※ 最近のトビオ。
飼い主と一緒で寝てばっかりいます。
クリック♪
昨夜はむし暑く、再びエアコンを入れて寝る。
そのせいでもないだろうが明け方イヤな夢を見た。
いきなりショップチャンネルのキャスターを頼まれ、次々と商品を並べられオロオロしているところに、なぜか来客(知らない家族)が現われ昼食を出さなければならない。
こんな時なのでサッとお素麺でもと考えていると、「やっぱり揚げたてのテンプラと盛りソバでしょう」 と見知らぬ御主人から言われ、どうしよう・・・・と困り果てているところで目覚める。
心底ホッとした。
おかげで今朝は3度寝で大ネボウ。
遅起きして新聞を見ると、高村薫さんがいい文章を載せていたので抜粋してみます。
『はけ口求める不安 皮膚感覚に背く 成長依存の枠組み』
‘この4年、小泉、安倍、麻生と次々に顔を変えて続いてきた自公政権に対して、やっと国民の信が問われる。
目下、政権交代が初めて現実味を帯びてきた情勢でもあり、直近の世論調査では有権者の9割が投票に 「必ず行く」 「多分行く」 と答えている。
私たちの前にあるのは、半世紀もほぼ政権を独占してきた政党と、まだ一度も政権を取ったことのない政党の2種類である。
前者は政権継続による安定を掲げ、後者は政権交代による変化を掲げるが、「安定」 や 「変化」 の具体像は、有権者レベルでも政党レベルでも、十分に言語化されているとは言えない。
従って有権者は、特定の政党に期待するというより、とにかくこの閉塞感からの脱出を願っているというのが正しいが、とまれ現状への不満が、過去にこれほどはっきりと政権与党への不満というかたちになったことはない。
また、現状からの変化の期待が、こうして国民レベルで政権政党の交代論に結びついたのも初めてである。
もちろん、その政党が政権政党になっても、すぐに経済や家計が上向くわけではないし、山積したひずみが一気に解決するわけでもない。
また、現状への不満はけっして経済成長や豊かさの否定ではない以上、変化を期待すると言っても、あくまで基本的な価値観にまでは及ばないことが前提になっているかもしれない。
しかし、ともかく小選挙区制が導入されて15年余り。
以来4回の総選挙を経て、自民・民主という二大政党のかたちが定着したいま、初めて一票の重みを感じ、初めて真剣に各党のマニフェストを見つめている所以である。
(中略)
さて、私たちは次の政権に何を望むのだろうか。
地方と都市。 正規雇用者と非正規雇用者。
公務員と一般。 高齢者と現役世代。 富裕層と貧困層。
安定した暮らしを望むにしても、その安定の中身はそれぞれ異なり、利害も異なる。
一方を立てれば他方が立たず、両方を立てようとすればバラマキになる。
しかし財源はつねに有限である。
有限の予算で行われる、この相反する利害の調整と配分こそ政治の命題そのものであり、国民の生活のあり方であり、国のかたちというものである。
その配分の基準は、家計と同じく予算規模と、人口構成や社会構成などの社会構造である。
そして、そうであれば当然、これからは右肩上がりの成長化とは異なる枠組みが求められることになろう。
キーワードはやはり、人口減少と低成長であり、その下での安定である。
安定という以上、マイナス成長に陥らない産業構造の創出が第一であり、景気回復はその道筋の外にはない。
また、製造業や中小企業の今後のあり方も、雇用のあり方も、この産業構造全体の将来像を抜きにして再構築できるものではない。
さらに農業も、産業構造の大きな一角を占めるものとして構想しなければ、自由貿易が進む世界で、自給率向上どころか存続すらおぼつかないだろうし、意識だけは高まっている地方分権も、地域経済を支える産業構造の再構築を抜きにしては成立しない話だろう。
ひるがえって、各党がうたう景気回復のための経済対策は、いずれもこの産業構造全体への構想を欠いているというほかはないが、言い換えればそれだけ大きな課題だということである。
これは国民の暮らし方、働き方などの価値観全体をゆるやかに変えてゆくものでもあり、政権一つで達成されるものではない。
必要なのは、まずは道筋の提示であり、なにより変化の時代を生きてゆくという私たち全員の意思である。
(中略)
さて、個別の政策では大同小異の与野党だが、政治手法は大きく異なる。
内閣と党が一つになって、政権政党の意思で官僚を動かすことを政治主導という。
これを民主党が実現できたなら、私たちはこれまで見たことのない筋の姿を見ることになろう。
この政治主導は、小泉政権が目指して果たせなかったものであるが、実はこれがあって初めて、政治が公約した政策の実現も、霞ヶ関改革も、予算の組み替えも可能になると言える。
このことは、何をおいても、この国にとって画期的なことだと個人的には思う。
人によって支持する政策や政党は様々でも、政党政治においては、ときに政権交代が起こらなければ政治が停滞し、社会構造も適切に更新されてゆかないのは確かである。
今回の選挙は、自民か民主かというより、劣化が著しい政党政治のレールを、久々に敷き直すか否かを問う選挙である。
内政も外交も、まずはそのレールの上にあるからである。’
政治にはからっきしウトい私だが、高村さんの文章は簡潔でわかりやすい。
日頃からボンヤリ感じていたことがスッキリ明快に書かれており、少し救われた気分になった。
きょうは古郡くん、畑さん、平松くん、松本君、高井くんが来る。
夕食のあとHIROへ。
大声夫婦が隣りだった。
○リコという人の旦那さんがJRの切符切りをしていて、大声ダンナがそれにイチャモンをつけていた。
「あんな仕事、だれでもできるやろ」
「資格も技術もいらん誰でもできる仕事やったら、いつクビになるかわからんで」
いやな男だ。
「○リコのところな、イノシシや熊が出んねんて、パパ」
「シカも出んねんて。 それでな、シカが車をよけへんから轢かれるんやけど、シカよりも車のほうがへこんで困るらしいわ。 ハハハ、笑うわ」
「けったいなとこへ住んどんのう」
「××さんとこの赤ちゃんな、名前がソラっていうねんて」
「ソラ? どんな字い書くんや」
「ふつうの空のソラやって。 なんか今、一文字の名前が流行ってるらしいわ」
「じいちゃんばあちゃんになってソラなんて困るやろ」
「でもな、今は一文字の名前が流行ってるんやって(大声夫人はいつも同じことを何度もくりかえす)
○リコのとこなんかはオトやって。 音が聞こえるのオト。 ソラもオトも女の子やで」
「一文字の名前が流行ってる(まだ言ってる)らしいけど、なんでそんなけったいな名前にするんやろなあ」
帰り、セブンイレブンで 『博多っこ純情』 の残り3冊と 『ツキの法則』 を受け取って帰宅。
今夜は平松くんと古郡くんが泊まり。
お風呂の電気を消したり、布団に中国の人形を忍ばせたりして楽しかった。
明日のキーンランドC(札幌)
4番グランプリエンゼルから、7番モルトグランデ 8番タニノマティーニの馬連2点で勝負。
ディープスカイの引退式もあるので必見です。
おわり
飼い主と一緒で寝てばっかりいます。
クリック♪
昨夜はむし暑く、再びエアコンを入れて寝る。
そのせいでもないだろうが明け方イヤな夢を見た。
いきなりショップチャンネルのキャスターを頼まれ、次々と商品を並べられオロオロしているところに、なぜか来客(知らない家族)が現われ昼食を出さなければならない。
こんな時なのでサッとお素麺でもと考えていると、「やっぱり揚げたてのテンプラと盛りソバでしょう」 と見知らぬ御主人から言われ、どうしよう・・・・と困り果てているところで目覚める。
心底ホッとした。
おかげで今朝は3度寝で大ネボウ。
遅起きして新聞を見ると、高村薫さんがいい文章を載せていたので抜粋してみます。
『はけ口求める不安 皮膚感覚に背く 成長依存の枠組み』
‘この4年、小泉、安倍、麻生と次々に顔を変えて続いてきた自公政権に対して、やっと国民の信が問われる。
目下、政権交代が初めて現実味を帯びてきた情勢でもあり、直近の世論調査では有権者の9割が投票に 「必ず行く」 「多分行く」 と答えている。
私たちの前にあるのは、半世紀もほぼ政権を独占してきた政党と、まだ一度も政権を取ったことのない政党の2種類である。
前者は政権継続による安定を掲げ、後者は政権交代による変化を掲げるが、「安定」 や 「変化」 の具体像は、有権者レベルでも政党レベルでも、十分に言語化されているとは言えない。
従って有権者は、特定の政党に期待するというより、とにかくこの閉塞感からの脱出を願っているというのが正しいが、とまれ現状への不満が、過去にこれほどはっきりと政権与党への不満というかたちになったことはない。
また、現状からの変化の期待が、こうして国民レベルで政権政党の交代論に結びついたのも初めてである。
もちろん、その政党が政権政党になっても、すぐに経済や家計が上向くわけではないし、山積したひずみが一気に解決するわけでもない。
また、現状への不満はけっして経済成長や豊かさの否定ではない以上、変化を期待すると言っても、あくまで基本的な価値観にまでは及ばないことが前提になっているかもしれない。
しかし、ともかく小選挙区制が導入されて15年余り。
以来4回の総選挙を経て、自民・民主という二大政党のかたちが定着したいま、初めて一票の重みを感じ、初めて真剣に各党のマニフェストを見つめている所以である。
(中略)
さて、私たちは次の政権に何を望むのだろうか。
地方と都市。 正規雇用者と非正規雇用者。
公務員と一般。 高齢者と現役世代。 富裕層と貧困層。
安定した暮らしを望むにしても、その安定の中身はそれぞれ異なり、利害も異なる。
一方を立てれば他方が立たず、両方を立てようとすればバラマキになる。
しかし財源はつねに有限である。
有限の予算で行われる、この相反する利害の調整と配分こそ政治の命題そのものであり、国民の生活のあり方であり、国のかたちというものである。
その配分の基準は、家計と同じく予算規模と、人口構成や社会構成などの社会構造である。
そして、そうであれば当然、これからは右肩上がりの成長化とは異なる枠組みが求められることになろう。
キーワードはやはり、人口減少と低成長であり、その下での安定である。
安定という以上、マイナス成長に陥らない産業構造の創出が第一であり、景気回復はその道筋の外にはない。
また、製造業や中小企業の今後のあり方も、雇用のあり方も、この産業構造全体の将来像を抜きにして再構築できるものではない。
さらに農業も、産業構造の大きな一角を占めるものとして構想しなければ、自由貿易が進む世界で、自給率向上どころか存続すらおぼつかないだろうし、意識だけは高まっている地方分権も、地域経済を支える産業構造の再構築を抜きにしては成立しない話だろう。
ひるがえって、各党がうたう景気回復のための経済対策は、いずれもこの産業構造全体への構想を欠いているというほかはないが、言い換えればそれだけ大きな課題だということである。
これは国民の暮らし方、働き方などの価値観全体をゆるやかに変えてゆくものでもあり、政権一つで達成されるものではない。
必要なのは、まずは道筋の提示であり、なにより変化の時代を生きてゆくという私たち全員の意思である。
(中略)
さて、個別の政策では大同小異の与野党だが、政治手法は大きく異なる。
内閣と党が一つになって、政権政党の意思で官僚を動かすことを政治主導という。
これを民主党が実現できたなら、私たちはこれまで見たことのない筋の姿を見ることになろう。
この政治主導は、小泉政権が目指して果たせなかったものであるが、実はこれがあって初めて、政治が公約した政策の実現も、霞ヶ関改革も、予算の組み替えも可能になると言える。
このことは、何をおいても、この国にとって画期的なことだと個人的には思う。
人によって支持する政策や政党は様々でも、政党政治においては、ときに政権交代が起こらなければ政治が停滞し、社会構造も適切に更新されてゆかないのは確かである。
今回の選挙は、自民か民主かというより、劣化が著しい政党政治のレールを、久々に敷き直すか否かを問う選挙である。
内政も外交も、まずはそのレールの上にあるからである。’
政治にはからっきしウトい私だが、高村さんの文章は簡潔でわかりやすい。
日頃からボンヤリ感じていたことがスッキリ明快に書かれており、少し救われた気分になった。
きょうは古郡くん、畑さん、平松くん、松本君、高井くんが来る。
夕食のあとHIROへ。
大声夫婦が隣りだった。
○リコという人の旦那さんがJRの切符切りをしていて、大声ダンナがそれにイチャモンをつけていた。
「あんな仕事、だれでもできるやろ」
「資格も技術もいらん誰でもできる仕事やったら、いつクビになるかわからんで」
いやな男だ。
「○リコのところな、イノシシや熊が出んねんて、パパ」
「シカも出んねんて。 それでな、シカが車をよけへんから轢かれるんやけど、シカよりも車のほうがへこんで困るらしいわ。 ハハハ、笑うわ」
「けったいなとこへ住んどんのう」
「××さんとこの赤ちゃんな、名前がソラっていうねんて」
「ソラ? どんな字い書くんや」
「ふつうの空のソラやって。 なんか今、一文字の名前が流行ってるらしいわ」
「じいちゃんばあちゃんになってソラなんて困るやろ」
「でもな、今は一文字の名前が流行ってるんやって(大声夫人はいつも同じことを何度もくりかえす)
○リコのとこなんかはオトやって。 音が聞こえるのオト。 ソラもオトも女の子やで」
「一文字の名前が流行ってる(まだ言ってる)らしいけど、なんでそんなけったいな名前にするんやろなあ」
帰り、セブンイレブンで 『博多っこ純情』 の残り3冊と 『ツキの法則』 を受け取って帰宅。
今夜は平松くんと古郡くんが泊まり。
お風呂の電気を消したり、布団に中国の人形を忍ばせたりして楽しかった。
明日のキーンランドC(札幌)
4番グランプリエンゼルから、7番モルトグランデ 8番タニノマティーニの馬連2点で勝負。
ディープスカイの引退式もあるので必見です。
おわり