戸惑い八景

見たり聞いたりしたモノを独自に味つけしました。
飛騨の高山から発信しています。

辛いか~

2013年12月13日 | 想うこと

 

昨夜、たまたまテレビを点けたら、小津安二郎さんの特集を放映していました。

没後50年ですか?

一時間放送のうち、後半30分を観られたのですが・・・

吉田喜重さんが、コメントしていた映像を何度か見て、”老いたな~”、と感慨深いものを感じてしまいました。

といって、吉田さんの映画は観たことがありません。

”松竹ヌーベルバーグ”の旗手と謳われていましたが、興味のそそられる作品は、個人的にありませんでした。

その点が、大島渚さんとはちょっと違いました。

なのに、なぜ、吉田さんが強く印象に残っているのかといいますと・・・

半世紀以上前の松竹の納会の席で、若かりし吉田さんは、「厚化粧した夜鷹が、いまだ大きな顔をしている」、と仰ったそうです。

一種の革命家だと思われます。

その発言の後、小津安二郎さんは、吉田さんの膳の前に座り、お酒を注ぎながら、「そう言うけどな~」と話にならない呟きを長々としていたそうです。

その吉田さん、テレビのコメントで、小津の映画は、「残酷なまでの現実を描いたのだ」、とくり返し述べていました。

親と子の情愛とか、夫婦愛の切なさとか、表面的には人情が描かれたようにみえますが、実は、どうしようもない辛さが描かれている、ということでしょう。

遺作となった、『秋刀魚の味』、私は観ておりませんが、昨日の特集で、最後の場面を紹介していました。

当初の台本では、娘の部屋の姿見のショットで終わるはずが、その部屋を下から見上げ台所に入る父親を描く、に変更したそうです。

そのシーンだけを観ましたが・・・

確かに、辛い。

ヤカンから水を注ぎ飲み、父親は、一人になってしまった現実を、改めて噛みしめるわけでしょう。

また暗いんだ、この部屋は・・・。

そこにあるのは、”どうしようもない現実”、だったのですね。

小津スタイル、ともいうべき形式的に描かれている映像なのですが、実は、残酷なまでの現実を切り取っていたのだと、改めて知りました。

高校時代、教育テレビの映画放映で、『晩秋』を観ました。

私の小津映画初体験だったのですが、見終わった後、意地らしく切なくて、たまりませんでした。

”いったいこれは何なのだ”、といった気持ちを抱えたわけです。

昨日のテレビを一緒に観ていた、娘が、笠智衆さんを観て、”なんてへたくそな人なの”、と言いました。

確かに、一見するだけでは、そう見えてしまうでしょう。

しかし、『東京物語』を観ると、笠さんが、なんともいじらしく見えてしまうのです。

これが、寅さんだと、ある意味、おかしみのある頼もしいお坊さんに見えますが。

でも、結局は、”辛いんですね”、見終わった後は・・・。

岡田茉莉子さんも、コメントをたくさん述べていましたが・・・

そのなかで、私は二枚目半の役を求められました、と半分不満調で述べていました。

存在感といい、素晴らしいものがあったと思いますが・・・

デビューしたての岩下志麻さんとのツーショットや、若い頃の原節子さんの華やかさの前では、そうなってしまうだろうというのは、辛い、ところでしょう。