戸惑い八景

見たり聞いたりしたモノを独自に味つけしました。
飛騨の高山から発信しています。

飛騨の里

2016年10月30日 | 想うこと

何年ぶりになるでしょう。

20年は経っていると思います、飛騨の里へ行ってきました。

いまから45年ほど前、松倉貯水池だった場所に、飛騨の各地から民家を移してきて、飛騨の里という村落を創りました。

もちろん観光目的で、住む人はいません。

その当時はとても賑わっていまして、周りの土産物屋さんも大忙しだったと思います。

小学校の頃、中学の頃はよく学校行事で行き、スケッチなども行いました。

時は経ち、かつての賑わいは過ぎてしまい、いまでは、それなりの観光客しか訪れないでしょう。

その施設に、昨日今日、大勢の人が押し寄せました。

二つある駐車場はすぐに満車、臨時で儲けた駐車場も昼頃には満車状態。

開設以来とはいいませんが、当時と同じほどの人たちで大にぎわいになりました。

『そば祭り』です。

うち立てのそばを食する祭りで、三団体が、そばを出していました。

そのうち、二つのそばを食しました。

ひとつは汁が美味しくて、もう一つは麺にコシがあり、どちらも満足のいくものでした。

そしてなにより、今が紅葉のシーズンで、娘は自慢のカメラで景色を撮っていました。

しかしなんといっても、一番人が群がったのは、池に飼われている白鳥が岸に上がり毛繕いをしている箇所で、私も間近で観て、白鳥の首の長さに驚きました。

飛騨の里では色々なイベントが用意されているようで、市民は無料で入場できますし、これからもちょくちょく行こうと思いました。

 

 


映像体験

2016年10月25日 | 想うこと

アニメ映画『君の名は』が、来月、飛騨市の市文化交流センターで上映されることになり、チケットが昨日売り出されました。

一時間ほどで完売したそうですが。

飛騨市以外の方は、購入できなかったようです。

ただし、一人4枚まで購入できたそうなので、飛騨市以外の人が、チケットを知り合いに頼んでいたのもけっこうあったでしょう。

それにしても、せっかく飛騨市が話題になっているのに、その飛騨市に映画館がないのですから。

そのことが全国的なニュースになるわけです。

面白いことに、昨年廃業した、高山にあった旭座は、もともと古川にありました。

高校生の頃、古川までバスに乗って、映画を観にいったことがあります。

旭座も、一年廃業するのを我慢できたら、とシロートながら思ったりします。

『シン・ゴジラ』と『君の名は』で、復活したであろうと。

あくまでも業界のことを知らないシロートの思いです。

自宅にいて、大画面で高精細のテレビでいくら映画を観ようと、映画館で映画を観る代わりにはならないでしょう。

今日、高山陣屋へいきまして、プロジェクションマッピングを観てきました。

広間の襖に映し出された、『高山の四季』、4分ほどの作品です。

立体的に映し出される、CG映像なのですが、思わず引きこまれてしまいます。

観光客の方々が、歓声をあげながらご覧になっていました。

陣屋に来て、このような映像が見られて、とても満足なさったでしょう。

一緒に観ていた、見知らぬ他人ですが、私たちも嬉しくなりました。

映像体験を共有するわけですね。

そこに喜びが生まれるのでしょう。

家で観るだけでは味わえません。

 

 

 

 

 


またもや大きな地震

2016年10月22日 | 想うこと

昨日昼過ぎ、鳥取県中部に強い地震がありました。

M6.6、震度6弱という大地震です。

震度のわりには被害が大きくならなかったのが、不幸中の幸いといえるでしょう。

今日、チラシに、『地震調査委員会の全国地震予想地図』が入っていまして、今後30年以内に震度6弱以上の揺れに見舞われる確率が表されていました。

その地図によると、鳥取県は、0.1%でした。

数字だけみると、巨大地震に見舞われることはない、と思ってしまいます。

断層もないですしね。

しかし、見舞われたのです。

人間の予測などまったくアテにならないのです。

それでも新聞によると、鳥取でも、過去何回か大きな地震に見舞われたと記されていました。

熊本と同じ様相がみえます。

地元の人たちは、まさか自分たちが巨大地震に襲われるなどと思ってもいません。

が、起きると、過去にはあったのだと、報道されます。

今回の地震で、日本全国どこにでも巨大地震が起きるのだと、思っておいた方が良いようです。

 

 


あとを引く映画

2016年10月20日 | 想うこと

ここ数日、天気が良いですね。

日中は暖かいというより、暑くなります。

アニメ映画、『君の名は』、18日に観たのですが、意外と心に響いていたとみえて、作品について考えてしまいます。

少し切ないような気分もあり、良い作品だったのだな、と改めて思います。

映画を観て、小説を読んで、もう一度映画を観る、という方もけっこうみえるみたいで、私はしませんが、その気持ちはわかります。

表現は良くないかもしれませんが、不可解な気分もあるのです、消化できない思いというか、作品の核になる部分がいまいちよくわからなくて、追いかけてしまうような感じです。

そのため、ネットに上がっている映画評をいくつか読んでみました。

私の感じたように、レクイエムとして捉えた方もおられました。

たまたまですが、映画を観る2週間前に、藤城清治さんの作品展に行きました。

そこで見た、大津波に襲われて骨組みだけになった防災センターの絵が心に焼き付き、この映画とリンクしたのです。

絵には、天上へ昇華していく亡くなった方々の”光”が描かれていました。

その絵を鑑賞したときの気持ちと、『君の名は』、を観たときの気持ちが、似通っているのです。

映画では、時間軸を訂正したはずなのですが、見終わった印象は、鎮魂へと傾いていくのです。

いみじくも息子が語った、「逢えないままで終わるかと思った」、が正直な反応だと思うのです。

そう考えてみると、観る人の年齢によって見方は違うのだという当たり前のことに思いいたりました。

私のような年配のものは、ある種の諦念感がありますから、鎮魂ですむのですが、未来のある若い人たちにとっては、それだけでは哀しいだろうと。

作品には、希望へと繋がる想いがあるから、ウケルのだろうと。

うちの息子は私に似て醒めているのでしょうが・・・

 

 

 


君の名は・・・観ました

2016年10月18日 | 想うこと

『君の名は』を観てきました。

シネックス・マーゴで。

関にあります。

車で、高速道路に乗り、1時間30分ほどのところです。

高山市民は、映画を観るために、最短でも関まで行かなければなりません。

富山に行く方も多いのですが、映画だけ観るのなら、マーゴの方が得かもしれません。

君の名は、まだまだ見に行く人が多いようで、12時45分の回で、30人ほど入っていました。

平日の昼間ということもあり、ほとんどが、中高年です。

おどろいたことに、高齢の方も多かったのです。

普段アニメ映画など観ないと思われる方々が来られていたのです。

どういう理由からでしょうか。

なかには明らかに、私たちと同じ、飛騨からの人も見受けられましたが、年配の方々ばかりでした。

ニュースでも度々取り上げられるからでしょうか。

仲間内の会話で、この映画の話題が出るからでしょうか。

あきらかに、社会現象になっています。

ですから、上映中は静かなものでした。

お菓子を食べる音が響くので、困ってしまいましたが・・・。

私も映画館で観るつもりはなかったのですが、どこへ行っても、誰と話していても、特に飲んでいるときには、この映画の話題が出るため、観なければと行ったのです。

こちらの地方が映っていると話題の映像は、後半少し流れます。

ある事情により。

そこで私が驚いたのは、古川の映像ではなく、名古屋駅でした。

映った瞬間、 あっ!名古屋駅だ! とわかりました。

正確には地下の連絡通路なのですが、在来線から新幹線のホームへ、わたしも何度も急いで行きましたから、その空気が感じられのです。

というようなわけで、映像は見応えがありました。

ここぞという場面では、細部にわたり描かれていて、立体的にも見えるのです。

実写では得られない、気持ちが乗った”リアル”な映像が見られるのです。

そこが、40代、50代の観客に受ける映画かもしれません。

物語ではなく、描かれる絵に惹かれるのです。

田舎に住んでいる、住んでいた人たちに共感を得られる映像です。

そういう点では、都会人にはそれほど響かない映画かもしれません。

ただし、失ってしまったものへの郷愁という点では、普遍的かもしれませんが。

または、終わってしまうかもしれないという、諦念感もあるかもしれません。

そう考えると、最後のシーンはおまけかもしれません。

ずいぶん前に鑑賞した息子は、逢わないまま終わるのではと思ったそうです。

そのほうが自然ですし、テーマ的にも合っているような気がします。

ストーリー自体は、ネタばれ注意とかつきますが、私からみると、珍しいことはありません。

この手の話は、よくとまではいわなくても、あります。

それよりなにより、描かれた世界が、忘れていたものに触れるような感触があるのです。

それほど切なくなくて、センチでもなくて、そこらへんのさじ加減は絶妙だと思うのですが、感情が流されないのです。

それだからこそ、何か大切なものを忘れているのではないかと、作中、何度も名前をいいますが、触れそうで触れられないものを感じるのです。

ここ何年かで、悲惨な災害を経験しているため、それは地方で起こったことなのに、日本人全員がうちひしがれる感があるので、そのことを思い起こさずにはいられない、ものもあるのです。

失ったものは絶対に還ってこない、ことが逆に思い知らされる作品でもあります。

ですから、時間のずれがテーマになっていて、それが後半わかるのですが、あれほどリアルなものがどうであったかと気がついたときに、大げさですが、既視感に襲われました。

感じ方は観た方それぞれだと思いますが、私的には、『鎮魂歌』、でした。

勝手な解釈として、この作品は、「(宮崎アニメ+エヴァンゲリオン)÷2」、でもあります。

 

 

 

 

 

 


背番号

2016年10月18日 | 想うこと

昨日の続きで・・・

ヤママサが訪れてくるというはなしは、よくよく聴くと・・・

始球式の時に、ヤママサのユニホームを着て、投げるということだったようです。

役員の誰かが投げるんでしょうな。

ヤママサのユニホームを着て。

ドラゴンズの34番を背負って投げるわけです。

ヤママサでない、誰かが。

どう聴けば、ヤママサが来る、という話になるわけでしょう。


されど野球

2016年10月17日 | 想うこと

今期は、野球のことはあまり書かなかったのですが・・・

なんといっても、ドラゴンズの成績が良くなかったからですが、良くなかったどころか、最下位でしたので。

来年もあまり期待できないようですから、個人的に、福田選手を応援するくらいですけれど・・・

クライマックスシリーズでの大谷選手の活躍を見てしまうと、うらやましさが湧いてきます。

大谷選手、マンガのような活躍でしたが、日本ではもう適う相手はいないでしょう。

早く大リーグに出してあげれば、などと思ってしまいます。

さて、息子が職場での野球大会に出るようになりまして、職場でも野球で期待されているようで、やったことのないキャッチャーを任されたようです。

本人は乗る気ではないのですが、高校まで野球をやっていた若手はいないようで、重宝されているようです。

雨の日の室内練習場での練習は、キャッチャーからセカンドへの送球を繰り返して行ったようですが、目的は、セカンド・ショートが捕球できるようにする、ということだったようです。

盗塁阻止まではいってないのですね。

そんなチームが土曜日の試合にでます。

勝ち上がると、日曜日の決勝にでられるそうです。

日曜日なら見にいけるので、なんとか勝ち上がってもらいたいと思っているのですが・・・

聞くところによると、ひょっとすると、なぜなのか理由はわからないのですが、”ヤママサ”が訪れてくるかもしれないというのです。

それが本当なら、息子のチームが出なくても、見に行きますけれど。

始球式で投げたりして・・・


秋の高山祭りは滞りなく執り行われました

2016年10月13日 | 想うこと

秋の高山祭りが9日10日と行われました。

初日、朝から雨で行われないかと心配しましたが、1時間ほど遅らせて、すべて執り行うことができました。

私の関わっている、カラクリも奉納することができました。

ただし、トラブルの連続でしたが。

今回、綾元が正式に引退したため、新しい体制で挑みました。

行っていることはまったく同じです。

役割も変わっていません。

ただ、現場に、屋台の上に、前綾元がいないだけです。

屋台の下から見守っていました。

稽古ではまったく問題なかったのですが、奉納実演数回、すべて滞ってしまいました。

不思議なくらいです。

気持ちの緩みなどなかったのです。

全員真面目に行いました。

それでも、巧くいかないのです。

芯がなかったということでしょうか。

ある意味、緊張しなかったから、逆に良くなかったのでしょうか。

失敗ではなかったのですが、最後まで実演することができたのですが、不完全燃焼の奉納実演に終わりました。


文化祭

2016年10月12日 | 想うこと

高山高校の文化祭を見にいってきました。

演劇部の文化祭用演劇と、娘のクラスの演劇公演を観るためにです。

最近の山高文化祭は、1,2年生がクラスでのテーマ館つくり、3年生はクラスごとに体育館での演劇公演になっているようです。

演劇部の公演が先にあり鑑賞しました。

演劇部なりの落ち着いた作品でした。

観客が少なく、まあそんなもんかと思いながら鑑賞したのですが、幕間に体育館奥でダンスパフォーマンスが行われ、そっちが大にぎわいで、霞んでしまったように見えたのは残念でした。

ダンスの時には、行っているのも生徒なのですが、声援が凄く、なにかポーズを決めるためにヤンヤの歓声が沸き、熱気溢れるものでした。

さて、娘のクラスの演劇は、青春ラブコメディーというものでして、とにかくウケまくりのお芝居でした。

演劇部の公演と違って、下級生が先輩目当てに見に来ることもあり、観客数も多く体育館の半分ほどが埋まりました。

私も女子生徒たちに囲まれ鑑賞しました。

決めセリフやカッコがきまるたび、歓声が起き、ドッと笑いもおき、声援もありの、楽しい芝居です。

完成度などまったく関係なく、熱気だけで進めていくのです。

リレーの場面では、体育館の中を走り回りして、若さ溢れる舞台でした。

私など、演じる側と観る側の熱気に中てられてしまい、終わったときにはフラフラしていたくらいです。

若さ爆発のパフォーマンスだったのです。

その時期にだけしか表現できない素晴らしさがありました。

鑑賞し、私も少し若返った気もします。

感謝です。

 

 

 


切り絵で?!

2016年10月05日 | 想うこと

昨日、富山県立近代美術館へ行ってきました。

『藤城清治、光よろこびメルヘン展』 を鑑賞してきました。

といって、恥ずかしながら、私はこの方を知りませんでした。

妻が観たいというものですから、付き合っていったわけなのですが・・・。

まずは、平日なのにとても賑わっていました。

私が知らないだけで、とても知名度の高い作家なのだとわかります。

入場料は1400円だったのですが、高いのか安いのかはわかりません。

お客さんの8割がたは女性で、若干年齢が高いと思われました。

私のように付き添いで来ているオヤジも何人か見かけました。

最初入って見てみると、なんだ、この絵の作家なのかとすぐにわかりました。

影絵でして、子供とロバと猫が主に描かれているのですが、ごく身近にあった絵です。

主に雑誌の挿絵や広告に描かれていた、商業デザインに含まれる作品だったのです。

切り絵という手法をつかい絵を描いていたそうです。

それがいつのまにか、芸術作品の高みまで到達したのかもしれません。

会場に入ったすぐは、小部屋が二つくらいの広さだと思ったのですが、中が広がっていて、中央に広間があり、それを囲んで幾つも小部屋があるという造りでした。

とてもたくさんの作品があります。

美しい作品ばかりで、観ていると心が和んでくるのがわかります。

そして、時に、強く響いてくる作品もありました。

特に、津波で被災した施設を描いた作品は、驚くばかりに美しいのです。

防災センターの鉄骨だけの建物なんかは、亡くなった方々が輝きながら登っていく景色のようでした。

「瓦礫が美しい」という作家の言葉が記されていましたが、まったくその通りなのです。

陸に打ち上げられた船も、虚しさより力強さを感じてしまいました。

そして、破壊された原発を臨む自然の景色は、力強く息づいていました。

90歳を超えて作品を描くということなのかもしれませんが、描かれる世界が常識を乗りこえてしまって、悲劇的な景色も輝いているのです。

驚きました。

描き続けて60年以上、ただ一人行く境地になっておられるのでしょう。

ありがとうございました。