富士山とその周辺が世界遺産に認定されました。
地元の方たちは喜んでいるでしょう。
私の住む町の隣村も、世界遺産に認定されています。
おかげでとても賑わっています。
富士山関連で商売をしている人たちは、売り上げが伸びるだろうと期待しているのではないでしょうか。
けっこうなことだと思います。
が・・・
はたして喜ばしい面ばかりなのでしょうか。
今日の朝日新聞の読書欄に、富士山に登った方の投稿が載っていましたが、山小屋が汚いうえにすし詰め状態で良くなかったということでした。
その上、世界遺産になったから世界中からお客さんがみえるわけですから、もっと過ごしやすい小屋にしたらどうかと意見をされていました。
私も富士山に登って八合目の山小屋に泊まったことがあります。
たしかにすし詰め状態で、ほんの仮眠だけで出ましたけれど、思うに、それが当たり前なのではないかということです。
山小屋に快適さを求めても無理だろうと。
もちろん、最近の山小屋がちょっとしたホテルなみに良くなっているところも知っています、が、富士山の山小屋はあの程度でしかしょうがないのではと思うのです。
山小屋は、斜面の余裕がないところにへばりついて建てられています。
余裕がある建物を建てようとすれば、斜面を削ることになってしまわないでしょうか。
登山者も、他の山と比べようないくらいの多くの方が登ります。
必然的にすし詰めになるのです。
ここからが問題で、世界遺産になったから、世界中のかたに満足してもらえるような設備を備えなければならない、となると、いままでの慣習が壊れてしまいます。
富士山が汚れていると、それは登山者が多いからですが、これを機に、登山者に規制をかける、ともなりかねません。
富士山は日本人の誇りであり、大げさに書くと、魂の拠り所でもあると思うのです。
それが、世界遺産になったことで、世界の標準で管理されるようにならないかと。
富士山の今後のことを決めるのに、日本はもとより、地元の方の意見も無視されてしまわないかと。
富士山だけでなく、その周りの環境も世界遺産ですから、例えば、日本人なら立ち入らない樹海も、世界的な基準から鑑み調査が必要だと開発されたり、伏流水も、世界遺産だから世界が管理する、とならないかと・・・。
地元の者が勝手に持ち出したり、汲んだりできなくはならないかと・・・。
大げさな懸念ではありますが、考えてしまうのです。
少し前に、ヨーロッパの世界遺産である都市が、川に橋を架けたため世界遺産登録を取り消されたと話題になりました。
これなどは、地元にとっては、橋だけの問題ではなかったのではと思うのです。
世界遺産になったため、色々と規制がかかって、例えば、道を拡張できなくなったとか、車で通れなくなったとか、地元の住民が窮屈な生活を強いられてしまったのではないでしょうか。
あげくは川に橋が架けられず、ついには、世界遺産はもういいから、生活を優先させよう、となったのかもと。
私の勝手な推測ですが・・・。
世界遺産になり、確かに地元は潤うと思います。
ですが、犠牲を払わなければならない面もあると思うので、喜んでばかりもいられないのではと思ったのです。
実は、こちらの町でも、祭りや屋台を世界遺産に登録してもらおう、という運動がありました。
はたして、それが良いことなのか、もっとよく考えてみた方がいいのではと。
こちらから世界遺産に登録してもらいたいと願い出たのだから、無理難題を持ちかけられたときには、断れなくなってしまいますから。