戸惑い八景

見たり聞いたりしたモノを独自に味つけしました。
飛騨の高山から発信しています。

風邪の夜

2011年02月28日 | 想うこと

風邪をひいていました。

といって、まだ完治じゃないですが。

一年ぶりだと思います。

毎年この時期に風邪をひくようです。

おかげさまで、一昨日の夜の地震は、すべて感じました。

熱があり、身体が痛いこともあり、まともに寝られなかったからですが。

グルグルグルと地鳴りがして、来るぞと構えたところで、震度4の地震を感じました。

高山で、これだけの揺れを連続して感じるのは、私にとって初めてだと思います。

しかし揺れ自体は、3秒くらいの短いものでした。

震度の割には、被害がさほど出てないのだと思います。

昔よく言われていたのは、高山は堅く大きな地盤の上にあるので、大きな地震は起きないのだ、ということでした。

それゆえ、地震に無縁の地だと、地元の者の大半は思っていますが、今回のことでそうでもないのだと思わされたわけです。

どうなのでしょう、このまま収束してくれるのでしょうか。

 


どのつら

2011年02月25日 | 想うこと

ここ一週間ほど暖かい日が続きましたが、明日からまた寒くなるようです。

日差しも強く、春だな~と嬉しく思っていたのですが、また寒気がくるとのこと。

なかなか冬服から替えられません。

リビア、どうなるのでしょう。

カダフィーさんも逃げるタイミングを失ったのでしょうか、負ければ確実に死が待っていますから、必死に防戦しているようです。

栄華を誇った一族も、イラクのフセインさんと同じような運命を担うのでしょう。

独裁者がどうなろうとかまわないでしょうが、あがき続けると内戦で国が荒れてしまいますから、国民がかわいそうです。

内戦のない日本も酷いものです。

思うに、マニフェストとはどういうものだったのでしょう。

公約だと思っていたのですが、次々と変更になってしまい、最初のマニフェストなどどうでもいいものになってしまったようです。

民主党がマニフェストを掲げ政権交代し、なんか新しくなったなと思っていたのに、元の木阿弥じゃないですか。

結局、選挙公約などというものは、選挙の時だけで、終わったら関係ないのだと思い知らせたようなものです。

分かっていましたけど・・・。

総選挙が近いかもしれませんが、民主党はどの面下げてマニフェストを作るのでしょうか・・・。

 

 

 


大地震

2011年02月23日 | 想うこと

ニュージーランドで大地震が発生しました。

大都市での地震で、阪神大震災並みの被害が出た模様です。

ニュースでも、崩壊するビルから人々が逃げまどうというショッキングな映像が流れていました。

街のシンボルである大聖堂も崩壊し、街の人たちはそれを目の当たりにしたでしょうから、この世の終わりのように感じたかもしれません。

日本からの留学生も連絡がつかない方が大勢おられるようで、大きな話題になっています。

すぐにでも日本は救助隊を派遣すべきでしょう。

ヨーロッパやアメリカより日本の方が断然近いわけですし、環太平洋地域の一員としても、すぐに対処すべきです。

また日本の救助隊はそれだけの技術力を持っています。

政治闘争は一時棚上げし、調査隊だけでなく、救助隊をすぐに送ってほしいです。

それにしても、中東諸国の革命といい、この大地震といい、2012年に向けて大きな事件や災害が発生しつつあるのでしょうか・・・。

 

 


育てて

2011年02月22日 | 想うこと

斎藤佑樹投手、先日ですが、腹痛で練習試合登板を回避しました。

神経性胃炎のようなものでしょうか。

となると、彼も人の子、と安堵するところもあります。

異常なくらいの注目度ですから、休まるところがないでしょう。

高校生の時から慣れているといっても、プロで活躍できるかどうか不安もあるでしょうし、その中での超人気ですからきついものがあると思います。

しかも、マスコミに対しても優等生的態度で応対していますから、ストレスも溜まると思います。

もうすこしそっとしておいてもらえないものだろうかと思いますが、私も彼の動向が気になる一人ですからえらそうなことは言えません。

ところで、甲子園で活躍したイケメン投手の草分けといえば、太田幸司さんがいます。

この方はハーフということもあり、私が子供の頃ですが、ものすごく騒がれていたのを覚えています。

しかし甲子園での活躍に比べ、こういったら失礼ですが、プロに入ってからはそれほど活躍できませんでした。

ですが先日新聞で読んだのですが、太田投手、甲子園で活躍していた当時は、ストレートしか投げなかったそうです。

変化球は、”曲がらないカーブ”を持っていたそうですが、曲がらなかったら棒玉ですから、実質ストレート一本でプロへ入ってきたわけです。

本人は、プロにはいって3,4年かけて変化球も学び成長しようと考えていたそうですが、周りがそれを許してくれなかった、ということのようです。

誰もが彼の投げるのを見たく、球団も、彼を試合に出せば稼げますから、まだプロとしては成長途中であった彼に試合で投げさせたわけです。

すこし残念なことだったと思います。

さて斎藤佑樹投手、監督の話では、中継ぎからでも、ということですから、一軍には同行させてもじっくり育てていく方針なのだと思いたいです。

 


学ぶ

2011年02月21日 | 想うこと

私が通っていた映画専門学校、聞けば、来年廃校になるそうです。

私は4期生でしたから、40年近く映画制作を教えていたわけですが、来年度からある大学の映画学科に吸収されるそうです。

まあ財産は継承されることですから悪いことではないと思うのですが、一抹の寂しさは感じます。

他にも、横浜映画学校も大学になるとかで、こちらは私が通っていた学園と違い幾人かの有名映画監督を輩出しましたが、日本でも大学で映画を教える時代になったわけです。

完全に遅すぎると思いますが・・・。

日本では映画の世界は職人の世界のように思われていて、入ってから修行する、という感じだったのでしょう。

そのため、学校では現場の即戦力を作ることが求められていて、事実、私の友人も2回生の後半から現場へ出て、卒業式には出席できなかったそうです。

映画制作を教えるといっても、監督や映像作家を育てることではなかったわけです。

私が学園に入った当時の映画監督といえば、東大、京大出の監督が多かったです。

大学で映画を学んだといえば、早稲田の演劇学科を卒業した監督が一人二人いたくらいで、日本大学映画学科出の監督は一人くらいしかいなかったように覚えています。

大手の映画会社所属の映画監督のことですが。

ようは、大学では映画を学んでも監督にはなれなかったわけです。

メジャーの監督になるためには、助監督試験に受からなければならなく、その試験が高学歴出でなければ合格しないところがあったようです。

時代は変わり、というか、制作・配給のシステムが変わり、誰でも監督になれるようになりましたが・・・。

さて、私が通っていたころ、仲の良かったヤツでは、一人、有名監督つきの編修者になったものがいるそうです。

二つ年上で、最初から編集を目指していて、「俺は次男坊だから故郷へは帰れないんだ」、といっていたヤツですけれど、初心貫徹したわけです。

友人から話を聞いて驚いたことのなかに・・・

カリキュラムに音楽の時間があったのですが、映像学校ですから、ほとんどの生徒は音楽を勉強することに興味はありませんでした。

その中で、自慢して恐縮ですけれど、私は音楽のテストで100点満点を取りました。

私一人で、音楽の講師に褒められたのですけれど。

なんとその講師が、久石譲さんだったのです。

ジブリ映画の音楽監督で有名な、今では大作曲家です。

久石さん、若くて無名な時、学園で、興味のない生徒たちに音楽を教えていたのです。

私のこと、覚えていないでしょうね・・・。

 

 

 


2011年02月20日 | 想うこと

旧友に会うというのは、なんとも不思議なものがあります。

私の場合30年ぶり、付き合いは半年しかなかったのに、会ったとたん、30年前にかえってしまいました。

10代でしたからね、田舎から東京へ出、初めてできた友人でした。

とても濃い時間を過ごしていたのでしょう、今でもありありとその当時のことを思い出すことができます。

また、話していて、「そうだったのか」と隙間を埋めることもできました。

私は彼の家に一度泊まりにいったことがあります。

友人ですから、ただ遊びに行っただけだと思っていたのですが、彼から聞いた理由が・・・

その当時、私の下宿の部屋にはテレビがなく、テレビで放映される『ワイルドバンチ』が観たくて、彼の家に泊まりにいったのだと、教えてくれました。

ペキンパーですから、その当時大好きな監督でした。

現在と違いホームビデオなんかなく、テレビで放映される洋画を楽しみしていた時代です。

それを観たくて泊まりにいったなんて、完全に忘れていましたが、若くなければできないことだと、驚いたしだいです。

それからすぐ、秋葉原にテレビを買いに行きました。

彼についていってもらい。

中古のカラーテレビを買いました。

配達などしてもらえませんから、14インチだと思いましたが、けっこう重いテレビを持って総武線に乗りました。

二人で持って乗り込んだのを覚えています。

ですが話していて、そのブラウン管テレビの重さと、満員電車の湿っぽい臭いを思い出したしだいです。

半年後、私の不都合な理由により会えなくなったのですが、それ以来まったく連絡不通だったのですが、一月前、ひょんなことから連絡がついたのです。

そして30年ぶりに会うことができました。

縁があったのですね。

ありがたいことです。

やり残していたことを、少しですが整理できたような気がします。

 

 

 

 

 


裏方

2011年02月19日 | 想うこと

打ち上げ時に聞いた、映画制作に関しての興味深い話を一つ・・・

渉外担当者が、ある怪獣映画の制作に関わったときのことを話してくれました。

その映画は”平成版○○○”ですが、私の大好きな映画です。

怪獣映画なので、物語の監督と特撮映画の監督、二人いたそうです。

ご多分にもれず、ドラマの方の演出はわざとらしくなり、好きではなかったのですが、怪獣を中心とする特撮がとても優れた作品でした。

渉外担当者は特撮監督についたそうですが、その特撮監督は細かいところにこだわる方で、彼はとても苦労したそうです。

怪獣が暴れる街を忠実に再現するため、市役所から都市計画図をもらってきて街を作ったそうです。

また、ビルが壊れるのをリアルにするため、ビルの内面図・設計図を各会社からもらったそうです。

ですが、設計図等は内部文書に属するためなかなかもらえなくて、交渉に苦労したそうです。

たまに、私のようにその怪獣映画が好きな担当者もいて、「会社には内緒ですけど」と言われ貰ってきたこともあるそうです。

また、街にある看板をしっかり描きたいため、主立った会社に看板を模型の中に使用する許可も貰いに行ったそうです。

それだけでも大変な苦労があると思うのですが、中には、看板を使用することを許可しない会社もあり、その言い分が、「例え映画の中でもうちの店を壊してもらいたくない」、といったものがあったそうです。

そういう場合、怪獣は町を破壊していきながらも、そのお店だけは壊さなかったそうです。

たぶん、そのお店の人は映画を観ることはないでしょうが、もし後日問題が起きた場合、ラッシュを観てもらい、「破壊王(怪獣)でも、あなたのお店だけは壊すことができませんでした」、と申し開きをするつもりだった、と言われました。

私ならば泣いて喜びますが・・・。

映画制作というと、どうしても華やかな部分だけが強調されますが、このような裏方の苦労があって成り立つものだとあらためて知りました。

しかも、作品の善し悪しも、裏方さんの技量に左右されることもあるんだな、と思ったしだいです。

 

 

 


打ち上げ

2011年02月18日 | 想うこと

30年ぶりに、東京にいた頃の級友と再会しました。

電話で声だけ聞いていて、声の印象はよく覚えていたのですが、会った瞬間は誰だか分かりませんでした。

お互い十代でしたが、ほんの半年ほどの付き合いだったのですが、すぐに話が弾みました。

話しているうちに色々なことを思いだし、まるでその時分に戻ったかのような感じになりました。

思い出話に花が咲き、まだまだ聞きたいことがあったのですが、彼の所属する撮影隊が打ち上げを催していて、彼にも集合がかかりました。

どうやら撮影が思いの外早く済み、翌日は午後からで高山分が終了するため、急遽打ち上げが決まったようなのです。

そこで私は、彼をあるお店へ連れて行きました。

店に着き帰ろうと思ったのですが、監督に紹介するからと言われ、そのまま座敷に上がってしまいました。

それから2時間あまり、居座り続け飲み続け、部外者の私もおおいに打ち上げを堪能することになりました。

お店の半分あまりを占めていた撮影隊は、40名近くいました。

演出ならびに制作部、撮影照明の技術部、役者陣、美術部、車両部隊、と5つの長テーブルに別れて座っていました。

宴会もたけなわ、どこでも同じように盛り上がっているなかで、私はプロデューサーを初め、色々な方からテンション高い挨拶を受け続けました。

特に隣に座っておられた渉外担当責任者の方が色々と撮影についても面白い話をしてくださり、最後まで楽しく過ごすことができました。

ありがとうございました。

惜しむらくは、主演女優さんにお酒を注ぎに行けなかったことですが、正面から拝見することができ、嬉しく思いました。

お疲れ様でした。

 

 

 

 

 


ちっちゃなことから

2011年02月17日 | 想うこと

今日は暖かい日です。

雨が降っています。

しかし、昨日の朝は-11℃でした。

ひさびさに厳しい朝で、なにもかもが凍みていました。

裏にある仕事場で水を使うにも凍みてしまっていて、しばらく何もできませんでした。

そのかわり雲一つない快晴で、気持ちの良い日でした。

そのため昼散歩をしたのですが、太陽光線がまぶしく、下を向けば雪に反射した光もまぶしく、結局、目が充血してしまいました。

アレルギー体質なものでして、せっかくの晴れの日だったのに、なさけないものです。

前々日も天気は良かったのですが、私は組合の総会があったため、正午からホテルに缶詰状態でした。

理事会、総会とこなし、懇親会で色々な方とお話をしてきました。

いまはどこもよくない話ばかりで、何をしたらいいのか、どなたも分からないようなことを言っていました。

景気が良くなる兆しは全くないのですから仕方ないことです。

そのなかで、おや、と思ったことは・・・

市議会議員の方の話からなのですが、地方分権をいっそう進めていこう、ということでした。

政府のていたらくはどなたも嘆いていることで、もう任せてはいられないと、こうなったら地方でやっていくんだと。

道州制を採用し、地方へもっと権限を委譲させる、ということです。

パスポートの申請も高山市役所でできるようになりました。

今までは総合庁舎で行っていたものです。

小さなことですけれど、進歩じゃないでしょうか。

くしくも地方では色々な政党ができつつあります。

そのことが唯一の明るい話題かもしれません。

 

 


かんぱ

2011年02月14日 | 想うこと

 今日はバレンタインデーということですが、まったく関係ない日を送りました。

それよりも寒くてたまりません。

真冬に逆戻りで、細かい雪が降っています。

娘は手作りのチョコクッキーを持って出かけていきました。

もちろん友達に配るためです。

最近のバレンタインデーは、”友チョコ”が流行のようです。

友達にプレゼントするものですね。

一時期のように、”義理チョコ”は流行らないようです。

もらっても困りますからね、なんせ倍返しをしなければなりませんから、この不景気によけいな出費をさせるな、ということでしょう。

ありがたいことです。

もっとも、本命チョコを願っている男子は多いでしょうから、そこはそこで盛り上がるのでしょう。

平和な習慣ということで。