ルンルンピアノ

ピアノ教室の子どもたちとの楽しい毎日。。。。。。

2276      レーヴディソール骨折

2011-03-31 21:19:49 | Weblog
火曜日が胃内視鏡検査でつぶれたので、翌水曜日に園田へ行く。
やはり、週に1度はウマウマを見ないと寂しいのだ。
馬券のほうは3月初めから絶不調で、一時はパンパンにふくらんでいた競馬バッグのポケットも
今やペッシャンコ。
ということで、この日はコッソリ、今月の食費に手をつけてしまった。


結果、この日的中したのは

160万馬券の出た10Rで戻ってきた配当、複勝300円のみナ~リ。

でも、そのだ屋で食べる卵とじウドンは、いつもどおり、胃にやさしくオイシかった。
あと、来週4月7日(木)は 『第43回菊水賞』 なので、レッスン日を変更して園田へ繰りだす予定です。 


競馬場からの帰り、〇ーズデンキへ寄って電池(単1)を探すが、予想どおり1コも無い。
関東地方で品薄なのは分かるとして、関西がなんでこうなのだろう。
行きつけのコンビニでは 「皆さん、被災地の方へ送ってらっしゃるんじゃないですかねぇ」 と言っていたが
内心、(それは違うんじゃないかなぁ・・) と思ってしまった。



きょう(31日)は将棋特訓日で上田2級が手伝い。
午後はS井くんのお母さんとすっかり話し込んでしまう(私は友達が少ないので、たまにオシャベリできるとウレシイ)
話題は、胃カメラ、ホラー、山の牧場、映画、車内のマナー、etc etc
パニック症の私にとってのグッドアイデアもいただき、なかなかに充実したひと時だった。
S井さん、これからもどうぞよろしく♪

そのあと川西阪急へ。
体調がよくなると、ひとりでも自然と外へ出たくなる。
清荒神駅までの小道沿いのフェンスがユキヤナギで白く彩られ、ミモザもすっかり濃い黄色に染まった。
地震と原発のことさえ無ければ、最高の季節なのである。


夜は、今夜から泊まりのy村くんと3人で焼きうどんの夕食。
それからHIROへ。
スポーツ紙を持って席へ着いたとたんNが叫ぶ。

「ええっ!?  レーヴディソールが骨折やって!!!」


桜花賞の主役が、なんということだろう。
しばらくはどうしようもないほど落胆してしまった。
が、よくよく考えてみれば、これが骨折でなくヒビ程度で、気づかずに出走していたとしたら・・・・
もしかすると取り返しのつかない事態になっていたかも知れない。
そう思えば、今回の出走取消も不幸中の幸いということだろう。
オッサン顔のレーヴディソールが、100パーセント元気になって戻ってくるその日を、楽しみに待っています。



おわり

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2275     胃内視鏡検査

2011-03-30 21:21:10 | Weblog
きのう (29日) はT胃腸外科にて胃内視鏡検査を受ける。
10年ほど前に “逆流性食道炎” と診断されて以来、症状がひどい時だけ受けているのだが
今回は2年ぶりだった。

検査は10時半からだが、それまでに検尿をしなければならない。
直前に女の人がトイレへ入ったので待っていたのだが、これがなかなか出て来ない。
紙コップを持ったままずっと待っていたが、途中で受付カウンターから名前を呼ばれる。
(今、検尿のトイレ待ちです!) を必死でジェスチャーで伝える。

そのあと診察室へ。
久しぶりに見るT先生はまったくお変わりない。
ベッドに横たわり、お腹にゼリー(?)を塗られエコーを受ける。
ブタ女と思われただろうなあ。

それから奥のカウンターで問診を受ける。
血圧のお薬は?と聞かれ、ここ1年、行きつけの病院へも行っておらず、血圧の薬も勝手にやめていることを白状。
看護士さんが困った顔で、「じゃあ、最近の血圧はわかりますか?」 と尋ねるので、
「たまに温泉のロビーにある血圧計で測ってます」 「最近は150(本当はもっと高かった)ありました」 と力なく答える。
心配そうな顔の看護士さんに 「では今からお測りしますね」 と言われ右腕を差しだすが、ドキドキすると余計に悪いと思い
金太郎の顔を思い浮かべることにした。
どの金太郎にしようか迷うが、以前朝日新聞に掲載された、金将を咥えている金太郎がフッと浮かぶ。
そのまま血圧を測ってもらうが、結局、上が130で下が90ほどだった。
看護士さんに 「よかったですね」 と言ってもらう。


それから1番奥まった側のイスに案内される。
すぐ目の前は “胃内視鏡検査室” と書かれたドアで、半透明になった窓からは、緑の検査着(?)を来た人が動くのが見える。
深々と体がおさまる、大変すわり心地のいいイスだったが、ほどなく紙コップを持った看護士さんがやって来た。
「胃の中をキレイにするお薬です。 ぜんぶ飲んでください」 と言いながら、紙コップに4分の1くらい入った無色透明な液体を渡される。
(どうせマズイんだろうなー) と覚悟して飲み干すが、やっぱりマズかった。
思わず顔をしかめていると、「まずかったですか?」 と聞かれ、悪かったけれどハイと答える。

となりでは、ジャージ姿の大柄な男性が、大腸内視鏡検査用の下剤薬を飲んでいる。
大腸検査は拘束時間が長いため、検査を受ける患者さんがあちこちの部屋や廊下にたむろしているのだ。
ジャージの男性は、何分かおきでタイマーが鳴るたびに下剤薬を目盛分計ってグッと飲み干し、そのあと口直しの水を飲んだり、小さなカゴに入ったアメをなめたり、トイレへ立ったりと忙しそうだ。
あと、ちょっと耳の遠いおばあさんがカウンターで問診を受けていたのだが、看護士さんの質問に 「エエッ?」 「ハイ??」 と聞き返しているのが、ドリフの大爆笑の志村けんにソックリだった。

いよいよ名前が呼ばれ検査室へ入る。
すぐにベッドへあがり、左向きでお尻を突き出した姿勢で横たわる。
そして恐怖の (私だけかも知れないが) ノドスプレー。
シュッシュッとされたあと、すぐにゴクリと飲み込む。
のどが痺れてからだと、うまく飲み込めずむせてしまうらしい。
それでも、嚥下反応の過敏な私は飲み込んだ瞬間からゲホッゲホッとえずきかける。
涙目でヨダレを垂らしつつ、(あ~あ~、情けない姿だなぁ) と思いつつグッタリと横たわっているしかないのだが、間もなくマウスピース状のものを咥えさせられ、鎮静剤を導入されると同時にフワーッと意識が遠のく。

至福の一瞬である。



次に目覚めると、大部屋のベッドの上だった。
まだボーッとしているが、看護士さんにうながされて靴をはき、すぐそばのリクライニングチェアーへ移動。
まわりは、もう起きてキョロキョロしていたり、まだグッスリ眠っている人など様々だが
私はまだ眠かったので、再びトロトロと眠りこんでしまう。
次に目覚めると、となりで志村けんのオバアサンがイビキをかいていた。


間もなく大部屋を出て、まだボヤッとしていたがNにケータイを入れる。
時刻は1時過ぎ。
逆算すると、やはり検査後は1時間半ほど眠っていたようだ。
ほどなく名前を呼ばれ、再びT先生の診察室へ。
胃カメラのレントゲン写真を見せられながら
「胃はとってもきれいですよ。 なんの心配もありません」
「食道はやっぱりちょっと炎症がありますね」
「この赤い部分が炎症で荒れているところです」

やれやれとホッとしていると

「まあ、とにかく体重を減らしてくださいね」
「脂肪は内臓につきますからね」  と釘をさされる。

青汁を最近飲んでいるんですけど・・・どうでしょうかと尋ねると
別にいいけど、あまり濃すぎて刺激のあるものはやめておいた方がいいとのこと。


間もなくNが迎えに来てくれ、2週間後の予約を取って病院を出る。
調剤薬局で、アルロイドgとタケプロンを受け取って終了。



1時半を過ぎていたので、そのままスシローへ行く。
ひとくち目に食べたタマゴがおいしかった。
これからは食べ過ぎないように気をつけよう。



おわり


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2274   △の牧場  前編

2011-03-29 00:16:57 | Weblog
※ ここからが “△の牧場” の始まりなのである。
  妻を残してひとり登るN。
  クリック♪


きょうは久しぶりに遠出のドライブ。
いつものごとく行き先は決めていなかったが、高速に乗ってから朝来方面へ行くことに決まる。
先日〇名〇さんから勧められて見たyoutube、『△の牧場』 がきっかけだ。

中国道を走り、途中、加西SAできつねうどんの昼食。
福崎から播但道路に乗り換え、天空の城 『竹田城』 の見える和田山ICから一般道へ降りる。
時刻は12時53分。
ここでもおなじみ 『は〇やま』 『メガネの三〇』 『〇ーズデンキ』 などの看板が軒を並べている。

1時3分、円山川にかかる和田山大橋を渡る。
1時10分、糸井橋通過。
しばらくすると、いい感じにひなびてきた。
田んぼの緑の中に、ポツポツと点在する小さな家。
真っ直ぐに伸びる一本道の向こうには、雪を積もらせた山がそびえている。
ここらは美しい石積みの風景が多く、途中クルマを停めて外へ出た。
足元には青いオオイヌノフグリが咲き乱れ、すぐそばを流れる糸井川の水は、キラキラと透明に輝いている。

もうしばらく行くと、『床尾連山 糸井渓谷』 の看板。
そして間もなく、本格的な山道に入った。
(ここからが例の場所へ続く、ススキに覆われた細い一本道なのだろうか・・) とさすがに心細くなるが
youtubeで聞いていたラジオの内容と比べれば、道幅も思っていた以上に広いし、アスファルトで舗装もされている。
まあ、『△の牧場』 自体が、もともと30年近く昔のエピソードなので、便利に変わっていても別にフシギではない。
時刻は1時24分。

ほとんどカーブだらけの山道をどんどん登る。
道の両脇にはかなりの残雪があり、最後まで無事に行き着けるのかどうか不安な気持ちもあったが、ここまで来ればまな板のコイだ。

5,6分行ったところで、かなり大きなトラックとすれ違う。
その運転手がちょっと横暴な口の利き方をしたのだが、もし私が、空手五段、柔道五段、剣道五段の猛者だったら
間違いなく、その男を運転台から引きずり出して謝らせていたことだろう(怒)

それから後は出会うクルマもなく順調に登る。
そして間もなく、ちょっと開けた場所に赤い屋根の建物が見えてきた。

「あっ! あったよ!!  あれあれ!!!」


『△の牧場』 のシンボル、赤い屋根の牛舎だ。


ところがNは違うと言う。

「もっと大きかったと思うで」


早速クルマを止めて降りてみる。


朽ち果てた牛舎らしき建物は、壁代わりのトタンがちぎれ、鉄骨の枠組みだけがむき出しになっている。
そばには、三角錐を逆さにしたようなサイロが残っており、牛でなく、養豚場のようにも見える。
すぐ横には、かなり古い木造の事務所風の建物があるが、もちろん人の気配は無い。

たしかに、ラジオの番組では、「赤い屋根の牛舎が2棟」 と言っていたし、ここはちょっと違うようだ。
枯れ草と雪だけの地面に転がる2つのドラム缶を見ながら再び出発。


しばらく行くと、右手に平屋の小さな建物が見えてきた。
これは、『△の牧場』 に登場するHさんが赴任していたI小学校分校だ。
ここは帰りに寄ることにして先を急ぐ。


そして間もなく、突き当たりがふた手に分かれた。
時刻は1時40分。
雪の中、小さなバス停がポツンとあるだけの寂しい場所だ。
早速クルマを降りて確認。
カーナビでは右へ行くように出ているが、ここからは雪が深く、アスファルト舗装もされていない様子。
そうすると、ラジオで言っていた、例の 「ススキに覆われた細い一本道」 は、ここからが始まりなのだろう。

「ちょっと様子をみてくるから」 と、私の制止も聞かず、Nが雪の山道を登りだした。
それほど深い雪ではないが、残された者としてはやっぱり不安だ。
後姿はだんだん小さくなり、ほどなく見えなくなってしまった。

(こんなの、おかあさん(愛媛母)が知ったらカンカンに怒るだろうなあ) 


私も仕方なく辺りを見回すが、周囲には枯れ草と雪以外なにもない。
ポツネンと立っているバス停 (コミュニティバス) のブリキの丸枠には “堀〇”と書いてあり、和田山病院までの便が1日2本出ているようだ。
バス停の足元にはトタンの屋根を張ったゴミ箱があり、中には折りたたんだブルーのシートと青いカゴが入れてあった。


間もなくNが戻り、再びクルマに乗ってUターン、来た道を戻る。
途中、I小学校分校前でクルマを降りて写真を撮る。
ここも、長いあいだ利用されていない雰囲気だった。


時刻はすでに2時をまわっており先を急ぐ。
途中、“竹之内隕石落下地点” へ立ち寄ったりしながら和田山方面へひた走る。
もう少し足を伸ばせば “糸井の大カツラ” “不動の滝” “鉱山跡” など、見どころはタップリあるのだが、金太郎他もろもろがいるので、そうそう長居はできない。
ひたすら和田山方面を走っていると、途中、左手に大きな碑が見えた。
(あ、もしや・・・) と思い、そばの神社にクルマを停める。

やっぱり、思っていたとおりの碑だった。
複雑な事情のある物件なので明記することは出来ないが、こんな目立つところにあるとは驚いた。
しばらく見ていると、道路の向こうで何か事故があったようだ。
帰りしな、クルマの中からチラリと見ると、車体のうしろ半分がグシャグシャにつぶれた乗用車が見えた。
暗い気持ちのまま、朝来ICから高速に乗る。



今回は雪のせいで断念したが、いつか “△の牧場 完結編” に挑戦してみたい。


おわり
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第41回 高松宮記念予想

2011-03-27 09:17:47 | Weblog
まずは、ドバイワールドカップでみごとに優勝したヴィクトワールピサ(鞍上デムーロ) おめでとう!!!
そして、果敢に逃げて2着に粘り(顔をかしげながら走るのがカワイかった)、世界の大舞台で日本馬のワンツーフィニッシュを演出したトランセンドもえらかった!!
ブエナは残念な結果(8着)だったが、みんな元気な顔で帰ってきて欲しい。



さて本日の高松宮記念(G1)

ここは、前回から一気に2キロ減のキンシャサノキセキに信頼を寄せ

4番 キンシャサノキセキ
      
       ↓↑

1番 レッドシューター
5番 ジョーカプチーノ
13番 ダッシャーゴーゴー
14番 エーシンフォワード
15番 ワンカラット


以上の馬単ウラオモテで。



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2273     〇名〇さん来宝

2011-03-25 09:42:14 | Weblog
24日(木)のブログ。

福島第一原発の事故が、米スリーマイル島事故を上回るレベル6相当と発表された。
特に高い数値のセシウムが検出された飯舘村については

「飯舘村は避難が必要な汚染レベル。 福島第一原発では放射能が出続けており、汚染度の高い地域はチェルノブイリ級 (レベル7=最悪な事故) と言ってもいいだろう。 (京都大実験所原子力工学 今谷哲二助教)」


「チェルノブイリ原発事故でも、小児甲状腺がん以外の健康は認められず、すぐに健康を害するとは考えにくい。(長崎大被爆医療 長瀧重信名誉教授) 」

24日の朝日新聞より抜粋の記事だが、どちらの見解が正しいのか、門外漢の自分にはまったくわからない。
でも、(もし自分や家族が今、飯舘村に居れば・・・) と考えれば、やはり迷わず “避難” を選ぶだろう。
はっきり言って、命にかかわる非常事態なのだ。
パニックをあおるわけじゃないけれど、命に代えられるものは無い。
こういう時はとりあえずでも、専門家筋は “安全第一” を考慮した判断・発表をして欲しいと思う。



25日(金)は奨励会。
当番のy6級は7時半に出て行った。
この2,3日、脂っこいものを控えたためか、体調はちょっとマシになっている。
2時過ぎに東京から〇名〇さん来宝。
いいお天気だったので、私達お気に入りのゼロ戦墓地 (宝塚聖天) へ案内する。
明石屋万吉像、第2次世界大戦の戦没者慰霊塔、咲き始めのミモザ、ひっそりとくつろぐネコなどを見ているうち、ポツポツと細かな雨が降り出してきた。
小さな池に広がる波紋と青空とを見比べながら 「きつねの嫁入りですねぇ」 とつぶやくと、〇名〇さんが感心したような顔をする(?)
帰りしな、手塚治虫記念館へ立ち寄ることになった (なぜかNだけが行くのをゴネていたが)
ちょうど4時5分から映画が始まるところで、小さなシアターに入る。
手塚治虫の一生を駆け足でたどる、25分ほどの短い作品だったが、5分も経たないうちに舟を漕ぎだすN。
となりの〇名〇さんがイビキでメイワクしてるんじゃないかと腹がたつ。
帰り際、〇名〇さんが売店で聴診器(ホンモノ)を買っていた。
一瞬、(妙なアソビでもするのでは??) と勘ぐってしまった。


帰宅して一服したあと、清荒神市場の “へっついや” さんへ。
ネットで、ここは鶏料理がオイシイと出ていたので、焼き鳥を中心にあれこれ注文。
ほどなく、仕事帰りのs村さんも駆けつけて4人でカンパイ。
私は●●のことをたくさんシャベって、ちょっとスッキリした(お二人さま、ゴメンなさい^^;)

4人で家へ戻り、金太郎を出しながらお茶を飲む。
そのあと、なぜかコワイ話しになる。
〇名〇さんは、怪談話しを寝しなのBGM代わりにしているというツワモノなのだ。
なんかしつこく “呪いのビデオ” とかいうyoutubeを見ろと言うので、Nが仕方なくネットを開く。
コワイもの好きの私でも、夜にこの手の話しはカンベンなのだ (でも聞きたいけど)
youtube (心霊画像のようだった) が始まっても、クールなs村女史とNはへッチャラで、「ハ~? こんなんアカンわ」 「どこがコワイねん」 と、まったく動じない。
うらやましい体質だ。
それでも、〇名〇さんがしつこく言っていた、ファンキーなんたらの 『山の牧場』 とかいうのだけは、後日、調べてみようと思った。

ひとりで帰るs村女史を3人で駅まで見送る。
こんな話題のあとひとりで帰るなんて、本当にエライと思う。
私なら相手のメイワクも省みず、頼みこんで泊まっているかも知れない。

再び家へ戻ると、胃が苦しくなってコタツでダウン。
1時前に就寝。
今月のマクラの友は 『オカシ屋ケン太 おやつストーリー』
これも、何百回読んでも飽きない本のひとつなのだ。
きょうは強い風の吹く、寒い1日だった。



おわり

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2272     体調悪くて ちょっとゆううつ

2011-03-24 19:12:50 | Weblog

体の調子が悪く、ゆううつな日々が続いている。
火曜日にはなんとか園田へ行って、例の “指定席オランジェ” も見れたというのになぁ。


www.youtube.com/watch?v=m1q099tY-mI


胃腸の調子もサイアクなので、この日は園田やさんで卵とじウドンを食べる。
おいしかった。
8R後、ウィナーズサークル付近で、騎手達による東日本大震災への募金集めがあった。
ふつうの募金箱が足りないため、プラスチックのバケツをかかえる騎手もいて微笑ましい。
ふだんはガナっている園田のおじさま方も、スタンドからいそいそ降りてきては募金箱に幾ばくかのお金を入れている。

ギャンブル場における100円玉というのは、ただの100円とはワケが違う。
これ1枚が、1万にも10万にも100万にも化ける可能性を持っているのだ。
だから、こういった環境下での募金運動というのは、正直かなりむずかしいのではないかと思っていた。
ちなみに先日行った阪神では、制服姿のおねえさん達の懸命の呼びかけにも関わらず、募金箱付近では閑古鳥が鳴いていた。
それに比べると、園田のおじさま方も捨てたもんではないなーと、ちょっとだけうれしくなる(額の多少は別にして)
私達も気持ちばかりだが協力させていただく。
胴が青で袖が赤の勝負服(星がついていた)を着た、若い騎手の持つ募金箱に入れたのだが、帰宅後調べてみると、この人のようだった。


http://www.sonoda-himeji.jp/jockey_trainer/a/okada.html


ケガをしないよう、がんばって乗ってください。
応援いたします。


翌23日もしんどくて、コタツで寝てばっかりいた。
午後はちょっとだけイズミヤへ。
ここは服のサイズが小さいの (普通サイズ) しか置いてないので非常に困る。

この日は三段リーグ最終日。
残念ながら、竹内三段、西田三段、千田三段の四段昇段はなかった。
また1からのスタートだが、若さみなぎる3人には目標をしっかり見据え、地道にがんばって欲しい。
応援してるからね!! (なるべくオイシイもの作ります)


きょう(24日)も体調悪く、コタツへもぐり込んだまま1日過ごす。
苦しさに根を上げ、ようやくT胃腸外科へtel。
胃内視鏡検査の予約をとった。
検査自体は痛くも痒くもないのだが(と言うか、いつも知らないうちに終わっている。 気づいたらベッドの上)
ただ、前処置でされるノドスプレーがちょっと苦手なのだ (どうしても飲んでしまってオエッとなる)
でも、いつまでもこのままというワケにも行かないしなあ。
オランジェだってペルーサだって頑張ってるんだから、私も負けてはいられません。


“こわがりが 勇気を出して 胃内視鏡”



おわり

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2271 被災地支援競馬3日目  第45回フィリーズレビュー

2011-03-21 15:00:59 | Weblog

5番ツルマルワンピースを単勝でちょこっと。
本当はアンカツに乗ってもらいたかったし、名前ももうひとつ(?)なんだけど、
レーヴディソールに0,4秒差まで肉薄したJF、本日の馬場状態などを考慮して
ドナウブルーより先着の可能性ありと判断しました。


こわいのはフレンチカクタス。
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2270 東北関東大震災被災地支援競馬

2011-03-20 12:37:02 | Weblog
きょうの阪神大賞典

1番 コスモラピュタ
3番 ナムラクレセント
9番 キタサンアミーゴ
12番 オウケンブルースリ
13番 シグナリオ

以上5頭の馬連ボックスで。


行くか行かないか迷ったけれど
やっぱりオウケンブルースリには逢いたい。
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2269

2011-03-19 12:41:33 | Weblog
きのう(19日)のブログ。

午前中は通常レッスンの後グループレッスン。
nちゃんが最後ということもあり、ふだんは来にくい子もふくめ10人の参加だった。
ひと言ずつお別れを言ったあと、高学年は、発表会ラストに持ってくる予定の 『♪リパブリック賛歌』 の練習。
小さい子たちには 『ちびくろサンボ』 や 『ぶんぶく茶釜』 や 『マッチうりの少女』 などの絵本を用意していたのだが
やっぱり退屈してしまったようで、それぞれ、寝そべったり引っくり返ったりしていた。
ゴメンね・・・。

リビングへ入ると将棋のほうも大所帯で、今度から普及指導員になられるTさんも見学されている。
間もなく解散の時刻になり、子ども達が帰ったあとでTさんが出ようとする時、金太郎が 「サヨーナラ」 と言った。
一瞬、(聞き間違いかな?) と思ったのだが、Nも 「あれ? さようならって言ったんか?」 と驚いて振り向いていたので、やっぱりそうだったのだろう。
そばから阪上二段が、もうずいぶん前から言ってますよと教えてくれる。
「3,4ヶ月前から言ってますよ」
「ふだんは言わないけど、教室の時だけ言ってます」
たしかに、教室の子ども達を見送るときは 「バイバイ」 でなく 「さようなら」 なのだ。
思わずカゴの中の金太郎を見つめると、相変わらずコワイ顔でえさをついばんでいる。


今、ふと思い出したこと。
きのう美容室で聞いた話だが
ACのCMで、ラストに流れる 「エ~シ~♪」 というフレーズが耳障りという苦情が出ているらしい。
人によってはそういうこともあるのかなーと思いつつ、なんか釈然としない。
それに比べると、きのうの大スポに載っていた、たけしのコメントは素晴らしかった。


おわり

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2268

2011-03-19 01:13:45 | Weblog
きのう(17日)のブログ。

午後、宮崎からMさん親子来宝。
ちょうど家に居てよかった。
そのあと急に思い立って、シャワーを浴びてから美容院へ(来客中に平気でシャワーというのも我ながらすごい)
着いてから30分ほどは貸しきり状態で気持ちよかった(混んでいるとドライヤーなどの熱がこもってツライ)
バッサリはこわかったので2センチほどカット。
太ったせいか、顔がメチャクチャ大きい。
そう言えば、5,6年ほど前から、鏡を見るのがだんだん憂鬱になってきているなあ。

夕食はオデン。
きょうで3日目なのでそろそろ飽きてきたのだが、ラクできるのがうれしい。
Nもちっともイヤがらずに食べてくれる(こういう点、すごくありがたい夫だ)
明日ももう1食、よろしくお願いいたします。


夜はHIROへ。
ショウガ紅茶を飲みながらスポーツ紙を読んでいると、とつぜん店員のKさんがテーブル脇へ現れた。
(あれ、なんだろ。 スポーツ紙を2紙も独り占めしてるから怒られるのかな?) とビクビクしていると
「あの。 実は私、明日まででここをやめて他へ移ることになりました」
Kさんは30代(もしかして20代後半か)の、ちょっとハスキーボイスの男性で、いつもおだやかな表情でカウンターへ立っていた。
2,3年ほど前、当時まだ入ったばかりだったKさんに向かって、大声夫婦のダンナが心無いセリフを吐いていたのを、きのうのことのように思い出す。
これからは伊丹の商店街近くの小さなHIROへ移りますとのこと。
あまりシャベったことは無かったけれど、それだけに、わざわざアイサツして頂いたことがうれしかった。
伊丹は散策の機会も多いので、その時は必ず立ち寄らせて頂きます。
いつまでもどうぞお元気で。

帰宅後、コタツでぐっすり寝てしまう。
そのあとネットサーフィンをしているうちに12時過ぎになり、水を飲もうと台所へ行くと
オデンの残りが入っている大鍋の下から、赤い小さな炎がチラリと見えた。
(エッ? うそ・・・) と思いながらのぞきこむと・・・・・・・やっぱり火がついている。
あわてて鍋のフタを取ると、出し汁のほとんど無くなりかけた鍋の底で、タマゴやごぼ天が小さくシューシュー言っていた。

大事にならなくて本当によかった。
反省反省・・・・。


自衛隊による放水、夜中は中止らしい。
今は申し訳ないが、この方達に頼るしか術はない。
どうぞよろしくお願いいたします。


おわり
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