高山は、外人さんと学習旅行の生徒さんで賑わっています。
なんでこんなに人がいるのかというくらい、安川通りの歩道は人で溢れています。
観光大通りですから当然なのですが、昼間は束になって溢れていますから、歩きづらいです。
ありがたいことなのですが。
その一こまとして・・・
スクランブルのような交差点で、学習旅行で訪れてきた高校生の集団が、信号待ちしています。
車道は青なのですが、歩道は赤なので進めません。
交差点の斜め向かいと反対側に、先生たちが待機しています。
そして盛んに声をかけています。
「青だけど! まだ渡れないんだぞ! 歩道が赤になるまで、待つんだぞ!」と。
相手は高校生だと思うんですが・・・
さて、歩道が青になりました。
すると一斉に先生方、「さあ、渡れ! 急げー!」と、叫びました。
叫ぶのは大げさでも、大声で怒鳴っています。
周りには観光客が大勢いますが。
いちいち言わなければ分からないのかと、呆れてしまいますが、しかも大声で・・・
ただし、走っていく生徒たちを見て理解したのは、バスの発車時間が迫っていて、先生たちはやきもきしながら急がしていたらしいのです。
まあ、自分も高校生の時は、同じだったような気もするので、仕方ないのかもしれません。
もう一つ、これは仕方ないではすまないのですが・・・
県の施設で、国の重要有形文化財にも指定されている、屋敷の中でのこと・・・
全国的にも有名な屋敷で、毎日大勢の観光客が訪れます。
その屋敷のあるところに、鉄瓶が置いてありました。
何十年も同じ場所に飾ってあったのです。
30センチくらいの底を持ち、鉄瓶ですから重量はあります。
骨董品としても価値があります。
ただし、その施設の中で使用されていたものでして、どんと何十年も鎮座していて、訪れてくる人の目を和ませていました。
それが、最近、消えました。
無くなったのです。
こんなことは初めてのことで、呆れるやら腹立たしいやらで、施設を管理している人たちは大変嘆いています。
もう一つ、小ぶりですが鉄瓶がありましたので、現在は、針金で台座に固定されています。
それと、掛け軸も無くなりました。
二つ並んでいて、価値の高い方が無くなったそうです。
見学できる部屋の床の間に飾られていたもので、これもずうっとそこに掛けてあったものです。
無くなりました。
こんなことは、ちょっと前まででしたら、考えられないことでした。
でも現在は、あり得る、ことになってしまったのでしょう。
古都・高山でも、起きるのです。
起きるようになったのです。
飛騨の人は人がいいから、思ってもいなかったのでしょう。
これからは、シビアに管理しなければならなくなったわけです。