ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

飼い主よりミャオへ(56)

2009-05-21 19:12:21 | Weblog



5月21日
 拝啓 ミャオ様

 天気の良い日が、続いている。気温は、25度を越えるほどで、すっかり暖かくなった。というよりは、それ以上に、日差しが暑い季節になったのだ。
 家の林の方から、今年初めての、エゾハルゼミの鳴き声が聞こえてきた。もう10日もすれば、大群になって、耳鳴りと間違えるほどに、鳴き続けるだろう。
 しかし、このセミの声を聞くと、初夏になったのだなと思うし、もう、霜が降りるほど冷え込むこともなく、家の畑にも、安心して、トマトの苗を植えることができるようになるのだ。
 そんな時に、寒い雪山でのことを書くのは、何かそぐわないような気もするが、これは前回からの続きであり、私にとっての、今年一番良かった登山について、反省を含めて、自分の記録としても、どうしても書いておかなければならないのだ。


 さて、戸蔦別(トッタベツ)川林道から、カムイ岳北東尾根に取り付いた私は、7時間余りをかけて頂上に登り、テントを張った。ところが、ガス・バーナーの故障で、食事も作れず、雪を溶かして水もつくれない、という状況に陥ってしまった。
 さてどうするか。その原因結果などを考えるよりは、今は、どうして、お湯を沸かすかだ。その時、幾つかの、小さな幸運の偶然があった。
 現在販売されている殆どの小型バーナーには、着火装置がついていて、タバコを吸わない私には、マッチやライターは必要ではないのだが、いつもライターを持ってきていた。
 というのは、もう15年余りも使っているこのバーナーは、その着火装置が壊れていて、ずっとライターで火をつけていたからだ。もっとも、山に登る時には、非常時のために、いつもライターやマッチを持っていくのが、常識ではあるのだが。
 そして、燃やすものはといえば、割りばしが二つとティッシュペーパーだけ。辺りを見回すと、一面雪に被われた中にハイマツだけが出ている。
 むやみに、そのハイマツを燃やすわけにはいかない。高山帯の保護樹木であるし、なによりも生木では燃えにくいだろう。しかし、下のほうを見ると、良かった、枯れている部分がある。
 それを、指の長さほどに何本か折り取って、食器のフタの上で燃やし、その上に、水を入れた食器をかざした。それで、なんとか、お湯が沸いてくれて、簡単な食事をとることができた。
 次は、水だ。雪を溶かして水にするには、強い火力が必要だが、時間もかかるだろうし、なにより、それだけの枯れハイマツもない。ポリ水筒に残っていた水に、雪を入れる。もう外はマイナスの気温になっていて、振ったくらいでは、簡単に溶けてはくれない。
 そこで、水筒にタオルを巻いて、多めに持ってきていたカイロを貼り付けた。後は、それを抱いて、寝袋の中で寝るだけだ。

 上空一面を覆ってしまった雲のために、楽しみにしていた夕映えの山の姿は見られなかった。それどころか、次第に風が強くなり、テントを大きくゆすり始めた。
 天気図によれば、上空には高気圧があるはずで、低気圧や発達した前線が通るときの、テントが吹き飛ばされるほどの風にはならないだろうが、やはり気がかりだ。
 そしてそれ以上に、寒さが忍び寄ってきた。雨具も着込んで、カイロを三つつけて寝袋に入り、さらに、膝から下はザックに突っ込んで、横になっていたのだが、やはり寒い。
 もとより、そんな状態はいつものことと、予測していて、山の上で眠れるとは思っていない。不肖、鬼瓦熊三(おにがわらくまぞう)、恐ろしげな外見の割には、純粋で傷つきやすい、繊細な心の持ち主ゆえに(ミャオ、プッと吹き出すんではない)、枕が変わると、もう眠れなくなるのだ。
 今回は、山上一泊だけだから、今日眠れなくても、明日家に戻ってぐっすり眠れば良いのだ。ヒグマの心配はといえば、冬眠明けの今の時期、沢を遡(さかのぼ)って反対側の谷へと、鞍部などの稜線を越えていくことはあるが、まず、頂上を目指すクマなどはいない。


 うつらうつらとしながら、未明には風も止み、この寒さの中でも、1時間ほどは眠っただろうか、時計を見ると3時半だ。テントの入り口を少し開けて顔を出す。
 東の地平に赤みが差していて、雲ひとつない暗い空に月があり、その下に、カールを抱えた白銀のエサオマントッタベツ岳の姿があった。
 簡単に朝食をすませて、テントを撤収(てっしゅう)し、ザックに詰め直したりしていると、すぐに時間はたってしまう。そして、5時半、サブザックにカメラと水、食料などを入れて、出発する。
 雪の稜線が続く向こうに、めざす1780m峰があり、その後には幌尻(ぽろしり)岳の大きな山容が見える。昨日ほどに、澄んだ空ではないが、それでも快晴の空の下、周りを取り囲む山々の眺めが素晴らしい。
 雪堤になった稜線を西に向かって下っていく。朝のうちは、雪もしまり、アイゼンが効いて、余り雪にはまり込むこともない。たまに聞こえる鳥の声と、そよ風の音がするだけで、他に誰もいない。雪の山々だけに囲まれて、何と快適な山歩きだろう。
 とはいっても、雪堤の北側に張り出した雪庇(せっぴ)には、気を使うし、ふたつのコブへの登りは楽ではない。しかし、その二つ目のコブ、1753m点に着いたとき、ついに大きく幌尻岳が見えてきた。そして1780m峰への最後の登りだ。
 見覚えのある、雪の溶けた小さな草地の頂上に出た。風が吹き上げてきて、と同時に、目の前に、私がどうしても見たかった、あの光景が広がっていた。
 こみ上げてくる思いに、私の胸はいっぱいになり、その景色がうるんで見えた。ついに、またここに来ることができたのだ。
 なんという、幌尻岳(2052m)の雄大な姿だろう(写真)。
 頂上から南(左)にかけて、三つのカールがはっきりと分かり、その底にはモレーン(削られた後の砕石帯)も見える。特に左端の二段になったカールが、その下で、氷河谷になって下る様が素晴らしい。さらに、頂上の北にある肩の下にも、小さなカールが認められ、それらのカールが複合的に削り上げたこの東カール全体の姿は、まさに雄大そのものである。
 ただあえて言えば、前回の時の方が、もっと雪が溶けていて、カールや氷河谷と、山肌の部分が明確に区別されて見え、それはまさに、現存する氷河を思わせるような眺めだったのだ。
 しかし、青空の下の、この一大景観を前に、他に何を言うことがあるだろうか。カール群はさらに北側へと、戸蔦別(とったべつ)岳(1959m)との間に、あの有名な七つ沼カールとなって続いている。
 稜線は、その戸蔦別岳から、北戸蔦別、1968m、ピパイロ、伏見、妙敷と、半円状に続き、一方、幌尻岳から南には、少し離れてイドンナップ岳(1748m)が見え、さらに眼下の新冠川の谷を隔てて、私が唯一、登っていないカールのあるナメワッカ岳(1799m)があり、その奥に、1903m峰と1917m峰との間には、あのカムイエクウチカウシ山(1979m)が一際高い。
 そして、手前に、エサオマントッタベツ岳と札内岳、その後に十勝幌尻岳が見えている。
 つまりこの1780m峰は、夏道がなく、登山者には、殆ど知られてはいないけれど、日高山脈の主峰群を眺めるためには、絶好の展望台なのだ。

 30分ほど展望を楽しんだ後、私は、もう二度と来ることはないだろうこの頂に、そして幌尻岳の眺めに、子供のように大きな声を出して、別れを告げた。
 帰りの道は、もう雪が緩んでいて、歩きにくく、登り返しのコブを越えていくのに、疲れてしまった。往復に3時間ほどかかって、カムイ岳に戻り、一休みした後、北東尾根を降りていく。
 緩んだ雪が、アイゼンについてポックリ下駄のようになり、すべりやすくなる。度々、ストックなどで叩き落しながら歩いていく。
 小さな登り返しにさえ、立ち止まるほどに疲れてしまった。そんな、バテバテ状態でも、いざ雪堤の下りになると、やはり楽だ。ズンズンと下り、所々で尻セード(お尻で雪面を滑り降りること)をして楽しみ、登りは辛かった雪渓も一気に下り、ようやく尾根取り付き点に出る。
 しかし、そこからのわずか30分ほどの、林道歩きが辛かった。余り重さの変わらないザックのためではなく、プラスティック・ブーツの中の足が、こすれて悲鳴を上げていたからだ。
 カムイ岳の頂上から4時間近くかかって、やっとの思いで、ゲートのある駐車場に着いた。振り返る、新緑の谷あいの上には、まだ変わらずに、青空が広がっていた。


 天気も眺めも、期待通りに良かったのだけれども、他にも、小さなミスもあり、反省すべき点も多かった。なにより、たったこれくらいの山行で、疲れ果ててしまったのだ。
 もう、年だ。あんな、きつい山登りはやめよう。これからは、年相応に、のんびりと生きていこう。・・・と、筋肉痛に足を引きずりながら、その時は、思っていたのだが。

 あれから1週間、再び、晴れた空の下に、立ち並ぶ日高山脈の白い山並みを見ていると、・・・きっと来るー、きっと来るー、と歌うような声が聞こえ、哀れな私、鬼瓦熊三は、そのよれよれの姿で立ち上がり、よたよたと窓辺に近づいては、つぶやいているのだ・・・よし、来週晴れたら、また山へいこう。
 「喉元(のどもと)と過ぎれば熱さを忘れ」、「馬鹿は、死ななきゃー、なおらーないー」・・・とくらあ。まったく、なんのこっちゃ。

 ミャオ、と言うわけで、私は元気にしている。オマエも元気でいてくれ。
                     飼い主より 敬具