久しぶりに、名古屋へ行ってきました。
行って、すぐ帰ってきましたけれど。
朝8時30分に出て、こちらに到着したのは、午後4時でした。
愛知県美術館だけ訪れたのです。
一度も外へ出ることなく。
芸術鑑賞してきたのは、『ゴッホとゴーギャン』展でした。
11時くらいに到着すると、受付前には長蛇の列ができていました。
平日にもかかわらず。
20日終了であるためか、すでに100人以上並んでいて、一瞬、怯んでしましました。
しかし、せっかく飛騨から出かけてきたのですから、覚悟を決めて並びました。
30分ほど並んで、ようやく入場券を購入することができました。
さすが、ゴッホは日本人に人気あるんだなと、改めて認識した次第です。
ただし、鑑賞を終え出てくると、午後1時近くでしたが、受付前に行列はできていませんでした。
結局のところ、10時に開場して、その混乱が私たちが到着したころまで続いていたということでしょう。
ゴッホ、ゴッホ、咳き込むように観覧は続きます。
絵の具の塗りたくりが脳髄に響いてきます。
色がうねっているというか、これでもかというくらい塗りたくった色が眼前に迫ってくるのです。
そのため、並んで展示されている、ゴーギャンの絵は、薄い印象を抱いてしまいます。
単に嗜好の問題かもしれませんが。
気づいたこととしては、今更ながらで記すことですが、人物画が印象深いということです。
変な色合いで、バックもなんでこんな色なん、という配色ですが、静かに息づいている感じがあります。
今更ながらですが。
やっつけ仕事なのに、神がかり的な筆遣いがある、という、私なりの印象を受けました。
あくまでも、私のとらえ方です。
見続けているうちに、夢でうなされるかも、と畏れてしまいました。
絵に添えて書かれている、解説で、「黄色」と「ひまわり」が強調されていましたが……
その肝心の、「ひまわり」は展示されていませんでした。
……なんで?
いくつも描かれていたでしょうに。
一点もないのです。
展覧の最後に、ゴーギャンの「ひまわり」が展示されていましたが、むなしいばかりです。
それはそれで切ない感じはありますが、ゴッホを偲んで描かれた、と記されているように、一点のひまわりでしたから。
それでも、日本人にとって、ゴッホといえば、ひまわり、でしょうと。