ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

飼い主よりミャオへ(54)

2009-05-17 18:15:37 | Weblog



5月17日
 拝啓 ミャオ様

 午前中までは、日高山脈の白い山なみが見えていて、昨日までの良い天気が続いているかのようだった。午後になると、一面の曇り空になり、やがて雨が降ってきた。
 それで良い。乾燥した大地のために、緑なす草木のためにも、家の哀れな井戸のためにも、もっと雨が降ってほしい。
 今日は、朝から、筋肉痛で痛む足を引きずって、山で汚れた道具を洗ったり、干したりして、今ようやく片付け終わったところだ。この二日の間、山に行ってきたからだ。

 それは、今年の雪山での目標の山だった。日高山脈、主稜線上の、戸蔦別岳(とったべつだけ、1959m)とエサオマントッタベツ岳(1902m)との間にある、カムイ岳(1756m)の西、戸蔦別岳側寄りの山で、無名峰のピークである。
 地形図から判断すると、その高さは1780m余り。ということで、他の日高の山の、無名峰の呼び名で使われているように、ここでは、1780m峰と呼ぶことにする。
 この山の姿を見て、始めて意識するようになったのは、いつの頃からだろうか。それは、多分、十数年前の伏見岳(1792m)からピパイロ岳(1917m)への縦走の時だったように思う。
 すぐ南側に、戸蔦別川の谷を隔てて、戸蔦別岳からエサオマンへと主稜線のやまなみが続いている。その中で、山名があるのはカムイ岳のみで、その西に続く1780m峰と、その先にある1803m峰にも、名前はない。
 しかし、山にしてみれば、人間のつけた名前などは、どうでも良いことに違いない。山にとっての歴史というのは、それは、あくまでも人間側からの働きかけによる歴史であって、山そのものの、自然生成の歴史は、山自身が知るのみである。
 今日の名山選びの風潮に、逆らうことになるかも知れないけれど、歴史的に宗教的に良く知られている山が、私にとっての良い山としての、条件ではない。
 重要なことは、あくまでも、その山の姿かたちに特徴があり、美しいと思えるものであり、あるいは、その山の自然としての植生環境に、例えば、お花畑や草原、森林帯などの見るべきものがある山である。
 ところで、この1780m峰は、北側から見ると、隣のカムイ岳よりは高さも高く、はるかに立派な山容であり、ピラミダルな山頂を、すっきりと立ち上げて、その北面に、鮮やかな残雪のY字谷を刻んでいる。(写真、’07.5.28.伏見岳より1780m峰、左はカムイ岳) それは、昔登った、上越の谷川岳(1963m)の茂倉尾根(しげくらおね)から見た、万太郎山(1954m)の姿を思わせる。
 この伏見~ピパイロの縦走の後も、その後度々登ることになった、伏見岳の頂上から、1780m峰を見るたびに、私は、あの山には、いつか登らなければならないと思っていた。

 その思いを果たしたのは、今から11年前、奇しくも、今回と同じ、5月15、16日のことであった。
 エサオマントッタベツ岳の積雪期のルートとして知られる、カムイ岳北東尾根を経由して、カムイ岳山頂に至り、そこにテントを張って、翌日、1780m峰を目指した。
 途切れがちな雪堤と、ハイマツに苦労しながら、やっとのことで、長年の憧れ、1780mの頂上に達することができた。
 そこに広がっていた光景・・・私は、こみ上げてくる思いに、涙を流した。何という、日高山脈の大自然の眺めだろう。
 それは、様々な恐怖感を超えた後の、ある種の放心に似た恍惚(こうこつ)状態であったのかもしれない。私は、快晴の空の下、1780mの頂上で、ただひとり、日高山脈の主峰、幌尻岳(ぽろしりだけ、2052m)と対座していた。
 その雄大な山容を、やわらかくえぐり、削り取る氷河地形の見事さ・・・私は、若い頃に行った、あのヨーロッパ・アルプスの氷河の眺めを思い出していた。
 フルーアルプ奥の、登山道のない岩塊帯をたどり、プフールヴェ(3314m)に登り、そこから、快晴の空の下、そよ風が吹く中で、私はひとり、モンテローザ(4634m)とリスカム(4527m)を背景にして、流れ下るフィンデルン氷河の、広大なうねりを見ていた。
 もちろん、この1780m峰からの眺めは、あのヨーロッパ・アルプスの雄大さには比べるべくもないし、今の日本の山には恒久的な氷河は存在しないが、その氷河を思い起こさせるほどだったのだ。
 この幌尻岳を、形良く見るのには、二ヶ所の好展望台がある。北に位置するヌカビラ岳(1808m)と、この1780m峰である。前者は、北カールを擁(よう)する幌尻岳の姿が素晴らしく、この1780m峰からは、それ以上に、東カールと七つ沼カールを抱える姿が雄大である。
 幌尻岳への一般的な登山路になっている、額平(ぬかびら)川から、北カールの尾根をたどり、頂上に往復するだけでは、この幌尻岳の大きさは十分には味わえない。せめて、戸蔦別岳へと回って下れば、1881mのコブで、その雄大な姿を、見ることができるのだが。

 ともかく、あれから11年、あの時のカメラは、フィルム・カメラだった。繰り返し言うことになるが、今の私の楽しみの一つは、デジカメで撮った山の写真を、大きな液晶画面に写して、ひとり、ニタニタと笑みを浮かべながら見て、悦(えつ)に入ることである。(ブキミー、ヘンターイと言われようが。)
  そのためにも、中高年として体力の衰えてきた今、最後の、あの幌尻岳の姿を見に行かなければならない。それを老後の楽しみとするために、デジタル画像として残し、繰り返し味わうためにも・・・。
 そして、天候をうかがいながら、待ち続けて、ついに出発するべき日は来たのだ。5月15日、快晴の朝は、久しぶりに冷え込んで、気温は-3度。
 5時すぎ、クルマにザックを乗せて、家を出る。行く手には、日高山脈、全山の長々と続く白い山なみが、横たわっている。


 母さん、ミャオ、相変わらず、危ない馬鹿なことばりやっていて、ごめんなさい、それでも、しっかり生きていますから。
 山の話の続きは、次回に。
                         飼い主より 敬具