ルンルンピアノ

ピアノ教室の子どもたちとの楽しい毎日。。。。。。

523        お別れ

2006-12-09 23:42:37 | Weblog
※仙人の病院へ行ったおり何度も利用した 『喫茶あじさい』
 ランチは美味しくなかったが、色々な思い出が詰まっている。
 またいつか行くその日まで、元気に営業を続けて欲しい。
 クリック♪


朝8時20分、堺へ向け出発。
きょうの行く先は 「朝日会病院」 でなく、「堺市立斎場」
阪和線 『堺市駅』 そば。
高い壁に囲まれた 『大阪刑務所』 が見える。
ちょっと悲しい風景だった。

斎場駐車場に着くと、ちょうどYさんの青いクルマも到着。
Yさんと同じく、水津さんと同じ会社に勤務されていたKさんとも初対面した。

建物にはいり、藤井寺からタクシーで来たというSさん御夫妻にあいさつ。
その後、祭壇前で短いお経があげられたあと、水津さんと最後のお別れ。
ここで、西成から駆けつけてこられたHさんがギリギリで到着。

眠っている水津さんの顔のまわりを花で埋めつくしたあと、皆が思い思いの品を旅立つ仙人へのオミヤゲとして棺に入れる。
私達は、水津さんの旅の記事が載った 『日経新聞』 と、亡くなられたた日の午後、病室へ届いた最後のハガキ (道頓堀 食いだおれ人形と一緒に写った水津さんの写真ハガキ) 
Yさんは、御自作の版画が刷られた扇子。
Sさん御夫妻は、水津さんの部屋から出て来た中国のお金を持参していらっしゃった。 「また旅先で使えるでしょうから・・」

どれも、「水津さんが寂しくないように・・あの世で少しでも役立てば・・」 との思いがこもった品ばかりだった。


短い別れの時を惜しんだあと、棺のフタが閉められ1番ツライ瞬間がやって来た。
仙人の入った棺が、ガーッという機械音と共に、鉄の扉の向こうへ情け容赦なく吸い込まれていく。
みんな必死で嗚咽をこらえているのが分かる。
私も (泣くまい、悲しいのはみんな一緒なのだから) とガマンしていたのだが・・やっぱりダメだった。

「水津さん! 水津さん! 水津さん!!」 と心の中で叫んだ瞬間、涙と嗚咽が止まらなくなってしまった・・・・・

その後、中庭の見える明るい和室で小1時間ほど休憩しながら待つ。
話題はすべて水津さんとの思い出話し。
特に、Kさんが語られる水津さんとの山登りの話しは楽しかった。

Yさんが持ってきて下さった、海外の水津さんから届いたハガキの数々を皆で拝見させて頂く。
写真や文面から、水津さんがどれだけ 『旅』 というものを楽しんでいたのかがヒシヒシと伝わってきた。

「ハガキの残りが出てきたので」 と、数枚のハガキの束を渡される。
見ると、最後の入院前に出した水津さんへのハガキだった。

《2006・8月18日  暑さがおとろえないので、水津さんの事が気がかりです。 きょうは病院で点滴を受けられるとの事。 とにかく一刻も早く病院での生活が始まるよう願っております (とにかく水分をとって下さいね) 我が家も連日、3人4人と子ども達の宿泊などがあり、それはそれで楽しみでもあるのですが少々バテぎみです。 水津さんにお会いしたいです》
写真を見ると、めずらしくトビオと源さんだった。

なんとも言えない気分になる・・・・

そのうち部屋の電話が鳴ってSさんが出る。
(終わったんだな、水津さんはお骨になってしまったんだ)

お骨上げの部屋へ通される。
係りの人の説明のもと、皆で水津さんのお骨を拾い骨壷に納める。
歯の丈夫な水津さんらしく、下あごは標本のようにキレイなまま残っていたのが印象的だった。

その後、斎場を出る。
雨がショボショボと降り出してきた。
傘をさして、すぐ近くの 『ベルマージュ』 というビルの中の中華料理のお店で昼食をご馳走になる。
ここでも話題は水津さんとの思い出話しの数々。
水津さんとのエピソードとなると、みんな枚挙に暇がなくなるのだ。
それほど仙人と一緒に過ごす時間は楽しいものだったという事なのだろう。

そのあとコーヒーを飲んで、皆で最後のあいさつをし合って別れる。

水津さんを無事に見送った安心感のようなものが、心の霧をすっかり取り去ってしまったのだろうか。
胸の中から、重い湿っぽい空気がキレイさっぱり無くなっていることに気づく。

空の上から水津さんが微笑んでいるように感じた・・・・



帰宅してすぐ、Nは将棋教室、私は2階の部屋で眠り込んでしまった。
きょうは 「じんさん」 が教室初体験なので少し心配だった (なにが心配なのかよくワカラナイが)

その後、予定されていた恒例の教室忘年会に参加。
今年もTさんの御好意で、阪急おばやしの 『あしん』 を使わせて頂く。
極上のトロけるようなお肉、ここのを食べてから大好きになった 『石焼ビビンバ』 
2年ぶりに参加の児玉七段 (血液型がA型とのこと)
金八先生も顔負け、高校教師Hさんの熱血メッセージ、TさんHさんの 「大音声 連盟免状論議」 など、時に熱く(アブナく?) 時に笑いの絶えない、時にマジメな2006年の教室忘年会だった。
前から気にかかっていたYさんとも沢山話すことが出来たし(空を飛ぶ人だった!)、Mさんと大石3段も仲むつまじく、教室初参加のじんさんも、年明け早々に結婚というオメデタイIさんと共に忘年会初参加。
S4級とN2級は、熱血H教師とNを前にちょっと小さくなっていたようだった

お腹いっぱいになってお店を出たあと、これも恒例、逆瀬川の 『MAC』 に寄ってお茶。
今年もTさんとマスターのかけ合い漫才が面白い♪
私はここでもグァテマラを注文。

9時を回った頃、きょう泊まりのT君から電話が入りお開きとなった。
帰り道、調子にのったNが横断歩道の信号をことごとく無視して歩く。
みんなの前では笑っていたが、本当は血圧が8000ぐらいまで上がっていた。

帰宅後、首をしめながら 「これからどーする? ン?」 とスゴむと 「わかった・・信号守ります」


水津さん、これからは空の上から憐れなNを見守って下さい


おわり
コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする