ルンルンピアノ

ピアノ教室の子どもたちとの楽しい毎日。。。。。。

514      さらば、大崎学

2006-11-30 21:59:55 | Weblog
※osakiさんから習ったモザイク。
 クリック♪



28日(火)からosakiさんが来宝、怒涛のような3日間が過ぎた・・・

昨日の水曜日、午前中は皆でショップチャンネルなどを見ながらゆっくり過ごす。
osakiさんは <ポット付きのコーヒーメーカー> がお気に入りのようだった。
Nの希望で、時おりマージャンの番組に切り替わる。

お昼前、『HIRO』 へ行く。
まだ12時前なのに、玄関先まで行列が出来ていて驚く。
さすがにアキラメて (別の店へ・・) と思っていると、喫茶利用でなく、コーヒー豆を買いに来ている人の列だった。

今回はどうしてもosakiさんに 『グァテマラ』 を飲んで欲しかったのだが、売り切れで無かった。
osakiさんとNは 「ソーセージ・ドック・サンドウィッチ」 私は季節限定の 「パンプキンとベーコンのグルメサンド」 を注文。

HIRO  ←クリック

午後からはNが用事なので、osakiさんとルンルン2人で清荒神参道を登った。
途中タロット占いの店があって、osakiさんにはゼヒ占ってみて欲しかったのだが実現せず残念(1件3千円)
かつらの店がお気に入りのようだった。

トボトボと20分ほどかけて清澄寺に辿りつく。
山門をくぐってすぐの、黄金色に輝く大イチョウの葉っぱが美しい。
カメ池をのぞくが、見えるのは冷たそうな水の中で泳ぐ鯉だけで、甲羅干しのカメの姿は全くなかった。
そろそろ冬眠なのかも知れない・・・淋しいなぁ。

水かけ地蔵さん (一願地蔵とも呼ばれる) にヒシャクで水をかけながら願い事をする。
そのあと本堂前まで上がりお賽銭をあげて再び願い事をした。
少しだが気持ちがスッキリする・・・・・


久しぶりで鉄斎美術館へ入る。
ここはいつも空いていて、きょうも館内は私達2人だけだった。
入ってすぐの部屋で、鉄斎の作品紹介のビデオを観る。
osakiさんが最初、自分の荷物をゴソゴソしているのがすごく気になった。
これがNだったら、 「ゴソゴソしないでちゃんと観てよっ!!」 と食ってかかるところだが、相手がosakiさんなのでそうも行かない。
ゴソゴソは15秒くらいで終わり、その後はとても真剣に観ていらした。

ビデオを観終わって絵画を鑑賞する。
若い頃には退屈極まりなかったような絵も、最近では感情移入して観れるようになってきた。
「どの作品が好きですか?」 と尋ねてみると、「やっぱり、色のついてるのがイイですね」 

ナルホド、わかりやすい・・・・

美術館を出て清澄寺山門を抜け参道を下る。
途中、秋の枯れツタに覆われた古い民家をosakiさんが写真に撮っていた。
大きなレンズのデジカメ1眼レフを構える姿は、いつ見てもカッコイイ
ルンルンも早く1眼レフデビューしたいものだ。

参道を途中まで下ったあたりで、用事の済んだNからケータイが入る。
駅で落ち合い、そのままミニコープへ寄って麦茶と缶チューハイを仕入れて帰宅。
夕飯は先日作って置いたオデンを出す。
本当はきのうの夕食に出す予定だったのだが、昨夜は帰宅が遅くなってしまったので、「キヨ」 のお好み焼きで済ませたのだった。

テーブルにカセットコンロを置きオデンの鍋を乗せる。
2日目のオデンなのでダシが濁っていたが、味がしみてオイシそうだった (食べたらそうでも無かったが・・)
タマゴ・大根・スジ・ゴボ天などを取り分けながら、「タコもいっぱい入っているから食べて下さいネ」 と勧める。
ところが誰もタコを引きあげようとしない。
(おかしいなぁ?) と思ってタコを探すと・・・・ないのだ。

(エエッ!  あんなに沢山入れたはずなのに???)

もう1度探してみるが、小さいのが2切れほどしか見つからない・・・


大騒ぎになった。
 
「長い間煮込んでいるうちに縮んだ」 「溶けて無くなった」 「昼間勉強に来ていたS君が食べた」 など、いくつかの憶測が飛び交うが、結局ナゾのままで不気味な夕食が終わる。

夜は大人しく家で過ごす。
トビオはosakiさんにまつわりついて離れようとしない。
(どんな可愛がり方をして貰っているのだろう・・) とジッと見ていると、ホッペタや背中の肉をギュッギュッとつかんで引っ張られている
意外に荒い歓迎のされ方を喜んでいるようだった。

とりとめの無い話をするうち午前2時になったので全員就寝。
osakiさんは、豆電球のない真っ暗な部屋で寝る。


翌朝は8時半起床。
温め返していたオデンの鍋が火にかけっ放しになっていたのをNが発見。
鬼の首を取ったようなNから説教される・・・

Nの提案で、きょうも急遽仙人の病院へ行く事になった。
ドライバーはもちろんosakiさん、私の席はもちろん見晴らしの良い4駆の助手席♪
後部座席からNがナビゲートしながら湾岸線に乗る。

大浜ICを降り、堺市内に入って間もなくの交差点で、間一髪で警察につかまりそうになる
黄色と赤スレスレでの交差点内進入だったが、事無きを得てホッとした。

コンビニでチョコレートを買っていた私がひと足遅れて病室へ入ると、一昨日とは打って変わって元気そうな仙人の顔があった
N達が食事の手伝いをしていたようだったが、なぜか仙人は食べてくれなかったらしい。
私に代わると普通に食べだしてくれた。
2日前に比べると、きょうはずいぶん食欲が戻っていて嬉しい。

最近送ったハガキに写っている、福岡在住の夫婦と撮った写真がお気に入りのようだった。
両端の夫婦に挟まれ、ブレザーを着てちょっとダンディーな仙人が写っている1枚だ。

両方の手でしっかりと写真を持ちながら、「これは大牟田ですわ・・・」 「川さん夫婦・・」 と記憶もしっかりしている。
ただ、時おり真ん中の自分を指差して 「この方は?」 と首をひねっている。
<自分の姿よりも他人の顔を覚えていると> いうのが水津さんらしいなと思った。

途中、先日から姿を見かけなくなっていた同室の患者さんのご家族の方が、ヒョッコリ顔をのぞかせる。
ナース室に近い部屋に移されたとの事、水津さんの様子が気になって時々様子を見て下さっているとの事、きのうは眠ってばかりでかなりシンドそうだったとの事など伺う。
私達が居ない時でも、こんな風に見守っていてくれる人が居るのだと思うと、とても温かい気持ちになった。

スケジュールの都合で、きょうは少し早めにお暇する。
Nが仙人に、「じゃ、osakiさんは遠いので、もう滅多に来ることが出来ないから・・」 と言うと、しっかりした表情でosakiさんとかたい握手をしていた。

外へ出ると、いつもより少し気持ちが軽かった。
2人きりで行くよりも、やっぱり心強いのかも知れない。

まっ赤な落ち葉が美しく散った歩道を歩いて駐車場へ戻る。
4駆に乗り込んで出発。
途中、レストラン 『さと』 へ寄って昼食。
0sakiさんは豚のしょうが焼き定食、Nはミソカツ定食、私はおろしハンバーグ定食を注文。

そのあと湾岸線を渡り宝塚へ到着。
アップした写真にモザイクをかける技術や、音楽のダウンロードのやり方などを教わる (思っていたより複雑な手順にビックリ・・果たして使いこなせるのだろうか

4時半になり、京都へ向かうosakiさんともいよいよお別れ。
オミヤゲに渡そうと思っていた日本酒がどうしても見つからず残念だった (昨日まで確かにあったのに・・)
名残はつきないが、次回の 「有馬温泉」 「クンパルシータ」 「ぶはらのカレー」 行きを約束して見送る。


仙人が取り持つフシギな縁を感じながら、余韻に浸る2人であった。


おわり
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513 仙人と3彩展

2006-11-28 22:36:45 | Weblog
※朝日会病院近くの路上で。  クリック♪


昨夜はグズグズしていて、寝るのが午前3時を回っていた。
布団に入り本を読みだすと、横のNが突然 「あ、サルだサルだ。 かわいいなぁ・・ゴリラみたいなのもいる」 と叫ぶ。
驚いて振り返ると、眼をつぶったまま 「あ、ニワトリも居る。 チューリップも咲いてる。  きれいやなぁ・・・」

「なに?  夢を見たん??」
「イヤ、いま目の前にハッキリ見えてるねん。  色がついてすごいキレイや」
「へ~・・・」

それだけ言うと、すぐにスースー寝息を立てて寝てしまった。

(昨夜ここまで書いて寝てしまった。 ここからは翌朝29日記)


午前中、電車を利用して堺の病院へ向かう。
きょうは仙人の古い友人Yさん、写真家のosakiさんと、病室で合流する予定になっていた。
梅田から新今宮まで出て、そのあと南海高野線で堺東まで行き、ほんの短い距離なのにタクシーを使う。

病室へ着くと、いよいよ小さくなった仙人が1人で寝ていた。
周りを見回すと、以前にosakiさんが撮った仙人の写真と赤福が置いてあったので、(ああ、もう来ていらっしゃるのだな) と分かる。
Nがosakiさんを探しに階下へ降りて行き、仙人と2人きりになった。
ベッドのすぐ脇に腰かけて仙人の顔へ耳を近づけるが、仙人の声は前回より一段とか細くなっていて、カンの悪い私には中々ちゃんと聞き取ることが出来ない。
こんなに一生懸命しゃべって下さっているのに理解出来ない自分を不甲斐なく感じた。

ほどなく、半年ぶりに会うosakiさんとNが部屋へ入って来た。
osakiさんは半まわり (ひとまわりの半分という意味) 痩せたように感じる。
寒天ダイエットの効果だろうか。

食事が運ばれてきたので、きょうもいそいそと食べるお手伝いをするが、きょうはほんのちょっと召し上がっただけで 「もう、いいですわ」 と、かすかな声でおっしゃる。
先週あんなに沢山食べていらっしゃった事を思うと、ちょっとショックだった。
でもまぁ、食欲はその時の体調や精神状態によるところも多い事だしと自分を慰める。

お昼を過ぎたので3人で食事へ出ることにする。
部屋のノートにYさんへの伝言を残して外へ出た。
きょうは松島屋に入り、3人とも親子丼定食を注文。
今朝食べたパンが腐りかけていて半分も食べられなかったせいもあり、半熟状態のトロ~リ卵がけの親子丼がことの他おいしく感じた。

店を出てNだけいったん病院へ戻り、osakiさんと私は 「うりずん」 でお茶を飲む。
15分ほどしてYさんとNが到着。
初めてお会いする西宮在住のYさんは、精悍な中にも品の良さを感じさせるステキな男性だった。
水津さんとは会社で14,5年間ご一緒だったとの事。
山登りもずいぶんされていらっしゃるようで、話しの途中、バッグの中から写真アルバムを取り出される。

今年行かれたという貴州省での写真。
美しい民族衣装に身をかためた苗族(ミャオ族)や、黄果樹大爆布(すごく大きな滝)の写真を楽しく拝見させて頂く。
1番うしろのページに、大きく引き伸ばされたモノクロの写真が挟んであった。
見ると、5,6人の雄々しい男性の登山姿が映っている。
その中には若かりし頃の水津さんもいた。
場所は、槍ヶ岳そばの燕黒岳(つばくろだけ)。
その当時のYさんと水津さんは揃って登山初心者だったとの事。
そこで、近くの小さな山をいくつか練習で登ってから、この燕黒岳登山にチャレンジされたそうだ。
山登りに関しては全く知らない世界だったので、とても興味深く聞くことが出来た。

その後、4人で再び病院へ。

水津さんは、午前中よりは若干落ち着いた様子だった。
「トイレへ行ってきますわ」 と、状態を起こそうとするのがやはり気にかかる。
そのまま用を足すという行為がどうしても馴染めないようで、こちらまでツライ気分になってくる。

あまり長時間になってもいけないので、そろそろお暇する事にする。
帰りがけ、Yさんが持参のチョコレートを見せると仙人が食べたいと言う。
Yさんが1粒選んで仙人に食べさせると、モグモグと力強く噛みしめていた。
それにつられて食べだした我々を見て、仙人が 「もう1個食べたい」 と催促。
かなり大きな粒の生チョコだったので、お昼をあまり食べられなかった仙人にはグンとエネルギーになった事だろう。

その後、4人がそれぞれ仙人と固い握手を交わして病室を出る。

何かホッとしたような、思わず祈りたくなるような、不思議な気分だった。

青い車で自宅に向かうYさんを見送った後、我々もosakiさんの大きな四駆に乗り込む。
そのまま、フォルクローレの桑原さんの知人のTさんの絵を見に、山之口商店街そばの 『ギャラリーいろはに』 へ向かった。

慣れぬナビゲーター役でドライバーのosakiさんを散々悩ませながら、なんとか会場に到着。
駐車場までTさんが迎えに来て下さっていた。

Tさんは3人グループの紅一点で、『3彩展』 と銘打った展覧会を毎年開催していらっしゃる。
「人物」 「静物」 「風景」 という3つのテーマを、毎回順番交代で担当。
Tさんの今年のテーマは 「風景」 だった。

Tさんの絵を見てまず思うのは、色彩が鮮烈だという事だ。
今回もまず真っ先に目に飛び込んできたのが、燃えるような‘黄色’だった。
<黄色は元気の象徴のカラー> という事を聞いたことがある。
いつも背筋をピンと伸ばし、やりたい事をドンドン挑戦していらっしゃるTさんは、同性の私から見ても実にカッコイイ女性だ。
絵の中の黄色が、Tさんの内面にほとばしる強いエネルギーを正直に表している感じがした。

人物画と静物画を眺めていると、不意に1人のカッコイイ男性が会場へ現われる。
フォルクローレの桑原さんだった

「水津さんのお見舞いの日なので、きょう来られると思ってました」

予想外のイキな演出で、会場内はパッと花が咲いたように明るくなった。
きり絵の前田尋さんとも初めてごあいさつ。
来年1月には、前田さんTさん桑原さんの3人でアルゼンチンへ行かれるとの事。
どうぞ風邪など引かれぬよう、気をつけて年末をお過ごし下さい。

その後、Tさん、桑原さん、osakiさん、Nと私のメンバーでお茶を飲みに行く。
もと銀行だったという、広々とした天井の高い店だった。
あれこれ話すうち、いつの間にか 『コーヒー談議』 になっていた。
コーヒーにはちょっとウルサイ桑原さんの話しは、いつ聞いても妙な迫力があって楽しめる。
そこにosakiさんが加わって、『世界のコーヒー談議』 へと発展。
「グァテマラ最高♪」 と叫ぶ私に、2人の痛烈な言葉が容赦なく飛ぶ。


「その店で1番美味しいのは結局 『ブレンド』 」

「グァテマラとか銘柄よりも、要は焙煎の強さの問題」

「豆は保存の状態によって全く味が変わってしまう。 ルンさんのお気に入りの店も、特にグァテマラが美味しいというワケでなく、きっとどれも保存状態が良くオイシイのだと思いますよ」


ハイハイ、よ~く解りましたよ トホホ・・・・・・・・


30分ほど談笑後、Tさん、桑原さんと別れる。
楽しい時間をありがとうございました。
また来年の3彩展を心から楽しみにしております

osakiさんの車で湾岸線に乗り、無事宝塚へ到着。
時計は7時を回っており、お腹の空いたクロが 「ギャオーーーーン!!!」 とすごい声で鳴く。

もうお腹がペコペコで、ご飯が炊き上がるまで待てそうも無かったので、となりのお好み焼きの店 『清』 へ行く。
3人ともミックスジャンボを注文。

長い夜の始まりとなった (以下省略・・明日へ続く)


おわり

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512 完全オフの1日

2006-11-28 01:16:03 | Weblog
※五月山動物園   クリック♪


きょうは2人共、何のスケジュールも無い日。
朝からゆっくりと過ごす。
とは言ってもNは相変わらずPCの前で仕事か、寝っ転がって詰め将棋作り(一応こちらも仕事)
私は久しぶりに洗濯機を3回まわすが、あいにくの天気なので干し場所に困る。
その後、ミニコープへ出かけオデンとポテトサラダの材料を買う (暇な時はこの組み合わせばかり作っているような気が・・・)

家へ戻って早速オデンとポテサラ作り。
まずは、先日綾部で頂いた大きなドロつき大根を下茹でする。
30歳頃までは大大大っキライだった大根をおいしく食べられるようになったのは、この下茹でを覚えてから。
手のひらに少々の生米を入れた水に、切った大根を入れて20分ほど炊く。
その後でオデンにしたり、他のものと炊き合わせたりすると、あの大根特有のニガミと臭みがすっかり抜け、ペロリペロリといくらでもお腹に治まる。
夕食に出された大根を食べられなくて、いつまでも食卓を立たせて貰えなかった子供の頃がウソのようだ。

その後はポテサラ作り。
ルンルンポテサラは、茹でたジャガイモをつぶした後、ちょっとだけマーガリンを入れるのがコツ (もしかして誰でもやっているかも知れないが・・)
そして、さらしタマネギは絶っっ対に入れません(ポテサラとタマネギの取り合わせだけは、どーしても許せない。 外で出されたものは食べられるのだけど)

その後、久しぶりで浴室やトイレの掃除。
(やっぱり私もいっぱしの主婦だなぁ) とシアワセな気持ちになる。

でも、せっかく作ったオデンとポテサラを出すのが惜しくなり、今夜のメニューは卵かけご飯と海苔とメザシ。
Nが 「エ~~~???」 と驚くが・・・・まぁたまにはイイとしよう


夜は2時間ほどソファーでぐっすり寝てしまう。
それでこんな時間 (只今PM1時15分) からお風呂だが・・・・まぁたまにはイイとしよう


おわり

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511      雨のモミジ狩り

2006-11-26 23:40:06 | Weblog
※ 万博公園内、日暮れの日本庭園で写したモミジ。
  クリック♪


Nは伊丹教室で8時半に家を出る。
その後10時から日曜研究会で12名参加。

きょうは午後からmura夫妻とモミジ狩りなので朝シャンをする。
前回の沖縄料理ツアーでは、シャンプーし立ての髪が獅子舞いのように広がりミットモナカッタので
先日買ったばかりのヘアクリームを少々つけて臨む事にする。

12時過ぎにNが帰宅。
そのまま家を出て清荒神の駅へ向かう。
天気予報では午後から雨と言っていたが、まだ何とかもっている。

急行に乗り込むとすぐ、Nはお得意のうたた寝。
静かに寝かせておこうと暫らく黙っていたが、よく考えてみると何処の駅で降りていいのかワカラナイ。
Nを揺すって 「ねえ、どこで降りるの?」
 
「ねえ、どこで降りるの? 豊中??」
「ムニャムニャ・・・・・モノレール」
「え? モノレール?  じゃあ豊中で降りたらいいの??」
「ムニャ・・飛行機 飛行機」
「飛行機・・・・・あぁ、蛍池(ホタルガイケ)?」
「うん・・・・・ 

そのようだった。


蛍池に着き、Nをたたき起こして電車を降りる。
駅内で接続しているモノレール乗り場まで歩き、「万博公園駅」 まで15分ほどモノレールに乗った。
降りる間際、大好きな ‘太陽の塔’ がチラリと見えて興奮する

万博公園駅に到着。
改札口でmuraさん夫妻を待っていると、ものすごく大きなリュックを背負った奥様(サリーさん) とmuraさんが現われる。

実はきょうの私は異常なほどお腹が空いていて、サリーさんの背負うリュックの中にあると思われるお弁当を早く食べたくて仕方なかった。

万博公園の入り口を入るとすぐ目の前に 『太陽の塔』 がそびえている。
1970年の万博時に建てられた、岡本太郎作のあの奇妙な顔の像だ。
間近で見ると思っていた以上に迫力があった。
クシャッといびつな表情が、何かを言おうとしているようだ。
「この顔は大阪城に向いているんですよ」
サリーさんが教えてくれる。
写真を何枚も撮ったが、あまりに大き過ぎて手に負えない。
裏へ回ると黒い太陽が描かれている。
表の顔とは、全く異質な雰囲気が漂っている。
「これは人間の ‘悪の心’ を表しているそうですよ」
再びサリーさんが教えてくれる。
像の後ろでは、長く曲がりくねったレールの上を 『風神雷神』 が走り回っていた。

それにしてもお腹が空いて空いてたまらない。
どこでもいいから早く座って何か食べたかったが、御夫妻には決めた場所があると見え、わき目もふらずズンズン歩いて行く。

「きょうが雨降りでなかったら、もっと人でイッパイですよ」
「このパスポートがあると入場料がいらないんですわ」
「公園を1周する電車バスがあって、けっこう人気なんです」

何を聞いても、空きっ腹の私には馬耳東風。
とにかく一刻も早く座って何か食べなければ倒れそうだ。

しばらく歩いてようやくサリーさんが、「ここにしようか?」
するとmuraさんが、「いや、ここよりもナンタラカンタラ・・・」 と言って再び歩き出す。
(アァもうっ! 何処だっていいのに~

しばらく歩き、ようやく本日の昼食場所であるアズマヤに辿りついた。
サリーさんが大きな座布団を4枚取り出して勧めてくれる(どうりで大きな荷物のはずだ)
そのあと、お弁当の大きなタッパーが3つ現われる
1つは、muraさんお手製のノリを巻いたオニギリがぎっしり。
もう1つはサリーさん手作りの手羽煮込み(これが最高♪)
最後の1つには、やはりmuraさんお手製の‘タマネギ入りたまご焼き’、なつかしい味のする北海道のカボチャの煮物など。

もはや欠食童子と化していた私は、オニギリ、手羽肉、たまご焼き、カボチャと、遠慮会釈なく食べまくった。
(もう、どー思われたってイイヤ・・だってお腹ペコペコなんだもん)
周りは、 「夜の食事が入らなくなるからなぁ」 などと言いつつ多少セーブして食べているようだったが、それをいい事に私は人の分まで 「オイシイ! オイシイ!」 と食べまくっていた。

デザートのお茶とコーヒーとオヤツまで平らげ、さすがにお腹パンパンになった
muraさま御夫妻には、ここで改めて感謝申し上げます

先ほどからポツリポツリ降ってきた雨の中、傘をさして歩き出す。
途中、『自然観察学習館』 に寄り、メダカやドジョウ、アメリカザリガニやカエルなどを見る。
輪切りの竹の筒に入ってヒゲを見せているナマズが可愛かった

そこを出ると、いよいよモミジの名所と言われるスポットだ。
短い吊り橋を渡ると、そこには燃え立つように赤いモミジが大きな枝を広げて待っていた。
山火事のような赤さにしばし見とれてしまう・・・

しつこく写真を撮るNを、ジッと辛抱強く待って下さるmura夫妻。

もう少し歩いたところで滝が現われる。
モミジ滝と言うらしい。
雨に濡れながら三脚を据えたカメラマンが1人。
天気の良い日には、アマチュアカメラマンがわんさか押し寄せそうな絶好のビューポイントだ。

モミジ滝を抜けてしばらく行くと、枯れたハス池が見えて来た。
途中、若い女性モデルを囲んでの撮影会に遭遇。
(こんな天気で残念だっただろうなぁ) と思いつつ横ぎる。

その後、きょうまでが公開日という 「日本庭園」 に入った。
茶室の入り口の壁の上に 『汎庵   栄作』 と書かれている。
サリーさんが、当時の総理大臣 佐藤栄作氏の直筆だと教えてくれた。

庭の隅に 『水琴窟』 があった。
以前に綾部で経験した事を思い出しながら、竹筒を耳に当てて聞き入る。
メゾソプラノの、なんとも美しく可愛い調べだった♪

日本庭園を出ると、辺りはすでに暗くなっており雨足も強まっていた。
上着の袖やGパンの裾もグッショリと濡れている。

強い雨風の中、再び太陽の塔を撮りながら出口へ進んで行く。
サリーさんは雨の中、自転車で自宅へ戻って行った。

『ホテル阪急エキスポパーク』 の喫茶コーナーで、車で迎えに来てくれるサリーさんを3人で待つ。
muraさんが 『カプチーノ』 とカン違いして 『エスプレッソ』 を注文していた。
フロアには等身大のサンタの人形、カウンターから見える中庭にはトナカイのイルミネーション。
(あと4日経てばもうクリスマスか、早いなあ・・・)

ちょうどお茶を飲み終わる頃サリーさんが到着。
皆で車に乗り込んで、近くの温泉 『万博おゆば』 へ行く。

温泉ニガテの私は、例によってロビーにとどまる事にした。
サリーさんも温泉をガマンして私に付き合って下さる。
muraさん御夫婦のなれそめ、ハネムーンの時に強面のmuraさんが税関で引っかかった話し、きょうのお弁当の手羽煮込みの事でmuraさんから叱られた事など・・・
楽しい話に花を咲かせていると、20分ほどして男2人がサッパリした顔で上がって来た。

その後、muraさん御夫妻行きつけのチャンコ鍋の店 『山葵 (わさび)』 へ。
居酒屋チックな楽しい雰囲気の店だった。
壁には力士の手形のついた色紙が何枚も飾られている。
なぜか矢井田瞳の色紙もあった。

鶏・エビ・豆腐・オモチ・野菜・をグツグツ煮て食べるチャンコは関西風の薄味仕立てで、(昼間あんなに食べたから、夜はさすがに入らないかな) と心配していたお腹にもスルスル入る。
ここでも 『サリーさん作る人、ルンルン食べる人』 に徹してしまった
muraさん夫妻の <合わんの呼吸> に、時おり大爆笑しながら楽しいひと時を過ごす。
店の女将さんも、明るく親切で気さくな人柄だった。

帰り際、Nが色紙にサインを頼まれる。
あの沢山の色紙の中に、Nの下手っぴいな色紙も飾られるのだろうか。
(お客さんビックリするだろうな~

デザートのとびきり美味しいマンゴーアイスを頂いた後、サリーさんの運転で自宅まで送って頂く。

最初から最後まで、mura様ご夫妻の厚いおもてなしの心を充分堪能させて頂いた1日だった。
今頃はもう疲れてグッスリお休みの事でしょう。
明日もご夫婦揃って良い1日でありますように・・・

ありがとうございました 


おわり
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510        トゲヌキ地蔵

2006-11-25 23:34:44 | Weblog
※明日の朝食用にNが買ったパン。
 ホルマリン漬けの脳を連想させるキモチワルイ題名
 下に小さい字で <頭脳粉を原料として作られたパン> とあるのもブキミ。
 パンを割ると、中から真っ赤な血・・・じゃないジャムがドロ~リ。
 
 ようこんなもん選ぶわ  クリック♪



明け方、キモチワルクなって目が覚める。
きのう寝しなに食べたサンドウィッチが原因だ。
最近は夜の間食を控えていてずっと調子良かったのだが、ちょっと油断してしまった
サンドウィッチは思っているより脂肪分が高いのかも知れない。

きょうは例の <恐怖の3歳児> のふりかえレッスンだった。
朝からドンヨリと心が重たい。
お母さんと玄関を入ってきた時から、何やら駄々をごねて機嫌がよくない。
レッスン室に入ると早速ピアノをバーンバーン

「Mちゃん、音符カードごっこしようか」
「ヤダッ」
「じゃあ ‘レ探し競争’しよう!」
「ヤダ」
「じゃあ先生1人でやっちゃおーっと」

ピアノの前に立って、色々な場所のレを鳴らす。

「ダメーーッ!!  弾いちゃダメッ!!」
「Mちゃんもする?」
「Mちゃんこっち! 先生はあっち行って(低音の方を指さす)」

ひとしきり 「レ探しごっこ」 をする。

その後、色々創意工夫を重ねながら何とか20分経過。
いつもの事ながら汗だくになる。

最後、ノートに書いた音符をクーピーで塗る。
毎回好きな色を1本選ばすようにしていて (全色使わすとメチャクチャになってしまう)、 きょうは赤を選んでいた。

「できたよー♪」
「あぁ出来たね~、上手だね~」
「(赤いクーピーを握りしめながら) Mちゃん、これ持って帰る」
「あれ? Mちゃん、それはダメなんだよ」
「イヤっ、持って帰る」
「それはねぇ、他のお友達も使うからナンタラカンタラ・・・」
「ヤダヤダッ! Mちゃん持って帰るのっ!!(クーピーを持った手を後ろに回す)」
「じゃあさー、今度Mちゃんが来た時、もし他の子がクーピーみんな持って帰ってて1本もなかったらどーする?」
「ヤダっ」
「じゃあ、Mちゃんもここに置いて帰ろうね。 そしたらまた今度来たとき使えるもんね♪」

ここで 「うん」 と素直にうなづき 「ハイっ」 と渡してくれるシーンを期待していたのだが・・現実は甘くない。

「ヤダヤダヤダっ!!! Mちゃん持って帰るのっ(半泣き)」



あの手この手でなだめすかし、なんとかゴマカしてクーピーを取り返す。
ハァ・・幼稚園の先生にならなくてホント良かった。

階下の将棋教室も終わったようで、手早くお昼の仕度。
きょうはオカズが無いので、味噌仕立ての雑炊にした。
お鍋からいいニオイが漂いだした頃、Nが 「何作ってんの?」 と嬉しそうな顔で覗きに来る。
「きょうは雑炊だよ、いいニオイでしょ?」 と言うと
「なんだ、 雑炊かぁ・・・」 とガッカリしながら去って行った (ゼッタイ罰が当たるぞ)

午後の将棋教室が始まりだしたので2階に上がる。
ゴロリと横になったまま深い眠りに落ちてしまった

ハッと気づいたら5時近かった。
大急ぎでミニコープへ走り、今夜のシチューと明日の研究会用のカレーの材料を買いに行く。
あせっていたのでジャガイモを買い忘れてしまった。
もう1度出直すのも面倒だったので、明日のカレーは、家に残っていた たった1個のジャガイモだけで間に合わす。

ホワイトシチューには、きのう綾部でオミヤゲに頂いた大きなカブラを大量に入れた。
それに白菜・きのこ・たっぷりのミルクを入れてコトコト炊くと、甘くて美味しいシチューの出来上がり~♪
きょうはH君、I君と一緒に食べた。 お代わりもして美味しそうだった。

カレーの用意も終えてホッとすると、 急に美味しいコーヒーが飲みたくなった。
子ども達2人とI君のお母さんに残って貰って、最近お気に入りの喫茶店 「HIRO」 へ出かける。

きょうは時間帯のせいか、何人か順番待ちをしていた。
けっこう広い店なのに、やっぱり人気があるのだろう。
20分ほど辛抱強く待って、ようやく座ることが出来た (待っている間、Nのケータイにosakiさんから連絡が入る。 なんと下呂温泉からだった

きょうの日替わりコーヒーは 「キリマンジャロ」 だったので2人ともパス。
なるべくニガミのあるものをと言うと、「ストロング」 と、もう1つ(名前は忘れた) を勧められる。
Nは名前を忘れた方、私は 「ストロング」 を頼み、それぞれケーキをセットした。

今、Nの右手に白い水ぶくれが出来ている。
「どうしたの??」 と聞くと、「トゲが刺さった」 との事。

「でも、私この間トゲヌキ地蔵にお祈りしたばっかりだよ」 と言うと
「「うーん、でもコレはその前に刺したものやから・・・」

そうか・・確かにあの時私が祈ったのは (Nにトゲが刺さりませんように) だった。
本当は (Nのトゲの傷がひどくなりませんよう) と祈るべきだったのだ。

又もや合わんの呼吸になってしまった・・・


今夜はT君泊


おわり
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509        綾部でお腹いっぱい

2006-11-24 20:23:58 | Weblog
※綾部Oさん宅でアンコロ餅作り。
 ルンルンは下手くそで失敗作だらけでした(でも楽しかった)
 クリック♪


夜行バスで眠れないままに綾部へ出発。
今回は一酔斎さんも同行なので、行きの車中も楽しい時間を過ごせた

お昼過ぎに綾部へ到着。
95車の先導でO邸へ向かう。

Oさん宅の庭では女性陣がオモチ作りの真っ最中で、男性陣は囲炉裏端に陣取りマツタケや山しめじなどのキノコを焼いていた。
今回京都から汽車で参加の野間五段も、元気そうな顔でキノコをかじっていた。
炭火で焼いたキノコの味は格別で、焼きたてを手で裂いたものを頬張った途端、口の中いっぱいに何とも言えぬ香りが広がる。
秋の味覚の代表はやっぱりキノコだなぁと実感。
一酔斎さんもマツタケ片手にドブロクまで頂き上機嫌だ

その後、95さんが釣ったタコやAさんが釣った鯛のお造りが大皿に乗って登場。
海の幸、山の幸、どれもおいしくて遠慮なくパクパク戴いた。

次が猪肉。
正直言うと、猪肉はちょっと苦手なルンルンだった。
Oさんが目の前の網に猪肉を並べ、丹念に塩・コショーをふりかけて焼きだす。
肉も焼けてきたので、そろそろこの場を退散しようかと思った時、ひと口食べたNが 「ウマイッ!!」 と叫び、「これ旨いで、食べてみ」 と、私の手のひらに猪肉を乗せる。
(アリャ~、いらん事をしてくれちゃって・・) と思ったが、怒るワケにも戻すワケにも捨てるワケにもいかず、仕方なしに口に入れた。

モグモグ・・モグモグ・・モグモグ・・

(きゃあ~~~!!!   美味しーーーい

結局3枚4枚と食べてしまった。


庭の方に出るとコンニャク作りが始まっていた。
下ごしらえしたコンニャク芋を手袋をはいた手で丸め、お湯を張った大鍋の中へ落としていく。
なぜ手袋をするのかと言うと、アクが強くて手がかぶれるからだそうだ。

庭のすみではOさんの子ども達(BちゃんC君)がモチ米を蒸す係りをしている。
火を絶やさないよう、一生懸命マキをくべ続けている。
子供には子供の領分があるのだ。

O邸ご自慢のパン焼き釜に、Oさん奥様お手製の長細いパンが入れられる。
ハトロン紙に乗せたパンを鉄板に乗っけて窯へ入れる。
出来上がりが楽しみだ♪

庭の中央の臼に蒸されたモチ米が入り、いよいよお餅つきの始まりだ。
最初は0さんと奥様のコンビで開始。
杵をふりあげる夫と、絶妙な感覚で合いの手を務める奥様。

これが ‘阿吽の呼吸の夫婦の姿’ だと思った

つきあがったお餅は、すぐさま臼から移され、女性陣がアンコロ餅を作り出す。
ルンルンも参加してお手伝い。
お隣のC君の手つきを見よう見マネで挑戦するが、これがなかなか上手くいかないのだ
コツは、丸めたお餅を平たくのばす時、‘中央はこんもり、縁をうすく’だそうだ。
その通り一生懸命やるのだが、不器用な事この上ないルンルンにとっては至難の業。
何度やっても常にアンコがはみ出たパンク状態となり 「ハイ、失敗作はお口の中へ♪」 と言われてしまう。

KさんとこのMちゃんは、ナゼか 「きなこ」 がお気に入りで、きなこのボールを肌身離さず抱え黙々と食べまくる姿が微笑ましい。
確かに砂糖入りのキナコって美味しいけど、と化した今では横目で見るのが精一杯だ。

囲炉裏端へ戻ると、先ほどのパンがちょうど焼き上がるところだった。
香ばしいニオイ・・・焼きたてのパンは幸せの象徴だ。
カットされたパンを見ると、煮詰まってアメ色をしたリンゴがはさまれている。
口に入れると、優しいお母さんの味がした

しゅうちゃんの野球当番に行っていた95さんの奥様が到着。
寒さでマイっていらしたようだが、囲炉裏の釜に埋められていた焼き芋を食べる。
私もお相伴したが、まっ黄色でネットリとした、驚くほど甘いおイモだった
これなら幾つでも入る♪
奥様もおイモを食べるうちに血色が戻り笑顔が出てきた。
やはり‘焼き芋’ というのは、女を元気にする食べ物なのだ

調理場の方で皆が暗い顔をしているようなので行ってみると、どうもコンニャクの出来具合がもう一つのようらしい。
なんだか柔らか過ぎるらしいのだ。
(柔らかいコンニャクというのも美味しそうだけどな) と思ったが、真剣な雰囲気なので黙っていた。

その後、窯で焼いたピザ、第2弾のモチツキ、マキ割り(Nのお気に入り)、そして柔らかコンニャク・猪肉・たっぷり野菜の入った熱々のトン汁風(寒い時にはこれが最高♪)
もうもうお腹いっぱいで動けない。
きのうA級順位戦の仕事で徹夜したという野間さんが、いつのまにかOさん宅の部屋で布団を敷いてもらって寝ていた。
とても気持ち良さそうだった。
私も今度行って眠くなった時はそうさせて貰おう。

黙々とお手伝いをしていた、Oさんのご子息C君と初めてオシャベリ。
来春高校受験という彼は、ずっと野球部のピッチャーを務めていたらしい(しかも4番バッターで副主将
変化球も得意で、カーブ、シンカーなど投げれるとの事。
途中、野球大好きの一酔斎さんも聞きつけて話しに加わる。
オバサン相手に熱っぽく語ってくれるC君にすっかり感激のルンルン、高校合格祈願で荒神さんに行く事を約束した

心配していた雨も降らず、無事に本日のイベントが終了。
アンコロ餅のおみやげに、Oさんの畑から95さんが勝手に引っこ抜いてきたドロつきの大根や大かぶらまで頂く。

ここまでの準備、あと片付け、何もせず ただただ食べて笑って楽しい時間を過ごさせて下さったO様御夫妻、同席させて頂いた皆様、
心から感謝申し上げます。

ふと気がつけば、昨夜一睡もしていなかった自分がウソのように元気なのに驚いた。
楽しい時間は体まで元気にさせてくれる。

野間さんは後から電車で帰るので、一酔斎さんと3人で車に乗り込む。
残った皆さんに見送られ、早い日の暮れの中を宝塚へ向かう。

途中、高速の渋滞にあったが何とか切り抜け、デニーズでティータイム。
3人とも、ポットサービスの紅茶を注文(そういえば、きょうO邸で頂いたレモングラスのハーブティーも美味しかった♪)

清荒神の駅で一酔斎さんとお別れ。
1日おつきあい下さりお疲れさまでした


綾部では、12月30日に本格的なオモチつきをされるとの事。
皆さま、それまで風邪を引かれぬよう元気にお過ごし下さい。


おわり
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508        夜行バス

2006-11-24 00:47:27 | Weblog
※綾部Oさん宅の囲炉裏端にてくつろぐ面々。
 クリック♪


きょうは一睡もせぬままの綾部行きとなった。

昨日、片上君達の東京での披露宴が終わったあと、予約しておいた長距離バスで大阪まで帰る事になっていたのだが
そのバス停が全く分からず大変だったのだ。

この間から、やたら夜行バスというものに乗ってみたく、ネットで 「東京⇔大阪」 のチケットを取っておいたのだった。
23時発の便だったが、Nの持って来た控えの紙には 「出発 新宿駅」 としか書かれていない。
とりあえず新宿駅まで行って、交番のおまわりさんや通行人に道を聞きながら長距離バスの発着場所へたどり着く事ができた。
しかし、ここではプリントで取り扱っている便は無いと言う。
場所を聞いても、「地図が載ってないので分かりません」 とすげない返事。

しょうがないので、プリントに乗っている連絡先にNが電話すると 「地下鉄9番出口を上がったところ」 との事。
歩き回ってヘトヘトになった足で9番出口付近まで行くが、結局わからない。
バス会社の名前を叫んでお客をチェックしているグループがあり、Nがプリントを見せて尋ねてみるが、皆首をひねって分からないと言う。

時計は10時を越えていて、ずいぶん肌寒くなってきた。
不安な気持ちの中、Nが再度連絡先に電話する。
すると今度は、もっと明確な説明をしてくれたようだった。

「スバルビルと向かいのビルの間の自転車置き場付近」 との事。
あと、「10時40分にならないと案内が始まりませんから」 との事。

場所は何とかわかった。
そばのビルの、小さな石段に荷物を置いて腰をおろす。
案内開始までには、あと15分ほど待たなければいけない。
「念のために他も見てくるから」 と言うNが姿を消し、荷物の番をしながら1人心細く残る。

目の前では、先ほどから別の会社の長距離バス案内をやっている。
赤い上着をまとった若い女性が、「ハーベスト交通です! ご乗車の方はご案内いたしますのでお集まり下さい」 と何度も叫ぶ。
ポツポツと集まりだした2,30代の人達は、その辺の花壇の柵やビルの入り口などに黙って座り込んでいた。

御影石の石段に座り続けているうち、段々お尻が冷たくなってくる。
はおっていた上着のチャックをあご先まで引き上げても寒い。
(昼間の刺抜き地蔵ではあんなに暑かったのになぁ)

道路の向こう側のビルの壁に、気温14℃と出ている。

やっとNが戻って来た、
向こうにも自転車置き場があって、どうもそっちのような気がすると言う。
また荷物を持ち、痛い足をガマンしながら道路を渡った。

Nの勘通り、結局こちらの場所が正解だった。
10時40分になって、やっと我々の乗るバスの呼び出しが始まりホッとする。

バスに乗り込み座席に腰かけ、ようやく安心した。

それにしても、危うくバスに乗り損なうところだった!
こんなルールで、よくみんなマトモに利用出来るものだ。
「集合場所  新宿」 とだけ書かれた場所を、一体どうやって探し出せと言うのだろう。
しかも、バスの会社名も出発便の名称も分からないのだ。

Nに、「そんな状態なのに、どうして最初にオカシイと思わなかったのか」 と詰め寄ると、「大きなバスターミナルがあるだろうから、そこに行けば分かるだろうと思っていた」 との事。
その点に関しては私も同じ考えだったので、それ以上責める事はしなかった。

出発前、乗務員から乗車中の注意事項がある。
緊張しながら聞いていると、トイレ説明のところで、「車内では ‘大’ の方はご遠慮下さい」 との事。



夜中に2回ほどSAでトイレ休憩があるとの事だが・・・それでも揺れる車内の事、自然に催してくれば一体どうすれば良いのだ。
ひたすら ‘ガマンの一手’ なのだろうか???

(もしガマン出来ないほど催してきたらドーシヨー、ドーシヨー・・・)

不安いっぱいのままでバスのドアが閉まり、そして発車。

結局 ‘催し’ はしなかったものの、 「緊張」 と 「座席の狭さ」 と 「効きすぎの暖房」 の為、一睡も出来なかった(Nは時折りウツラウツラしていたらしい)

2回のトイレ休憩でバスの外へ出た時 (2時半と4時半) は、ヒヤリとした外気が心地よかった。
1回目は 「諏訪SA」、 2回目は 「多賀SA」 だった。

全く眠れぬまま午前6時半に大阪到着。
そのまま阪急に乗り継ぎ、家に着いたのは8時だった。

仮眠する前に今回のブログを入れてしまおうとして、結局一睡も出来ないまま綾部へ行く事になってしまった・・・

きょうは眠くて眠くてたまらないので、本題の綾部の日記は明日書くことに致します。


お休みなさい・・・・


おわり

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507       片上君北尾さん披露宴

2006-11-23 09:54:29 | Weblog
※片上君、北尾さん、末永くお幸せに
 クリック♪



昨日は片上五段の披露宴のため東京行き。
朝、パンをかじりながらゆっくりPCを見ていると、「そろそろ行こうかぁ」 とNの声。

「えぇっ?!  まだ顔も洗ってないしお化粧もしてないよ!!」

Nはいつも急激に言い出すので困る・・・

新大阪で駅弁を買い( 『21世紀 出陣弁当(駅弁コンテスト大人の部グランプリ受賞)』  10時10分発の 「のぞみ」 に乗り込んだ。

京都に差しかかる頃、五重の塔が見える。

「ねえねえ、あそこに五重の塔が見えるよ!」
「・・・・・・・」
「ねえ、あの五重の塔って東寺の五重の塔かなぁ?」
「・・・・・・・」
「ねぇってば!(ちょっと声を大きくして)、あの五重の塔は東寺なのかなぁ」
「(ダルそうに) ああ、そうやで・・」
「ホントに?? もっとちゃんと見てよ、あれだよ」
「うん、方向あっちやから・・(チラと目だけ外に動かしながらツマラナそうに言う)」

京都駅に着くと、となりに停車中の新幹線の胴体に大きく 『700』 と書かれている。

「ねえ! あの700って何の意味?」
「・・・・・・・」
「ねえねえ、あの新幹線に書いてある700だけどさ・・時速700キロって意味かなぁ」
「ええっ? そんな事ないやろ」
「じゃ、どういう意味?」

ようやく体を起こして窓の外を見ながら・・・

「・・・新しい新幹線やからやろ」
「違うよ! 700の意味を聞いてるの!!」

乗り物での移動中のNはいつもこんな風で面白くないのだ


東京に着き山手線に乗り換えて、予定通り 『巣鴨』 へ到着。
「年寄りの原宿」 と呼ばれるこの町を1度歩いてみたかったのだ。

巣鴨地蔵商店街へ入ると、平日というのに沢山の年配の女性客でごった返している。
オバサマ達が群がっているのは、大抵が安売りの衣料品店。
あと、和菓子屋、靴屋、煎餅屋、小物・雑貨店、漢方薬局、肌着屋などがひしめいていて、かなりの賑わいだ。

しばらく歩くと、「とげぬき地蔵尊」 で有名な 『高岩寺』 があった。
境内には護摩を焚くケムリが漂い、お百度を踏む熱心なお年寄りが列をなして、地蔵さんの頭や体を拭いたり、ヒシャクで水をかけたりしている。
私も本堂前で、(Nにトゲが刺さりませんように・・) と、心をこめて祈った。
その後、都電荒川線近くにある 『猿田彦神社』 にも立ち寄る。
赤い頭巾をかぶった、変な顔のお猿の像があった。

2時間ほど歩いてすっかり疲れたので、(どこか風情のある茶店でお茶でも・・) と思ったのだが、どこもいっぱいで
結局、商店街の入り口のマクドナルドに入って 爽健美茶を飲んだ。
その後、披露宴会場のある代官山へ向かう。

代官山の駅のトイレで着替えをしてから、リストランテASOを目指す。
なかなか分からなく、道を尋ね尋ねしてやっと着いた。

店内に入るとすぐ、タキシード姿の片上五段と純白のウェディングドレスに身を包んだ北尾さんが迎えてくれる。
白無垢も雰囲気があって良かったけれど、ウェディングドレスもやっぱり華やかでいいなぁと思った

控えのテーブルで、女流の島井咲緒里さん、関口四段、神川一星くんらと一緒になる。
神川君は以前、山崎七段や片上五段と同期だった門下の子で、この日のために広島から駆けつけてくれたのだった。
久しぶりに会う神川君は、とても魅力的な男の子になっていて驚いた。
10年前は、半ズボンにハイソックスをはいて 「オバチャン、こんにちわ!」 なんて言っていた子供だったのに・・・
その後、北尾さんの師匠の西村一義九段に挨拶。

時刻になりメイン会場へ移動。
レストランというのに大きくて立派なホールなので驚いた。
Nと私、増田五段、山崎七段は新郎新婦の真ん前のテーブルだった。
辺りを見回すと、森内名人、三浦弘行八段、中川大輔七段、藤井猛九段、囲碁の武宮正樹さんの姿が見えた。
女流の数も多かったが、これはNの 「日記」 の方に写真があるのでゼヒそちらをご覧下さい(皆さん美しかったです

着席して待つ間、増田五段と山崎七段が、妙にリアルに自分達の結婚式像について語り合っていたのが可笑しかった。
そんな事は、もうちょっとあらゆる事象が具体的に整ってきてからの事なのに


新郎新婦が入場して、いよいよ披露宴の始まりだ。
まず新郎側であるNの挨拶、続いて新婦側西村九段の挨拶。
その後、関口四段と神川君のコンビでの祝辞、これがなかなか良かった。
まず、同郷で同期も神川君から

「自分が子供の頃、自宅に片上君が来たことがあり、その時に片上君が他人の家の冷蔵庫を勝手に開けてお茶を飲んだ。 それを見た自分の両親がどんな顔をするのかヒヤヒヤしながら見ていたのだが、両親は全然気にしてない風だった。 その時に感じたのは、片上君は何か人を惹きつけるユーモアみたいなものが漂っている人間なんだなぁと子供心に思った事だった」

この話しには落ちがあって
「でも、片上君がお茶と思って飲んだのは、実はソバツユだったんです

関口四段もいいスピーチをしてくれた。
これまでかなり手厳しく片上五段のお説教(?)を受けていた1人だったらしいが
「片上さんは 『自分では天才なんかとは思ってはいない。 ただ、どんな事でも基礎だけはしっかりとやって来ただけ。 自分には基礎を積み重ねる才能があるのだと思う』 とおっしゃっていた事が印象的でした」

引き続き、東大将棋部の山内さんがいきなりパントマイムやお手玉ジャグラーを披露。
玄人はだしの芸に、会場からはどよめきの声と拍手が絶えなかった。
素晴らしい芸だった。
あとで片上五段にこっそりと、「あの人、将棋の方は強いの?」 と聞いたら 「はい、かなり強いですよ」 との事。
やっぱり天は二物も三物も与えるものなのかな~

食事もなかなか美味しかった。
イタリア料理専門のレストランだったが、からすみで和えたスパゲッティが意外な美味しさだった。
メインディッシュの 『イベリコ豚のロースト』 というのも美味しかった。
あとで山崎五段が、「イベリコって、今とっても流行りなんですよ」 と教えてくれた (私は最初 『イベリ子豚』 かと思っていた)
イベリコ豚の横に、ホウズキみたいなものが添えつけであった。
ちょっと気味が悪かったので、Nに先に食べて貰うと 「あれっ? これオイシイよ」

増田五段も山崎七段も 「ほんとオイシイです!」 「見かけとは全然違う味ですよ」
ダマしていたらだと思いつつ食べると、確かにフル-ツとトマトの混じったような味でなかなか美味だ。
お皿が下げられる時に、「これに乗っていたホウズキみたいなのは何ですか?」 と聞くと
「はい、ホウズキでございます

(ゲッ・・・やっぱりホウズキだったのか) でも、美味しかったから許すとしよう。


その後、お色直しした新婦とお色直しをしなかった新郎が、きょうアップした写真のチアガールズ(北尾さんの従妹のチーム)に囲まれて登場。
にぎやかなBGMと炸裂する健康的なお色気の中、完ぺきに圧倒された片上五段の表情が見物だった

可愛いネコのイラストが書かれた美味しいウェディングケーキを頂いたあと、新郎新婦の短いアイサツがあって拍手の中2人が退場。
(楽しい、いい披露宴だったなぁ) とホッとしていると
「では、最後に新郎新婦から皆さまへのお礼があります」 の司会の言葉と共に
壁に大きくスクリーンが映し出された。

BGMに乗ってきょうの参加者全員の名前が順に流れ出し、そのバックに幼い頃の2人の写真が次々と映し出される。
先日明治神宮で行なわれた披露宴の様子も見事に再現され、きょうの来場者ひとりひとりに向けた二人からの温かい手書きのメッセージが次々と画面に映る。
堪えていた涙が止まらなくなってしまった。


北尾さん、
これから一生、片上君を力強く支えていって下さいね


おわり

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506        きょうの仙人

2006-11-21 23:12:06 | Weblog
※阪神高速 中島PAより大阪湾を臨む。   クリック♪


堺の仙人のお見舞いに行く。
午前10時に出発するが、尼宝線がかなり混んでいる。
やはり師走が近いせいだろうか。

到着すると、ちょうど昼のお膳が運ばれてくるところだった。
仙人は私の顔を見るなり何かボソボソ言うのだが、小さな声なのでうまく聞き取れない。
お隣との仕切りのカーテンを開けて欲しいような仕草だったので、となりの患者さんに断ってカーテンを引く。
瞬間パッと明るい外の景色が目に入り、仙人の顔がニッコリ微笑んだ

そうか・・・仙人は寝たきりになってから、窓の外を見る事さえままならなくなっていたのだ。

ベッドの脇にパイプイスを置いて座ると、仙人がニコニコした顔をこちらへ向ける。
「具合はいかがですか?」 と尋ねると、ハッキリした声で目をキラキラさせながら
「きょうが定年の日なんですわ。 お祝いの日なんです」 と言う。

私は自分でも不思議なくらい驚かなかった。
むしろ、(あぁ、水津さんウレシそうだなあ、良かったなあ) と思った。

「定年という事はオメデタイ日なんですね」 と言うと 「そうそう!」 とうなづく。
「じゃあ、これから行きたいところに沢山行けますね、ヨカッタですねぇ」 と言うと
子どもがハニカんだような表情になった。

そのあと、この間のようにベッドを起こしてから食事のお手伝いをする。
きょうのメニューは、お粥さん・豆腐のお吸い物・ジャコの大根おろし和え・エノキダケの煮物・小さく切ったお芋さん・それに青菜のお漬物。
途中Nが来て、持ってきた衣装ケースに寝巻きや下着を詰め替えると、雑然としていたベッド周りがスッキリとなった。

その後も、おしゃべりに興じながら楽しい昼食が続く。
むせないようスプーンで少しづつ口へ運ぶのでずいぶん時間がかかったが、結局3分の2以上食べてしまった。
ラクのみでグングンお茶も飲んで優秀な食事っぷりだった。
ただ、時折むせる仙人の背中をさすりながら、硬い骨の感触しか無い事が悲しかった。

仙人の食事のあと、私達も外へ昼食をとりに出る。
お腹が空いているようないないような中途半端な腹具合だったが、きょうも 『喫茶あじさい』 に入った。
本日のランチ 『カツカレー』 を注文するが、乗っていたカツの半分以上が真っ白な脂身でマイッタ

病院へ戻ると、今度はNが仙人のベッド脇に腰かけて話し込む。
仙人の声はかなり小さくこちらまでは聞こえないので、真剣な話しなのか楽しい話なのかよく分からない。
バトンタッチで私がそばへ行くと、先日のハガキに写っていた女性の話になった。
仙人はもちろん覚えていやしなかったが、女性の話になるとまんざらでも無さそうな表情だ。
以前海外で滞在中、バイアグラという薬を勧められた話しが出る。

「2錠ほど呉れると言うんですわ」
「ええっ?  それで水津さん飲んだんですか??」
「いやぁ、貰わんかったです」
「あれ、ずいぶん高いクスリなんでしょ?」
「国内やったら高いけど、外国では全然安いんですわ。 でも、『オレはそんなもんイラン』 と言いましたわ」

さすが仙人、実に爽やかな男なのだ


そのうちシーツ交換がやって来たのでお暇する。
「また来ますから」 「どうぞお大事にして下さい」 と言って病室を出る時
「遠いところをわざわざアリガトウございました」 という仙人の声が聞こえた。
久しぶりに聞くきちんとした挨拶だったのでビックリした。


帰りしなどうしてもトイレへ行きたくなり、湾岸線の途中にある 『阪神高速 中島PA』 で降りる。
いつも通る高速にこんな場所があったとは全く知らなかった。

まばゆい午後の光が差す大阪湾の景色が美しく、何枚も写真を撮った。
今度来た時はゆっくりお茶でも飲みたいなあと思った。


おわり
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505    『三池  終わらない炭鉱の物語』

2006-11-20 21:06:51 | Weblog
※今度 「十三」 に出店しました私のお店です
 クリック♪


先日から楽しみにしていた 『三池  終わらない炭鉱(やま)の物語』 を観にいく。
十三駅前から少し歩いたビルの中にある映画館だが、途中、赤いネオンサインで 『ルンルン』 と書かれた大看板があった。
(何だろう) と思い写真を撮ったが、どうやら 「アルサロ」 と呼ばれる店のようだった。

夜になれば賑わいそうな飲み屋街の一角にある映画館 『第七藝術劇場』は、入り口からしてすでに場末のノスタルジックなムードがプンプン漂っている。
「アングラ」 という文字が頭に浮かんだ。

狭いロビーの壁に、炭鉱夫やその家族のモノクロ写真がパネルになって飾られていた。
弁当包みを開く笑顔の炭鉱夫を見て 「ああ、この人は今頃どうしているのだろうか」 などと考えた。

時間になったのでゾロゾロと館内に入る。
若者は全くいなくて中年以降の人ばかりだった。
100人ほどが座れそうなこじんまりとした映画館だが、案外ユッタリしたいい座席だ。

映画は大牟田の 「宮原坑」 の景色から始まった。
赤レンガの古い建物、巨大な巻き揚げ機、高いエントツ・・・数年前に行った飯塚・田川炭鉱の旅を思い出す。

映画は完全なドキュメンタリー形式で、当時炭鉱と深い関わりのあった人達のインタビューを、表情と共に淡々ととらえる。
運搬工、採炭工、掘進工、14歳や19歳で強制連行された外国人、炭鉱労働組合員、労働副組合長、熊本大学医師、婦人会で活躍した女性など。
6年もの歳月をかけて作った映画というだけあって、インタビューは多岐に渡っていた。

CO中毒(一酸化炭素中毒)の後遺症に苦しむ年老いた炭鉱夫とその家族には、もはや怒る気力も戦う気概も見えなかった。
酸素吸入をしながら、苦しい息の下で静かに当時を語る年老いた患者、
脳を侵され、好きだった歌しか唄うことの出来なくなった患者、
疲れきった表情でそれを見つめる妻や家族、

インタビューに出ていた63歳の女性のセリフも印象的だった。

「ひと口に36年て言いますけど、1日1日365日、1年間かけるの38年間ですよね。 言葉には言い尽くせない苦労と悩み、悲しみ。 人間でなく、一番人間の大事な脳をやられていますよね。 で、外に見えない。 うん、まったく別人に変えられた人間破壊ですよ。 これ、どうしてくれる (中略) そのときに子どももお腹にいましたから。 苦労を背負って生まれてきて、大きくなって。 言葉には言い表せません」

囚人として働かされていた、元米陸軍兵士の言葉も耳をふさぎたくなるものだった。

「絶えられなくなり、仕事から逃れるためには何でもやりました。 もし今日炭鉱に入ったら自分は殺されてしまう。 どうしたら働かないですむか必死に考えたんです。 そのためには腕を折ったり、指をつぶしたりしました。 脚や肩の骨をつぶす者、腕を折る者、できることは何でもやりました」



三池炭鉱閉山が1997年。
思っていたより、そう遠い昔の事ではない。


最後に、この映画を作るにあたって監督熊谷博子さんが言った言葉

「 ‘負の遺産’ という思いは分かるが、それは日本が歩んできた道そのものだと思うんです。
それを消し去るのは、日本の歴史を消し去ること。
そこで働いてきた無数の人たちが生きて来た道や姿まで消してしまうのかと」


近いうち、必ず大牟田へ行ってみたいと思った。

三池  終わらない炭鉱の物語  ←クリック

おわり

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