昨夜、たまたまテレビを点けたら、小津安二郎さんの特集を放映していました。
没後50年ですか?
一時間放送のうち、後半30分を観られたのですが・・・
吉田喜重さんが、コメントしていた映像を何度か見て、”老いたな~”、と感慨深いものを感じてしまいました。
といって、吉田さんの映画は観たことがありません。
”松竹ヌーベルバーグ”の旗手と謳われていましたが、興味のそそられる作品は、個人的にありませんでした。
その点が、大島渚さんとはちょっと違いました。
なのに、なぜ、吉田さんが強く印象に残っているのかといいますと・・・
半世紀以上前の松竹の納会の席で、若かりし吉田さんは、「厚化粧した夜鷹が、いまだ大きな顔をしている」、と仰ったそうです。
一種の革命家だと思われます。
その発言の後、小津安二郎さんは、吉田さんの膳の前に座り、お酒を注ぎながら、「そう言うけどな~」と話にならない呟きを長々としていたそうです。
その吉田さん、テレビのコメントで、小津の映画は、「残酷なまでの現実を描いたのだ」、とくり返し述べていました。
親と子の情愛とか、夫婦愛の切なさとか、表面的には人情が描かれたようにみえますが、実は、どうしようもない辛さが描かれている、ということでしょう。
遺作となった、『秋刀魚の味』、私は観ておりませんが、昨日の特集で、最後の場面を紹介していました。
当初の台本では、娘の部屋の姿見のショットで終わるはずが、その部屋を下から見上げ台所に入る父親を描く、に変更したそうです。
そのシーンだけを観ましたが・・・
確かに、辛い。
ヤカンから水を注ぎ飲み、父親は、一人になってしまった現実を、改めて噛みしめるわけでしょう。
また暗いんだ、この部屋は・・・。
そこにあるのは、”どうしようもない現実”、だったのですね。
小津スタイル、ともいうべき形式的に描かれている映像なのですが、実は、残酷なまでの現実を切り取っていたのだと、改めて知りました。
高校時代、教育テレビの映画放映で、『晩秋』を観ました。
私の小津映画初体験だったのですが、見終わった後、意地らしく切なくて、たまりませんでした。
”いったいこれは何なのだ”、といった気持ちを抱えたわけです。
昨日のテレビを一緒に観ていた、娘が、笠智衆さんを観て、”なんてへたくそな人なの”、と言いました。
確かに、一見するだけでは、そう見えてしまうでしょう。
しかし、『東京物語』を観ると、笠さんが、なんともいじらしく見えてしまうのです。
これが、寅さんだと、ある意味、おかしみのある頼もしいお坊さんに見えますが。
でも、結局は、”辛いんですね”、見終わった後は・・・。
岡田茉莉子さんも、コメントをたくさん述べていましたが・・・
そのなかで、私は二枚目半の役を求められました、と半分不満調で述べていました。
存在感といい、素晴らしいものがあったと思いますが・・・
デビューしたての岩下志麻さんとのツーショットや、若い頃の原節子さんの華やかさの前では、そうなってしまうだろうというのは、辛い、ところでしょう。