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デジカメ持って小旅行「千葉県清澄寺(せいちょうじ)」

2009-12-01 12:38:59 | 旅行

 今週の日曜日、一日中ほぼ好天に恵まれ、天気予報が見事に外れた。日曜日に出かけることは滅多にないが、最近娘が通勤に車を使っているせいで、私と妻はその合間に出かけることになる。
 この日も朝の天気を見て急遽のドライブとなった。選んだルートは、養老渓谷を経由して地方道81号を南下するというもの。
           
            渋滞の始まり
           
           
            渋滞を抜けて国道465号線
養老渓谷手前から渋滞が始まっていた。それもたいしたこともなく、81号線に入った。
           
           81号線、山の中の狭い道
 この81号線というのは、いわゆる舗装した林道でところどころ対向車との交差が難しいところだ。待避所が設けてあるが、運悪く鼻面を付き合わせると、どちらかの車が後退しなくてはならない。そこを何とか抜けだして、清澄寺手前の駐車場に着いた。駐車場には参拝者の車が、十台ほど停めてあった。このころ少し日が翳って風が冷たく感じられた。
          
          海がかすかに見える
 ここは小さな山の上にあって、海が見渡せる。この日は見通しがよくなかった。歩いていくと閉じてある商店もあって、少しさびしさを感じさせる。
           
            仁 王 門 
           
            本 堂
             
             装飾の少ない中門(ちゅうもん)
           
           梵 鐘
 仁王門から広々とした前庭に入っていくと、本堂、中門、梵鐘、仏教会館などが囲むように建っていた。大伽藍を髣髴とさせる。
 千葉県鴨川市にあるこのお寺、千光山清澄寺は、宝亀2年(771年)不思議法師が刻んだ虚空蔵菩薩(この虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)は、広大な宇宙のような無限の智恵と慈悲を持つ菩薩)の像を祀って開基し、その後、平安時代に慈覚大師によって、像坊・堂宇を建立して開創された。当時は天台宗の大寺だった。
 約800年後の江戸時代初期、徳川家康の帰依を得た仲恩坊頼勢法印が恩賞として賜った10万石の格式・500石の朱印・醍醐三宝院宮別院の称号及び本山格式等を背景に再興。それ以来真言宗智山派に属して約380年続いた。
 大正時代には明治の廃仏毀釈の余波と大型台風の被害で衰微し、再興のため紆余曲折を経て昭和24年(1949年)日蓮宗に転宗した。
                
                虚空蔵菩薩
帰路は渋滞を避けて国道410号線をのんびりと走った。
コメント
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