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ローレンス・ブロック「殺しのパレード」

2008-07-09 13:38:29 | 読書

              
 「ケラーは片手にビール、もう一方の手にホットドッグを持って……」という書き出しを読んだとき、この間食べたホットドッグの味が忘れられないことに気がついた。自作のホットドッグだが。時たま昼食にホットドッグを作って食べるが、いまひとつの感があった。たまたまキャンプをした日の朝、昼食用にホットドッグを作った。そして周辺をドライブの途中、そのホットドッグを食べた。まさにビールとともに(このときわたしは運転していない)。これが美味しかった。
 なぜかと考えてみると、一つには素材のパンにもあるのではないかと思う。このパンはキャンプに行く朝、千葉幕張の「コストコ」で買ったもので、パンそのものは大して美味しくない。しかし、ソーセージに酸味のあるザワークラフトかピクルスをはさみ、ケチャップとマスタードあるいは辛子で味付けするとホットでなくても断然美味しい。
 そんなことを思い出しながら殺し屋ケラーの仕事振りを読み進む。仲介者のドットとケラーの絶妙の会話を楽しみ、ケラーのクールな殺しに堪能する。ドットは女性でケラーとほぼ同年代なのだろう。このコンビは息がぴったり合っている。ケラーは、ブロックに言わせると四十代後半ということらしい。短編、中篇でなるそれぞれの章は完結するが、何らかの形でつながっている。
 この仕事で厄介なのは、社会変質者でない限りターゲットになった人間を鮮明に記憶することだ。ケラーはそれもメンタルトレーニングで忘れることが出来る。
 というが最後の「ケラーとうさぎ」というわずか約二千字の章を読むと社会変質者ではないかと思えてならない。
 要約は「レンタカーでターゲットの女の家に向かった。ラジオのスイッチを入れたつもりが、CDプレイヤーが作動した。ケラーの前に借りた人物がCDを取り出すのを忘れたのだろう。
 うさぎの寓話で人間に見立てたたとえ話でありうさぎの物語でもあった。ケラーは物語に引き込まれ、うさぎたちの無事を祈っていた。女の家を見張る位置に車を停めて待機に入った。子供が二人玄関から飛び出しガレージに走りこんだ。後からその女もガレージに入りSUVがバックで出てきて走り去った。子供を学校に送っていったのだろうと推測したケラーはガレージの中の影に潜んだ。
 戻ってきて驚愕の表情で見つめる女を、ケラーは指に力を込めて彼女のみぞおちを突いて気絶させてから、その体を抱えて首の骨を折った。あまりいい気分ではなかった。エンジンをかけるとCDが作動した。
 殺したばかりの女の顔の残像や、彼女の体を床に横たえて人目につかないようにSUVの下に押し込んだときの感覚的な記憶が邪魔になるだろうと思っていたのだが、三ブロックも行かないうちに物語に引き込まれた。女のイメージは早くも記憶から消え始めた。可哀そうなうさぎたち。彼らの身には何も起こらないように。ケラーはそんなことを思った」
わたしにとってこの章が一番印象に残った。
コメント
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