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読書感想 ジェーン・オースティン「いつか晴れた日に」

2005-12-03 11:01:33 | 読書
 姉エリナ妹マリアンを中心に母のダッシュウッド夫人や兄夫婦、親戚、友人との交流や出来事を、繊細に練り上げた人物造形と皮肉を込めたユーモアを味付けに淡々と語られ、衝撃的な出来事もなくほんの少しのサスペンスを混ぜ込んだレシピとなっている。

 聡明で公平な分別と落ち着きを持ち合わせるエリナに対して、陽気で能動的やや自己中心的なマリアンの姉妹はともに美人であるという点が共通している。この二人の恋心の行方がなんともスリリングな展開になる。最後はハッピー・エンドになるが…。

 200年前のこの時代、ヨーロッパではナポレオンの勢いを止められないという状況だった。この本はそんな情勢にはとんと頓着せず、また国内の政治や社会の出来事にも全く無関心で、ほんの一握りの人たちの間の出来事や関心に集中している。 イギリスの歴史に疎いと、読んでいて奇異に感じるところもある。いやに収入にこだわる場面が多く出てくるし、若い男女の交際の行く末が最大の関心事のように映る。また、やたらに舞踏会を数多く開いていることなど。舞踏会は、男女交際の場を提供し年配者の社交の場になっていたのだろう。なにぶん現在と比べると娯楽が十分でなかったせいかもしれない。

 これらの背景について、訳者あとがきの部分を引用すると“本書は冒頭からいきなり財産だの相続だのといった生くさい話で始まり、終始、恋愛や結婚にからんで「年収XXポンド」という言葉がいやというほど頻出する。
 本書の登場人物たちはおおむね貴族・上流階級の一つ下の、当時の中産階級に属し、上は莫大な地代で潤う大地主から下は細々とした金利生活者まで、いずれにしろ不労所得で暮らす有閑人種なのである。
 そもそも紳士(ゼントルマン)とは単に風采や人格の形容ではなく、働かなくても生活に不自由しないだけの財産がある人のことであり、紳士淑女の優雅な趣味や上品なマナーはその大前提があってこそである。彼らにとって無為徒食は恥ではなく、むしろ生活のために働かなくてはならないなどというのは体面にかかわることだった。
 だが、不動産は長男が代々相続するのが資産家の場合は普通だったから、ニ、三男や娘たちは安穏な暮らしが自動的に保証されたわけではない。働くことが問題外だとすれば、玉の輿に乗るか、高額の持参金つきの相手を見つけるか、男女いずれにとっても結婚が愛情の有無とは別に死活問題になったことは想像に難くない。本書の登場人物たちが、まるでバルブ時代の多くの日本人のように金の話に目の色を変え、人を評価する最優先の尺度として年収の多寡を問題にしているのも、それを考えればあながち不思議ではない。現代でも、結婚相手の条件の一つにしばしば年収額があげられる現実があるのだから、これは必ずしもよその国の過去のこととして片付けられず、したがってそれに対する作者の風刺はいまもその毒を失っていない”

 あからさまに触れていない男女間のセックス・ライフについては“エドワード(エリナの結婚相手)はあれからもう少なくとも一週間はバートン荘(エリナが住んでいる屋敷)にとどまっていた。ほかにどんな用事があったにしろ、一週間以下ではエリナとの付き合いを楽しむにも、過去、現在、将来について言うべきことの半分なりと言うにも、足りるはずがなかったからである。理性的な二人の人間同士の間でなら、切れ目なしにしゃべるという重労働をほんの二、三時間もやれば、本当に共通の話題は底をついてしまうだろうけれど、恋人同士ともなると事情は違ってくる。両人の間では、どんな話題もこれでおしまいということはなく、少なくとも二十回くらい繰返すまでは、心が通じ合ったことにすらならない”と記されている。

 この時代日本では江戸時代後期にあたる。江戸時代の男女関係ということで氏家幹人「江戸の性談」をひもとくと、「あらかじめ処女を喪失していた新妻が多かったのである。それにしても江戸時代は処女に重きを置かなかったという事実は、意外に知られていないではないか」とある。

 イギリスではどうだったかとなると、全くの推測でしかなくなる。なんといっても同じ屋根の下に一週間も過ごすとなれば、何が起こっても不思議でない。むしろ起こるのが普通のように思うが。私の若いころを振り返ると確信に近い。
 著者も「エリナとの付き合いを楽しむにも」という暗示を与えているのかもしれない。

 ジェーン・オースティンは、西洋文学の正典とみなされている。1775年12月16日生、1817年7月18日没。父母とも長寿であったのに、彼女は41年の短い生涯だった。生涯に6冊の著作がある。そのほとんどが映画化されている。
    「いつか晴れた日に」1811年。
    「高慢と偏見」1813年。
   「マンスフィールド・パーク」1814年。
   「エマ」1815年。「ノーサンガー・アベイ」1818年。
   「説きふせられて」1818年。

 ジェーン・オースティンの教育について本書訳者あとがきでは“当時としては珍しいことではないが、娘たちはほとんど正規の教育を受ける機会を与えられず、父の家庭内教育と読書を通じて(おおむね文学作品だが)それなりの教養を身につけたに過ぎない。姉妹とも生涯独身”ということであるが、インターネットのフリー百科事典(ウィキペディア=Wikipedia)によると、“1783年にオックスフォードで学び、続いてサザンプトンで教育を受けた。1785~1786年までバークシャー郡リーディングのリーディング修道院女子寄宿学校で学んだ”とある。

 いずれにしても、彼女の才能は豊かだったことは間違いない。「いつか晴れた日に」は二十歳のころに「エリナとマリアン」という題で第一稿が書かれたということではっきりしている。

 文体に特に注目したところはないが、1995年にアン・リー監督、エマ・トンプソン脚本。キャスト エマ・トンプソン、アラン・リックマン、ケイト・ウィンスレットで映画化されていて、エマ・トンプソンの脚本がアカデミー賞を受賞している。したがって、原作をどのような脚本にしたのか、この映画のDVDも観てみたいと思っている。
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