4月26日
拝啓 ミャオ様
先日は、オマエに、別れの言葉も告げずに、黙って家を出て行ったことを、申し訳なく思っている。
しかし、それは考えてみれば、私にとっては、幾らか幸いなことだったのだ。
というのは、いつもなら、急に私に抱きかかえられて、ベランダに出されてしまい、怪訝(けげん)な顔をして、そして悲しそうに私を見る、オマエの姿を見なくてすんだからだ。
オマエは、その10日余り前から、私の布団の中にもぐりこんできては、朝まで一緒に寝ていた。ところが、前の日の夜、真夜中にオマエは起きて、外に出て行った。
過去の経験から言えば、そんなふうに、オマエが夜中に出て行って、朝になってもまだ帰ってこない、なんていうことは、別に珍しいことでもなかった。
しかし気になるのは、ちょうど私が、この家を離れるその日だったからだ。オマエがひとりになり、またノラネコの暮らしになってしまう、その日に、いなくなるなんて・・・。
年寄りネコであることに加えて、もし去年のようなことになっているとしたら(’08.4月14日~24日)と思うと、気が気ではなかったのだ。
私が、家を締め切って出かけた後、しばらくして、オマエは帰ってきて、いつものように、ニャーと鳴いて、ベランダに上がってきただろう。
しかし、ドアは硬く閉められている。その前に、皿いっぱいのキャットフードが置いてある。それでも、お腹がすいているから、オマエは少しは食べただろう。
ところが、夕方まで待っても、飼い主は帰ってこない。サカナはもらえないし、仕方なく、またキャットフードを食べた後、家のベランダを離れて、どこかネグラを探しに行かなければならない。このまま、ベランダにいると、他のノラネコがやってきて危険なのだ。
そして次の日も待って、飼い主がもう帰ってこないことが分かると、オマエは空腹に耐え切れずに、あのエサをくれるおじさんの所へと行くだろう。
そうやって、なんとか元気でいてくれと、無責任な飼い主ながら、ただただ願うばかりだ。
春になってからの、いつもの、オマエとの別れだが、何度繰り返しても、気楽になれることはない。そんな心の負い目を感じながら、旅立つのは、私にとっても辛いことなのだ。
夜中に降り出した雪が、朝からずっと降り続いている。湿った春の雪で、まだ10cm位にしかならない。
家の周りで、ドスンドスンという音が、絶えず聞こえている。トタン屋根に積もった雪が、滑り落ちている音だ。
さすがに、今の時期、九州からやって来ると、寒さがひときわ身にしみる。二日前、北海道に着いた時、道北ではもう雪が降っていたとのことだが、この曇り空の道東でも、気温は4度しかなかった。
冬の間、留守にしていた家に入る。外よりも寒く、2度位しかない。丸太造りの家だから、逆断熱になって、いったん冷えた空気が、そのままの温度で保たれていたからだ。
それから、次の日の昼過ぎまで、丸一日、薪ストーヴを燃やし続けて、ようやく温かい家になった。(私は元来、寒がりではないから、部屋の温度は18度もあれば十分だ、20度では暑い。)
帰ってきたとき、家の庭には、フクジュソウとクロッカスの花が咲いていて、エゾムラサキツツジの花も、チラホラと咲き始めたところだったが、この雪では、しばらくは、他の花々が咲くのも見られないだろう。
しかし、一日、外に出ることもなく、窓辺に座って、辺りの木々に降りかかる雪を見ているのは、いいものだ。ボロい家で、不便なことも多いけれど、一人で苦労して建てた家だもの、他に何を言うことがあるだろう・・・ただ、ミャオが傍で、丸くなって寝ていてくれたらとは、思うけれども。
昼頃には、気温も3度位になり、、木々に積もっていた雪も解け落ちていたけれども、夕方にかけて、再び気温が下がってきて、朝見た時のように、辺りは霧氷のように白く覆われてきた。
まだ降り続いている雪は、明日の朝には数十センチになっているかもしれない。雪かきするのは、明日になってからだ。
そして、晴れてくれれば、彼方には、十勝平野の広がりを隔てて、あの日高山脈の、長々と続く白い峰々の姿が、見えるはずだ。
私の、長年の憧れと、思い出が、両の翼になって、今も飛翔(ひしょう)し続ける、白い神々の竜の姿として・・・。
ミャオ、そうなのだ。この山々を眺めていたいがために、私は、北海道に帰ってきたのだ。自分だけの、思いのために、オマエに不自由をさせるのは、心苦しいことだけれども、また、一ヶ月余りたったら、九州に戻るから、それまで辛抱しておくれ。
飼い主より 敬具