『君の名は』を観てきました。
シネックス・マーゴで。
関にあります。
車で、高速道路に乗り、1時間30分ほどのところです。
高山市民は、映画を観るために、最短でも関まで行かなければなりません。
富山に行く方も多いのですが、映画だけ観るのなら、マーゴの方が得かもしれません。
君の名は、まだまだ見に行く人が多いようで、12時45分の回で、30人ほど入っていました。
平日の昼間ということもあり、ほとんどが、中高年です。
おどろいたことに、高齢の方も多かったのです。
普段アニメ映画など観ないと思われる方々が来られていたのです。
どういう理由からでしょうか。
なかには明らかに、私たちと同じ、飛騨からの人も見受けられましたが、年配の方々ばかりでした。
ニュースでも度々取り上げられるからでしょうか。
仲間内の会話で、この映画の話題が出るからでしょうか。
あきらかに、社会現象になっています。
ですから、上映中は静かなものでした。
お菓子を食べる音が響くので、困ってしまいましたが・・・。
私も映画館で観るつもりはなかったのですが、どこへ行っても、誰と話していても、特に飲んでいるときには、この映画の話題が出るため、観なければと行ったのです。
こちらの地方が映っていると話題の映像は、後半少し流れます。
ある事情により。
そこで私が驚いたのは、古川の映像ではなく、名古屋駅でした。
映った瞬間、 あっ!名古屋駅だ! とわかりました。
正確には地下の連絡通路なのですが、在来線から新幹線のホームへ、わたしも何度も急いで行きましたから、その空気が感じられのです。
というようなわけで、映像は見応えがありました。
ここぞという場面では、細部にわたり描かれていて、立体的にも見えるのです。
実写では得られない、気持ちが乗った”リアル”な映像が見られるのです。
そこが、40代、50代の観客に受ける映画かもしれません。
物語ではなく、描かれる絵に惹かれるのです。
田舎に住んでいる、住んでいた人たちに共感を得られる映像です。
そういう点では、都会人にはそれほど響かない映画かもしれません。
ただし、失ってしまったものへの郷愁という点では、普遍的かもしれませんが。
または、終わってしまうかもしれないという、諦念感もあるかもしれません。
そう考えると、最後のシーンはおまけかもしれません。
ずいぶん前に鑑賞した息子は、逢わないまま終わるのではと思ったそうです。
そのほうが自然ですし、テーマ的にも合っているような気がします。
ストーリー自体は、ネタばれ注意とかつきますが、私からみると、珍しいことはありません。
この手の話は、よくとまではいわなくても、あります。
それよりなにより、描かれた世界が、忘れていたものに触れるような感触があるのです。
それほど切なくなくて、センチでもなくて、そこらへんのさじ加減は絶妙だと思うのですが、感情が流されないのです。
それだからこそ、何か大切なものを忘れているのではないかと、作中、何度も名前をいいますが、触れそうで触れられないものを感じるのです。
ここ何年かで、悲惨な災害を経験しているため、それは地方で起こったことなのに、日本人全員がうちひしがれる感があるので、そのことを思い起こさずにはいられない、ものもあるのです。
失ったものは絶対に還ってこない、ことが逆に思い知らされる作品でもあります。
ですから、時間のずれがテーマになっていて、それが後半わかるのですが、あれほどリアルなものがどうであったかと気がついたときに、大げさですが、既視感に襲われました。
感じ方は観た方それぞれだと思いますが、私的には、『鎮魂歌』、でした。
勝手な解釈として、この作品は、「(宮崎アニメ+エヴァンゲリオン)÷2」、でもあります。