☆ 修学旅行
第四学年が始まって間も無くの、或る日のことだった。HRの時間担任から言い出された「修学旅行」が話題になった。思えば「修学旅行」は、今年予定されている大きな行事の一つである。世の習いに従えば、この秋には実施しなくてはならない。
夜学と云いながらも修学旅行は、学生にとっては最大の関心事である。四年間を通しての集大成と言いば一寸大袈裟かな・・・?
当時昭和30年代の高校生の修学旅行は、北海道の場合は殆どが東京経由で関西方面と決まっていたようである。だからクラスの意見集約の場でも、関西方面が圧倒的であった。ただ私達のような年配者にとっては費用に関してはそれほど問題では無かったが、
未だ定職に就かず、家の手伝いなどで学費を工面している若い人たちからすれば、全日制の生徒のように恵まれた者は数少ない。それに又夜学に通う事で、何かと肩身の狭い思いを抱く事から、常日頃強く引け目を感じている者も少なくは無い筈である。
そうした者達が3日間ならともかく職場を5日間も空ける事は、物理的に困難であり更に心情的にもかなり辛い事であって、なかなか言い出せないのでは無いかと思う。
そんな思惑が交差して数多くの意見が出された。そろそろ候補地を二ヶ所ほどに纏めようかと思った時だった。普段は口数が極端に少なく余り存在感の無い、私と同年輩の女生徒が口を開いた。彼女が意見を述べるなんて事は滅多に無かっただけに、その場の空気を一変させた。
彼女曰く「みんなの職場事情を考えれば、3日位いならともかく4日も5日も休む事は困難な事であり、又若い人にとっても費用が少しでも安くなれば助かり、その分参加者が増えるだろう。何も道外の有名観光地に行く事ばかりが修学旅行でない、道内にだって私達の全く知らない素晴らしい場所が沢山ある筈で、例えば「阿寒摩周方面」の自然美を観察出来る一大チャンスではないかと思いますけど・・・」
彼女の意を決したような言葉は周りを圧倒したと同時に、みんなの思いは一つになり阿寒国立公園行きが決まった。関西にも魅力があったが、同じ道内で在りながら夜汽車で約12時間もかかる将に未知の世界で、一度は訪れてみたいと思っていた場所でも在った。話はトントン拍子進められて二泊三日の日程で阿寒摩周方面と決まった。
旅行は8月30日出発した。先ず美幌峠では眼下に広がる屈斜路湖の絶景に驚嘆・川湯温泉では硫黄山の温泉玉子の初体験・神秘の湖と期待した摩周湖は全員の日頃の心掛けが悪かったのか、残念ながら霧に閉ざされて何も見えず将に「霧の摩周湖」そのものだった。阿寒では雄阿寒岳登山・阿寒湖周遊とまりも見学・釧路市内遊覧など、北海道の大自然を満喫出来た実のある修学旅行だった。
夜学の4年間には色々な想い出があるが、やはり修学旅行が一番だろう。その後のクラス会などの集まりでも話題の焦点は修学旅行であった。私の場合はその年の五月既に結婚(学生結婚)していて、妻同だったから特に感慨深く又想い出の多いものだった。
☆ 続く
第四学年が始まって間も無くの、或る日のことだった。HRの時間担任から言い出された「修学旅行」が話題になった。思えば「修学旅行」は、今年予定されている大きな行事の一つである。世の習いに従えば、この秋には実施しなくてはならない。
夜学と云いながらも修学旅行は、学生にとっては最大の関心事である。四年間を通しての集大成と言いば一寸大袈裟かな・・・?
当時昭和30年代の高校生の修学旅行は、北海道の場合は殆どが東京経由で関西方面と決まっていたようである。だからクラスの意見集約の場でも、関西方面が圧倒的であった。ただ私達のような年配者にとっては費用に関してはそれほど問題では無かったが、
未だ定職に就かず、家の手伝いなどで学費を工面している若い人たちからすれば、全日制の生徒のように恵まれた者は数少ない。それに又夜学に通う事で、何かと肩身の狭い思いを抱く事から、常日頃強く引け目を感じている者も少なくは無い筈である。
そうした者達が3日間ならともかく職場を5日間も空ける事は、物理的に困難であり更に心情的にもかなり辛い事であって、なかなか言い出せないのでは無いかと思う。
そんな思惑が交差して数多くの意見が出された。そろそろ候補地を二ヶ所ほどに纏めようかと思った時だった。普段は口数が極端に少なく余り存在感の無い、私と同年輩の女生徒が口を開いた。彼女が意見を述べるなんて事は滅多に無かっただけに、その場の空気を一変させた。
彼女曰く「みんなの職場事情を考えれば、3日位いならともかく4日も5日も休む事は困難な事であり、又若い人にとっても費用が少しでも安くなれば助かり、その分参加者が増えるだろう。何も道外の有名観光地に行く事ばかりが修学旅行でない、道内にだって私達の全く知らない素晴らしい場所が沢山ある筈で、例えば「阿寒摩周方面」の自然美を観察出来る一大チャンスではないかと思いますけど・・・」
彼女の意を決したような言葉は周りを圧倒したと同時に、みんなの思いは一つになり阿寒国立公園行きが決まった。関西にも魅力があったが、同じ道内で在りながら夜汽車で約12時間もかかる将に未知の世界で、一度は訪れてみたいと思っていた場所でも在った。話はトントン拍子進められて二泊三日の日程で阿寒摩周方面と決まった。
旅行は8月30日出発した。先ず美幌峠では眼下に広がる屈斜路湖の絶景に驚嘆・川湯温泉では硫黄山の温泉玉子の初体験・神秘の湖と期待した摩周湖は全員の日頃の心掛けが悪かったのか、残念ながら霧に閉ざされて何も見えず将に「霧の摩周湖」そのものだった。阿寒では雄阿寒岳登山・阿寒湖周遊とまりも見学・釧路市内遊覧など、北海道の大自然を満喫出来た実のある修学旅行だった。
夜学の4年間には色々な想い出があるが、やはり修学旅行が一番だろう。その後のクラス会などの集まりでも話題の焦点は修学旅行であった。私の場合はその年の五月既に結婚(学生結婚)していて、妻同だったから特に感慨深く又想い出の多いものだった。
☆ 続く