植え初めのあり方を再現してくださった室生下笠間のF家。
どうぞ、フキダワラの豆ごはんを味わってくださいと、お接待をしてくださる。
話題は、植え初めに供えた貴重なフキダワラである。
フキダワラに包んでいたご飯は豆ごはん。
F家は黒豆であるが、姉のお家では白大豆だ、という。
蕗の葉を浮かべて供える米は洗米。
そして白大豆もそこに供える。
フキダワラの形態でなく、田に浮かべる形式である。
その話を聞いて思い出した地域がある。
山添村北野に住むI夫妻がその様相をしてくださった。
取材日は平成23年5月7日。
最初に田植えをする一角におました植え初めのあり方。
自生する蕗の葉を田植えのすぐ傍。
それころ田植え機が入る場(畝)に広げる。
その枚数は12葉。
先に施したのがカヤ挿し。
下笠間のF家と同じように12本のカヤを泥田に挿す。
広げた蕗の葉にのせる御供は、「オセンマイ(洗米)」だったから、Fさんの姉さん家と同じように思えた。
村内は同じであっても家によってさまざまなあり方。
ある家では黒豆でもなく白大豆でもない青豆だとFさんは云う。
また、同村のOさんも同じように植え初めしているようだと云われたので、いつかは機会を設けて紹介してもらおうと思った。
行事食はもう一つある。
「現在は3月3日に行われることが一般的であるが、地区では旧暦に従い、菜の花や桃の花が咲き始めるころの4月3日に実施される桃の節句である。雛人形は、七段の雛飾り。よもぎ団子とひし形の団子餅を作る。よもぎは、家の傍の畑や裏山の土手から採取してくる。よもぎ団子は、手作りの餡子を包み、表に桜の塩漬けを飾ってご先祖さまや家中の神々さま、お雛さまにお供えをする。ひし形の団子餅も同様によもぎの葉で作ってお供えする」。
続いて『奈良県東部の伝統行事と暮らし(※下笠間)』に書いてあった「桃の節句が終わり、種もみを撒く時期になると、水戸祀り(※ミトマツリ)というものがある。オコナイで祈願したウルシの木にお札を付けて水戸口(※みとくち・田の水を引く入口)に立て、ユキヤナギやツバキを添えて飾る。このようにして豊作を祈り、育苗を始める」と、孫さんが執筆していた論文に、である。
この日は5月12日。
節句の日から1カ月以上も離れている。
今回のF家の再現ウエゾメ取材に誘ってくださった写真家Kさんとともに味わう行事食は、郷土食でもある。
そういうことだから口にした蓬のひし餅は雛段に供えたものではなく、味の体験にわざわざこの時期に作ってくださった大切な食。
たぶんに蓬の葉は冷蔵庫で保管していたのであろう。
話題は節句の粽に移った。
粽は粳米と餅米を混ぜて作る。
ほくほく炊きあがった粽は、ホオの葉(※高木の朴の木の葉)で包んで、カヤ(萱)の葉で結ぶ。
昔ながらの粽は、一般的に笹の葉に包んでイグサで縛って作るが、ここ下笠間では材料が異なる。
材がなければその土地、地域に根付く材を用いる地域性特徴をもつ郷土食である。
行事食も郷土食もそれくらいにして、家の精進料理も食べてや、と云われて聞き取りはちょっと小休止。
テーブルに置かれた精進料理に目を落とす。
長い目の皿に盛った料理もあれば、数々の小鉢にも。
盛り、盛りの料理はT家のもてなし。
これほど多い盛りを直に見るのは初めて。
まるで一流の料亭に寄せてもらったような感覚に陥る。
わが家の中庭にも植生している木の芽の葉を添えた採れたて筍。
薄味で煮た人参に煮しめの高野豆腐。
春に相応しい萌黄色の蕗の茎に揚げさんと煮込んだ蕨煮。
間に寄せた蒟蒻もまた煮しめ。
盛り付けの素晴らしい私の最も好物な春の味。
これだけの料理が一堂に並んで見ること滅多に接することもないので撮らせてもらった。
お味は、これもまた大好きな味。
京都に見られるような粋な小料理であればいくらになるだろうか、とひらめく下種(げす)な心の思い・・。
奥に列する小鉢。
三つ葉を浮かべた玉子とじ、でなく茶碗蒸し。
白大豆の煮豆。
ほうれん草のおひたし。
冷やっこ豆腐。
牛蒡と人参の金平煮。
胡瓜に塩昆布のあしらえ。
どれもこれもがとても美味しい心のこもった料理に舌鼓。
これだけの精進料理だけでも満足。
穀物系のご飯に餅。
黒豆の豆ごはんに蓬のひし餅。
お腹はパンパンの大満足状態になった。
食事をしながらもまた伝統的な民俗食。
話題はサシサバである。
サシサバはお盆の時季にしか登場しない加工品である。
奈良県中央卸売市場から仕入れて村の人らに提供しているお店が山添村北野にある。
平成23年8月13日に取材させてもらった大矢商店の棚にあったサシサバには驚いたものだ。
これって何なの、と思ったくらいの初めて見るサシサバの姿であった。
その後に出合った旧都祁村の白石で商売をされている辻村商店である。
店番してはった店主の奥さんが見せてくださった売り物のサシサバ。
なんと店主が毎年に作っている、ときいてこれもまた驚いたものだった。
尤も、白石にあるショッピングセンター。
なんでもそろう♪のコマーシャルで有名な「ショッピングプラザたけよし」のスーパーたけよしも、時期がくれば販売している。
実際、F家でサシサバの作法をしていたのはおよそ30年前までのこと。
当時、サシサバの購入先は、在地下笠間の宮崎商店であった。
そのころサシサバを作って売っていたことが伺えるカケダイを拝見したことがある宮崎商店。
夏場と冬場。
鯖と鯛に塩漬け有無の違いはあるものの、魚の扱いは手慣れているからたぶんに売っていたのだろう。
お盆の8月13日。
先祖さんを迎える晩にしていたサシサバは両親が揃っている家であれば2尾だったという。
お供えをするときは、正月のイタダキと同じように作法をするが、正月は歳神さん。
お盆のときのサシサバは生き神さんの両親。
息子たち夫婦がする作法。
逆にその息子夫婦に子ども、Fさんから見れば孫であるが、その孫は息子ら夫婦が生神さん。
どちらかが片親になれば作法はしない。
このような習俗は、山添村辺りのごく一部の東山間地域くらいなものか、といえばそうでもない。
つい、先日に取材した箕輪の田植え中に聞いた隣県の三重県青山にもあったサシサバも。
私が聞き取りした範囲内では、奈良市の旧五ケ谷村辺りに大和郡山市の旧村一帯に天理も入っている。
ここ下笠間では30年前に途絶えているが、大和郡山調査地では、もっと前。
80歳以上の高齢女性が子どものころだったいうくらいだから、戦後の間もないころに途絶えたようだ。
途絶えたワケは販売していたお店がやめたとか、地区に売りに来ていた行商が、いつしか来なくなったことによる。
需要がなければ販売はない、ということだが前述したように、ごくごく一部の販売店があるだけだ。
ちなみにF家の正月のイタダキは、朝に三カ月の餅などを盛った膳を頭の上に掲げてイダダキの作法をしている、という。
また、ご近所さんのI家と同様にイノコのクルミモチもしているそうだ。
I家手作りのイノコ餅。
美味しいと伝えたら、わざわざ作ってくれたこともあった。
今も継続している行事食・郷土食もあれば、粽、サシサバ、カケダイにとんど火に焼け残った竹炭を樽の上にのせて作るお味噌は中断。
時代の変遷とともに暮らしの文化も変化してきた現代。
今後も移り変わっていくことだろう。
(H30. 5.12 EOS7D撮影)
どうぞ、フキダワラの豆ごはんを味わってくださいと、お接待をしてくださる。
話題は、植え初めに供えた貴重なフキダワラである。
フキダワラに包んでいたご飯は豆ごはん。
F家は黒豆であるが、姉のお家では白大豆だ、という。
蕗の葉を浮かべて供える米は洗米。
そして白大豆もそこに供える。
フキダワラの形態でなく、田に浮かべる形式である。
その話を聞いて思い出した地域がある。
山添村北野に住むI夫妻がその様相をしてくださった。
取材日は平成23年5月7日。
最初に田植えをする一角におました植え初めのあり方。
自生する蕗の葉を田植えのすぐ傍。
それころ田植え機が入る場(畝)に広げる。
その枚数は12葉。
先に施したのがカヤ挿し。
下笠間のF家と同じように12本のカヤを泥田に挿す。
広げた蕗の葉にのせる御供は、「オセンマイ(洗米)」だったから、Fさんの姉さん家と同じように思えた。
村内は同じであっても家によってさまざまなあり方。
ある家では黒豆でもなく白大豆でもない青豆だとFさんは云う。
また、同村のOさんも同じように植え初めしているようだと云われたので、いつかは機会を設けて紹介してもらおうと思った。
行事食はもう一つある。
「現在は3月3日に行われることが一般的であるが、地区では旧暦に従い、菜の花や桃の花が咲き始めるころの4月3日に実施される桃の節句である。雛人形は、七段の雛飾り。よもぎ団子とひし形の団子餅を作る。よもぎは、家の傍の畑や裏山の土手から採取してくる。よもぎ団子は、手作りの餡子を包み、表に桜の塩漬けを飾ってご先祖さまや家中の神々さま、お雛さまにお供えをする。ひし形の団子餅も同様によもぎの葉で作ってお供えする」。
続いて『奈良県東部の伝統行事と暮らし(※下笠間)』に書いてあった「桃の節句が終わり、種もみを撒く時期になると、水戸祀り(※ミトマツリ)というものがある。オコナイで祈願したウルシの木にお札を付けて水戸口(※みとくち・田の水を引く入口)に立て、ユキヤナギやツバキを添えて飾る。このようにして豊作を祈り、育苗を始める」と、孫さんが執筆していた論文に、である。
この日は5月12日。
節句の日から1カ月以上も離れている。
今回のF家の再現ウエゾメ取材に誘ってくださった写真家Kさんとともに味わう行事食は、郷土食でもある。
そういうことだから口にした蓬のひし餅は雛段に供えたものではなく、味の体験にわざわざこの時期に作ってくださった大切な食。
たぶんに蓬の葉は冷蔵庫で保管していたのであろう。
話題は節句の粽に移った。
粽は粳米と餅米を混ぜて作る。
ほくほく炊きあがった粽は、ホオの葉(※高木の朴の木の葉)で包んで、カヤ(萱)の葉で結ぶ。
昔ながらの粽は、一般的に笹の葉に包んでイグサで縛って作るが、ここ下笠間では材料が異なる。
材がなければその土地、地域に根付く材を用いる地域性特徴をもつ郷土食である。
行事食も郷土食もそれくらいにして、家の精進料理も食べてや、と云われて聞き取りはちょっと小休止。
テーブルに置かれた精進料理に目を落とす。
長い目の皿に盛った料理もあれば、数々の小鉢にも。
盛り、盛りの料理はT家のもてなし。
これほど多い盛りを直に見るのは初めて。
まるで一流の料亭に寄せてもらったような感覚に陥る。
わが家の中庭にも植生している木の芽の葉を添えた採れたて筍。
薄味で煮た人参に煮しめの高野豆腐。
春に相応しい萌黄色の蕗の茎に揚げさんと煮込んだ蕨煮。
間に寄せた蒟蒻もまた煮しめ。
盛り付けの素晴らしい私の最も好物な春の味。
これだけの料理が一堂に並んで見ること滅多に接することもないので撮らせてもらった。
お味は、これもまた大好きな味。
京都に見られるような粋な小料理であればいくらになるだろうか、とひらめく下種(げす)な心の思い・・。
奥に列する小鉢。
三つ葉を浮かべた玉子とじ、でなく茶碗蒸し。
白大豆の煮豆。
ほうれん草のおひたし。
冷やっこ豆腐。
牛蒡と人参の金平煮。
胡瓜に塩昆布のあしらえ。
どれもこれもがとても美味しい心のこもった料理に舌鼓。
これだけの精進料理だけでも満足。
穀物系のご飯に餅。
黒豆の豆ごはんに蓬のひし餅。
お腹はパンパンの大満足状態になった。
食事をしながらもまた伝統的な民俗食。
話題はサシサバである。
サシサバはお盆の時季にしか登場しない加工品である。
奈良県中央卸売市場から仕入れて村の人らに提供しているお店が山添村北野にある。
平成23年8月13日に取材させてもらった大矢商店の棚にあったサシサバには驚いたものだ。
これって何なの、と思ったくらいの初めて見るサシサバの姿であった。
その後に出合った旧都祁村の白石で商売をされている辻村商店である。
店番してはった店主の奥さんが見せてくださった売り物のサシサバ。
なんと店主が毎年に作っている、ときいてこれもまた驚いたものだった。
尤も、白石にあるショッピングセンター。
なんでもそろう♪のコマーシャルで有名な「ショッピングプラザたけよし」のスーパーたけよしも、時期がくれば販売している。
実際、F家でサシサバの作法をしていたのはおよそ30年前までのこと。
当時、サシサバの購入先は、在地下笠間の宮崎商店であった。
そのころサシサバを作って売っていたことが伺えるカケダイを拝見したことがある宮崎商店。
夏場と冬場。
鯖と鯛に塩漬け有無の違いはあるものの、魚の扱いは手慣れているからたぶんに売っていたのだろう。
お盆の8月13日。
先祖さんを迎える晩にしていたサシサバは両親が揃っている家であれば2尾だったという。
お供えをするときは、正月のイタダキと同じように作法をするが、正月は歳神さん。
お盆のときのサシサバは生き神さんの両親。
息子たち夫婦がする作法。
逆にその息子夫婦に子ども、Fさんから見れば孫であるが、その孫は息子ら夫婦が生神さん。
どちらかが片親になれば作法はしない。
このような習俗は、山添村辺りのごく一部の東山間地域くらいなものか、といえばそうでもない。
つい、先日に取材した箕輪の田植え中に聞いた隣県の三重県青山にもあったサシサバも。
私が聞き取りした範囲内では、奈良市の旧五ケ谷村辺りに大和郡山市の旧村一帯に天理も入っている。
ここ下笠間では30年前に途絶えているが、大和郡山調査地では、もっと前。
80歳以上の高齢女性が子どものころだったいうくらいだから、戦後の間もないころに途絶えたようだ。
途絶えたワケは販売していたお店がやめたとか、地区に売りに来ていた行商が、いつしか来なくなったことによる。
需要がなければ販売はない、ということだが前述したように、ごくごく一部の販売店があるだけだ。
ちなみにF家の正月のイタダキは、朝に三カ月の餅などを盛った膳を頭の上に掲げてイダダキの作法をしている、という。
また、ご近所さんのI家と同様にイノコのクルミモチもしているそうだ。
I家手作りのイノコ餅。
美味しいと伝えたら、わざわざ作ってくれたこともあった。
今も継続している行事食・郷土食もあれば、粽、サシサバ、カケダイにとんど火に焼け残った竹炭を樽の上にのせて作るお味噌は中断。
時代の変遷とともに暮らしの文化も変化してきた現代。
今後も移り変わっていくことだろう。
(H30. 5.12 EOS7D撮影)