戸惑い八景

見たり聞いたりしたモノを独自に味つけしました。
飛騨の高山から発信しています。

ミドルシュート

2015年01月31日 | 想うこと

アジアカップ、アジアNO1を決める大会ですが、私の予想通り、オーストラリアと韓国の闘いになりました。

ですが、我が日本は、オーストラリアに負けての決勝だと思っていたのですが、その前に負けてしまっています。

その決勝戦、なんとしても、オーストラリアに生意気な韓国をたたきのめしてほしい、と思って観戦していたら、なんと、0-1で負けている韓国が、後半、ロスタイムに1点を入れたじゃないですか。

執念の1点でした。

何が何でも負けられないの、思いでのシュートでした。

これですよ、これが日本にかけているのです。

日本はなんといっても、和のサッカーですから、みんなで仲良くパスサッカーを目指しています。

そしての、一番の得意は、バックパス。

明けても暮れても、チャンスでも、バックパスですから。

決勝戦、延長になっての前半終了間際、オーストラリアの選手が二人に囲まれ蹴られてもゴール前に執念のパスを出しました。

そして、決める、と。

これぞ、決勝戦ではないですか。

まだ、勝者は決まっていませんが、延長戦の後半に入りました。

こういう試合を見ていますと、日本の戦い方が・・・まあ、周りがおだてすぎるのだろうと、思っていまいます。

 


暖かくしたら・・・

2015年01月30日 | 想うこと

雪は心配したほど降りませんでした。

と書いたとたん、「今夜大雪のおそれ」、という天気予報の音声が隣の部屋から聞こえてきました。

こちらの地方かどうか分かりませんが・・・。

日本だけでなく、雪の降る地域は、とくにアメリカの東海岸では、爆弾低気圧による暴風雪に襲われているようです。

都市の住民たちは、朝出かけるのに、車の周りの雪をかいて、暖機運転してから出かけます。

まあ、それは日本でも同じなのですが・・・

なんと、アメリカでは、暖機運転中に、何台もの車が盗まれるそうです。

雪をかいて、車が暖かくなったら、他の者が乗っていってしまうなんて・・・。

泣きっ面に蜂、ですよ。

酷すぎる話ですが、なんとも悲しすぎるではないですか。

少なくとも、いまの日本ではあまり聞かない話だと思いますが。

 

 


寒気か・・・

2015年01月29日 | 想うこと

今シーズン初めて、仏間に避難している、ズブと金魚の水槽にレスキューが入りました。

妻が、お湯をかけました、凍みついた水槽に。

いままでしなくても良かったことが、特別なのですが。

ということは、今シーズンは、例年より暖かかったということです。

かった、とはまだまだ冬ですから言えませんが、今のところはということです。

ですが、今朝は久々に冷えました、たぶん、-10℃いったでしょう。

久しぶりです。

寒さはこの程度なのですが。

この冬は、雪が異常に多かったです。

かった、で終わってくれれば良いのですが、また大雪になるとか。

昨年の雪が、裏屋根にはまだ50センチくらい残っていますが、ほんとこれ以上はいりません。

ー10℃を耐えますから、覚悟しますから、50センチを超える雪は遠慮してもらいたいものです。

もっとも、世界を見てみますと、ー40℃で全市停電したロシアの街もあるとかで、寒さも恐ろしいです。

あと一月の我慢ですかね・・・。

 

 

 


またもや、救急車を

2015年01月28日 | 想うこと

午前3時半でした。

ドドドン、と大きな音がしました。

その音で目が覚めました。

ああ、また落ちたか・・・。

見に行くと、父が階段下で倒れていました。

足を絡ませるかして、数段落ちたもようです。

もようというのも、昨年10月にも階段から落ちて、救急車を呼びました。

今回は二度目で、夜中に迷惑をかけたくないので、慌てず、どんな様子なのだろうと調べたのです。

寒いなか横たわっている父には申し訳なかったですが・・・

すると、頭頂を切っていて、血が流れているのがわかりました。

これでは止むえないかと、救急車を呼びました。

頭を切った以外、これといって悪くなっているところは見えなかったのですが、救急車で、くみあい病院へ行きました。

頭頂に5センチくらいの傷があり、当直の先生に、それを縫ってもらいました。

たまたま私の知り合いの先生で、親切に観ていただけました。

もちろん、知り合いでなくても、親切に観ていただける先生です。

昼前、今度は、脳外科へ妻が父を連れて行ったのですが、その先生のおっしゃったには、傷も大きいし、救急車を呼んで正解でした、ということでした。

それを聞いて、安心しました。

むやみに救急車を呼んでも迷惑がかかるだけですし、といって、ひょっとしたらということがありますから、今回は、来ていただいて良かったのです。

深夜にもかかわらず、駆けつけてくださった救急救命士の方々、深夜当直の先生、看護士の方々、本当にありがとうございました。

 


映画は・・・

2015年01月27日 | 想うこと

ゲオで、ビデオ屋ですが、昔の名作といわれる映画が順次出されています。

一昨日は、ベルイマンの『第七の封印』を借りてみましたが、ますます、色々借りてみたいと思うようになりました。

フェリーニも好きでした。

『サテリコン』は映画館で、名画座ですが、2回観ました。

それでいて全体が把握されていないのですから、いかにフェリーニのマジックに翻弄されたかです。

30年ぶりに観たいと思っています。

ブニュエル、タルコフスキー、そして、ビスコンテ、私の映画道を導いてくれた監督たちです。

ビスコンテの『山猫』、岩波ホールで2回観ました。

30年ちょっと前、予告編でワルツのシーンを観て、その美しさに感銘を受け、公開日、岩波ホールの階段で1時間近く立って待っていて、観たのです。

公開当時のネガからポジをおこしたというフィルムで。

あまりに美しく、二週間の公開期間に、2回観てしまったのです。

10年ほど前ビデオになったので購入しましたが、観たのですが、あの当時の感動は得られませんでした。

それは当然のことなのですが、やはり、画像の美しさが足りないのです。

せめてブルーレイで、それ以上の画質なら、もう一度買います。

『ルードヴィッヒ』もそうですね、高山の昔の映画館で観たときには、画面の暗さと幕がかかったような画質に失望してしまいました。

ブルーレイで出ないものでしょうか。

抜けるような絵といいますか・・・東宝直属の映画館で、『用心棒』を観たとき、それは封切り映画がこけたため、急遽、黒澤映画特集に代わったので観られたのですが・・・

向かい側から店の中を撮っていて、玄関から内側まで、抜けたような奥行きのある映像を観たときに、白黒映画ですが、その深さに、なんと美しいのだろう、と感動したのです。

これは、ケビンコスナーが出演した『ボディーガード』で、途中、『用心棒』が流れるシーンでも感じました。

望遠で撮っているため縦の動きに全て焦点が合っていて、殺陣が美しく見えるのです。

用心棒はきちんと映画館で観ていますが、洋画の中で唐突に映し出されたため、よけい強調して観られたのです。

ですが、これも、綺麗に映される映画館でなければ経験されないことです。

『シャイニング』での冒頭の、葬送行進曲が流れている映像、吹雪の迷路の美しさ、すべて、かつてのビデオでは経験できません。

『影武者』の、朝日を受けて、謙信が馬に乗って登場するシーン、美しさに身もだえしてしまいました。

すべては、映画館の、直営館での経験です。

・・・やっぱり、映画は映画館で観なければ。

少しづつ、フラストレーションが溜まっているのでしょうか・・・。

 

 

 

 

 

 

 


沈黙からの・・・

2015年01月26日 | 想うこと

テロにはパロディーで、っていうのでしょうか。

よく分からないのですが。

イスラム国の日本人人質ビデオの映像を、コラージュした画像がネット上に溢れています。

多くが、萌え系の戦士が映されていますけれど、それを見ていると、自分の中にも両極端な思いが沸いてきます。

とうぜん、不謹慎な、という強い想いが沸きました。

人の命をもて遊んでいるようで嫌な気持ちになるのですが、見続けていると、これも一種の抗議なのかな、とも思えてきました。

コラージュしている人たちは、たぶん、若い世代だと思います。

平和な日本で、テロとは無縁に育ってきた世代、それは私も同じですが、だから描ける、ある意味、無責任な表現だとも考えられるのです。

と思う一方で、彼らの抱えているであろう、虚無的な、世界の終わりを内包しているような精神であるからこそ、できる行為だとも考えるのです。

そしてその行為には、彼らなりの闘いの精神があるのではないかと。

何も持っていない世代。

何も必要としていない世代。

当然武器なんかないわけですから、正面からは闘えません。

だけれど、心のどこかで、間違っていると、こんなことはいけないのだ、とテロ行為を批判しているのではなかろうかと。

それとも、ただおもしろがっているだけなのでしょうか・・・。

だけれど、流れてきます、頭の中にメロディーが流れてきています。

『ドラゴンナイト』、世界の終わり、の音楽です。

まるで、ディズニーランドのパレードのような音楽。

無線機で、遠くからしか聞こえない歌声。

全て無意味なんだから、争うことは止めようよ、と。

昨日、イングマール ベルイマンの『第七の封印』を観ました。

ベルイマン、30年前の映画青年には、必須の映画監督でした。

私も、映画館で、『沈黙』、『叫びとささやき』は観ました。

最近は、ビデオ屋で、デジタル処理された昔の名作映画が並ぶようになりました。

それで、第七の封印を借りてみたのですが、相変わらずの”神様の沈黙ぶり”には、嘆かわしいものがありました。

もっとも映画自体はそれほど暗いものではなく、旅役者の夫婦などを観ていますと、また最後のシーンなどでも、希望のようなものも感じられます。

神様の沈黙はいまや真理でありまして、世界がどれだけ悲惨な状況に向かおうと、手をさしのべてはもらえません。

しかし、視線の先が虚無であろうと、笑うし、唄うし、死ななかったら生きていこうと、するのですね。

 

 

 


プライド

2015年01月25日 | 想うこと

近所に新しくできた、といって昨年のことですが、イタリアンへ行ってきました。

這ってでも帰ることができる距離にありますから、ディナーに行きたいと思いつつ、ランチを頂いてきました。

噂通りの、雰囲気の良いお店でした。

メニューも盛りつけもセンスの良さが伺われ、リピーターが増えるだろうと予想されます。

ピザも、娘曰く、駅前にできた専門店より味は良い、とのことでした。

近所のお店ですから、繁盛されることを願っています。

高山にも、ここ数年で、何軒ものイタリアンができました。

私の知っているだけでも、7軒も店があります。

どの店にもそれぞれ特徴があり、また良さがあるものでしょう。

と、えらそうに述べますが・・・

ある繁盛しているお店は、美味いのですが、パスタが緩く味もすこしごっちゃになっている感がありました。

ですが、そのお店は、マスターのサービスがとても良く、どのお客様にも、”あなたは特別なお客様です”、感を漂わせています。

そのために、未だ賑わっています。

あるお店は、趣味でシェフになったのか、というような料理を出しています。

私は一度行って、もういいかな、と思ったのですが、店の雰囲気が独特で、コアなファンがついているようです。

ありがたいことでしょう。

店の雰囲気か、マスターの人柄か、メニューの豊富さか、色々とお客様を引きつける要因はあるでしょうが・・・

究極のところ、味なんでしょう。

実にありきたりな結論ですが。

というのも、色々なお店に行くたびに、”ラフェ”のパスタと比べてしまうからです。

友人だから、というところもありますが、違いがはっきりわかってしまう、というところも大きいのです。

私はけっしてグルメではありませんし、高級なレストランテなど行ったこともありません。

が、違いはあるのです。

以前も書きましたが、思い切りの良さ、というか、迷いのなさ、というか、みなぎる自信、というか・・・

”誇り”、ですかね。

勘違い野郎、も世の中には数多いますから、自信があるだけではダメなのですけれど、経験に裏付けされた実力が備わっている、自覚でしょうか。

それが、ギリギリのところでの、味を決めているような気がします。

もっとも私は、美味しいワインが頂けるなら、どれも美味しい、と言いますけれど・・・。

 

 

 

 

 

 

 


ゴールの神様

2015年01月24日 | 想うこと

 

昨夜のサッカーの試合、アジアカップ準々決勝、日本対UAEですが、芝居の稽古のために、ほとんど観られませんでした。

もっとも、次の試合であったはずの、オーストラリア戦は観られますので、そちらを期待して、昨夜は観られなくても気にしていなかったのです。

が、まさかの敗退。

稽古に出かける前、テレビを点けたら、1点負けていました。

その時点で、これはどういうことだ、と思ってしまったのですが、車で移動中もワンセグで観ていて、日本は攻め続けているため、これなら大丈夫なんじゃねえ、と稽古に集中していました。

そして稽古が終わりロビーに降りてみると、まさかの、まさか続きですが、PK戦じゃないですか。

帰るに帰られなくなってしまいました。

一発目の本田が外したときに、思いました。

負の思いです。

これはもうひとり外して、日本は負けるな、と。

そして外すなら、香川であろうと。

ほんとに、そう思ってしまったのです。

言葉にしませんでしたから、なんの証拠もありませんが、その通りになってしまいました。

ワールドカップから、いってみれば、この二人の悪い調子に日本が乗ってきたようなもんです。

何が悪いって、蹴ったボールが枠に入らないじゃないですか。

嫌われているわけですよ。

ゴールの神様に。

練習よりお祓いってわけでもないですが、組合せを換えるなり、しなければ、ワールドカップの予選も勝ち抜けないのでは。

 

 

 


両極端

2015年01月23日 | 想うこと

イスラム国のに日本人人質事件、時間切れとなりましたが、どうなったのかまだわかっていません。

身代金が数億円でしたら払ったかもしれませんが、230億だとなると、どれだけイスラム国を助けるのだとなりますから、払うのは無理でしょう。

となると、処刑されたと判明したところで、首相の演説があるのでしょうか。

日本はテロと正面から戦う、と。

自衛隊の中東への派遣も現実味を帯びてくるかもしれません。

でもそうなると、そうなるように最初から仕組まれているようにも思えてしまいます。

どうなるかわかりませんが・・・。

 


猫は猫として

2015年01月22日 | 想うこと

冷たい雨が降っています。

それでも雨ですから、積もっている雪は確実に溶けていっています。

まあ、夜中には雪になってしまうでしょうが。

本当に、今シーズンは雪の当たり年になっているようで、溶ける間もなく降りだします。

12月中旬からは、うちの裏屋根には、平均して70センチくらいの雪が積もっています。

下で作業をしていると、怖いところがあります。

この雪で一番ストレスを貯めているのが、飼い猫の”パリ”でして、朝から、”遊んでくれ攻撃”をしかけてきます。

ニャーニャー鳴いて、噛みついてくるのです。

猫じゃらしを持って振ってくれと迫るのです。

というのも、雪があるため、屋根づたいでうちから出て行くことができません。

裏の水路にも雪が積もっているため、隣に行けません。

うちから一歩も外へ出ることができないのです。

雪がなければ、フラフラと近所へ遊びに行きます。

たぶん、うちから半径100メートルくらいは、パリの縄張りであろうと、推測されます。

こんなところで、と街でパリを見かけたこともあります。

それを日課にしていました。

それが雪のため家から出ることができないのです。

よって、ストレスを貯めることになっています。

ひとの顔さえ見れば、「遊んでもらわんならん」、と人の足に噛みついてでも、訴えかけてきます。