ルンルンピアノ

ピアノ教室の子どもたちとの楽しい毎日。。。。。。

604      兵庫医大とサパナ・エック

2007-02-28 22:40:21 | Weblog
※ 「サパナ・エック」 にて、 実際はもっと暗い。
  クリック♪


きょうは1時過ぎに野間五段が来宅。
野間五段 ←クリック

我が家で昼食のあと、3人で伊丹将棋センター席主Kさんのお見舞いへ行く。
尼宝線が少々混み、1時間ほどかかって兵庫医大へ到着。
ここは20年以上むかしに来たことがあるが、その頃の面影はまるで無かった。
巨大な箱型の建物が林立しており、どこが何だかサッパリわからない。
クルマの誘導係りのおじさんに聞きながら1号館の建物へ辿りつく。
中へ入ると明るく近代的な雰囲気で、 <陰気で薄暗い廊下、いかにも気分が滅入りそうな待合室> といった昔のイメージはもうどこにも無かった。

11階のKさんの病室に到着。
それぞれにカーテンの引かれた6人部屋はシンとしている。
部屋の中ほどにあるベッドへおずおず近づくと、アゴヒゲを生やしてちょっと精悍な顔つきになったKさんがいた。
Kさんはすぐに起き上がり、「いいところへ行きましょう♪」 と言って、我々3人を従えスタスタ歩き出した。

エレベーターを乗り継いで館内を抜け、10号館10階の展望レストラン 「リビエール・ベーカリー・レストラン」 へ到着。
病院の食堂とは思えない、明るいリッチな雰囲気に一瞬とまどった。
黒服のホール係の男性に案内され、奥の窓際の席へ座る。
Kさんはミルク、野間さんはコーヒー、Nはケーキセット、私はミルクティーを注文。
大きな窓の向こうには武庫川が流れ、すぐ目の前が阪神電鉄 「武庫川駅」 、そのまま手前にストンと目を落とすと阪急今津線のレールが走っており、間もなく2両連結の可愛らしい車両がやってきた。
エントツが集まる工場群の辺りへ目を向けると、丸みをおびて銀色に輝く鉄橋が見える。
(どこかで見たような景色だなぁ) と思っていると、水津さんの病院へ行く時によく走っていた湾岸線だった。
ふっと寂しい気持ちになった。

Kさんが、「丁度きょうが結婚30周年記念日なんですよ」 とおっしゃる。
夕方に奥様がみえたら、お2人でゆっくりと祝杯を挙げられる事だろう
ちなみに結婚30周年は 「真珠婚式」 というそうだ。

30分ほど話したあと、再び病室まで戻ってお暇をする。
Kさんはあさってが2回目の手術だが、どうか苦痛少なく無事に終わって欲しい。

時刻は4時半を超えていた。
伊丹を抜け宝塚にさしかかる頃3人ともお腹が空いてくる。
まだ6時前だったが、以前から入りたかった 「サパナ・エック」 へ行く。

ネパールの国旗が飾られた入り口のドアを開ける。
天井にはりめぐらされた赤や青の布のせいで店内はかなり薄暗い。
1番奥まったテーブル席へ案内された。
壁には、雪を抱いたネパールの山々の写真が貼られており、店内にはネパール音楽 (多分そうだと思うのだが) が流れている。
「イラッシャイマセ」 とメニューを持ってきたネパール人男性がちょっとカッコよかった
ちなみに店名 「サパナ・エック」 とは、「ひとつの夢」 という意味だそうだ (これはアルバイトの女の子から聞いた)

初めてなので、3人とも 『ネパリコース』 というのを注文する。
内容は・・・
サラダ、アチャール (ネパールの漬物) 、エビチリ、モモ (ネパールのシュウマイ) 、ダル (インド豆のカレー) 、タルカリ (野菜カレー) 、ロティー (ネパールの小麦) 、チャイ・・・となっていた。
野間五段は 「エベレスト」 というビールを注文するが、切れていたので 「タジマハール」 というのを飲んでいた。
けっこう軽かったみたいだ (アルコード度数4,5パーセント)

で、ネパール料理の感想
「う~~~ん・・・他にももっと食べてみないとよくワカンナイかなぁ?」 という感じ。
カレーは思っていた以上に水分が多くシャバシャバしていた。
Nが昔ネパールで食べた時のことを聞くと、やっぱりこんなシャバシャバカレーだったそうだ。
料理全体に感じる独特のスパイスの風味は、好き嫌いがハッキリ分かれるところだと思う。
私はチャイがダメだった (根性なし)

とりあえずお腹いっぱいになって外へ出る
外はかなり冷え込んでおり、いっきに冬へ逆戻りという感じだ。

帰宅後すぐにストーブをつけ、野間五段と一緒に美輪明宏の動画を観てからレッスン。
そのあいだに野間五段はNのゲラの校正の手伝い。
9時半にレッスンが終わって下へ降りると、野間五段がまだ帰らずに待っていてくれた。

相変わらず色々なことがあるが、時には自分のゆるみかけたネジを巻き直さなければいけない。


おわり

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603      フォルクローレの桑原さん

2007-02-28 00:30:52 | Weblog
※ 「オイラ達がヌートリアだよ~」
  「なにか食べ物おくれよ」
   クリック♪


きょうはフォルクローレの桑原さんが来宅で朝からソワソワする♪
シャワーを浴びようと準備をするが、パンツが無い。

「私のパンツが無いんだけど」
「ハ?!」
「知らない?」
「しらん・・・」
「ドーシヨー、1枚もないよ」
「・・・・・」
「ねえ、どうしたらいい?」
「きのうのでいいんじゃない?」
「桑原さんが来るんだよ! そういうワケに行かないでしょ!!」
「・・・・・・」

再度2階へ上がって探すがやっぱり無し。
きっと洗たくの時に無くしてしまったんだろう。
私は衣類を洗濯機に投入するとき、よく靴下やパンツなどの小物を本体と洗たく槽の間に落としてしまう。
(ドーシヨウ・・) と困り果てながらカゴの中を引っ掻き回すうち、普段めったに使う事のないお出かけ用のガードルが出て来た。
しょうがないのでこれを着ける事にした。

シャワーのあとお化粧をする。
きょうは気合を入れて資生堂のクレドポーを使った。
こうやって、男によって化粧品の種類を変える自分はあさましいと思う。

きょうは珍しく、昼食に手料理をふるまう事にした。
手料理といってもサンドイッチだけど、ルンルンにしては珍しいことだ。
いつも作りたいとは思いつつ、アレコレ考える間についめんどくさくなってしまうのだ。
ポテサラを作ったあとグルグルパンを買いに行く。
きょうは若夫婦が一緒だった。
桑原さんへのオミヤゲの分と一緒に2本購入。

帰宅して、生ハムとタマゴ2種類のサンドイッチを作る。
フワフワの山食で作るサンドイッチは美味しそう♪
思わずツマミ食いしたくなったがガマンガマン。

12時過ぎて桑原さん到着。
早速お昼を出す。
ポテサラとイチゴを添えたサンドイッチと珈琲、それにカブのスープを少々。
サンドイッチは抜群においしかった (誰も言わなかったけど)

早速コーヒー談義に花が咲く。
豆の選定、炒り方など、よどみなく説明して下さる桑原さん。
でも、Nと私相手では ‘ブタの耳に念仏’ だったかも知れない。

そのうちに 「HIRO」 へ行くことになった。
今にも降り出しそうな空の下HIROへ到着すると、店内は満員で15分ほど待つ。
なんとか座ってコーヒーを注文。
桑原さんは、ルンルンが半ば強引に勧めたブラジル・シェパドン、Nは日替わりのストロング、私はアイスココアを頼んだ。
ここではパン談義。
美味しいパンの決め手は 「小麦粉」 なのだそうだ。
小麦粉にはかなり細かいランクづけがあり、当然、上等の小麦粉ほどおいしいパンが出来るとの事。
「じゃあ○○○のパンは、小麦粉のランクがかなり下って事かなぁ」
「多分そうでしょう」
スーパーで売られている小麦粉も、実はそう上等のランクのものではないらしい。
あと、パン屋さんは傍から見る以上に大変な商売だという事も知った。
これからはもっとありがたい気持ちでパンを食べなければいけない。

その後 「昆陽池 (こやいけ) 」 へ行く。
着いてみると冬鳥達の姿はなく、ほとんどカルガモとカラスと鳩だった。
餌場へ行くとヌートリアがいた。
桑原さんは初めて見たそうだ。
エサ箱に8匹のヌートリアがいて、他の鳥達を寄せつけぬ勢いで食べていた。
そこへカラスの大群も加わり、他の鳥達が遠巻きにする中、わき目もふらずガツガツと食べるカラスとヌートリア。
人間社会も似たようなもんかなーとボンヤリ考える。
昆虫館にも寄りたかったが、きょうは休館日だったのでそのまま帰った。

帰宅してNと桑原さんの将棋が始まる。
源さんがその後ろで観戦。
実家へ行って小一時間して戻ってくると、ちょうど二局目が終了したところだった。
きょうは飛車落ちの手合いで1勝1敗だったとの事。
「すごいですね」 と言うと、「いやぁ全然ダメです」 とニガイ表情。
自分にきびしい人だなぁと思った。

その後、買ったまま1度も触れることなく置きっ放しにしていたギターを持ってきて桑原さんにみてもらう。
チューニングをしてパラパラ短いフレーズをつまびいたあと、「いいギターですよ、もったいないですね」
そのあと、「アルハンブラ宮殿の思い出」 を弾いて下さり美しい音色にウットリする。
「 ‘アルハンブラ’ は本当は ‘アランブラ’ なんですよ」
スペイン語は 「H」 を発音しないのでそうなるらしい。
ひとつ賢くなった。


その後、少し早いが夕食を食べに行く。
桑原さんの希望で 「バーミヤン」 へ行く事になった。
少し雨がパラつく中を出発。

きょうは団欒コースというのを注文。
店内はお客さんが多いわりには店員さんが少なく大変そうだ。
そのせいで、スープやデザートの杏仁豆腐が忘れられる。
きょうはどこへ行っても人が多い。
3月間際というシーズンのせいだろうか。
帰宅途中のクルマの中でNが、「団塊の世代」 というのを 「ダンコンの世代」 と言って恥ずかしかった。
Nは以前にも 「歯間ハブラシ」 を 「股間ハブラシ」 と言い違えていたのでちょっとアブナイ。

帰宅後、パンとなた豆茶のオミヤゲを渡してお別れ。
桑原さんも1日おつきあい下さり、さすがに少し疲れ気味のようだった。

これに懲りず、次回はゼヒ一緒に美輪明宏のビデオを観ましょう


おわり
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602        高砂や~♪

2007-02-27 00:07:18 | Weblog
※がんばってます!  高砂商店街
クリック♪

朝、リビングから阪上4級の声が聞こえてくる。
昨夜かなりNから怒られたせいか、朝来るのは久しぶりだ。
早く夜更かしのクセを治して新たなスタートを切って欲しい。 ガンバレ♪

きょうもいい天気なのでドライブへ出る事になった。
例によって行き先が決まらないまま出発。
「どこ行く?」
「うーん」
「岡山はどう? 牛窓とか」
「さすがにちょっと遠いわ、それならもっと朝早く出んと」
「そっか」

しばし考え・・・・
「加古川は?」
「え?」
「加古川行った事あるの?」
「いや、無いけど」
「じゃあ行こうよ。 高砂も前から行ってみたかったし」
「高砂か・・うん、行ってみようか」

というわけで、高速に乗り加古川方面へ向かう。

途中 「三木SA」 で小休止し、その後 「加古川北IC」 で高速を降りる。
目指すは 『高砂神社』 だ。

ちょっとひなびた感じの43号線を走る。
時折り ‘ブライダル都市’ という文字が目につき (ハァ、さすがに高砂だ) と納得するが、同時に (でも、ブライダル都市って具体的に何なんだろう) とも思った。

間もなく前方に、モクモクと白煙をあげるエントツが見え出す。
この辺りは工場地帯らしい (今考えてみると、三菱製紙関係の工場ではなかったかと思う)
そこから5分ほどで高砂神社に到着。

由緒正しき空気をみなぎらせる門をくぐって境内へ入ると、なぜか 「ぜんざい」 の香りが立ち込めている。
いつもそうだが、きょうもほとんど人は居ない。
立派な古灯篭がいくつかあり、奥には誰かわからない人の銅像が建っている (帰宅後、工楽松右衛門の像ということが判明)
ほうきの跡がきれいに残る砂地を踏んで本堂前へ進む。
手前の狛犬のそばには、右近の橘、左近の桜が揃って植えられていた。
狛犬をなぜていると、なんとかレンジャーみたいな赤いお面をつけた4歳くらいの男の子とお母さんの二人連れがやって来て、本堂前で静かに手を合わせていた。

昔この境内に、1つの根から雌雄2つの幹に分かれた松があって、神が宿る霊松と尊ばれ、以来この松の木の前で結婚式が行われてきたのだという。
これは 「相生松」 とも呼ばれ、古くから和歌や謡曲の中でもたびたび登場している。
その相生松も昭和12年に松喰い虫の被害により枯れ死して、今では幹のみが残されている。
これはかなり大きなもので、ヤニの跡もツヤツヤと生々しく大変迫力があった。
そのそばにはさらに、‘秩父宮勢津子妃御命名’ と書かれた、「五代目 相生松」 というのがあり、こちらは元気に葉を茂らせていた。

すぐ隣りには小さな渡り廊下のついた古い舞台があり、昔はここで婚礼の儀を行っていたのではなかろうか。
現在は、隣接する鉄筋コンクリート造りの建物内で行われているのだろう。
「高砂やぁ~♪」 の節は、残念ながらきょうは聞こえて来なかった。

神社を出て再びクルマに乗る。
来る途中、古い町並みが見えたので近くまで行ってみる事にしたのだが、駐車出来る場所がなかなか見つからない。
ずいぶん離れた場所にある 「サンモール」 というショッピングセンター内の駐車場に入れる。
ちょうどお昼だったので、建物内の 「白鳳」 という中華料理屋さんへ入った。

私はランチ、Nは 「えび玉」 を注文。
ランチはすぐに来たが、Nのえび玉定食は大幅に遅れ、私がもう少しで食べ終わるという頃に運ばれてきた。
「ランチにしたら?」 と何度も言ったのに、いう事を聞かないからバチが当たったんだ。
それにしても、ここの中華はなかなかの味で大満足だった
店内も、赤いフサのついた六角形のランタンがいっぱいぶら下がり、窓には赤く連なる 「喜」 のデザイン文字。
中華料理店はこういう具合に、思いっきり中華っぽい演出をして欲しいものだ。

お腹いっぱいになってサンモールを出ると、いきなり目の前に古い商店街のアーケードが出現
迷わず入って歩き出す。
店も全部は開いていないものの、ヤオヤさんや果物やさんの店先ではお客さんが立ち止まり、おしゃべりに花が咲いている。
古い看板の文房具やさんや靴屋さんの店先にも商品が並べられておりホッとする。
この手の商店街の多くが 「シャッター街化」 している事を思うと、ずいぶんガンバっている方だろう。
フッと、先日行った三木の 「ナメラ商店街」 を思い出した。

商店街を抜けて大通りを渡ると、落ち着いた板塀の続く路地へ入る。
このところ連続で、こういうタイムスリップしたような世界に出会う。
路地は狭くクルマもめったに通らないのでゆっくりと歩ける。
パシャパシャ写真を撮りながら進んでいくと、突然ドーンと大きい屋敷の前へ出た。

屋敷と言ってもかなり昔に作られた年代物の日本家屋だ。
昔はかなり立派なものだったのだろう。
大きな庄屋か地主が住んでいたのだろうが、それにしても大きいし造りも凝っている。
ただ、外からみても傷みはかなり激しく2階部分のしっくいも剥げかけている。
門の前にはゴミ袋や廃材が山と積まれ、まさに朽ちる寸前といった状況だった。

奇妙な気持ちで眺めていると、ちょうど年配の女性が通りかかったので声をかけて尋ねてみる。
「スイマセンが・・・ここは何の建物だったんですか」

女性の話によると、ここには船の帆 (帆布) を作っていた会社の持ち主の子孫が住んでいたとの事。
その人は現在別の場所に住んでおり、この建物が今後どうなるかは知らないとの事。
屋敷の塀に使っている板は、この会社の持っていた船の側面の板 (船板) で作られたものだという事だった。

さらに進むと、白壁に小さな緑青色のトビラが美しい蔵が並んでいる。
何だかよく判らないが、段々シアワセいっぱいな気分になって来た♪

また通りをひとつ越えると、突然川に出た。
「高砂海運」 と書かれた大きな倉庫が建っている。
そのそばの橋の上からのぞくと屋形船が三艘、静かに浮かんでいた。
川沿いには、軒の低いかなり年代物の木造家屋がひっそりと肩を寄せ合って並んでいる。
おそらく、古くから商いをしてきた廻船問屋だろう。
どこか遠くの島へ来たような気分で歩いていると、いきなり川の向こうからかなり大きな船が入ってきた。
ちょっと船体のペンキが剥げかけていたりして古そうだが立派なものだ。
舳先には 「天音丸」 と書いてある。

近くにあった立て札によると、この辺りは 「今津町」 と呼ばれ、関が原の合戦のあと姫路城主となった池田輝正が、この辺を港町として栄えさせたのだそうだ。
ちなみに、前述の朽ちかけた屋敷は、全国的に帆布を広めて有名になった工楽松右衛門という人の生家らしい (司馬遼太郎の 「菜の花の沖」 にも登場している)

すっかり歩きつかれて大通りの喫茶店 「キンパ」 へ入る。
ミルクティーを頼むと、炭酸せんべいのオマケつきで有り難かった。
小さな店内には、古い丸ポストや赤・黄・緑の公衆電話などが並べられており、早速ポストの脇にNを立たせて記念撮影。
意外なことにポストはNの胸ぐらいの高さしか無い。
(ちょっとミニ版なのかなぁ) と思っていると、石の台座をのけるとみんなこのサイズなのだそうだ。

店を出てクルマを停めていたサンモール駐車場へ戻る。
すぐそばの 「コペンハーゲン」 というお店のホットドッグが美味しそうなので立ち寄ると、外人さんが1人で作っていた。
日本語が上手で、「デンマークサーカスシッテマスカ? アノトキ、タカラヅカランド (ファミリーランドの事) ヘイキマシタ」
「ワタシ、タカラヅカホテルノコックチョートトモダチデス。 カレワモウ76サイ (私がうろ覚え) グライノハズデス」 などペラペラ教えてくれた。
ホットドッグをひとつ買って駐車場で食べると、ちょっと大人の味でおいしかった

コペンハーゲン ←クリック

クルマに乗ってやっと出発。
帰り道、志方八幡神社というところに寄るが、きょうは書き過ぎて疲れたのでこれでオシマイ。


おわり
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601     赤い花と死刑執行人

2007-02-26 00:16:04 | Weblog
※フラダンスのステージ。
ちょっとコワイでしょう・・・・・クリック♪


朝、グルグルのパンを食べるのが楽しみでちょっと早起きする。
2センチほどの厚さに切ってトーストして食べると、中はフワフワ外はサックリで美味しかった。
また買いに行こう♪

Nは伊丹の子ども教室で8時半に家を出る。
私は10時からベガホールである 『おおの音楽院 発表会』 を見に行った。
第1部は 「若手によるギターコンサート」
バッハやグラナドスなど、クラシックだけのプログラムだ。
お昼の準備があるので10人ぐらいしか聞けなかったが、バリオスの 「最後のトレモロ」 、ラウロの 「グランドソナタ」 の2曲が印象に残った。

いったん家に帰って 「焼きうどん」 を作る (春キャベツが残っていたから)
今回はあまりおいしく出来なかった。
その上アオノリも切らしており、Nも元気なさそうな顔で食べていて可哀想だった。

Nは詰め将棋の会へ出席のため、12時半前に家を出る。
私もベガホールへ続きを見に行く事にした。

1時からは 「ウクレレフェスティバル」 のコーナーになっていた。
こちらは2人組み3人組みでの重奏で、曲目も 「涙そうそう」 「聞かせてよ愛の言葉を」 「川の流れのように」 など、ポピュラーものがほとんどだった。
微妙な音の狂いと異常にゆっくりのテンポのせいで、かなり暗い印象の 「おおスザンナ」 がよかった。
あと、女性3人で弾く 「アロハオエ」 もヘンに寂しげでよかった。

そして重奏の最後のプラグラム、きょう1番楽しみにしていた 「フラダンス・サークル」 が始まる。
ステージ後方にギター・キーボード・コントラバスなどの奏者が並んだあと、艶やかな衣装を身にまとった妙齢の女性が10人ほど、客席から沸き起こる拍手の中しずしずと舞台へ現れた。
私は客席の1番うしろのハジッコだったが、身を乗り出して何枚も写真を撮る。
平均年齢は60歳ぐらいだろうか。
運動オンチの私は以前チラッとだけ (健康のためにフラダンスはどうだろう) と考えた事があったが・・・やっぱりやんなくてヨカッタ。

フラダンスが終わったので私もベガを出る。
どこかへ行きたかったが、寒いのとお風呂へ入ってなくてキタナイのとで家へ帰る事にする。

きのうザクロの木に置いていたミカンの輪切りをみると、全く手つかずの状態でちょっとガッカリ。
カラスでもヒヨでもなんでもいいから早く食べに来ないかなぁ。
ザクロの下の沈丁花が、白い小さな花を咲かせ始めていた。
しゃがんで鼻を近づけるとウットリするほどいい香りだった。

家へ入ってネットをしているとピンポーンと鳴る。
「ハイ」
「郵便局ですが、代引きの商品です」

ん?  何か頼んでたっけ??

「あの、いくらですか?」
「2140円です」

千円札2枚はあったが小銭が無いので、大急ぎでサルの貯金箱から140円を取り出して玄関へ走る。

お金を渡して荷物を受け取る。 書籍のような大きさと重さだ。
宛名をみると私宛だったのでビックリする (私宛ての荷物なんて普段ほとんど届かない)

差出人の欄を見ると 「福岡県飯塚市○○町 古本センター○○眞澄」 となっている。
(ああ! そーか、あの本か)

数日前にネット注文していた 『赤い花と死刑執行人』 が届いたのだった。

小学4年生の時、同じ社宅で私より1つ年上だった大前有子ちゃんから借りた本の中に 『赤い花と死刑執行人』 というのがあって、それをもう1度読んでみたいと長年思い続けていたのだった。
題名もうろ覚えだった私は、2年ほど前までずっと 『赤い花』 を 『赤いバラ』 とカン違いしていて、その為か、いくら捜しても見つけることが出来なかった。
が、そのうち 「教えてgoo」 の存在を知り早速質問したところ、その日のうちに正しい題名と作者の名前 (コーネル・ウールリッチ) が判明し、涙が出るくらい感動したのだ。
そしておととい、久しぶりでふとその本の事を思い出して検索してみると、ちょうど取り扱っている古書店があり早速注文したのだった。

包みを開けて出てきた本を見ると、表紙に見覚えはなかった。
が、中を読み出すと確かにこの本だ。
挿絵も、思い描いていたのと全く同じというワケではないがほぼ似ている。

筋書きは・・・ある死刑執行人が、彼の担当の死刑囚とグルの人物からだまされ、死刑執行の当日に毒入りビスケットを食べさせられる。
死刑執行人が何らかの事情で刑場に赴くことが出来なかった場合、その死刑は中止されるという決まりがあり、それを悪用されたのだ。
まんまとワナにかかって毒入りビスケットを食べさせられた執行人は、非常に苦しみながらも、それでも何とか刑場へ向かい・・・というものだ。
最後のどんでん返しが当時小学生だった私にはかなり印象的だったのだが、それより何より、毒入りビスケットのせいで悶え苦しみながらも電車を乗り継いで刑場へ向かい、最後にギロチン台の上でこと切れる・・・その壮絶さがあまりにも衝撃的で、以後何年にも渡って頭の片隅に残る事となったのだ。

あれから40年近く経った今、改めて読んでみると、思っていたのとは少し違う印象だった。
 (こんな非常事態なんだから電車なんか使わず、何でさっさとタクシーで行かないんだろう) など、大人の視線で読んでしまうせいだろうか。
でもまぁいずれにせよ、懐かしかったしそれなりに満足できた。


おわり
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600      グルグルのパン屋さん

2007-02-24 23:26:35 | Weblog
※きちんと撮れませんでしたが、グルグルのパン屋さんの袋。
クリック♪


きのうミニコープで買った春キャベツで、久しぶりにロールキャベツを作る。
ちょっとはダイエットしなくちゃいけないのに・・・とってもオイシク出来たので大量に食べてしまった (Nの分まで食べた)


いつも利用するガソリンスタンドの近くに気になるパン屋さんがある。
毎回クルマで通り過ぎるだけなので入った事はないが、店名を 『グルグルのパン屋さん』 という。

ルン 「グルグルのパンって、いい名前だよねー
N  「そうかなぁ・・」
ルン 「どんなんやろうね、グルグルのパンって」
N  「さあね」
ルン 「渦巻き状のデニッシュとかかな?」
N  「ああ、そうじゃない・・」

私はなぜか、 「グルグル」 とか 「うずまき」 というコトバに異常に惹かれる。
活字を見ただけでも一瞬 ‘ねこにマタタビ’ 状態となるほどだ。
カタツムリやナルト、天才バカボンに出てくるグルグルの太陽、竜巻、蚊取り線香など、 ‘視覚的なうずまき’ も大好きだ。
理由は自分でもわからないが、‘生理的に好き’ という感覚に近い気がする。
これも何か一種のトラウマの類が起因しての事だろうか。
1度きちんと心理学的見地からの意見を聞いてみたいものだ。

・・・で、きょうはその気になる 『グルグルのパン屋さん』 へ行ってみることにした。

近大へ行くNを送り出したあと、しばらくして出発。
寒のぶり返しと聞いていたので覚悟して家を出るが、思っていたほど寒くはなくてホッとする。
細かい雨がパラついていたが、例年なら雪かあられだろう。
カサをさすほどでもないのでそのまま歩く。

JRの小さな踏み切りを渡ると、ボケの花がキレイに咲いていた。
かすかに薄緑がかった淡いピンクで、梅とはまた違った清冽な雰囲気が漂う。
ただあまり間近で眺めると、花びらの中で大量にモサモサしている黄色の雄しべ雌しべがちょっとキショク悪い。

急坂を下るともう旭町だ。
少し行くと小さな美容室があり、最近では滅多に見かけなくなったパーマ屋さんのグルグルネオン看板が掲がっている。
グルグルネオン看板 ←クリック

庁舎横を曲がると ‘OPEN’ の看板がかかる 「グルグルのパン屋さん」 へ到着。
うれしくてドキドキしながら店のドアを開ける。

中へ入ってみると、大きなステンレスの棚に茶色い山食のパンが何本か乗っている。
それだけだ。 あとは何も無い。
ふつうのパン屋さんで売られているようなジャムパン・クリームパンなどの類も、それを並べる陳列棚も一切ないのだ。

山食を1本買って、若い女性オーナーと少しオシャベリ。
ここは食パン専門店で、宝塚市内であればどこでも配達してくれるとの事 (西谷とかはダメらしいが)
気になっていた 「グルグル」 の由来を聞くと、山食の茶色い皮を指差して、「この模様なんです」
よーく見ると、確かに山になった部分ひとつひとつに、ウズマキ状の模様が見える。
この模様を入れるにはパン作りの工程が増えて時間もかかるのだが、それだけ手間をかけて一生懸命作ってますよという証しでもある。
「ナルホド♪」 のうずまきなのだ。

他のパン類も置きたい気持ちもあったが、「沢山作る中からオイシイものが出来る」 というご主人の信条で、あえて食パン専門店というスタイルにされたそうだ。
小さな犬のヌイグルミを抱いた3歳くらいの女の子が、ニコニコ顔で私とオーナー夫人の顔を見比べる。
なぜか 「レ・ミゼラブル」 のコゼットを思い出す (別にカワイソウな雰囲気があったワケではないのだが)

「きょうブログに書きますね♪」 と何気なく言ったら 「あ、じゃあ教えて下さい」 と言われたので ‘森信雄の日々あれこれ  ルンルンピアノ’ と書いて帰ってきた。

(あの・・もし今これ見てガッカリしたり 「こんな事ゆうてへんやろぉ!」 と思われていたらスミマセン
根がイイカゲンな女という事で、他意はありませんのでお許しを・・・ )

もうすぐ我が家へ帰り着くという頃、何やらすごい声が聞こえて来る。
鳥だ。 カラスの声だった。
角を曲がって自宅の屋根を見上げると、なんだかすごい数のカラスがガァーガァーしゃがれた声で鳴いている。
(なんなんだろう・・)
となりの家の茂みからパタパタッと音がするので振り向くと、2羽のメジロが飛び立っていくところだった。

となりはメジロで我が家は大量のカラス・・・

カラスも決して嫌いではないのだが、なんかこのままではいけないような気がした。

大急ぎで家へ上がり、廊下に置いてあったダンボール箱の中のしなびたミカンを3つほど取り出す。
急いで包丁で輪切りにし、サンダルをつっかけ再び外へ出た。
目の前のザクロの枝と枝の間に、輪切りにしたミカンをギューギュー無理矢理はさみ込む (ザクロの枝は細いので刺すことが出来ない)

これで明日から我が家にも可愛いメジロのつがいが訪れるだろうか。
いや、ヒヨドリでもいい。
楽しみに待つ事としよう



明日はいつもよりちょっと早起きしてグルグルパンを食べる。

グルグルのパン屋さん ←クリック

おわり
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599       ホモ達

2007-02-23 20:32:59 | Weblog
※最近では、詰め将棋を作ろうとするとすぐこうです。
クリック♪


このところNに対する源さんの甘え方が激しい。
ゲージから出すとすぐにヨッチヨッチと歩いてとなりの和室へ入り、Nの来るのをジッと待っている。
Nがいつまでもリビングでノロノロしていると、 ‘ボォーボォー、ボォーボォー (早く来ーい)’ と鳴いて呼ぶ。
そしてNがPCの前に座ると、ズボンや靴下を延々とつっついてゴキゲンで遊んでいるのだ。

Nがちょっとリビングへ出ると大あわてで追っかけて来る。
そして寝転がって詰め将棋を作るNの盤の上へヨッチヨッチと上がってきて、デンと乗ったまま動かない。
そしてそれに飽きると、今度はセーターの袖をつついて遊びだす。
きょうはNの頭の毛 (まだちょっとはある) にクチバシを突っ込んで遊んでいたので、これはさすがに禁止した。
こんな感じで、最近の源さんはすっかりNの子分・・というか、Nのホモ達なのである。

もちろん、ルンルンに対しては相変わらず冷たい源さんだ。
今朝もナゼようとしてツツかれてしまった。
何十回呼んでも返事一つしてくれないし、当然あとなんかついて来やない。
やっぱり私にはトビオが1番だ (2番クロ 3番源 4番イザベル 5番まきお)

昨夜、「バーこば」 のブログで 『韓のおしり』 という店を知り、早速きょうの昼行ってみることになった。
場所は仁川の競馬場付近で、普段しょっちゅう車で通っている場所だ。
すぐに見つかって11時半の開店と同時に入る。

Nは 「ダッカルビ定食」 私は 「石焼ビビンバ定食」 を注文。
ナムルやチヂミ、スープ、甘酸っぱいソースのかかった野菜類などが付き、かなり満腹になった。
最後のデザートに 「杏仁豆腐」 を選んだのだが、なぜか本当のアンも乗っていてビックリ
手軽に韓国料理を味わうには良い店かも知れない。

韓のおしり ←クリック


帰宅後、満腹になったのと天気が悪いのとでグーグー寝てしまう。
小さくクラシックをかけながら、トビオと一緒にソファーで眠るレッスンまでのひとときはサイコーだ


夜HIROへ行く。
きょうの日替わりは、最近になってようやく 「自分に1番合ったコーヒーはこれ!!」 と判明したブラジル・シャパドン
酸味がほとんど感じられず、かつマイルドでほどよい苦味もある。
ここを読んでおられる方、だまされたと思って1度お試し下さい


ただ、よその珈琲店にもあるのかどうかが疑問ですが・・・・

おわり


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598        中山寺5分咲き

2007-02-22 23:06:08 | Weblog
※中山寺梅園   クリック♪


今朝の朝刊に ‘中山寺梅園5分咲き’ の記事と写真が載っていた。
明日が雨の予報なので、思いきって出かける事にする。

すごい人出かなと心配だったが、思っていたほどでもなくゆったりと回る。
梅の甘い香りに包まれながら梅園のゆるやかな坂を上り下りするうち、すぐ汗ばんできた。

三脚を抱えたアマチュアカメラマンの姿も多い。
特に近頃では中高年層の女性の姿がよく目につく。
大きなカメラを構え熱心に撮影する姿はなかなかカッコイイ♪
坂の途中でカメラ片手にウロウロする初老の男性が1人、そこへ近づいてきた奥さんらしき女性が
「そんなんじゃダメよ! ちゃんとポイントを決めてから撮らないと」 とひと言。
夫はキマリ悪そうな表情で、さらにウロウロとしていた。

私もNの前になり後になり、よい枝ぶりの美人梅を探す。
白梅も気品があるが、やっぱり紅梅の艶やかさの方にレンズが向く。
男性から見る女性もこんなものなのだろうな。

「ホラ、あそこにいるいる!」
「え? どこ?」
「ミドリ色の体で、目のまわりに白い輪がある」
「ああ、アレ」
「そうそう、あれがメジロ。 大抵2羽で飛んでいるのよね」

女性2人連れの会話が耳に入り思わず足を止める。
指差す方を見ると、3メートルほど先でミドリ色のメジロが元気に飛び回っていた。
ズームを最大にしてギリギリいけそうだが、とにかく動き回るのでピントが合わせられない。
苦労していると、 「撮れるのかしらねぇ」 と、クックと笑いながら行ってしまった (ちょっと失礼だ。 撮れなかったけど)

あと、変な服を着せられたイヌとか、「○○梅林の方がずっとキレイよねぇ」 と大声でシャベリながら歩く女性グループなどとすれ違う。
春風と梅の香り漂う、ノンビリと平和なひと時だ。

疲れたので、梅園を出てから境内の 「カフェ梵天」 に立ち寄る。
「蓮ごはんセット」 というのがあったのでそれに決めた。

蓮ごはん ←クリック

ハスの葉で包んだ中華風ちまきのようなもので、もっちりした皮の水餃子がたっぷり入ったスープも美味しかった。

お腹いっぱいになって帰宅。
その後あわてて、やりかけの洗濯物を干し晩のシチューを作る。
きょうは○ウスのクリームシチューに、ジャガイモ・玉ねぎ・ニンジン・お肉の他、しめじとブロッコリー、ホウレンソウを入れる。
なかなかオイシク出来上がった

3時半からのレッスンは、なぜか全員、先週渡した発表会用の連弾譜を持ってきていなくてアセった。
久しぶりでパニックに陥りそうになる。

最近ちょっと遊びすぎのせいか、今ひとつレッスンモードに入れない。
花見ばかりで浮かれているとマズイ事になりそうな予感がしてきた・・・


おわり

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597       ネガティブ

2007-02-21 21:26:29 | Weblog
※初登場 まきお   クリック♪


せっかくキレイになってきた我が家が、再び散らかりつつある。
第一の原因は ‘コタツ’ だ。

我が家では普段リビングにコタツを置いているので、教室のある日はいちいちどけなくてはならない。
コタツの天板と本体、及び掛け敷き布団をまとめて台所のすみへ追いやる。
そして教室が済むとまた元通りリビングにセットするのだが、これがなかなかメンドクサイのだ。
(ア~ア、普通の家やったらいちいちこんなことしなくてもイイのになぁ) と、毎回バチ当たりなタメ息をつきつつ、コタツをアッチへやったりコッチへやったりしている。

それがなぜかこの2,3週間、コタツとコタツ布団が台所にずーっと置かれっ放しのまんまなのだ。
意味は別にない。
単にリビングにセットするのがメンドクサイだけなのだ。

水屋の正面に天板を立てかけ、その手前に足付き本体、コタツの掛け敷き布団を丸めて置いている。
見た目もダラシナイが、それより問題は水屋の下半分のトビラが開かない事だ。
でもここはお素麺やシーチキンやカニ缶など、普段はどちらかというとあまり使わない物を置いている場所なのでそれほど困ることはない。
下半分の上部の小引き出しにはコーヒーカップや輪ゴム・紙ナプキンなど、わりとマメに使うものが入っているのだが、こちらは立てかけた天板をちょっとだけ傾ければ半分ほど開くので、やはり不便は感じない。

こういう状況を、 「耐えられない!」 と思うのがフツウの主婦だと思うのだが・・・
モチロン私だって 「よごれて散らかっている生活」 が好きなわけでは無いのだけれど、ナゼかこういう場面にもあまり拒否反応が起きない体質なのだ。
こういう体質はマレに便利な場合 (中国へ旅行した時など) もあるが、ごく日常の生活においてはやっぱりマイナスな点が多い。

で、たまに ‘アタシお料理・洗たく・家事全般がまったくダメでぇ’という女性も存在するが、そうゆう場合は必ずと言っていいほど、「その本人に何かズバ抜けた特別な才能がある」 というオチがついていてガッカリすることが多い。

どこかに、「何のとりえも自慢もなく、ただひたすら何をさせてもダメ」 という女性がいないものだろうか。
年齢は問わないが、なるべくなら ‘結婚および子育て経験のある人’ がいい。
なぜかと言うと、「何のとりえも自慢もなく、ただひたすら何をしてもダメ」 と思っていた人が、子育てや結婚を機に、ガラリと良妻賢母に変身してしまうというパターンがかなり多いからだ。
私はこういう場面に遭遇するにつけ、なんだか裏切られたような気になってしまう。
(以前はあんなにダラシナクって気の置けない女だったのに・・ナゼ?) と悲しくなってしまうのだ。

だから私が求めているのは、子どもや亭主によって変身してしまう 「もともとは力量があるのに、単に目覚めていなかっただけの一過性ダメ女」 じゃなく、「器質的根っからのダメ女」 なのである。
そんな人がいれば喜んでスッ飛んでいくのになぁ・・・


お風呂にも入らず、台所にはコタツとコタツ布団が積み上げられ、洗たくもしないから着るものが無くなり、おまけに風邪引いて何をしてもツマラナイ状況になってくると、よくこういう事を考えてしまう。

こういうのをネガティブって言うのかなぁ・・・


おわり

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596       明石探訪

2007-02-20 23:47:46 | Weblog
※明石名所 「魚の棚」 
看板の大ダコの目が光ります。  クリック♪


今朝起きるとNが急に 「免許の更新に行く」 と言い出す。
(えー?  本当はUSJにでも行きたかったのになぁ)
仕方ないので急いでコロッケパンを食べ、出かける支度をする。

JR宝塚から同志社前系由の東西線に乗る。
車内アナウンスの声が、風邪のせいかひどくしわがれていて、まるでオジイサンのようなので笑ってしまった (どうぞお大事に)

尼崎でいったん降りて姫路行きに乗り換える。
30分足らずで明石に到着。

免許の受付開始時刻までだいぶん間があるので、お昼ごはんを食べる事にする。
駅前をウロウロしたあげく、地下にある小さなお寿司屋さんに入って寿司盛り合わせを頼む。
カウンター7席のみの本当に小さな店だったが、お寿司屋さん独特のコワさ (あの異常な大声) もなく、ごく平和に食べることが出来てホッとした。

店を出て駅前ロータリーからバスに乗る。
15分ほどで免許更新センターに到着。

ここは初めて来たが、ひと昔前の日赤病院か昭和30年代の国鉄のキップ売り場という雰囲気が漂っていた。
老いも若きも、受け付け番号の列に並んで順番が来るのを待っている。
(みんなエライなぁ) と思いつつ、持ってきた文庫本をゲラゲラ笑いながら読んでいた。

しばらくしてNがやってきた。
(もう終わったのかな) と思っていると、暗い顔をして 「まだあと2時間ぐらいかかるみたいやねん」 と言う。
講習を受けなければいけないらしい。

天気もいいのでどこかへ行こうと建物の外へ出る。
ここは高台で学校や住宅ぐらいしか無さそうなので、バスに乗って下界へ降りた。
途中、前方に海が見え (オオッ♪) と感動していると、直後に明石海峡大橋も姿を現す。
小さな旅の始まりだ

バスの窓から、むかし息子を連れて行ったことのある 『明石天文科学館』 が見えた。
他に行きたいところも思いつかないので行ってみることにする。

バス停 「天文町」 で下車。
科学館はてっぺんの時計が目印の高い建物で、どこにいてもよく見える。
さっさと歩いて迷うことなく到着。

最初に14階の展望室へ上がる。
先客はいない。
360度のパノラマの向こうに、明石海峡、播磨灘が広がる。
午後の日差しにかすみながら静かに漂う小さな漁船。
もちろん明石海峡大橋も見えるが、これはやっぱり夜のライトアップされた姿が最高だ。
自宅マンションのベランダで、毎日明石海峡大橋のイルミネーションを眺めつつ夕食をとられるという神戸の出田さんを思い出した。

もうひとつ下の階に下がると 『無料星座うらない』 というのがあった。
小箱の中にオレンジ色のプラスチックボールがたくさん入っていて、つかみ出したボールに書かれた番号を見ると66だった。
壁に貼られた番号の紙を探す。 (66、66と・・・66はどこだ~)

<66番 ヘルクレス座  次々とやってくる試練は英雄への道のり> と書かれてあった。

(英雄になんかならないでもいいから、試練はカンベンしてよ) と言うのが正直な気持ち。

プラネタリウムもあったが、ここ数年暗闇がニガテになってしまったのでパス (本当はすごく見たかったけど)

下の展示室の階へ行く。
天文ギャラリーの部屋へ入ると 「ニュートリノ」 で有名な小柴の博士のパネルがあった。
「カミオカンデ」 や 「ニュートリノ」 などは今まで言葉しか知らなかったが、パネルの説明書きを読んで初めてその意味がわかった。
カミオカンデは岐阜県の神岡鉱山、地下1000メートルの場所に設置されていたらしいが、今はもう無いのだろうか。
いつか神岡鉱山に行って見たいものだ。

4階の天文ギャラリーへ行くと、今度は毛利衛さんのパネルがあった。
「毛利衛」 「宇宙は想像の空間」 と、白マジックでサインが入っている。
私はチョッピリとだけ毛利さんのファンなので、しばらくポ~ッと見入ってしまった

その後、科学館を出て辺りをブラブラするが、この辺もなんだかすごく面白いところのようだ。
源平合戦で逃げてきた平氏が通過した地点でもあり、それにちなんだ道標や碑などもいくつか残っている。
道端で見かけたマップを見るとおもしろそうなお寺も多く、どんどん歩いてみたくなった。
早速1番近くの長寿院へ向かう途中でケータイが鳴る。

「はい」
「あ、モシモシ・・今どこ?」
「えっとね、天文科学館のそばを歩いているところ」
「エェ~? (めんどくさそうな声) じゃ、どうするの?」
「バスに乗っておいでよ。 オモシロイとこだから」

バス停 「天文町」 まで引き返してNを待つ。
5,6分待ってバスの中からNが降りてきた。
無事に合流できてちょっとホッとする。

行きかけていた長寿院へ向かう。
入り口の保育園の脇を通り境内へ入ると、白梅、紅梅が真っ盛りだった。
辺り一面に甘い香りが漂う中、Nが夢中になってシャッターを切っている。
私も真似してカメラを向けるが、なかなか思うように撮れない。
Nに言うと 「ああ、梅はムズカシイで」 との事。
近いうちに中山寺へ行って練習をしなければ (また遊びの計画を練るルンルン)

その後、明石駅へ向かって歩く。
途中、古いお店がいくつもありキャーキャー言いながら楽しむ。
日本もまだまだ捨てたものじゃないなぁとも思うが、開発の魔の手がすぐそこまで伸びているのだけは明らかだ。

いつの間にか駅前の 「明石銀座」 に出て、そのまま 「魚の棚」 に入った。

魚の棚 ←クリック

小さな洋食屋さんに入って私はオムライス (テレビで紹介されたらしい) と、Nは牛すき定食を注文。
オムライスは520円という値段だが味は絶品!!
一見するとなんの変哲もないが、中のケチャップライスが本当にオイシイ
リピート決定の味で大満足して店を出る。

そして、「せっかく明石まで来たんだから、ちょっとムリしてもやっぱり明石焼きも食べていこう♪」 という事に決定。

明石焼き  ←クリック

同じ魚の棚の中にある 「あかし多幸」 で本場明石焼きをペロリ (うう、もう満腹じゃ)

帰り、野島商店でカマボコ (さつまあげ状のもの) を買って、きょうの明石探索は終了。

それにしても、明石は想像していたのとは全く違う町だった。
歩くのに良し、食べるのに良しですっかり見直してしまった。

また用事を作ってゼヒ行きたいと思う (今度はお造りとタコ料理だ♪)


おわり
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595      史跡 生野銀山

2007-02-20 02:16:45 | Weblog
※生野銀山で、今もなお手掘りで銀を発掘する男性 (うそ)
クリック♪

きょうは朝9時に出発して、兵庫県朝来郡の 「生野銀山」 へ向かう。
10年近く前に1度訪れた事があるが、Nの運転で行くのはきょうが初めて。
いつものモービルで給油してから高速に乗る。
お天気は上々、道もすいていて快適だ。

途中 「加西SA」 で小休止。
意外に寒くてビックする。
(もうちょっと暖かいカッコウをしてくるべきだったなぁ) と反省していると、目の前を半そでTシャツ姿の若者が歩いていた。
(あの人はもっと反省してるんだろうなぁ) と気の毒になる。

銀山は思っていたより遠かった。
1時間40分ほどかかって到着。
以前来たのは八重桜の季節だった。
父や妹夫婦とお弁当を広げた場所があって懐かしかった。

それにしても風が冷たい。
くるぶし丈のペラペラパンツでは寒い寒い。
とにかくドンドン歩いて体を温めるしかない。

ここ生野銀山の歴史は古く開抗は807年、江戸時代には幕府の直轄領地となり、その後は政府から宮内省、最終的には三菱の管轄となり、昭和48年の閉山まで多くの人が従事していたという。

代官門と書かれた入り口を入る。
右手には大谷川が流れ、左には数十メートル高さの巨岩が連なる。
岩のほとんどの表面には削り取られた跡があった。

最初の旧抗をのぞく。
フェンスぎりぎりまで寄って見てみると、染み出した水がいっぱい溜まった中に小さな祠があり、そこには鉱山守護神である金山彦命が祀られていた。

少し歩くと、右手に2本の大きな滝が現れた。
(どの位置からがいいかな) と考えていると、先客の初老男性グループから写真を頼まれる。
滝手前の赤い橋にズラリと並んだ6人の男性が、こちらへ向かって一斉にニッコリと微笑む
なんか異常に緊張してしまった (きっと変に撮れてるだろうなぁ・・ゴメンナサイ)

時折り高い岩肌のあちこちに、手掘りで作業する当時の人を模した人形がアチコチにへばりついていてビックリする。
ひとつの大きな岩肌に、 「南無阿弥陀仏」 とノミで彫られたあとがくっきりと残っていた。
鉱山に従事する人達の恐怖や不安の念が生々しく迫ってくる。

観光用の抗道もあるが、前回入っていたのできょうはパス。
大きな岩の群れに沿う細長い一本道を行くNの姿は、うしろから見るとまるで豆粒のようだ。
右手を流れる川の向こうに広がる千珠谷。
辺りには全くひと気は無い。 聞こえるのは川の水音だけ・・・ちょっと怖いぐらいだ。
時々 『ヒカゲツツジ』 と書かれた立て札が目につく。
温帯岩場の蔭に咲くツツジで、ここは全国でも珍しい大密生地という事らしい。

「慶寿の掘場」 を過ぎた辺りから水は赤茶色く濁り、石がゴロゴロして足場が悪くなり何度かつまずきかける。
もうしばらく行ったところの 「大丸採掘跡」 が観光の終点地点で、それより先は進入禁止となっていた。

体はなんとか温まったが、手の先が冷たい。
時々ハーハーしながら道を戻る。

入り口に到着。
ちょうどお昼だったのでそばの土産館の中の食堂へ行くが、団体さんの予約で食事はムリとの事。
石で作った小さな犬の置物とチョコボールを買って外へ出る。
駐車場のそばに 『銀山食堂』 と書かれた建物があったのでそちらへ入る。
「銀山うどん定食」 というのを食べたが、麺のコシがしっかりしていてダシも大変おいしかった。
本当は 「おうどん、とても美味しかったです」 と言いたかったのに、いつものごとく勇気がなくて言えなかった (すごい心残り・・)

その後、銀山を出て生野駅方面へ向かう。
「銀山町口番所」 横にクルマを停め、説明を聞いてパンフレットを貰う。
この辺りも古くて雰囲気のある街道が幾筋も走っている。
最初は寺町通りを歩く。
文字通りお寺さんだらけの細道で、真言宗、日蓮宗、浄土宗なんでも揃っている。
これらは鉱山に従事して亡くなった人達が、それぞれの宗派によるお葬式を営んで貰うために建てられたお寺で、つらい歴史の上になりたっているものだという事をあとから知った。

その後、旧鉱山官舎跡 (ここらには俳優の志村喬が生まれた社宅もあったらしい) 、落ち着いた板塀や漆喰ぬりの土蔵が立ち並ぶしっとりした路地をいくつも通り抜ける。
小さな子の手を引いた母親や、ポツンと歩くお年寄りをたまに見かけるくらいで、人影はほとんど無い。

大きな市川の向こう岸にある 「姫宮神社」 へ渡る。
先ほどから始まりだした頭痛がちょっとひどくなってきていたが、ガマンして歩く。
川岸で、3,4人の作業服姿の人達が測量をしていた。

姫宮神社まで行き着いた時にはかなりバテていた。
本堂脇の小さなお堂で小休止。

薄暗い堂内のかべに ‘海戦機関兵 岩崎賢司昭和拾参年九月吉日 祈皇軍武運長久’ とサインされた戦艦の水彩画をボンヤリ見つめる。

しばらくすると少し疲れも取れたので引き返す事にする。
橋へ出ると、先ほどの測量をしている中の1人が、大きな声で数字を読み上げている。
熊本の古田さんを思い出した。

帰り道、「喫茶  花」 という店に入る。
60後半くらいの女性客がカウンターに1人と、髪をムラサキに染めたほぼ同年代の女性オーナー。
私達が入ってくると、それまで盛り上がっていた話をピタリとやめた様子だった。
寒かったのでホットミルクティーを注文。
待っている間に、再び話の続きが始まりだしたようだ。

同居のお姑さんの陰口、おどりの発表会に貸した着物を畳まずに返した子の悪口・・・

Nが黙ってスポーツ紙を広げるそば、私は運ばれてきたミルクティーをすすり、添えられたビスケットをかじりながらそんな話に耳を傾ける。
恐ろしく現実的な風景なのに、どこか非日常的な空気が漂う。

店を出て車の場所へ戻る。
パンフレットを貰ったお店の人にあいさつして出発。

帰りの車中は、どうしても睡魔に勝てなく半分ほど寝てしまった。


夜はHIRO。
疲れていたせいかコーヒーが半分も飲めず、ほとんどNに飲んで貰う。

帰宅して10時から、NHKの 「プレミアム10 ピアノ 華麗なワンダーランドへようこそ」 を見る。
原智恵子の事はこれまで名前ぐらいしか知らなかったが、きょうの番組を見て、なぜ彼女が日本でほぼ無名に近い状態になったかを知りちょっとショックだった。

きょうは私のブログが遅かったので、待ちくたびれたNはソファーでスヤスヤ。


おわり
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