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デジカメ持って小旅行「坂東三十三箇所霊場9番札所慈光寺(じこうじ)」

2009-08-01 13:41:30 | 旅行

 長谷寺からのルートを計画したとき、秩父の三十四箇所霊場めぐりもこれからのプランに立てていたので二・三箇所寄ってもいいかと軽い気持ちだった。主に地方道を走るルートになった。
 高崎の国道17号から地方道13号に入り、ひたすら走って地方道44号から国道299号線で秩父市を通過。ここで時刻は、正午をとっくに過ぎていた。さて、ここからが山越えのルートになる。地図表示の赤色の国道や黄色の県道、緑の地方道を走れば、かなりの大回りになる。
 国道299号線の道の駅「果樹公園あしがくぼ」の前から舗装された林道に入る。事前に県民の森を目指して行けばいいと分かっていたが、県民の森の駐車場や大野峠、白石峠などのポイントでは、付近の地図案内板で確かめながら、ようやくお目当ての県道172号線にたどり着いた。ここからは迷うことはない。
 ちなみに、大野峠に上りついて右に向かえば、奥武蔵グリーンラインのドライブが楽しめる。対向車四台ほどとヒルクライムのサイクリスト数人を見かけた程度で、滋光寺には午後1時半ごろ着いた。ここで遅い昼食の弁当を開いたとたん、箸を入れ忘れたことに気がついた。一瞬自分の不覚に腹が立ったが、なに箸なんて作ればいい。キャンプや山登りそれにドライブにも持ち歩いている小形のスイス・アーミーナイフが役に立つ。木の小枝を切って樹皮を削り取れば箸が出来上がる。
 急な階段を鉄の手すりにつかまりながら登っていると、今年の3月初めの手すりは凍りつくような冷たさだったのを思い出した。あの時は暗くなった階段を登っていったが、今は緑につつまれた中を、汗を流しチョット苦しくなったりしているが、季節の移ろいが肌で感じる気がする。不思議なもので家にいても季節は確実に移っているのに、自然の中ではそれが特別のことのように思えてならない。
 ある葬儀のとき、僧侶が言った。「朝起きること、これが当たり前だと思わない日が必ず来る。目が覚めて“ああ、今日も生きていたのか”と思うときが」
 今季節の移ろいを感じているが、来年も同じように感じられるかとなると不確実と言わざるを得ない。加齢は実に残酷で、人を不安にさせる。だからといってお寺を巡っているわけでもない。ただ、お寺に行くと苛立つことは決してないし、むしろ不思議な落ち着きを感じる。
             
              参道入口
 いよいよ最後になったこのお寺は、天武天皇2年(673年)興福寺の僧滋訓が千手観音を安置し、その後宝亀元年(770年)道忠が開山となって創建されたという。平安時代の貞観年間(859年~877年)には勅願所となり、天台宗の別院となりその中心的な寺院となった。
 その後、源頼朝を始め徳川将軍家などの帰依を得た。また、観音堂に安置されている千手観音像は、平成6年(1994年)に観音堂の修復工事に際して解体修理が行われ、内部から天文18年(1549年)に大仏師法眼長慶により造立されたことを示す墨書銘が発見された。
         
          観 音 堂
         
 参拝を済ませた時刻は、午後2時ごろだった。秩父三十四箇所霊場参拝は、またの機会に一路帰宅を急いだ。何しろ午前2時半に起きて午前5時から車の中で過ごしているわけで、目がしょぼついて事故を起こさないかと気にかけながらの運転だった。いつものように一般道や首都高を乗りついて、午後6時半ごろ無事に帰宅した。
「早かったわね。ご無事で……。それにしても長時間の運転、今日は運がよかったと思いなさいよ。もう、若くもないんだから、ムリは禁物よ」という妻のありがたいお言葉。
 実は、視力に問題があるようだ。というのも、朝首都高の標識を見誤ったのが原因で、常磐道に紛れ込んでしまった。朝日の光線が眩しかったのが、その原因とは言うもののしっかりとルートを把握しなくてはという反省はしている。
 とにかく馴れない道を走る場合は、光線の安定した時間帯午前9時ごろから午後4時ごろまでにするのがいいかもしれない。残念ながらそういうこと。
 そして今、佼成出版社刊「図説 日本仏教の歴史」や井沢元彦著「古寺歩きのツボ」それに一坂太郎著「仁王」などの本を読み始めた。坂東三十三箇所霊場めぐりをしなければ、決して手に取らなかったことは確かだ。しばらくお寺めぐりから離れられない気がする。
          
          駐車場から見る、なだらかな山の稜線。名前は知らない
コメント
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