Wind Socks

気軽に発信します。

読書「サンドリーヌ裁判SANDRINE'S CASE」トマス・H・クック著2015年ハヤカワ・ミステリ刊

2022-12-21 17:25:29 | 読書
 「私は仕事を失い、この小さな町を歩き回る自由を、そこの住人の敬意を失い、もうすぐ娘も失うことになるだろう。もしもこういうすべてがサンドリーヌの策略だったとすれば、彼女はこの陰鬱なゲームの勝利者になるだろう」
アンドリーヌ裁判結審の数日前、私こと英米文学教授サミュエル(サム)・マディソンが、このように考えるようになっていた。
 人間の愛とやさしさを裁判という舞台を通じて、見事に開花させたミステリと言える。

 サムはある夜、サムの妻アンドリーヌがベッドで死んでいるのを見つけた。サムの自殺だという言葉に、警察は疑問を持った。まだ検死解剖もしていないのにどうして言えるのだ。状況証拠の積み重ねではあるが、検察はサムを起訴した。

 アンドリーヌは、本や書類が乱雑に散らばる薄暗い部屋で、あの透き通る白い肌の左胸の乳房があらわになり、右の乳房から下には白いシーツがかかっている。頬紅を指し左手の指にはバラの花一輪を持っていた。サイドテーブルには、ビン類とローソクが灯っている。瞼は閉じ加減で口元に笑みをたたえていた。

 かつて公園でサムが読書に熱中していた時、声をかけてきたのがアンドリーヌだった。一目見たときハッとするほどの美貌と抜けるような白い肌が、サムの脳裏に焼き付いた。
 旅好きのアンドリーヌの提案でフランス、イタリアなどに足を運んだ。特に気に入ったのがフランスのアルビという小さな町、しかもそこで「あなたしかいない」と言ってサムに求婚する。結婚したのはあなたが優しいからだと言っていたアンドリーヌ。

 アンドリーヌとサムの夫妻は対照的なのだ。教育熱心で誠実なアンドリーヌ。サムはやさしさはあるが、自らの知識をひけらかし、皮肉っぽい比喩で理解できない相手を困らせたりする。
 例えば、凡庸な学生たちとの際限のない個人授業。しばしば読み書きの初歩を教えるだけの、なんの重みもない授業に。それこそレベルの低い、落ちこぼれのための補修にすぎないという前提で「主語と動詞の一致の高邁なる高み」と言ってアンドリーヌを怒らせる。

 アンドリーヌの反撃は、「私は彼らが必要としているものになるつもりよ、サム。あなたが必要としているものでなく」

 主語によって動詞が変わるという意味で、主語はアンドリーヌ、動詞は学生とすれば一致するのは幻想かもしれない。そんな皮肉を込めたサム。その優しさを失ったサム。

 このころの夫婦関係は、寒冷前線に覆われたように冷え冷えとしていた。目を合わさない、言葉も交わさない、ベッドも共にしない。それに拍車をかけたのがアンドリーヌ46歳の時、筋萎縮性側索硬化症(ALS)と診断されたことだ。

 裁判は有罪か無罪か、予断を許さない状況。最後の証人として呼ばれたのが、サムの同僚マルコム・エスターマンだった。マルコムの証言は、サムを死刑囚監房に追いやるどころか、陪審員から無罪の評決を得た。そこにはアンドリーヌの心からの愛が溢れていた。そしてすべてが明確になったのは検察官の提示した大型の本でだった。

 サムは涙を流しながら思い出した。フランスの小さな村アルビの美術館で観たアントニオ・マンチーニ「休息」という絵画だった。
 この絵を前にして二人とも呆然と立ち尽くしていた。「不思議だけど、この絵の中の女性が心配で仕方がない。彼女のそばに横たわり、ただ……抱きしめてやりたくなる」とサムは言った。そしてアンドリーヌは、この絵画そっくりそのままの形で死を選んだ。

 やっと気づいたサムは、アンドリーヌの策略と邪推したことに恥ずかしさを覚え、驚きと光明を見る思いだった。アンドリーヌ亡きあと、どのような人生を歩めばいいのか不安が募っていた時の希望となった。

 2042年7月12日ガーナ、アクラ西アフリカ・エイジェンシーの記事。
 「サンドリーヌ・スクール・オヴ・クマシの敬愛された創設者、サミュエル・ジョゼフ・マディソンが74歳で亡くなった。ミスター・マディソンは2014年に妻のサンドリーヌ・アレグラ・マディソンを記念してこの学校を創設し、学校にはその名前が冠された。ミスター・マディソンは25年間にわたってクマシやその周辺の村の子供たちに教えた。
 生徒の多くはイギリス、オーストラリア、アメリカに渡って高等教育の学位を取得したが、この記事を書いている記者もその一人である。ミスター・マディソンの遺族、娘さんのアリもやはりこの学校で教師をしており、彼女によれば、この学校のドアはこれからもいつまでも開かれているとのことである」

 サンドリーヌは、1973年初演のミュージカル「リトル・ナイト・ミュージック」の中の一曲「Every Day a Little Death」が好きでよく聴いていた。そのほかに「Send in the Clowns」という曲があって、私はこちらの方がいい。多くのシンガーに歌われている曲だ。フランク・シナトラの歌唱でよく聴く曲である。
 このClownsというのはサーカスのピエロでなく、道化師・愚か者を指すと作曲者のスティヴン・ソンドハイムが言っているとウィキペディアにある。
フランク・シナトラでどうぞ!
 もう一つ、絵画とそっくりに死を選んだアンドリーヌが魅入られたアントニオ・マンチーニ「休息」もアップしておきます。


コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 日常「パスワードのこと」 | トップ | 海外テレビドラマ「THE TUNNE... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

読書」カテゴリの最新記事