戸惑い八景

見たり聞いたりしたモノを独自に味つけしました。
飛騨の高山から発信しています。

それはリアルか

2021年02月10日 | 演劇

演劇と言いますか、小説でもいいのですが、物語を作るとき、私はオーソドックスな作りになります。

いきなり大上段に構えて書き始めましたが、ストーリーがあり、構成がしっかり出来ている物語を作るのです。

そのうえで、何が言いたいのかが鑑賞する者に分れば、素晴らしいのですが。

これとは、ある意味、対極にあるのが、即興で作られるものでしょう。

何も無いところからいきなり物語を作りはじめるわけですから。

昨日記しました、Qさんの得意とするところも、この即興芝居でした。

一人で演じるときもあれば、二人、数人で演じるときもありました。

最初にお客さんからお題を戴いて、それを元に芝居を始める、というのをよく行っていました。

お題とは、テーマであり、きっかけであります。

例えば、『駅』というお題をいただければ、駅に集う人達、誰かを待っているのか、これから列車に乗って行くのか、というのを役者が勝手に考えて演じ始めます。

ここで面白いのは、役者たちは打ち合わせをしていませんから、自分の設定で相手の役者に関わるのです。

話しかけられた役者は、それを受けて、といって、どういう相手か分らないわけですから、推測しながら対応していきます。

その遣り取りが、緊張に満ちて、面白いわけです。

相手はどういう人なのか、何をしているのか、自分との関係は、というのを考えつつ、即座に対応していかなくてはなりません。

見ている側からすると、それぞれの役者が設定した役を推理しつつ、どう絡まって、どういう方向へ行くのかを、自分の中に創って纏めようとする心の動きがあります。

そこに心地良い興奮があるのです。

ある公演の時、私はお題を求められて、『リアル』と、与えられた紙に書きました。

舞台上のQさんは、それを見て、「リアルかー」、と呻きました。

テーマにも切っ掛けにもなりませんからね。

といって、意地悪したわけではありません。

即興芝居にリアルさを求めたのです。

……と、記しておきましょう。

芝居の話に戻りますが、中には、相手の役者が関わってきたのですが、それとは全く関係なく自分の遣りたいことを演じる強者もいました。

Qさんはその場を纏めようとするのですが、相手は暴走して、破綻寸前までいくのです。

その、ちぐはぐな遣り取りが面白く、腹を抱えて笑ったこともありました。

芝居が始まると、Qさんは、大概、すぐに設定を創って、相手の役者に関わっていきます。

ツッコミもボケも得意で、しばし、相手の役者が戸惑ったまま進行していくことも多かったです。

私は、先程に記しましたように、物語を見たいという欲求が強いために、どうこの話は纏まるのか、どう決着がつくのか、という興味を持って観ていました。

ですけれど、即興芝居には、あまりストーリーの完結は必要なかったのかもしれません。

無理に纏めたものも観ましたが、なんだか物足りないままで終わってしまう印象がありましたから。

と、ここまで記しますと、

「そんなに俺の芝居を観ていたか?」、とツッコミを入れられそうですが、節目節目で、私はQさんの芝居を観ていたのです。

たぶん……。

それでいつも思ったのが、私にはこんな芝居は創れん、です。

いつか、役者として出てみたい、ということを思ったこともありましたが、無理でしたね。

度胸があれば、とその頃は思っていましたが、必要なのは、その場を楽しめるかどうか、だったですね。

何度も記しますが、私はどうしても物語の成立を目指してしまいますから、そんなことはどうでもいいんだ、と開き直って創られる芝居は、同じ演劇でも異世界でありました。

彼はそれを魅せてくれました。

惜しむらくは……

はるおさんのお店で、お酒を飲みながら、Qさんの芝居を見る、という楽しみが失われてしまったことです。

あれは、今思うに、演じる場所、お酒、即興芝居、が最高の形で合体した、奇跡でした。

ただただ今は、感謝です。