戸惑い八景

見たり聞いたりしたモノを独自に味つけしました。
飛騨の高山から発信しています。

豊かなり

2013年12月25日 | 想うこと

またまた忘年会の時に聞いた話ですが・・・

飛騨は、飛騨人でさえ、歴史を語るときに、貧しい国で、と前置きしてしまいます。

山国でお米が採れず、などと、教えられてもきました。

飛騨の匠を語るときにも、飛騨國は、お米などで税を納めることができないために、労働奉仕をした、などとなっています。

しかし、近年の発掘調査により、奈良時代に、飛騨ではけっこうな文化が栄えていたことが分かりつつあります。

飛騨が鄙国などとさげすまされたのは、ひとえに、大和朝廷に反抗した大きな勢力があったからで、それからでも、豊かな国だったのだと、考えることもできます。

また、飛騨の歴史を語るときにかならず出てくる、”大原騒動”、百姓一揆ですけれど、これなども貧しくて一揆になったのではないのだと、郷土史家の先生も主張なさっています。

そして、先日聞いた話の中で・・・

江戸時代、旦那衆のなかで葬式があったときに、色々な方が弔問に来られました。

その中で、いわゆる、差別されている人々も弔問に来られたのです。

すると、主人は、「よくまいってくだされました」と、”香典”をその方々に渡されたそうです。

もらったのではなく、渡したそうです。

また、婚礼があったときには、その方々に、”祝儀”を渡されたそうです。

それは、過去帳に載っているのです。

香典、祝儀、と記帳されているそうです。

旦那衆のことだから、と言ってしまえばそれまでですが、思うに、文化なのではないでしょうか。


大霊界

2013年12月24日 | 想うこと

昨日の続きになりますが・・・

その当時、丹波哲郎さんは、ご自身の大ベストセラー本を映画化しようとなさっていて、監督してくださる方を捜していました。

それで、ドラマを制作なさっている方に、映画の監督を引き受けてくれないかと、お願いしたそうです。

ですが、引き受ける際のギャラの交渉がうまくいかず、断念なさったそうです。

聞いたところによると、丹波さんが映画用に用意した制作資金の、三分の一を請求されたとか。

まあ、監督を引き受けるとなると、NHKを退社しなければなりませんから、それ相応の金額が必要でしょうけれど。

それで依頼することを諦めた丹波さんは、ご自身が監督なさったわけです。

そして、その映画は、大ヒットしました。

監督を依頼する思惑は外れましたが、ドラマ撮影時にロケハンもなさったそうで、映画には飛騨の風景が映されています、おまけにヒットしたのですから、結果は良かったのです。

ドラマ撮影時、エキストラをした私は、丹波さんに声をかけていただきました。

撮影待ちで、ベンチに腰かけていた私の隣に、丹波さんがやってきました。

私は気を利かせ、なんせスターさんですから、席を立とうとしたのですが、その私の肩を軽く押さえ、「まあ、まあ、」と座らせました。

そして、地元でなにかなさっているのですか? とドラマに関わった訳を訊かれました。

応えた私に、なかなか良かったですよ、とお世辞をおっしゃいました。

なぜか、下を向き、はにかむんだような表情で・・・。

たぶん、わざとらしいことを言う、と自分でも思ったのではなかったでしょうか。

ですが、言われた私はとても嬉しくなりました。

感謝の心さえ持ちました。

いい方だな~、と強く印象づけられたのです。

その気持ちはいまも変わっていません。

 


円空、ですか・・・

2013年12月23日 | 想うこと

昨夜は、本年度最後の忘年会がありました。

お年寄り衆ばかりの集まりで、なんの華やかなもののない宴会でした。

しかも、隣の方に捕まった私は、やく2時間ほどお話を伺うことになってしまいました。

これも修行のうちと思い、黙ったままお聴きしました。

お話のなかには、ためになる話もたくさんあり、正直辛かった席ですが、有意義な時を過ごせたともいえます。

一つには・・・

昭和63年と仰っていましたから、やく四半世紀前のことになりますが、岐阜で”未来博”が行われていて、高山でも、”食と緑の博覧会”が催されました。

そのときに、岐阜を全国的にアピールしようということで、岐阜を取り上げた”大河ドラマ”を創ってくれるようにと、副知事を中心に、NHKへ陳情に行ったそうです。

題材は、”円空”、です。

考えてみますと、このような陳情は、各県・市からあるのでしょう。

岐阜もここぞとばかり陳情にいったそうですが、円空だと、一年間持たす話が作られないからと、やんわり断られたそうです。

そのかわり、円空を主人公にしたドラマを一本創る、ということになったそうです。

それが、丹波哲郎さん主演の、1時間30分ドラマになったのです。

ですが、なんせ制作費が足りなくて、無理をいって作ってもらうことになったために、色々と工夫をなさったみたいです。

制作スタッフ・関係者が80名ほどいたそうですが、その宿泊費を、ホテルに無理を聞いてもらって一律最低料金にしてもらったり、○○協会から、○○費等で・・・おっと、これ以上書くと、関係者に迷惑がかかるかもしれませんので、書きませんが、工面なさったわけです。

丹波哲郎さんといえば大スターさんですが、シブチンの制作費にもかかわらず、主演を引き受けてくださいました。

それには、丹波さんのある思惑があり、それも聞かせて頂きました。

その話はいずれ書かせてもらいますが、このドラマ、実は、私もエキストラとして参加しておりまして、昨日お話を聞いているときに、色々のことを思い出しました。

それも併せて、後日記す予定です。

 

 

 

 

 

 


あいつがな・・・

2013年12月21日 | 想うこと

昨夜、上三の町がライトアップされているとのことで、出かけました。

寒い中を、腹を空かせて・・・

上三を歩くとなると、どうしても造り酒屋に足が向いてしまうのですが、店内で、偶然、杜氏さんに出会い、楽しくお話しさせてもらいました。

その杜氏さん、最近、長年真面目に仕事に取り組んだことを評され、県の特別名誉賞を受賞なされました。

美味しいお酒をいろいろ造らさったわけです。

そのはなしを以前聞いていたため、お祝いの言葉を述べたいと常々思っていたので、昨夜、偶然ですができて嬉しかったのです。

そして、色々試飲をしつつ、解説を聞きながら、楽しい時を過ごしました・・・。

お酒も、美味しくいただくことができました。

帰り際、改めて祝賀会を開かせもらいます、と申し入れ、帰路についたわけです。

空きっ腹にお酒を入れたため、けっこうふらふらしながら町内に戻れば、開いているじゃありませんか、リーズナブルなお好みやさんが。

これ幸いと、妻と娘を連れて入店し、ホッピーをいただきながら、美味しく食事をいただきました。

それで、さて帰ろうかなと支度にかかったところ、なんと、先ほど会った杜氏さんが、入店されました。

これでは、さすがに帰ることができず、酔い加減も良い具合になっていたのですが、飲み直すことになったのです。

色々お話ししたのですが、半分も覚えていません。

申し訳ありませんでした・・・。

ただ、その杜氏さんとはさほど顔を合わすわけではないのですが、それでも四半世紀の付き合いがあり、杜氏の修業時代から知っているものですから、人に評価されるほどの方になり、とても嬉しかったのです。

なぜか、我がごとのように。

良く知っている人が、言ってみれば友達ですけれど、社会で活躍しているということが評価されるのは、とても嬉しいことなのです。

 

 


年の瀬か・・・

2013年12月20日 | 想うこと

明日から、いくつかのスキー場がオープンするそうで、ええ? もう? などと思ってしまいましたが、12月も下旬になってしまうのですね。

今年もあと、10日あまりです。

今朝、久々野へ配達へ行きましたところ、県道沿いからアルコピアスキー場が見えて、ゲレンデに雪が積もり真っ白になっているのを確認しました。

滑走可能かも、と思っていたのです。

良いときにオープンできるわけです、スキー場としては。

町中には雪はありませんが、屋根の雪も溶けてしまっていますが、これから寒くなり、雪も降るのでしょう。

この冬は比較的楽だと思っていましたから、きつくなるかもしれません。

クリスマス寒波というやつですか・・・。

クリスマスだからといって、うちでは何をするということもありませんが、せめて、熱燗ではなく、スパークリングワインをいただいて雰囲気を味わおうかなと、考えています。

 


ほんまに

2013年12月19日 | 想うこと

一週間くらい前でしょうか。

高山のミニコミ誌『市民時報』の読者欄に、”ビックアリーナ”のウエイトトレーニング(?)施設を増設してほしいという声が載りました。

登録者数が1万5千人をこし、部屋はいつも満員でマシンを使う順番待ちが発生しているから、だということでした。

市民がまともに筋トレをする施設は、ビックアリーナしかありませんから、そういう問題も起きるのだな、と思っていました。

うちの近所に、そのトレーニング場に通っている方がいます。

本人曰く、週5.5日行っているそうです。

用事がある日以外は、通っていることになります。

午後8時過ぎに入り、9時過ぎまでトレーニングを行っているそうです。

実は、私たち夫婦も、週に3日ほど、夕方ビックアリーナへ行きます。

トレーニング施設には行きませんが、外から覗くことができます。

夕方は、だいたい、マシンの置いてある部屋は、数人程度利用しています。

いってみれば、空き空きの状態なわけです。

夕方ですから、当たり前でしょう。

それで、今朝、近所のしょうっちゅう通っている方にお聴きしたところ・・・

夜も,一杯になることは、ほとんどないそうです。

少なくとも、通い出して何年にもなるけれど、一度も、一杯で入れなかったことはないそうです。

確かに、ランニングマシーンは人気がありますから、順番を待つことはあるそうですが、なんらかのマシンを使うために待つことはないそうです。

その方も、市民時報の記事は読んだそうですが、その方曰く、「書いた者は現場を知らんもな」、だそうです。

たぶん、色々な話を聞いて、もしくは、たまたま行ったときに混んでいたのを目撃して、投書したのではないか、ということです。

ベテランの方曰く、確かに登録者数は1万数千人いるけれど、ほとんどが、一二回行って終わってしまった人でしょう、と。

現状は、増設しなければならないことには、なっていないようです。

それで、ここから飛躍して思うことは・・・

このような投書の声が、実は怖いのだと。

世論を決めてしまうことがあるから、です。

現場を知らないくせに、さも分かったようなことを言うから、困ったことになってしまうのです。

現場では、つねに、こういうこともあるけれど、そういうこともあるよね、といった、ある意味、曖昧な現状認識しかできません。

ですが、聞きかじりは、つねに、断定的に主張します。

熱意がある方が実は間違っていた、ということも起きるでしょう。

”熱狂の中で決めてほしくはない”、ナチスを例に出すまでもなく、反対も時には、正しくないのでしょう。

 

 

 

 


忘年会

2013年12月18日 | 想うこと

昨夜は、息子が保育園当時の父母会役員さんたちの忘年会がありました。

今年で12年目になりますが、よく続くものだと思います。

総数10人ですが、名称をつけ、年に1・2回宴会を開きます。

そのつど、子供たちの近況など報告しあって、楽しく飲んでいます。

まだまだ続きそうな感じですが、それもこれも、会長であった方の人徳が大きいと思います。

というのも、娘が保育園の時は私が会長をしたのですが、その当時の父母会役員さんたちの会は、3年ほどでポシャリました。

私の不徳のいたすところです。

次回幹事を決めなかったのも原因でしょうけれど、やはり、”集まってくる人”というのはいるものです。

大らかで細かいことは気にしない、会えば、いつも笑っている、そんな方に、人は寄っていくものでしょう。

集まるといえば・・・昨夜は私が幹事をしたのですが、会場は、知る人ぞ知る穴場的な店で、夫婦二人だけできりもりなさっているところでした。

店主は、『酒場放浪記』のファンで、いちど類さんが来てくれないものか、などと勝手なことを言うことがありますが、私的には、紹介してもらいたいと思う反面、このまま、穴場的であってくれれば、などとも思っているのです。

 

 

 


あまりに軽視

2013年12月16日 | 想うこと

 

『エンド オブ ホワイトハウス』を観ました、ビデオで。

原題は、たしか、オリンポスフォーリンダウン、と記してあったような・・・

となると、ホワイトハウスフォーリンダウン、がいいような。

ですけれど、『ホワイトハウス ダウン』、という映画がありますから、まだビデオになっていませんが、つけられなかったのかもしれません。

『フォーリン ダウン』といえば、マイケルダグラス主演の映画がありました。

切れてしまったサラリーマンの映画だったと思いますが、こちらは社会派の映画です。

『エンド オブ ホワイトハウス』のほうは、たっぷりした”アメリカ国策映画”でしょう。

大変面白かったですが・・・。

私が個人的に不思議に思ってしまったのは、この映画の中に、まったく日本が登場しないことです。

現実を考えると、それはありえないことです。

第七艦隊撤退を考えただけで、日本に影響があるのは当然のことですけれど・・・。

朝鮮半島有事では、日本は矢面に立たされます。

にもかかわらず、この映画では、不思議と日本の話は出ませんでした。

唯一の単語は、”日本海”に配備されている、第七艦隊だけでしたけれど。

なぜ、こうも日本が無視されたのでしょうか・・・?

日本での興業を考えてのことなのでしょうか。

たかが映画なのですけれど、考えてしまいます。

その反対に、韓国は、かわいそうなほど軽視されています。

韓国大統領SPにテロの首謀者が紛れ込んでいること自体がイタイことなのに、大統領が○○されてしまいます。

嘘だろうー、と思っているうちに話がドンドン進んでいくのですが、「これでは韓国を盗られてしまう」、というコメントにいたっては、完全に駒扱いです。

韓国での興業は、考えなかったのでしょうか。

バリバリのハリウッドメジャー作品で、日本と韓国の扱いがこの程度では、一般のアメリカ人は、韓国のことはおいといて、日本を重要に考えていない、ということがよく理解できた感があります。

それとも・・・”特定秘密保持法”が施行される前に公開される映画では、日米の防衛協定に関して詳しいことは描けない、という皮肉なのでしょうか。

 

 


つい食べ過ぎて・・・

2013年12月15日 | 想うこと

昨夜から雪が降り続き、今朝は、道路にも15センチくらいの雪が積もっていました。

本格的な雪降りに見舞われました。

といって、東北や北陸では大雪に見舞われていますから、それを思えば楽な方ですけれど。

しかも、夕方ですが、峠一つこえた三福寺は吹雪いていましたが、こちらは小ぶりですんでいました。

まだ、凍みることはないですから、辛い真冬の到来とはなっていませんが。

お昼、○ま寿司へ行ってきました。

このブログにも記すのも3回目になるかもしれませんが。

けっして宣伝するわけではないですが、ある意味、世相を象徴するかもしれませんので、書くのですが・・・

11時開店に、5分前に着きました。

すでに車は数台駐車されていまして、開店とともに、私どもも含め、続々と入店していきました。

11時半の時点でほぼ満席です。

金曜日に広告が入りましたから、その効果が高いかもしれません。

日曜ですから、一皿105円ですけれど、大トロが、一巻食べられます。

・・・悔しいことに、美味しかったです。

どこの産地でもいいですけれど、大ぶりで、食べ応えありました。

まわりは子供連れが多く、そのせいか、小ぶりのハンバーグを載せた寿司も回転しておりました。

けっきょく、満足してしまうのです。

寿司は、文化かファストフードか。

特別収入が入ったら、老舗の寿司屋さんへ行こうと思っているのです。

なかなか実現できませんが、ですけれど、これだけ食べられれば、行かなくてもいいか、と思ってしまうのです。

 

 

 

 

 

 


辛いか~

2013年12月13日 | 想うこと

 

昨夜、たまたまテレビを点けたら、小津安二郎さんの特集を放映していました。

没後50年ですか?

一時間放送のうち、後半30分を観られたのですが・・・

吉田喜重さんが、コメントしていた映像を何度か見て、”老いたな~”、と感慨深いものを感じてしまいました。

といって、吉田さんの映画は観たことがありません。

”松竹ヌーベルバーグ”の旗手と謳われていましたが、興味のそそられる作品は、個人的にありませんでした。

その点が、大島渚さんとはちょっと違いました。

なのに、なぜ、吉田さんが強く印象に残っているのかといいますと・・・

半世紀以上前の松竹の納会の席で、若かりし吉田さんは、「厚化粧した夜鷹が、いまだ大きな顔をしている」、と仰ったそうです。

一種の革命家だと思われます。

その発言の後、小津安二郎さんは、吉田さんの膳の前に座り、お酒を注ぎながら、「そう言うけどな~」と話にならない呟きを長々としていたそうです。

その吉田さん、テレビのコメントで、小津の映画は、「残酷なまでの現実を描いたのだ」、とくり返し述べていました。

親と子の情愛とか、夫婦愛の切なさとか、表面的には人情が描かれたようにみえますが、実は、どうしようもない辛さが描かれている、ということでしょう。

遺作となった、『秋刀魚の味』、私は観ておりませんが、昨日の特集で、最後の場面を紹介していました。

当初の台本では、娘の部屋の姿見のショットで終わるはずが、その部屋を下から見上げ台所に入る父親を描く、に変更したそうです。

そのシーンだけを観ましたが・・・

確かに、辛い。

ヤカンから水を注ぎ飲み、父親は、一人になってしまった現実を、改めて噛みしめるわけでしょう。

また暗いんだ、この部屋は・・・。

そこにあるのは、”どうしようもない現実”、だったのですね。

小津スタイル、ともいうべき形式的に描かれている映像なのですが、実は、残酷なまでの現実を切り取っていたのだと、改めて知りました。

高校時代、教育テレビの映画放映で、『晩秋』を観ました。

私の小津映画初体験だったのですが、見終わった後、意地らしく切なくて、たまりませんでした。

”いったいこれは何なのだ”、といった気持ちを抱えたわけです。

昨日のテレビを一緒に観ていた、娘が、笠智衆さんを観て、”なんてへたくそな人なの”、と言いました。

確かに、一見するだけでは、そう見えてしまうでしょう。

しかし、『東京物語』を観ると、笠さんが、なんともいじらしく見えてしまうのです。

これが、寅さんだと、ある意味、おかしみのある頼もしいお坊さんに見えますが。

でも、結局は、”辛いんですね”、見終わった後は・・・。

岡田茉莉子さんも、コメントをたくさん述べていましたが・・・

そのなかで、私は二枚目半の役を求められました、と半分不満調で述べていました。

存在感といい、素晴らしいものがあったと思いますが・・・

デビューしたての岩下志麻さんとのツーショットや、若い頃の原節子さんの華やかさの前では、そうなってしまうだろうというのは、辛い、ところでしょう。