(続)・我が家の花と木のシリーズから
今日ここに載せた花たちは昨日同様に、そん所そこらの何処にでも在る至って珍しくも無い花たちです。しかし昨日も申したように、これらの花たちは全て、私には掛替えの無いほどの、将に目に入れても痛くない存在なのです。
「隣の花は赤い」と故事にも在る様に、確かに他所様のものは立派で良く見えます。だからと云って愛着は湧くでしょうか。それは否!です。我が物だからこその愛着心だと思うのです。
他所様の処へ行けば、これとは比べ物にならないほどの立派な花や木が沢山あるのは、充分承知の上で掲載しているわけです。
次の写真の花たちは、何処にでも、例えば普通の道端で咲いているような在り来たりの花なのですが、我が家の庭に咲いてくれたというだけで愛着が湧いてくるのです。単なる親馬鹿なんでしょね。
※・ヨドガワツツジ
※・ヨドガワツツジの花びら
※・オダマキ
※・クリンソウ
※・クロユリ
今日ここに載せた花たちは昨日同様に、そん所そこらの何処にでも在る至って珍しくも無い花たちです。しかし昨日も申したように、これらの花たちは全て、私には掛替えの無いほどの、将に目に入れても痛くない存在なのです。
「隣の花は赤い」と故事にも在る様に、確かに他所様のものは立派で良く見えます。だからと云って愛着は湧くでしょうか。それは否!です。我が物だからこその愛着心だと思うのです。
他所様の処へ行けば、これとは比べ物にならないほどの立派な花や木が沢山あるのは、充分承知の上で掲載しているわけです。
次の写真の花たちは、何処にでも、例えば普通の道端で咲いているような在り来たりの花なのですが、我が家の庭に咲いてくれたというだけで愛着が湧いてくるのです。単なる親馬鹿なんでしょね。
※・ヨドガワツツジ
※・ヨドガワツツジの花びら
※・オダマキ
※・クリンソウ
※・クロユリ