の時期に登ったのは、もうずいぶん前のことになる。
 その時は、誰もいなくてひとりきりの、素晴らしい初冬の山上風景を味わうことができた。

 しかし、あの時は、マニュアル・カメラのフィルムで写した風景であり、もうプリントすることもなくなった今では、無用の資料となり、それならば、再度その姿を、デジタル・カメラで撮って、後でテレビやパソコンの液晶画面で見て、ひとりニヒニヒと笑みを浮かべながら、楽しみたいと思ったからでもある。
 実はこうした、デジタル再撮影の傾向は私だけかと思っていたら、先日の涸沢・穂高連峰縦走の時に、山小屋で隣になった彼も、同じ目的で来ていて、わが意を得たりと嬉しくなったものである。
 左手に遠く、大雪山の山々の姿が白く見えている。なだらかな道には、まだ雪は積もっていなかったが、霜で凍りつき歩きやすかった。

 1時間足らずで、去年は途中までだった十勝岳(11月9日の項)との分岐に着き、左へと山腹を大きく回りこんで、美瑛岳へと向かう道に入る。
 雪が出てきて、道の傍のハイマツなども白く凍りついている。朝の山陰で、日もまだ差し込まず、空気は冷たいのだが、風も余りなく、歩き続けることで、それほど寒くは感じなかった。
 山すそを回り込んだところで、今まで隠れていた美瑛岳の姿が前面に見えてくる。その道を、ポンピ沢へと降りて行く下りの所で、小さな涸れ沢を渡るのだが、見ると上部で大きな崩落があり、それが土石流として流れ下ったようで、高い所では10mほどもあるえぐれた沢になっていた。
 しかし、ちゃんとロープと鎖がつけられていて、3mほどの崖の上り下りになっている。ハイキング気分では行けないだろうし、それで良いのだが、心配なのは、将来さらに深くえぐれてしまいそうなことだ。
 
 所々凍りついた、ポンピ沢の流れの傍で一休みした後、ハイマツと笹の中の急な登りが始まる。雪だけでなく、凍りついた斜面では、持ってきていたアイゼンをつけたくなるほどだった。
 ようやく登り切って、尾根の向こうに出ると、白い雪の斜面の彼方に、反り返ったような美瑛岳の頂が見えている。
 しばらくは、右手のハイマツの尾根の夏道をたどるが、えぐれた溝状の道の両側には、雪が凍りつき垂れ下がったハイマツが邪魔をしていて、登りにくい。これなら、まだ雪崩(なだれ)の恐れもないし、前回たどったように、左手の浅い沢状の岩礫斜面を登った方が良かったと思ったほどだった。

 とはいっても、そのハイマツ帯を過ぎると、後は雪の岩塊斜面になり、風雪の作る雪紋様のシュカブラやエビのしっぽの造形が素晴らしく、いつもの冬山の景観が待っていた。
 彼方には、純白の十勝岳(写真)、そして噴煙の上がる噴火口から、富良野岳があり、その後には、夕張・芦別の山なみも見えている。十勝岳の左手には、さらに遠くに、日高山脈の山々が連なり、私のいる十勝平野が広がっているのだ。
 少し歩いては立ち止まり、写真を撮っていたので、苦しい登りではなかった。雪は、深い所でも20cmほどだったが、雪の下の岩が凍りついていて、アイゼンをつけようかとも思ったが、危険な火口壁側とは反対斜面ということもあって、そのまま注意深く歩き続けた。
 
 ようやく、頂上にたどり着いた。何と5時間もかかってしまった。しかし、朝からの快晴の空になんの変わりもなかった。北側の展望が開けて、北海道中の山々が見えそうだった。
 まず同じ山群の、美瑛富士とオプタテシケ山が連なり、その奥に旭岳(2290m)を始めとする表大雪の山群があり、離れてトムラウシ山(2141m)が相対している(写真下)。その右手には、石狩岳(1967m)連峰、ニペソツ山(2013m)、ウペペサンケ山(1848m)と続き、然別の山々も見えている。

 頂上では、眼下の南側の噴火口壁から吹き上げる風が、汗ばんだ体には、さすがに寒かった。しかし、何よりも、これほどの見事な景観の中に、私ひとりでいることが嬉しかった。私の意図していたとおりの、登山の形があったからだ。
 頂上には、30分近くいて、下りでも時々カメラのシャッターを押しながら、初冬の山の光景の余韻に浸っていた。すると、何と登ってくる一人の男の人がいた。
 私たちは挨拶を交わして、すれ違った。それだけのことだった。同年輩らしい彼も、ひとりで上ってきたのだから、思いは同じだろう。
 
 下りは、さすがに楽だった。登りには苦労したハイマツの道も、ぐんぐん下って行ける。そして、ポンピ沢への急斜面の道は、日が当たり始めていて、すっかり雪が溶けていた。
 私は、途中で何度も立ち止まっては、名残(なごり)惜しい気持ちで山々を眺めた。青空と雪の白、それは先日、あの涸沢(からさわ)で見た青空と紅葉の赤、さらに春の青空と新緑の色と伴に、私の最も好きな、単純な山の配色の景色である。

 下りは、3時間余りだったが、膝の痛みもあってようやくの思いで、登山口の駐車場に着いた。
 振り返ると、十勝岳連峰の山々が、午後の長い光を浴びて立ち並んでいた。その中でも、鋭い頂きを突き上げる美瑛岳の姿は、一際(ひときわ)立派だった。もうこの時期に登ることはないかもしれないが、いつまでもそこにいておくれと、心の中で呼びかけた。

 最初の予定では、久しぶりに友達の家に寄って行くつもりだったのだが、すっかり遅くなってしまった。もう一泊しても良いのだが、来週にはまたもう一つの計画もある、今回は、残念ながらあきらめるとしよう。
 いつものように、望岳台の下にある、白金(しろがね)温泉に立ち寄り、地元のおやじさんとあれこれ話をしながら、夜の長い道のりに備えて、ゆっくりと風呂に入った。
 
 帰り道、運転席の窓の外は、満月の光で明るかった。車のライトが幾つも通り過ぎて行った。遠くに街の灯りが見えていた。私は、母さんとミャオのいる私の家に帰って行くのだ。


                      飼い主より 敬具