4月22日
二日前に、少し雨が降ったが、その後はまた晴れて、爽やかな春らしい良い天気が続いている。
今では、朝のうちに、飼い主と一緒に散歩に出た後、いつの間にか、飼い主は先に帰ってしまい、ワタシは取り残されることになるが、そこはそれ、そのまま自然の春の息吹の中で、辺りの様子をうかがったり、うとうとと寝たりして、昼過ぎまで過ごす。
日が傾きかけたころに、家に戻り、ニャーと鳴いて、飼い主から、生のコアジをもらう。フガフガ、キャフキャフと小声をあげながら、サカナを、おいしくいただく。
一日の中で、ワタシの最大の喜びの時である。クー、これだからネコはやめられないと思う。食時の後は、しっかりと毛づくろいをすませて、さて、後は、飼い主のそばで、そのフトンの上で寝るだけだ。
そんな毎日の繰り返しに、ワタシは、満足している。他に、なにもいらない。
「もう10日余りになる。それまで、居間のコタツの中で寝ていたミャオが、私の部屋にやってきて、布団の上で寝るようになった。
真夜中にかけて、少し冷えてくると、ミャオは、寝ているワタクシの耳元で鳴いては、布団の中にもぐりこんでくる。
そうして、そのまま、朝まで寝ている。私は、よく寝がえりをうつので、そばに小さなミャオがいると、押しつぶしやしないかと心配だし、ジャマで仕方がない。動くたびに、ミャーゴと鳴かれて、私も目が覚めてしまう。
つまり夜中に、何度も目が覚めてしまい、ぐっすりと眠ることができないのだ。かといって、ミャオを布団から追い出してしまうのも、可哀そうだし、もう、ミャオとの別れの日も迫ってきているのに・・・。
遠い昔のことだが、私は子供の頃、親せきの家に預けられていた。その家には、他にも子供たちがいて、その他に、一匹のネコがいた。名前は、確かミャーコと呼んでいたように思う。
いつもは、ネコなんて、いたずらを仕掛ける相手でしかなかったが、冬は、皆でそのミャーコの争奪戦になった。
当時の、冬の暖房と言えば、火鉢(ひばち)か、練炭(れんたん)を入れたコタツくらいのものだったから、誰でも、冷たい自分の布団の中に入るのはイヤだったのだ。
そこで、ミャーコが自分の布団の中にいると、どれほど暖かかったことか。日中でも、寒い時には、毛皮のエリマキだと言って、ミャーコの前足と後ろ足を束ねて、首に巻いたりしたものだった。
今から思えば、あのミャーコは大したものだったと思う。そんな子供たちのやり方に、大した抵抗もせずに、身を任せていたのだから。
ためしにと、家のミャオにしてみたところ、暴れ、泣きわめいて逃げて行ってしまった。ノラあがりだから、仕方ないけれども。
そんなミャオと、別れなければならない。北海道には、私の思いを込めて、一人で建てた家があるからだ。どちらが大事か、という問題ではない。
ミャオは、今では、生活を共にする大切なパートナーであるし、かといって、北海道を見捨てる訳にもいかない。
ただ気がかりなのは、ミャオが年寄りネコであるということと、なかなか他人になつかないということだ。なんとか、近くのおじさんから、エサをもらって食べてくれてはいるが。
買い猫にとって、飼い主の家に誰もいないことほど、不安なことはないだろう。犬や猫を、ペットとして飼うからには、飼い主は、食と住の安心を与え、そのペットを、ひとりきりの、不安な毎日にしてはいけないのだ。
命ある限り、責任を持って飼わなければならない。なのに、私は、その責任を・・・ということより、ただ、ミャオと別れるのがつらいのだ、ミャオは、それ以上につらいだろうが。毎年、何度となく繰り返していることだけれども。
ミャオ、しばしの辛抱だ。元気でいてくれ。
若いころ、愛する人や尊敬する人、あるいは信じることのできる人のために、生きているのだ、という強い思いがあれば、何も怖くなかったのに・・・。しかし、歳月とともに、その信じていたものへの思いが、周りの変化とともに、少しづつ揺らいでいく・・・。
そして、考えてしまうのだ、私が今まで、自分の人生をかけてやってきたことは、間違っていたのではないのかと。一方では、ただここまでやってきたのだから、もう十分ではないのか、とも。
すると、すべての呪縛(じゅばく)から解き放たれ、目の前に、過去へのすがすがしい地平が広がるのだ。もう、これから先には何もない、きらめいたあの昔に帰ろうと・・・。
ある昔のアイドル歌手が、亡くなった。私は、その後の彼女のことを何も知らないから、それが、良かったのか、悪かったのかは分からない。ただ、彼女が今ある世界から、自分だけの思いの中へと、解き放たれたのは確かだ。
ミャオの、生きる力を思う・・・。