Wind Socks

気軽に発信します。

読書 小池真理子ほか「with you」

2010-04-08 21:17:56 | 読書

          
 12人の女性作家による性愛短編集。結論から言うと女性作家であろうが男性作家であろうが、性愛の場面の描き方はほとんど変わらない。変わらないと言うよりも、代わり映えがしない。
 考えてみれば性愛行為は、日常の食事や家事、仕事などと同じように誰でもが身をもって行っていることだ。したがって、作家の想像力で読者を説き伏せると言うことは至難のわざとも言える。性愛行為を赤裸々に描くだけでは不十分だ。
 この12人は、小池真理子、岩井志麻子、桜井亜美、坂東真砂子、島村洋子、甘糠りり子、桐生典子、真野朋子、黒沢美貴、春口裕子、斉藤綾子、江國香織である。この中で直木賞受賞者は、小池真理子、坂東真砂子、江國香織の三人である。他の人たちも何らかの受賞者ではあるが、読後感はかなり違ったものになった。直木賞受賞者以外は、あからさまな性行為の表現に終始しているせいかもしれない。
 小池真理子の描く女は、自宅で金で買った男とすばらしいセックスを堪能するが、男が帰るとき女は言う「私のほっぺたに、おやすみのキスをしてくれる? ついでにちょっとだけ抱きしめてくるたら、もっと嬉しい」
 男が女を買ったとき、「もう一度キスをして、抱きしめたい」なんて絶対言わない。では、さようなら、だけだ。この辺を考えると精子を差し入れる男と受け入れる女の違いなのかとも思う。女は買った男でも温もりが欲しいのだろうか。露骨な表現でなくむしろ余情の残る作品だった。
 坂東真砂子のは、農家の四十代を過ぎた年頃(歳を書いていないので推測)の後家さんが、近所の三人の子持ちで大家族の嫁に誘われて馬の種付け見物に行く。馬の交尾は圧倒的な迫力があると同時に後家さんの眠っていた情欲に火がついた。
 すると我慢できない尿意を催した。馬の種付けは、川原で行われていて離れた堤防の下に茅の茂みがあった。そこでしゃがんで用を足し終わったとき、種付け場所で目が合った百姓の男が現れた。
 日に焼けた太い首筋、野良仕事の大きな手それに股間の屹立した一物。そんな男は、無条件に欲しくなる後家さん。そこに手を伸ばした後家さんは、自身の股から出るものを拭き取る暇もなく男に突き上げられていた。
 終わったあと堤防に上がってみると、大家族の嫁が恐い顔をして立っていた。「いいつけちゃる。この村におれんようにしてやる」
 後家は怒って女の耳を噛み千切った。すさまじい女の情欲と嫉妬。この本を読んだ一つの理由として、女が男のように情欲を見境なく求めることもあるのだろうかと言うことだった。この作品でそれがはっきりとした。女も同じだということ。
 江國香織は、十代の頃から男に触りたい男の裸を見たいとしょっちゅう考えている女を描いている。変態、淫乱と思われ、付き合う男が怖気づいて離れていく。女の特異な性(さが)は、「男の人というものが、あんなにキレイじゃなければいいのにと思う。そうすれば、あたしの人生はもっとずっと整然とするだろう。十二のときに始まった孤独は、つき進んでもつき進んでも,つき抜けることが出来ない。つき進めばつき進むほど、寒く淋しく救われなくなっていく」
 ほとんどの男は、女に触りたい、見たいとしょっちゅう思っているはずだ。なのに、女が男にそう思い男に告げると変人扱いされ愛想尽かしをされる。これは一体何故なのだろう。男は積極的な女にひるむせいだろうか。例えば、どこかのバーなどで女から誘われて、すぐついていくというのは私にはできない。ちょっと危険な気もするからだ。
 それはともかく、この作品集にも解せない部分があった。原稿どおり編集してあるとすれば、オチン×ンを一部伏せ字にしてあるのに、オマ×コは、×印の部分がはっきりと「ン」が入っている。オチン×ンは、子供用の性教育絵本にもおちんちんと明示してあると言うのに解せないことではある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする