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映画「バベル」一丁の銃がモロッコ、アメリカ、メキシコ、日本にもたらす愛の行方(アマゾンプライム)

2018-09-06 14:37:36 | 映画

           
 旧約聖書「バベルの塔」をモチーフにしたといわれる。バベルの塔は「実現不可能な天に届く塔を建設しようとして、崩れてしまったと言われることにちなんで空想的で実現不可能な計画を比喩的にバベルの塔と言われる」

 が、もう一つには語源から来るものがある。「正確にはバベルの塔という表現は聖書にはない。バベルはアッカド語では神の門を表し、聖書によるバベルはヘブライ語のbalal(ごちゃまぜ)からきているとされる」のがある。(ウィキペディア)この映画は、四か所の事柄を描いていて、この「ごちゃまぜ」がぴったりに思える。

 モロッコに住む一家に届けられたのは、ウィンチェスターM70ライフル。この一家にはヤギの天敵ジャッカルを撃つためのものだ。ヤギの世話は息子の兄弟に任せている。銃の試し撃ちでは、兄より弟の方がうまかった。この銃が3キロ先の標的も撃ち抜けると持ち込んだ男が言う。そういうことを聞くと試したくなるのが人情というもの。

 兄が走る車を撃っても当たらない。それではと言うことで、弟が木が一本も生えていない荒涼とした起伏の間にある未舗装道路を、縫うように進行してくる遠くのバスに狙いを定める。

 このバスにはアメリカからのツアー客が乗っていた。その中にリチャード・ジョーンズ(ブラッド・ビット)とスーザン・ジョーンズ(ケイト・ブランシェット)の夫妻も乗っていた。この二人、途中の休憩所のテーブルを挟んで座ったリチャードが「許してくれ」と言うがスーザンはハッキリとしない。何か問題を抱えている夫婦のようだ。窓際に座ってうとうととまどろむスーザンに一発の銃弾が肩を貫いた。車内は騒然とし「テロか?」リチャードは必死でガイドに救急車を求めている。

 東京の麻布。娘チエコ(菊池凛子)のバレーボールの試合を見守る綿谷靖次郎(役所広司)。高校生のチエコは聞こえない話せないという二重苦の持ち主、相手の唇を読むことで理解し自らはメモ帳に筆記して伝える。同級生とは手話で会話をする。無音の世界に存在するチエコの心はやや歪んでいる。

 父靖次郎ともうまくいっていない。靖次郎の気配りが鬱陶しい。放課後は渋谷や新宿で遊ぶ。しかし、男たちは聞こえない話せないと分かれば、怪物でも見るような表情になる。心のつながりのない毎日が続く。

 アメリカ、ロサンジェルス。ジョーンズ夫妻の子供デビー(エル・ファニング)とマイク(ネイサン・ギャンブル)をメキシコ人乳母のアメリア(アドリアナ・バラーサ)が留守宅を守っている。アメリアの息子の結婚式出席の不在も代わりのベビーシッターも決まっていた。ところがリチャードからの電話でベビーシッターが行けなくなったので、君に頼むと一方的に電話が切れた。アメリアは知り合いの乳母に預かってくれるよう頼むが、どこも引き受け手がない。仕方なくサンチャゴ(ガエル・ガルシア・ベルナル)に車でメキシコ往復を頼んだ。

 モロッコの警察の捜査が進んでいて銃の提供先が判明した。それはモロッコ人ガイドが日本人から贈られたものだった。その日本人と言うのがチエコの父綿谷靖次郎だった。

 靖次郎の留守中、警視庁の浜野良夫と真宮賢治(二階堂智)が訪ねてきて、チエコに靖次郎からの電話が欲しいと言い残して帰って行った。

 再びモロッコ。スーザンは、ガイドが連れてきた獣医の傷口の縫合と高齢のばあさんが吸うアヘン? なのかスーザンも吸って痛みが和らぎ小康を保っている。そんな折も折、スーザンが「我慢できなくて漏らした」と言う、しかもまたしたくなった。

 リチャードはガイドから洗面器のようなものを受け取りスーザンのお尻にあてがう。痛みのあるスーザンにはリチャードの体が支え。スーザンを抱きかかえたリチャードが再び言う。「許してくれ。サムが死んだとき、僕は逃げた。怖かったんだ」スーザンも「私も怖かったわ」

 どんな状況なのか明らかでないが、他人から見れば何でもないことでも、夫婦となれば重い意味を持つ場合が多いことを思えばようやく光が見えたのだろう。そしてヘリコプターの爆音が近付いてきた。

 モロッコのもう一つの一家。警察は射入口から発射された位置を確定し、付近に散らばる薬きょうからウィンチェスターM70の持ち主にたどり着いた。父と子供二人は岩山に逃れようとしていた。警察の銃弾は、兄を死に追いやった。応戦していた弟が観念し両手をあげて「僕がバスを撃ったんだ」

 サンチャゴとともにデビーとマイクを伴ったアメリアは、弟の結婚式で嬉しそうに笑い踊った。夜遅く周囲の「飲んだんだから泊っていけ」の言葉を無視してサンチャゴは国境へ向かう。バックシートでは、デビーとマイクがすやすやと眠っている。

 検問は執拗だった。それにいらついたサンチャゴの「何か問題でも?」係官「問題があるのか?」何せメキシコ人二人が白人の子供二人を乗せている状況で真夜中となれば疑うのも当然かもしれない。「酔ってるのか。降りろ」が起爆剤。サンチャゴは国境突破で追われる身となる。しかも、アメリアと子供二人を砂漠に置き去りにして「警察を撒いたら戻ってくる」と言って去っていった。

 砂漠は歩き回るほど方向感覚を失わせる。二人の子供を抱えたアメリアは必死だった。何とか砂漠からの脱出を図ろうとして、子供二人を木陰に置いて道路を探す。幸運にもパトロールの警察車両に発見される。事情を説明して子供のいる場所に戻ったが子供はいない。砂漠の木陰はどこも似たようなもの、砂漠に不慣れなアメリアが場所を間違えたのかもしれない。

 そんなアメリアとつき合うつもりのない警察は逮捕した。奇跡的に子供二人は発見されたと警察で告げられる。しかし、アメリカ人でないアメリアが乳母として働くことが不法就労にあたるとして強制退去を命じられる。国境で息子に迎えられるアメリア。

 タワーマンションの最上階31階にある綿谷靖次郎宅のブザーを押した警視庁刑事真宮賢治を迎えたのはチエコだった。「お話があるとか?」と真宮。チエコはうなずきながら真宮を招じ入れた。メモ帳を取り出して何かを書いて真宮に手渡した。

 そこには「母はこのベランダから投身自殺をした」とあった。真宮はベランダに出た。手摺は胸のあたりにあり乗り越えようと思えば可能だ。しかし、なぜ今そんな話を持ち出すのだろうと疑問に思いながら部屋に戻った。真宮には本当に確認したいのは綿谷靖次郎であってチエコではない。

 コートをとって帰る素振りをしたとき、チエコは顔を近づけてキスをしようとした。真宮は「だめです」と言って身を離した。チエコは黙って別の部屋に……出てきたときには一糸纏わない裸だった。そのチエコが真宮に近づいてきた。真宮はチエコの心の奥を理解した。そっと抱きしめた。

 コートをかけてやりソファに座ったチエコがメモ帳に何かを書いている。そのメモを真宮に手渡す。真宮がすぐ読もうとすると、チエコは手まねでポケットに入れよの仕草。

 真宮はエレベーターを降りて出口に向った時、一人の男とすれ違った。広いエントランス・ホールに初老の案内係がデスクに座っている。その男が声をかけた。「綿谷さん、こちらの刑事さんがご用がおありのようですよ」

 簡単な挨拶ののち、真宮はウィンチェスター銃M70について尋ねた。綿谷は自分のものでガイドにお礼としてあげたと言った。お礼を言って踵を返そうとして、綿谷の背中に「失礼ですが、娘さんから聞きました。奥様がベランダから飛び降り自殺をされたんでは?」「飛び降りてなんかいない。銃で自分の頭を撃ったんだ。最初に発見したのが娘だ」

 真宮は夕暮れの飲食店街を考え事をしながら歩き、一軒の居酒屋に入った。焼酎のお代りを注文した時、テレビのニュースが「注目されていたスーザン・ジョーンズさんが、カサブランカ病院を無事退院しました」

 それにちらりを目をやった真宮はポケットからチエコのメモ書きをとりだした。小さな字でびっしりと書き込まれていた。映画では内容を明かしていないが、チエコの苦悩と真宮へのお礼の言葉かもしれない。

 自宅に戻った綿谷靖次郎はチエコを探した。刑事の言った飛び降り自殺。娘は何故そんなことを言ったんだろう。ひょっとしてチエコ自身がこれから行おうとしてるのかもしれない。ベランダに出た。そこにはまさにチエコの裸体が部屋の照明に浮かんでいた。靖次郎はチエコに近づいた。チエコは父の顔をじっと見て飛びつくようにしがみついた。

 靖次郎は、妻が自殺に使った銃をまるで忌まわしいもののようにガイドにプレゼントした。靖次郎の心も沈んでいた。それを見ているチエコは、誰にも相手にされず父からも事務的な指示で愛情表現のない愛に飢えた一人の少女の苦悩を、靖次郎はチエコを抱きながら理解した。

 周囲のマンション群は、部屋の明かりが星屑のようにきらめき、抱き合う親子の姿もその中に溶け込んでいった。最後に次のキャプションが出る。「わが子供たち、マリア=エテディアとエリセオに 最も暗い夜の 最も輝ける光」

 まさに靖次郎、チエコ親子には、最も暗い夜の 最も輝ける光がぴったりに思える。この四つのお話に共通する愛を、一丁の銃に絡めて描くアレハンドロ・ゴンザレス・イニヤット監督の力量を見た気がする。最も心に残るのが日本編のお話だろう。

 映画を観終わったあと「その後は?」と言いたくなる場面がある。この映画では、真宮がチエコのメモを読んで考え事をする。真宮とチエコはどうなっていくのだろう。それぞれ別の人生を歩むのか、それともこれが縁で真宮とチエコが結婚して、チエコが幸せの笑顔になるのだろうか。そういう「その後」に想いを馳せる。これが余情と言うものか? 2006年制作
   
   
   
監督
アレハンドロ・ゴンザレス・イニヤット1963年8月メキシコ・シティ生まれ。2014年「バードマンあるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」、2015年「レヴェナント蘇りし者」でアカデミー賞監督賞受賞。本作は、監督賞にノミネートされる。

キャスト
ブラッド・ビット1963年12月オクラホマ州生まれ。
ケイト・ブランシェット1969年5月オーストラリア、メルボルン生まれ。2004年「アビエイター」でアカデミー助演女優賞受賞。2013年「ブルージャスミン」でアカデミー主演女優賞受賞。
ガエル・ガルシア・ベルナル1978年11月メキシコ生まれ。
役所広司1956年1月長崎県諫早市生まれ。
菊池凛子1981年1月神奈川県生まれ。
二階堂智1966年3月東京都生まれ。
アドリアナ・バラーサ1956年3月メキシコ生まれ。
エル・ファニング1998年4月ジョージア州生まれ。
ネイサン・ギャンブル1998年1月ワシントン州生まれ。

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