マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

学びの場に春よ来い

2016年02月29日 09時57分21秒 | 自然観察会(番外編)
モクセイ科のヒトツバタゴ。

愛称は「ナンジャモンジャ」のヒトツバタゴが奈良県立高等技術専門高校の車庫付近に咲いていた。

専門高校の学科は家具工芸科、建築科、住宅設備科、ビルメンンテナンス科、造園技術科にITシステム科、服飾ビジネス科、オフィスビジネス科、販売実務科がある。

訪れた高校で書類をいただく待ち時間。

生徒さんは先生からの造園技術実習指導を真剣に聞いていた。

年齢は30歳から60歳ぐらいだろうか。

職業に就かれようとする男女が技術や技能を学んでいた姿に春よ来い。

(H27. 5. 1 SB932SH撮影)
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期限切れQUICPay

2016年02月28日 09時10分21秒 | つうしん
利便性を知って使い始めたおさいふケータイ。

クレジットカードを持ち合わせてなくとも携帯電話さえあれば支払いができる。

端末に当ててピッと音が鳴れば支払いは完了する。

クレジットカードならサインを求められるが、おさいふケータイは不要だ。

手続きが簡単なのである。

使い始めて何年になるか覚えていないがQUICPayのIDやパスワード切替の案内が届いた。

ダウンロードの有効期限は7月末。

それまでにしておけばいいと思っていた。

前日に買い物を済ませた富雄南イオンタウン。

パン屋さんの支払いに携帯電話を当てたらエラーになると店員さんが云う。

以前に発生した金庫切れの再発かと思ったが、クレジットカード支払いでは難なく通過する。

その日の夕食も買ったレジの支払いも同様にエラーとなる。

はっきりと聞こえなかったが「期限切れ」のように思えた。

この日はローソンでお買い物。

やはりQUICPayが感知される期限切れ。

もしやと思って案内通知を見る。

入会日が2015年4月15日とあり、有効期限は5年後の2020年4月と書いてある。

ダウンロードの有効期限は7月末だが、QUICPayのIDは失効していた。

そういえば案内書に同封の「ご利用ガイドをご覧ください」とある。

利用ガイドを探してみたが見つからない。

どうやら我が家のゴミ箱行きになっていたようだ。

見つかることもなくパソコンで探してみるオリコのQUICPay。

たぶんこれだろうと思って携帯電話でアプリ操作をしてみるが反応がない。

登録されていたIDは期限切れで消滅していたのだ。

そうであればソフトバンク販売店に相談するしかない。

思い出すに、ソフトバンクの店員さんに教わりながらQUICPayを携帯電話に登録したのでは・・・。

そう思って富雄南イオンタウン内にあるソフトバンク店に出かけた。

店員さんに尋ねるQUICPay。

「それは知らない」という。では「電子マネーは・・」と云えばそれも知らないという。

おさいふケータイをまったく知らない店員さんは諦めて今国府町の信号地にあるソフトバンク店を目指す。

待ち行列に数十分。

案内されてQUICPay期限切れを伝えたらニコニコ顔で「やってみましょう」だ。

店員さんがアプリ操作をされても期限切れは期限切れ。

登録されているアプリ動作の問題であると判断されて、一旦はアンインストール。

携帯電話は電源オフ。

そして電源オンしてから再インストールをされる。

アプリをダウンロードされて設定していく。

案内書に明記されているQUICPayのIDやパスワードを入力する。

登録が完了したとメッセージが出た。

要は初めてインストール・ダウンロードと同じ操作なのだ。

店員さんの対応がなぜにこれほど早いのか。

話しによればスマホに切り替えた際におさいふケータイの利便性を知って登録をしたばかりだという。

どうりで。

店員さんより若い人たちはおさいふケータイもあいないしクレジットもだという。

体験していない店員さんは顧客の要望に応えることができないという。

そんな時代なんだ、と改めて認識した。

(H27. 5. 1 記)
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入谷・栢森のコイノボリ調査

2016年02月27日 08時48分31秒 | 明日香村へ
杉葉付きのコイノボリを紹介していたFB利用者のSさんが伝える情報をアテに訪れた明日香村入谷(にゅうだに)。

入谷には大仁保神社が鎮座する。

当地を訪れたのはもう一つのワケがある。

高取町在住の知人は高取町丹生谷(にゅうだに)にも大仁保神社が鎮座すると話していた。

地名はいずれも「にゅうだに」。

神社名称も「おおにほ」である。

関係性は存知しないが、鎮座地はどのような地にあるのか知りたくて訪れた。



大字栢森よりさらに奥へ登った地が大字入谷だ。

この地が出里という橿原市在住の80歳を超えた男性は村の畑で作物を栽培していた。

気になっていたコイノボリの件を尋ねてみた。



奥地集落は10戸あまり。

「見たこともない」であった。

入谷を下った地は大字栢森。



数本のコイノボリが揚がっていた。

入谷が出里だという男性曰く昨年は5本も立っていたという栢森のコイノボリは今年が3本。



昨年は区長家で杉葉付きのコイノボリの支柱を立てていたという。

個々の家が立てるわけでなく、平成17年のころから行われるようになった栢森大字が立てているコイノボリである。

何軒かの家を訪ねてみたがみな同じように「大字で立てた」というのだ。



立てた場をみれば家の敷地ではなく畑地などである。

青空を泳ぐコイノボリだけをみておればそういうことに気がつかない。



栢森には僅かであるが小学生がいるそうだ。

過疎化になった村に子供が少しでも増えてくれれば・・という願いで立てるコイノボリは地域活性化事業である。

(H27. 4.30 EOS40D撮影)
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第2回山の辺の道「奈良道」フォトコンテスト表彰式in奈良県護国神社

2016年02月26日 09時24分37秒 | しゃしん
この日は暑かった。

神社の樹木からハルゼミがチッチと鳴く声が聞こえた。

奈良県護国神社を訪れたのは何年ぶりになるだろうか。

椿がいっぱい咲いていた記憶がある。

平成16年3月27日に訪れた訳は昭和61年より始まったお田植祭の状況を尋ねることであった。

神社関係者の答えは中断であった。

鹿野園町にある神饌田に水を張って氏子が田植えの所作をしていた。

腰をかがめて稲苗を植えていたが、訪問した何年か前に神饌田を提供していた田主が亡くなられた。

場を失ったことから中断したと話していた。

それ以来訪れることもなかった護国神社会所で山の辺の道「奈良道」を守る会主催の第2回フォトコンテスト表彰式が行われた。

この日の表彰式は会の総会もある。

入選した写真は2月の奈良市入江泰吉写真美術館展示を皮切りに各施設で巡回展示が行われていた。

この日の表彰式に合わせて戻ってきた写真展会場。



聞き覚えのある声が聞こえてきた。

声の主は八島町で六斎念仏をされている鉦講の代表者のⅠさんだ。

平成21年3月15日に行われた涅槃の念仏の取材以来、親しくさせてもらっている。

今回、第2部門で奨励賞をいただいた6枚組の「山の辺の道の行事」のうち一枚は「八島のチャンカラカン」。

太鼓を打つ姿を撮らせてもらった。

組写真は「奈良道を繋ぐ伝統行事」をサブテーマに「奈良市山町・当家のマツリ」、「奈良市池田町・池田のタイマツ」、「奈良市古市町・古市のセンゲンサン」、「奈良市八島町・八島のチャンカラカン」、「奈良市今市町・彼岸のコネンブツ」、「奈良市高畑町・新薬師寺のおたいまつ」で締める6枚組だ。

代表がご存知の人も写りこんでいる。

話題が広がる奈良道の各地域を取材させていただいたお礼の意味もあって応募した。

きっかけは守る会の理事でもあるTさん。

山町の当家のマツリでお世話になった。

初めてお会いしたのは平成18年10月8日だったと思う。

その日以来度々お世話になっている。

初回展示会場の奈良市入江泰吉写真美術館で紹介してくださった高樋町のOさんも理事を務める。

この年の3月より高樋町の行事などもご案内してくださり取材もさせていただいた。

ありがたいことである。

指定された席に座る。

両隣のお二方も奨励賞の受賞者。

お一人は高樋町のマツリをとらえた「祭事伝承」の作者であるYさん。

もう一人のOさんは藤原町をとらえた「白山ひめ神社」のマツリだ。

組写真でマツリの様相がよく判る地域密着の写真を拝見して出かけたくなるのだ。



奈良県護国神社にあった山の辺の道を案内する名所旧跡巡りをしてみるのもいいだろう。

(H27. 4.30 SB932SH撮影)
(H27. 4.30 EOS40D撮影)
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小林町新福寺信徒会館「愛染」落成式

2016年02月25日 09時16分33秒 | 大和郡山市へ
3月3日、建て壊す前の本堂で行われた「オコナイ」行事。

大和郡山市小林町の新福寺観音堂は、その後に行われた4月21日のお大師さんの日に解体されてすっかり消えた。

平成25年3月、境内に併設する杵築神社は新しく造営された。

そのころから話しが持ち上がっていた観音堂の再建築。

創建は不明だが、お堂に残されたぬ棟札から、元禄九年(1696)に屋根などの解体修理があったことは事実である。

それから318年も経過したお堂は朽ちて今にも倒れそうだった。

いつしか再建したいと話していた住職。

新公民館(土地改良区事務所)が平成17年に建てられてからは利用することもなくなった旧公民館も朽ちていた。

いっそのこと両建物を再建したいという思いが募って新築を決意された。

2年後に新築される新福寺観音堂は昭和43年4月の屋根瓦改修の際に発見された棟札が残されている。



表面は「奉 上棟大工小泉六兵衛同新五郎 年寄権兵衛・勘兵衛・喜右衛門」、「丙子」、「元禄九年(1696) 法隆寺傳兵衛同九兵衛同龍田忠兵衛 二月廿五日當村庄屋喜平治同九兵衛」とある。



裏面は「新福寺沙門高者 左座一喝 吉□・九右衛門・西順禅門・・・・・古座一喝弥治右衛門・・・弥右衛門・・」。

左座・古座は現在の左座・右座。一喝は長老一老の呼称であろう。

小林町の氏神さんを祀る杵築神社の祭祀を務める宮座衆である。

屋根改修の棟札だけに創建はもっと以前を考えられているが、時代年期は伝わっていない。

この日は祝いの落成式。

旧公民館跡に建てた新築の信徒会館の落成式である。

檀徒信徒が集まる会館に村人や住職知己の人たち大勢が祝いに参集する。

お堂を壊した跡地の傍に地蔵尊がある。



かつてはこの場で尼講の人たちが地蔵盆の数珠繰りをしていた。

新公民館が建ってからはその場に移って年に数回の行事を営んできた。

落成式を終えた今夏の地蔵盆は信徒会館で行われるようだ。



信徒会館の愛称は「愛染会館」。

盗難に合わないように観音堂本尊とは別に愛染明王座像は本堂庫裏に保管していた。

隠されていた愛染明王は信徒会館落成を記念にご本尊として安置することを決断された住職。

信徒会館は檀徒が利用するだけでなく、例えば水害などが発生した場合の避難場所としても活用できるようにしたという。

尼講が営む涅槃さんがある。

掛図はとても大きくて新公民館では下部がはみ出ていた。

畳にだらりとする状態であった。

尼講の申し出は「掛図も掲げられるようにしてください」だった。

願いを叶えた信徒会館の天井はいくら背伸びをしても届かないほど高くなった。



その場に座る尼講たちはこれよりお茶会によばれる客人だ。

丁重にお臼をいただく尼講は16人。



ほぼ全員が参集された。

お茶会をもてなす子供たちは市立大和郡山南中学校の茶道部。



卒業した高校生も応援するお茶会のおもてなしである。

住職はかつて校長先生も務めた教育関係者。

教え子が多い。

南中学校の校長先生もその一人。

「このようなめでたい場を協力させていただくことはありがたいことだ」と話す。



茶道部の女子は村の子もいる。

「記念に写真を撮ってや」と云われるがどれがどの子か判らずあたふたする。

落成式の日は小林町の「川掘り」に合わせて日程された。

出来る限り多くの村人に参集していただけるようにそうされたのだ。

人足を務めた村人たちは普段着で参集する。

村の仕事は時間がかかる。



婦人たちも人足となって作業をされていた。

「化粧もし直さなあかん」と云って一旦は家に戻る。



田起こしもしなくてはならないこの日は忙しい。

蓮華坐に座る本尊愛染明王は若干の補修をされた。

台座を探してみたが見つからなかった。

仕方なく新しい台座を製作されて付け加えた。

落成式法要に支援する僧侶とともに拝見した愛染明王は一面六臂。

憤怒の形相で睨みをきかせる。

本尊左右は新たに購入された曼荼羅図。



花立を添えて中央に、三段構えで設置したバックライトで美しく照らす。

この日は目出度い紅白の鏡餅を供えた。

獅子頭の宝珠冠を被る愛染明王。

六手に五鈷鈴、五鈷杵、弓、矢、蓮華などの持物をもつ。

伝わる話しによれば大和小泉藩二代目・片桐石州(貞昌)が寄進したようだが真偽は判らない。

寛文三年(1663)、石州が父親菩提のために建之したのは小泉町にある慈光院。

新福寺観音堂の建之はそれよりずっと以前の昔である。

落成式は愛染明王開眼および落成慶賛の法要だ。



ローソク、線香に火を灯した内陣の席は来賓者がつく。

襖を外した会館はびっしり人で埋まった。

祝いの日が来るまでなにかと忙しかった住職。

鐃祓を打ち鳴らして即興でつくられた開眼表白を唱える。



鐃祓を打ち鳴らして開眼法要をされる。

信徒会館は参集した村の人や教育関係者で満席になった。



続いて般若心経を唱えながら散華。

立ち上がって参進。撒く散華の枚数はおよそ200枚。

会館を出て館外で立つ村の人らにも行われる。



それら法要を終えて焼香。

僧侶は般若心経を唱える。

溢れて外で待つ人らにも焼香を願って香炉を玄関口に移動された。



長い行列になった焼香の間も般若心経を唱えられる。

落成式を終えたあとは住職ふるまいの膳をいただくが俄かに小雨が降りだした。

村の人たちは新公民館でヨバレ。

招待された私は信徒会館でヨバレ。



大和小泉駅前通りにある寿司・会席・折詰・幕の内・・なんでもこいの仕出し料理屋「富味寿司」調整の特別料理を味わう。



とても美味しくいただいた料理に舌鼓が跳ねる。

この場を借りて感謝申しあげる。

(H27. 4.21 EOS40D撮影)
(H27. 4.29 EOS40D撮影)
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台湾料理吉味のラーメンセット

2016年02月24日 09時42分15秒 | 食事が主な周辺をお散歩
念願の杉穂祝いコイノボリを撮影させてもらって食事処を探す。

探すといっても目的地は決めていた。

場所は取材地からそれほど遠くない信号交差点にある台湾料理店だ。

ここは昨年の8月7日に入店したことがある。

美味しい台湾ラーメンもあるが、この日はお腹の減り具合でラーメンセットにした。

駐車場は満杯。

店内も満席だった台湾料理店にどことなく違和感を覚える。

昨年に入店した台湾料理店は赤が目印。

真っ赤に塗装されたお店は各地で見られる台湾料理店と同じであった。

同じ場所なのになぜか。

色は白色で外装も違っていた。

入店して店名が判った。

以前は「福順園」だった。



その証拠に赤色の「福」文字がガラス窓に残っている。

消し忘れたのであろう。

「吉味」になった台湾料理店はオーナーが替わったのかどうか知らないが、台湾料理に違いない。

とにかくお腹が減って仕方がない。

メニューを広げて注文する。

税込みで650円のラーメンセットはラーメンと飯をそれぞれ選ぶことができる。

お好みのセット組み合わせは自由だ。

ラーメンは台湾ラーメン、台湾豚骨ラーメン、醤油ラーメン、豚骨ラーメン、塩ラーメン。

飯・丼類は台湾炒飯、炒飯、高菜炒飯、エビ炒飯、中華丼、回鍋丼、麻婆丼に天津飯だ。

組み合わせて多種多様。どれでもいいのだが、この日はいつも食べている台湾ラーメンを替えて台湾豚骨ラーメンにした。

飯物は中華丼で注文した。

お客さんは多い。

注文されてから待っている家族連れもあれば二人連れも。

日曜日の13時台にも関わらず満席の台湾料理店。

子供さんも美味しくいただけると評判にリピーターが多いようだ。

いつもなら僅か数分で配膳される台湾ラーメン。



この日のセットメニューは15分も待った。

台湾豚骨ラーメンは辛くもない甘めの味だ。



豚骨といっても脂濃さは感じない。

振りかけていた胡麻でそう感じるのだろうか。

中華丼もやや甘め。



どちらも子供向きの味だと思ったが決して不味くない。

美味しいのである。

中華丼はなんせ具材がたっぷり。

香物にはなかなか手がいかない。

香物は日本的な味でご飯が美味しくいただける。

ラーメンも丼もミニではなく一品と同じ量。

たらふく食べてお腹がパンパンに膨れ上がった。

満足する台湾料理はどことも同じだろうが、セットメニューの金額はやや差異がある。

(H27. 4.26 SB932SH撮影)
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出合町で念願の祝い杉穂のコイノボリ

2016年02月23日 09時00分19秒 | 橿原市へ
知人のMさんから連絡があった。

「橿原のほうに杉の葉があるコイノボリを見た」というのだ。

これは行かねばと思って急行する。

だいたいの地を教えてもらったが判るだろうか。

たしかパン屋の近くだったと云っていた。

ひとまず駐車してみようと思って辺りを見渡せばコイノボリが泳いでいる。

てっぺんは確かに杉の葉っぱがある。

ここはどこだろうか。

もっと近づいてみようと思うが近くに寄れない。

ぐるぐる細い道を通り抜けたら広い敷地。

真新しい支柱は間違いなく杉の木。

話しを伺いたく呼び鈴をピンポーン。

出てこられた奥さんは35歳。

取材目的を伝えて伺う。

これまでマンション住まいだったと話す奥さん。

生まれたときは団地サイズのミニコイノボリを揚げていた。

旦那さんの仕事先の関係もあって広い敷地がある当地に移った。

子供は5歳、2歳の男児に成長していたが、新築した機会に念願の杉穂をつけたコイノボリを揚げることにした。

奈良では誕生祝いに実家が贈る風習がある。

奥さんは長男初誕生に杉穂つきの支柱を立ててコイノボリを揚げる風習を知っていた。

母親に頼んで贈ってもらった。

憧れだったという。

「長年の思いがやっと叶いました」と話す。



コイノボリは真鯉に緋鯉、紺色の長男鯉に緑色の次男鯉も青空に泳いでいる。

丸字にミツガシワは家紋。

コイノボリを製作するお店で作ってもらった吹き流しは親の真鯉とともに大空を泳ぐ。

「広重名所江戸百景」に描かれているコイノボリは真鯉が一尾。

江戸時代はそれだけであったようだとテレビのニュース映像が伝えていた。

子供は成長して幼稚園児になっていたが、念願のコイノボリは彼岸が明けた「いい日(大安)」に揚げたという。



広い敷地に立てたコイノボリ。

距離を離してみても、どこからでも見られる。

幼稚園児らはこの下にゴザを敷いてママ友たちが作ったお弁当を食べていた。

みなが喜んでいたのが嬉しかったという。

コイノボリの支柱の杉葉は時期が終われば降ろして伐りとる。

そして来年は矢車に替えて揚げる。

奈良県内で度々耳にするこれもまた風習だ。

ちなみに奥さんが云うには三重県には子供の名前を記した武者絵のノボリが見られると話していた。

(H27. 4.26 EOS40D撮影)
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萱森の花模様

2016年02月22日 09時43分44秒 | 自然観察会(番外編)
荒起こしをされていた田主の所有地にはいろんな花があった。

名前の判るものもあれば、蕾状態で判断つかないものもある。

数日後に訪れるが花時期は大きく変化しているであろう。

目線を下に降ろした。



そこに咲いてあった小さな花はカキドオシだよな。

これから開こうとする白い蕾がぎっしり。

たぶんにこれはヤマアジサイなのかそれとも単なるガクアジサイなのか・・さっぱり・・。



コバノガマズミかもしれない。

またまた判らない蕾を発見。

黄色の花になるのか、朱色なのか。



さっぱり判らないが、後日に黄色い花だと話していた。

山里田園を離れて山間道路に出る。



これはホウチャクソウでしょう。



ここらあたりにはマムシグサがどっさりあった。

葉っぱの文様で判るホトトギスですが、花色は初夏にならんと判らない。



10月に白い花が咲くといっていたが・・・。



田を見下ろす畦地にあるクワの木。

芽が出た若葉に小粒の花がある。

小さい花はルーペを要するが持ち合わせていない。



背景に散りヤマザクラを入れて撮ってみた。

太夫さんが云う。

ここには散り状態になったヤマザクラもあるが、他にもいろいろあるという。



やや終わりかけの八重の桜もある。

遠目では薄い緑色であった八重の桜。

写真に撮ってみれば白っぽい。



御衣黄と思ったがどうも違うように思えた。

(H27. 4.26 EOS40D撮影)
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萱森の田起こし

2016年02月21日 09時57分23秒 | 民俗あれこれ(四季耕作編)
小夫嵩方より山間を南下する。

芹井・白木・中谷など大字を巡るが水張りは見られない。

ここら辺りでは小夫嵩方が一番早いという氏子総代のいう通りだ。

中谷辺りだったろうか。

杉林の向こう側で田起こし作業をしている人にであった。

ヤマザクラが咲く下の田をヤンマー製のKe-14耕運機で荒起こし。

回転するナタ爪が土を起こす。

一面の田を起こしたら機械を替える。



今度の機械は手で押すタイプ。

遠目では判り難いがどうやら畦作りのようだ。



車を停車して田に降りる。

シシ囲いをしていた土地に民家がある。

住まいはしていないようだが資料館の看板があった。

資料館の冠名は萱森住民の太夫さんの名字。

マツリごとで度々取材させてもらっているご仁だ。

近づけばまさにその通りのご主人。

「なんや、あんたやったんや」と云った。

私もそう思って田に降りたと伝える。



田起こしは一人作業。

耕運機と畦塗り機を乗り換えて作業を進める。



歩行型畦塗りをしていた機械も同じくヤンマー製。



型番はMK8・DXGの歩行型機械だ。

エンジンはGA210フィンガースタート。

右側にセットした畦塗り機械が横からも上からもパタパタと土を叩いて畦を作っていく。



午前中では終わることのない山間部の田起こし作業。

昼ご飯を食べてから再開すると話していた。

(H27. 4.26 EOS40D撮影)
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小夫嵩方の田植え初めのハナカズラ

2016年02月20日 09時45分54秒 | 桜井市へ
この年は2月22日に祈年祭の御田祭が行われた桜井市の小夫嵩方。

神事を終えて天照皇大神社に奉られたハナカズラや松苗は家に持ち帰る。

再び登場するのは田植え初めの日だ。

村では一斉に田植えをすることはない。

村で所有する田植え機は1台。

それを運転するのも一人。

それゆえ各戸が田植えをするには順番待ち。

26日辺りからGWまでの期間に一軒、一軒が順番に田植えをされる。

長丁場だけに、すでに代掻きを終えた処もあれば田植え待ちもある。

早い家ではこの日。

土、日、祝日にされる家が最も多い。



田んぼに水を張っていた田植え待ちの家にはヤマブキとヤマザクラが咲いていた。

代掻きをしていた家もある。



その辺りに咲いていたウワミズザクラ。



山間に咲く自然木の美しさに感動してじっと見ていた。

水田を探してみれば1カ所で田植えが済んでいた。



地元住民の話しによれば前日にされたそうだ。

その田にハナカズラと松苗が置かれてあったがイロバナは見られなかった。

我が家は5月3日の朝7時から始めると話す男性Hさんは他の田主さんを紹介してくださった。



田主婦人がいうには「旦那さんがしやはったんやけど、イロバナは田植えが終わってからしますねん」と云った。

4月29日は、K家とT家の2軒がするが、だいたいが5月GW中の3日間。

いずれも朝7時ころになるらしい。

小夫嵩方の畦廻りは波板のトタンを設えて畦土が崩れないように囲っている。

パイロット事業の関係で当地はいずこもトタン囲い。

ただ、全面に設えるわけではなく、片面だけにしていると村総代が話す。

村で所有する田植え機運転手の件も話してくださる。

何故に運転手は一人なのか。

運転手は田植えのプロ。

ヘタであればまっすぐにならない。

専業プロであればまっすぐになる。

そういうことである。

ちなみに田植え機は新規購入した機械だ。

この年は試運転を兼ねている一台である。

雨が降れば一日遅れ。

順繰りにずれる。

苗は購入したJA小夫に取りに行く。

わざわざ取りに行くのは費用の節減。

苗を当地に運んでもらうには一枚当たりの費用がかかる。

苗が100枚ともなれば云万円にもなるそうだ。

(H27. 4.26 EOS40D撮影)
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