珍しくバタバタしていてブログを大さぼり。
Nの日々あれこれをカンニングしながら、簡単に書き記しておこう。
11月22日(木)
ピピアの入門教室。
子ども達がずいぶん大変なようである
ガンバレ!!
11月23日(金)
N、京都(職団戦)の仕事で12時前に家を出る。
私は例により、金太郎と一緒に家篭り。
N、11時過ぎに帰宅。
電車が混んで大変だったらしい。
京都のモミジ見物の人たちだろうか。
あさっての京都行きが、ちょっと恐ろしい。
11月24日(土)
この日は、船越隆文君のお兄さんの結婚式だった。
赤や黄色の濡れ落ち葉を踏みしめながら駅へ向かう途中、船越くんのアパートの大家さんだった奥さんにバッタリ出会う。
結婚式のことを話すと大変びっくりされ、「これは偶然とかでなく、めぐり合わせというもんなんでしょうねえ」
石橋からモノレールに乗り換え、千里中央で降りる。
途中、Nが 「おなか空いた・・・」 と呟く。
食事タイムまでもつかどうか、ちょっと心配だ。
5,6分ほど歩いて式場へ到着。
丁度これからリハーサルというT也君Y香さん、お母さん、お父さんを見かける。
招かれる側は気楽でありがたいものだ。
11時を過ぎチャペルへ入場。
小さなパイプオルガンとハープが真っ先に目に入る。
新婦のウエディングドレスは、私の大好きなオフホワイトで、小柄なY香さんにとてもよく似合っていた。
ハープに合わせ 「♪いつくしみ深き」 を歌う。
きょうはNも一生けん命に歌っていたようだ。
披露宴は、シンプルで飾り気のない、温かみに満ちたものだった。
特に珍しいイベントが飛び出すわけでもないが、その分、新郎新婦が精一杯の笑顔でもてなしている。
Nのスピーチも、冒頭ちょっとハラハラさせられたが、徐々に落ちついて、なんとか無事に終わった。
おいしい食事のあとは、ガーデンでの風船飛ばし、ブーケトス、そして、Nお待ちかねのデザートタイム。
すぐ横では、学生時代の友人たちから手荒い歓迎を受ける新郎が、池へ落とされそうになっていた!?
私たちのテーブルでも、船越君のご両親を囲み、亀井静香似のM島さんや、お母様の親友のIさんらと共に、金太郎やトンビや名古屋コーチンの話題で和やかに盛り上がる。
若者テーブルで精一杯おどけて見せるT也君達を眺めながら、皆、それぞれの胸に悲しみを秘めつつも、この日が大きな節目となることを願っているようにも感じた。
T也君、Y香さん、いつまでも末永くお幸せに。
家へ帰ると4時半で、土曜教室の後半だった。
Nも着替えてすぐに参加。
夜はジャパンカップの予想。
オルフェーヴルが万全の調子ではないようだが、やっぱり軸を替える気は起こらない。
11月25日(日)
西川孟先生の月命日(1ヶ月記念)ということで、教会のミサに参加させて頂く。
3時ちょっと過ぎに(教室の指導が長引いたのと、私の準備が遅かったため)二人で慌ただしく家を出る。
十三から京都行きに乗り換えるが、空いていてホッとした。
四条烏丸で降り、そのあと地下鉄で丸太町へ。
地上へ出ると、京都御所がすぐそばだった。
そこから3,4分歩いたところが室町教会で、その向かいに、むかし南口先生の家があったらしい。
今は新しい家が建っているが、南口先生の家へ入るときの路地は当時のまま残っていたようだ。
暮れかかった路地で写真を撮るNの背中を見ながら、なんだかフシギな気持ちになってしまった。
少しドキドキしながら教会の応接室へ入ると、西川先生の奥様がいらして、ちょっと安心する。
テーブルでお茶を飲みながら待っていると、次々と色んな人が現れだした。
知らない人ばかりなので少し緊張する。
20分ほどして2階の礼拝堂へ入室。
正面の祭壇に、西川先生のお宅で拝見した遺影が飾られていた。
木製のベンチに座ると、間もなく西川先生のためのミサが始まる。
祈祷の合い間に讃美歌が3曲入った。
518番 「いのちのきずなの」
384番 「われこそ十字架の」
286番 「神はわが力」
どれも初めての曲だったが、譜面があるので一緒に歌う。
私は幼稚園がミッション系で、小学5,6年の頃は日曜学校にも行っていたので
なんだかとても懐かしい気分だった。
お釈迦様の教えも有りがたいが、キリスト教の世界もいいものだなあと思う。
そのあと、すぐそばのチ○○という店でのお食事会に参加させて頂く。
急な階段を上がった2階の広間で、西川先生の写真を眺めながら心づくしの日本料理を頂いた。
会の途中、私のお隣りと、お向かいの席の男性3人が、なんと、昔、西川先生のお弟子さんだったと聞いてビックリ!!
いくつもの壮絶な(?)エピソードを披露されるが、それにしても聞けば聞くほど、西川先生が、いかに妥協やうわべの器用さを嫌っていたかが分かる。
そして、そんな激しさ以上に、ことばでは言い表すことの出来ない優しさや暖か味を、みんな感じ取っていたのだと思う。
そんな偉大な先生と、わずかでも関わることのできた時間と思い出を、これから先、大切に出したり仕舞ったりしながら生きてゆきたい。
帰りは途中までY村御夫妻と一緒だった。
Y村さんも私も、どちらも混むのがニガテなので、準急や普通を乗り継ぎながらノンビリと帰る。
おかげで、疲れも感じず、とても楽しいひと時を過ごすことが出来た。
これも西川先生からのプレゼントかなあ・・・・。
ありがとうございました。
今回のブログは、ひとまずここでひと区切り。
おわり
Nの日々あれこれをカンニングしながら、簡単に書き記しておこう。
11月22日(木)
ピピアの入門教室。
子ども達がずいぶん大変なようである
ガンバレ!!
11月23日(金)
N、京都(職団戦)の仕事で12時前に家を出る。
私は例により、金太郎と一緒に家篭り。
N、11時過ぎに帰宅。
電車が混んで大変だったらしい。
京都のモミジ見物の人たちだろうか。
あさっての京都行きが、ちょっと恐ろしい。
11月24日(土)
この日は、船越隆文君のお兄さんの結婚式だった。
赤や黄色の濡れ落ち葉を踏みしめながら駅へ向かう途中、船越くんのアパートの大家さんだった奥さんにバッタリ出会う。
結婚式のことを話すと大変びっくりされ、「これは偶然とかでなく、めぐり合わせというもんなんでしょうねえ」
石橋からモノレールに乗り換え、千里中央で降りる。
途中、Nが 「おなか空いた・・・」 と呟く。
食事タイムまでもつかどうか、ちょっと心配だ。
5,6分ほど歩いて式場へ到着。
丁度これからリハーサルというT也君Y香さん、お母さん、お父さんを見かける。
招かれる側は気楽でありがたいものだ。
11時を過ぎチャペルへ入場。
小さなパイプオルガンとハープが真っ先に目に入る。
新婦のウエディングドレスは、私の大好きなオフホワイトで、小柄なY香さんにとてもよく似合っていた。
ハープに合わせ 「♪いつくしみ深き」 を歌う。
きょうはNも一生けん命に歌っていたようだ。
披露宴は、シンプルで飾り気のない、温かみに満ちたものだった。
特に珍しいイベントが飛び出すわけでもないが、その分、新郎新婦が精一杯の笑顔でもてなしている。
Nのスピーチも、冒頭ちょっとハラハラさせられたが、徐々に落ちついて、なんとか無事に終わった。
おいしい食事のあとは、ガーデンでの風船飛ばし、ブーケトス、そして、Nお待ちかねのデザートタイム。
すぐ横では、学生時代の友人たちから手荒い歓迎を受ける新郎が、池へ落とされそうになっていた!?
私たちのテーブルでも、船越君のご両親を囲み、亀井静香似のM島さんや、お母様の親友のIさんらと共に、金太郎やトンビや名古屋コーチンの話題で和やかに盛り上がる。
若者テーブルで精一杯おどけて見せるT也君達を眺めながら、皆、それぞれの胸に悲しみを秘めつつも、この日が大きな節目となることを願っているようにも感じた。
T也君、Y香さん、いつまでも末永くお幸せに。
家へ帰ると4時半で、土曜教室の後半だった。
Nも着替えてすぐに参加。
夜はジャパンカップの予想。
オルフェーヴルが万全の調子ではないようだが、やっぱり軸を替える気は起こらない。
11月25日(日)
西川孟先生の月命日(1ヶ月記念)ということで、教会のミサに参加させて頂く。
3時ちょっと過ぎに(教室の指導が長引いたのと、私の準備が遅かったため)二人で慌ただしく家を出る。
十三から京都行きに乗り換えるが、空いていてホッとした。
四条烏丸で降り、そのあと地下鉄で丸太町へ。
地上へ出ると、京都御所がすぐそばだった。
そこから3,4分歩いたところが室町教会で、その向かいに、むかし南口先生の家があったらしい。
今は新しい家が建っているが、南口先生の家へ入るときの路地は当時のまま残っていたようだ。
暮れかかった路地で写真を撮るNの背中を見ながら、なんだかフシギな気持ちになってしまった。
少しドキドキしながら教会の応接室へ入ると、西川先生の奥様がいらして、ちょっと安心する。
テーブルでお茶を飲みながら待っていると、次々と色んな人が現れだした。
知らない人ばかりなので少し緊張する。
20分ほどして2階の礼拝堂へ入室。
正面の祭壇に、西川先生のお宅で拝見した遺影が飾られていた。
木製のベンチに座ると、間もなく西川先生のためのミサが始まる。
祈祷の合い間に讃美歌が3曲入った。
518番 「いのちのきずなの」
384番 「われこそ十字架の」
286番 「神はわが力」
どれも初めての曲だったが、譜面があるので一緒に歌う。
私は幼稚園がミッション系で、小学5,6年の頃は日曜学校にも行っていたので
なんだかとても懐かしい気分だった。
お釈迦様の教えも有りがたいが、キリスト教の世界もいいものだなあと思う。
そのあと、すぐそばのチ○○という店でのお食事会に参加させて頂く。
急な階段を上がった2階の広間で、西川先生の写真を眺めながら心づくしの日本料理を頂いた。
会の途中、私のお隣りと、お向かいの席の男性3人が、なんと、昔、西川先生のお弟子さんだったと聞いてビックリ!!
いくつもの壮絶な(?)エピソードを披露されるが、それにしても聞けば聞くほど、西川先生が、いかに妥協やうわべの器用さを嫌っていたかが分かる。
そして、そんな激しさ以上に、ことばでは言い表すことの出来ない優しさや暖か味を、みんな感じ取っていたのだと思う。
そんな偉大な先生と、わずかでも関わることのできた時間と思い出を、これから先、大切に出したり仕舞ったりしながら生きてゆきたい。
帰りは途中までY村御夫妻と一緒だった。
Y村さんも私も、どちらも混むのがニガテなので、準急や普通を乗り継ぎながらノンビリと帰る。
おかげで、疲れも感じず、とても楽しいひと時を過ごすことが出来た。
これも西川先生からのプレゼントかなあ・・・・。
ありがとうございました。
今回のブログは、ひとまずここでひと区切り。
おわり