マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

なんばこめじるし・天ぷら大吉難波店の店主おすすめセット

2021年10月31日 09時09分56秒 | 食事が主な周辺をお散歩
テレビ放映で知った大阪・堺にある絶品天ぷらを提供するお店。

その名も天ぷら大吉であるが、堺が本店の天ぷら大吉の特徴は開店時間にある。

どこでどう知ったのか、知らないが来店客が入店する時間は深夜

なぜに、である。

本店がある地域は堺の魚市場の一角。

深夜の午前0時から午前9時ころまでが営業時間。

もう一つの特徴が食べた貝汁の後始末である。

深夜に賑わうお店も不思議だが、もっと奇妙なのが食べたアサリ汁の貝殻である。

その殻は床に撒かれている普通では考えられない殻捨て。

お客さんが勝手にしだした行為なのか、それとも店主の指示によるものなのか。

ずいぶん前に放送されたキャプションによれば、掃除が行き渡らなくなり、いつの間にか自然とそうなったらしい。

云えば、自慢のあさり汁がとても美味しいと評判。

ただ、食べた貝殻を食べていたその場の床下に落として捨てるのが、大吉スタイル。

現地はほとんど存じている大阪・住之江暮らし。

生まれ育ってより近い大和川を越えた南の地になる堺の鉄砲町、七道、三宝、綾ノ町、宿院、出島、大浜に浜寺。

他にもいろいろあるが近所に住む子らと走り回って遊んでいた地域。

テレビ放映を見て、あそこだ、と認識した天ぷら大吉本店。

テレビで放映していた映像は深夜から昼間営業(※実は勘違いをしていた私。昼間営業されていたのは堺・本店でなく平成19年にオープンした2号店の難波店である)も。

ならば、大和川団地に住むおふくろを連れていってやりたい。

いつかはそうしたいと思っていた日々。

2月4日に放映された関西テレビの人気番組であるよーいドン!の本日のオススめ。

なんと、天ぷら大吉が大阪・梅田の中心地に出店したという。



そのコーナーにちょこっと紹介された難波店。

2件の写真展巡りに丁度の昼メシどきを合わせて立ち寄った天ぷら大吉難波店。

番地で調べりゃなんばCITYの南側を示す。

写真展から天ぷら大吉難波店までの徒歩コースは決まった。

ざっくりしたマップを印刷して探す天ぷら大吉難波店。

何故に印刷物なのか。

私が所有する機器はスマホでなくガラホ。

こういうときは印刷物に頼るしかないのだ。

歩けど、歩けどたどり着かない天ぷら大吉難波店

さてどこにあるんだ。

あとでわかったのだが、所在地は、なんばCITYの本館でなく南館だった。

それもずっと奥の奥。

なんばワークスにほぼほぼ近い南寄り最奥の食タウン「なんばこめじるし」の一角にあった。

店前に立てたお品書きのランチメニューは5品。

1000円のボリュームセットがA。

800円の店主おすすめセットがB。

同じく800円の天丼セットがC。

同じく800円のレディースセットがD。

全品にあさり汁またはたまご汁に小鉢付き。

最下段のランチセットは、土曜日限りの限定メニュー。

その差がわからない。

テレビで見た大阪・ホワイティー梅田店(※梅田地下街・泉の広場)のメニュー(※日替わりのおすすめ小天とじ丼のランチセット1000円)とはまた違うし、堺・本店とも異なるランチメニュー。

夜はまず来ることがないから、堺・本店にないランチメニューを口にできるのが嬉しいが・・。

行列はなくともお店は混みあっていた。

中高年の男性グループ、職場仲間の女性に独り組も。

小人数かけのテーブルもあるが、カウンターも。

天ぷら大吉の開店時間は午前11時半、着いた時間は正午の12時10分ほぼ満席だが、カウンターは1席だけが空いていた
お独りさん、ご案内~、と指示された高い位置の椅子に座った。

選んだメニューは800円の店主おすすめセット。

大吉の天ぷらを味わうなら、丼でなく天ぷらである。

ボリュームセットとの違いがわからないから店主のお奨め。



当然な選択である。

汁椀は、たまご汁にした。

座席下にいっぱい散らかっている状況を見て食べる気が起こらない。



お店の特徴であるが、私はどうも気がのらんからたまご汁。

注文してから天ぷらネタを揚げる大吉。

尤も天ぷら屋さんは、どことも揚げたてを食べさせてくれると思うが・・。

3~4分待って配膳された店主おすすめセット。



穴子に海老、蓮根、カニカマ、ソーセージの5品。

たっぷりの大根おろしに浸けて食べてもらう天つゆが凄い。

ご飯は少なめの盛り。

小鉢はなんと、たこわさである。



日替わりだから、今日は当たり。

どれもこれも旨い大吉のランチめし。

見立ては上品でないが、味は美味い。

特に美味いのはご飯だ。

ほっこり炊いてくれたご飯が美味い。

両隣に座るのお客さんはみなおかわりしていた。

さて、天ぷらの旨さである。

特に穴子が美味い。

たぶんに大阪湾に生息する穴子であろう。

泉佐野漁港の水揚げか知らんけどほくほくする穴子は絶品。

海老は標準サイズ。

天丼やボリュームセットの海老はもっと大きい。

そのように見えたのは隣の芝生、であるが・・。

断トツに旨いのがカニカマ。

大きさは違うけど丸亀製麺で食べたんと同じように旨い。

最近にわかったことだが、一般的に売られているカニカマも天ぷらにすれば、みな美味しい、と、かーさんが云っていたが・・。

なかでも味わい深かったのが玉子汁。



何故か落ち着く優しい味の玉子汁。

玉子とじの量が半端じゃないくらいにある。

一杯を食べる時間は予想以上にかかる。

それにしても小皿のたこわさの旨いこと。

これで800円は安い。

おかわりできる天つゆにおろし大根も旨い。

機会あればまた行きたい大吉であるが、客の出入り、注文を受けたときの声が異様にうるさい。

(R2. 2.12 SB805SH撮影)

戎筋からなんばCITYを経てなんば近鉄駅ナカごちぶらなんば

2021年10月30日 09時29分19秒 | もっと遠くへ(大阪編)
天ぷら大吉難波店の地を探す行程に食事処がいっぱい。

あるある食事処はまたの機会にと思って映像に残しておこう。

拝見した写真展は2カ所。

大阪・中央区本町の富士フイルムフォトサロン大阪に同区難波にある富士フィルムイメージングプラザ大阪。



輝く作品に感動をもらった写真展。

その会場から歩いて天ぷら大吉を目指すのであるが、距離はまぁまぁある。

帰宅してからざっと測った距離は800m。

なんだ、それくらいだったのか、と思った距離は、体感ではもっとある。

1kmはとうに越えていたと思うのは、途中で迷ったことが要因であるが・・。



地上にあがって千日前通り。

信号の角を南に折れて戎橋筋商店街の通りへ。

まっすぐ南へ、南へ行けば信号向こう側に難波にある高島屋大阪店。

その際を道路に面した歩道を南下する。

地下街に入ればたぶんに道に迷うと思って地上の景観を観ながら歩いていた。

ここら辺りはなんばCITYの端にあたる。

サラリーマン時代はそこまでしか知らない。

仕事を辞めてからできたなんばパークスはまったく知らない。

歩いていけば、なんばパークスになるよとかーさんに云われていたが、私が目指す施設はなんばCITY。

あの懐かしいロケット広場のロケットは撤去され、今や見ることはない。

角にあったお店は、千日前コッテジ



韓国料理のサムギョプサル専門店。

ビジネスマン時代にはなかったお店。

ランチは、どの「お重」も食べてみたくなるが、そこにたどり着く前に通りがかった和食のお店も食べてみたい。

戎橋の通りに突入。

賑わいは少し寂れたのは新型ウイルスことコロナウイルスの影響。

むしろこの状態の方が移動しやすい。



「わなか」のたこ焼きは、20選にあげられるほどのお奨めの人気店

私は行ったことはないけど・・。

ちょっと筋を入ったところのお店に誘惑されそう。



全品が280円均一の店は「九州だんじ」の難波店

宴会向きの感じは、幹事に連絡乞う。



お昼の定食メニューが税別550円から、いろいろある。

次の筋にあったお好み焼き「千房(ちぼう)」のエレガンス戎橋店



実は、お店よりも向こうに見える懐かしい建物が気にかかる。

ベテラン歌手が歌う歌謡ショーに群がる女性陣が目立っていたその建物は、昭和33年に開場した「大阪新歌舞伎座」。

老朽化が進んだことから平成21年の6月に閉館した。

戎筋アーケードを出たら目の前に百貨店高島屋がある。

信号を渡って高島屋の東側のへりつたいに歩道を、ぐるっと行くその建物が施設なんばCITY

地上を歩いていてもそのデカさはわからない。

南海難波駅の改造工事に伴って開発された大型ショッピングセンター。

昭和55年3月に全面開業。

百貨店を傘下にない南海電鉄が初めて手がけた大型商業施設。

その3年前は、私の生まれ故郷の大阪・住之江区から通っていた南海本線・住之江駅の高架化だった。

昭和45年3月に高校を卒業し、ビジネスマンになった大人時代もずっと通勤利用していた南海本線が懐かしい。

さすがに高校生時代は、難波に出ることはまずなかった。

大人になれば友達も一変する。

遊びに飲食をともなう仕事帰りに立ち寄っては居酒屋行き。

映画館にも結構出かけていた難波界隈。

尤も幼少のころは、親父に連れられて南海ホークスの本拠地である難波球場にもよく行ったものだが、記憶は断片的。

プロ野球は大毎フアンから高校時代に移った阪神フアン。

以降、変わらずであるが、リーグ戦に日本シリーズの優勝以来の数年後から、熱は完全に冷めきった。

熱意を失ったのは時間に使い方である。

残された人生は民俗行事の記録一本。

取材、撮影、編集に記事の公開が中心になった。

執筆する時間が大切になったころから観戦に使っていた時間のすべてを執筆に充てた。

話題は難波界隈の食事処に戻そう。

目指す食事処は、天ぷら大吉難波店だ。

難波に出る機会があれば、是非とも食事を、と思って探したなんばCITY。



本館、南館にある食事処などを明示する案内表示が見つかった。

なんばCITYの外壁にない案内表示。

ならば、館内に入るしかないとちょっと中に・・あった。

案内表示にある店舗を1軒、1軒を探してみたらあった。



天ぷら大吉は、1階にある“なんばこめじるし”食事ゾーン。

ゾーンマップにある所在地は、内部をうろうろするよりも屋外から行く方が見つかりやすい、と思ってまたまた歩く。

天下の台所と称する大起水産。



馴染みのある大起水産は奈良県内にも店舗があるし、これまで何度も出かけてお寿司から魚介類に総菜もたびたび買って味わっているが、難波店なら居酒屋そのものの形態だろうな。

ここは牛しゃぶしゃぶすき焼き食べ放題の但馬屋。



お気軽しゃぶしゃぶに800円ランチの豚しゃぶがある。

定量とあるから豚肉は一定量。

だが野菜は食べ放題とくれば女性向けのヘルシーさを狙っての豚しゃぶであるが、アイス付きとくれば元もこうもない。

しかし、まぁなんですな。

南館の1階にあるという“なんばこめじるし”食事ゾーンが遠い。

なかなか目的地に近づけない。

もう一度館内に入って地図を確かめたら、一番奥になる最南端。



あーしんど、もあるけどお腹減った。

時間帯は正午前だが、普段より歩きが多いこの日にままエネルギーを使っていたようだ。

お腹が減っている状況に、探して廻る食事処。



ついつい冬のご馳走看板にふらぁーっとする信州そば処のそじ坊。

紅ずわい蟹ちらしも、帆立貝柱しらしも873円。

うーん、まいったなぁ。



次の店は北新地鳥屋

選べる唐揚げ定食も、チキンカツ定食も900円もあれば日替わりランチも900円だった。

次の店は・・。

こうしてお店を巡っていくが、もっと他にもあることを知る。

が、携帯画像に収めたお店は私の食べたい食事処。

入店はしていないが、お店の雰囲気がわかるように撮っていた。

で、次の店は、SABER+なんばCITY



鯖魚はよく食べる魚介類。

一番に多いのは〆鯖。

酒の肴の筆頭に値する。

2番手は鯖の塩焼き。

脂ののった塩焼きがたまらん。

3番手が、あったら即買いしたくなる焼き鯖。

焼き鯖と言えば、本場の発祥の地の若狭しか考えられなかった。

鯖街道のいわば出発地である、福井県に売っていた浜焼き鯖。

大きく口を開けたそこに箸を尾っぽの先まで通して丸ごと焼く串焼き姿の鯖

初めて食べさせてもらった福井県小浜の朽木屋。

住まいする地区の納税組合の旅行に立ち寄った土産処にあった売れ残り寸前の串焼き鯖。

1本が500円で売っていたから、お安いと思って2本買い。

旅行から戻ってきた自宅で食べる焼き鯖の美味いこと。

このときもまた脂がのっていた。

丸々肥えた焼き鯖味を堪能した記憶は、今でも舌が覚えている。

食べるという点においてのベスト3は、以上であるが、取り上げたい特上の一品がある。

奈良県の東部山間地の一部でしか見ることのない鯖がある。

なぜに海がない奈良県に鯖が・・。

流通ルートは鯖街道の延長線上にあると、ある学者が云ったらしい。

お会いしたこともないし、名も知らない学者の手がかりは持ち合わせていない。

だが、金沢市図書館に所蔵の日置謙編『加能郷土辞彙』に、「サシサバ(刺鯖)」記述があった。

「・・・宝暦の調書には、羽咋郡西海刺鯖、風戸・風無・千浦・赤崎・前濱・村から御用に付き指上げるとある。刺鯖(サシサバ)の製法は、背割りにして内臓を去り、3、4時間水に浸して血液を去り、水滴を除き、鯖生目30貫目を■13貫目にて、約1週間漬け、清■の溶液で洗浄し、同大のもの2尾宛を重ね刺し、ハサに掛けて乾かすこと1週間にして、■柱の結晶するを期とし、魚簗の上に■筵の荒く厚きものを敷き、その面に鯖を格子状に積むこと高さ六尺に及び、周囲を筵及び菰で密閉し、十日許を経て脂肪の浮き出で橙黄色を呈した時全く功程を終る」。

興味深い宝暦時代のサシサバの作り方であるが、食べ方、味については言及されていない。

ただ、このサシサバが奈良県の東部山間地に伝わったという証言もない。

私の調査では、その流通源は、和歌山新宮であった。

ここでは詳しいことは書かないが、食べた味はとてもしぉっからかったことだけは伝えておきたい“サシサバ(※刺し鯖/挿し鯖など)”は、『サバが好き!旨すぎる国民的青魚のすべて』に執筆したコラム文にサシサバ写真を添えているので、参考にしていただきたい。

“サバ”はどうもネタまで拡がりをみせてくれる大衆魚であるが、生サバの危険性はアニサキスの一点張り。

生サバの刺身はむちゃ旨いが・・・。

さて、次のお店はどこのお店なのかわからんが、690円で食べられるロースカツ定食が気になった。



各種定食いろいろ有りぃーの、に、牛すじ土手焼きの文字も気になる。

次の店はカレー屋さん。



昨今、大阪はスパイスカレーが大流行り

食べたければ狙いを定めて出かけたいものだが・・。

930円の三田流カレーつけ麺に惹かれたお店は、つけ麺専門店の三田製麵所なんばCITY



つけ麺、ざる麺が好物になった今にカレーつけ麺があったとは・・。

スパイシーカレーと合体したコシの強いつけ麺は是非とも味わいたいものだが、トッピング付け足すたびに価格が上昇するのが難点。

うーん。

おっと、ここで行列に遭遇する。



ここが本日狙いの天ぷら大吉だと思い込み。

行列に並んだところでハタと気づいた次第。

お店は、「いいもん うまいもん 大阪産」の幟に「楯野川」。

さて、ここは・・居酒屋。

お昼も提供するダイニングステージ佐海屋

ようやくたどりついた「なめここじるし」コーナー始めある佐海屋が提供するランチ目的の行列だった。

「なめここじるし」の端っこがわかれば、あとは建物外壁に沿って歩けば、目的地に自然と着くであろう。

こういうなんでもありーのを知らせる立て看板が紹介する食事を摂りたいものだ。

お店は、とりとうどんと元気な酒が謳い文句のはっぷう(八風)なんば米印店は、カレー居酒屋さん。

食べたくなるメニューに目がキョロキョロ動く。

あぁー、とり天に豚バラ肉盛りのなんばカレーうどんを喰ってみたい。

美味そうなカレーうどんを横目で見ながら歩く次の店は、ホルモンが専門と思われるスタンドホルモンのアソビーフ。



夜のコース行きの立ち飲み屋利用だな。

その左隣のお店が主たる目的の天ぷら大吉難波店



心斎橋筋から歩きだしてやっとこさのことで着いた。

その行程時間はなんと40分だった。

美味しい食事を済ませたらUターン。

天ぷら大吉の定食を味わう目的以外に何もない。

帰りの行程もまた難波パークス・なんばCITY。

食事処はもういいが、現況を見たくなったカメラのキタムラなんばCITY。

こんな雰囲気だったのかなぁ、とまるで浦島太郎のような心境に陥る。

当店舗に転勤された今は廃店になったカメラのキタムラ奈良南店の副店長のTさんが居たら、と思っていたが・・。

ざっと見渡して立ち去るカメラ店。

次もまた懐かしいロケット広場。

待ち合わせ場所としては絶好地だったが、実物ロケットは平成19年8月に撤去され跡形もない

記憶が蘇る懐かしい映像を見せてくださるブログに感謝する。

帰りの足取りは重たい。

疲れが出たのか、また鉄分欠乏症になったのか・・。

住まいが住之江だったころは、南海本線。

地下鉄通路を歩いて地下鉄御堂筋線の乗り換え。

その地下鉄駅の反対側にある近鉄電車難波駅の駅構内にたくさんの食事処が並ぶ。

いやゆる駅ナカの商業施設「タイムズプレイス難波」内の飲食ゾーンの「ごちぶらなんば」のオープン。

昨年の7月に、店舗を順次開店にリニューアル。

歩いて立ち止まる度に拝見に、こんなお店があったんだ。

これは絶対に落としたらアカン絶品ものだと思った肉肉豚辛うどん・そば。



提供する店舗は、揚げたて天ぷら麺が美味しくて格安が評判の立ち食いそば・うどんの粋麺あみ乃や大阪難波店

すきっ腹でないひる飯時間帯に一杯を食べたくなる。

次のお店は、寿司ランチを提供する立ち食い寿司魚がし日本一近鉄難波店



300円のねぎとろこぼれが美味そう。

他にねぎとろこぼれアレンジものがあるが、必要性は感じない。

寿司専門なら無用のメニュー、と思うのは私だけだろうか。

ここまで来れば駅ナカの最も奥のコンコース入口。

そこにあった串カツ店。

へぇ、こんなところにあったんだと驚いた串カツ田中近鉄難波店



テレビで度々取り上げられる評判の串カツ店。

おっさん酔客から家族で楽しめるように転換した串カツ田中の経営戦略が素晴らしいが、悲しいかな近畿圏内に奈良県はゼロ店舗(令和2年6月現況)

なぜに空白の県なんだろうか。

そこが悔しい串カツ田中。

ひとつ検討のほどよろしくお願いしたい。

ところが、だ。

店内に灯りがない。

なんとなくおかしな雰囲気。

利用する間もなく、閉店していたとわかってガックシ。

それにしても開店間もないうちの閉店。

なにがあったんだろうか。

レビューにあるご意見は不満が多く目立つ。

さらに調べた結果、令和2年5月22日に閉店お詫びのお知らせ

新型コロナウイルスの影響が大きかったように思える。

〆に紹介する食事処は、写真を撮らなかったなにわ麺次郎

買い出し、ではなく貝出汁の味、香りが凄いらしい。

(R2. 2.12 SB805SH撮影)

吉野町・山口の牛滝まつり

2021年10月29日 10時03分12秒 | 吉野町へ
昭和28年に発刊された『奈良県総合文化調査報告書-吉野川流域・龍門地区-』によれば、牛滝社は大淀町の馬佐だけでなく、吉野町の山口・志賀、大淀町の比曽、高取町の壺坂にもあったようだ。

平成25年9月16日、その一行にある大淀町の馬佐に伝わる牛滝まつりを取材した。

その後の平成28年8月24日に訪れた吉野町・山口は、夜間にゴクマキをしていた。

行事は地蔵盆。行事を終えてから話してくださった山口の年中行事に、9月1日の八朔盆踊りがあった。

八朔行事をした夜に盆踊り。

今や、ここ山口だけでなく、奈良県内の盆踊りは、とんと見られなくなった。

山口もたぶんにそうであったとして二百二十日の八朔日は、大風がやってくるころ。

せっかく育った稲も倒れる時季。

生産者にとって荒れる大風が来ないように、と祈願。

豊作を願う八朔行事を拝見したく訪れたが・・・。

時間帯も聞いていなかった八朔行事。

お店の方ならご存じでは、と思って尋ねた。

一段下がった位置に建つ商店。

伺った女将さんが云うには知らない、という。

あったとしても、吉野山口神社の役員さんがしているのでは、と。

ずいぶん昔しのことですが、と話してくれた十七夜の盆踊り。

8月17日の夜は、盆踊りがあった。

また、その数日前の14日は、小学校校庭で盆踊り。

打ちあがる花火もあったので、賑わったそうだ。

十七夜、といえば、観音さまの縁日。

各地の観音霊場にて十七夜行事の法要などがある。

平成5年に復活した東大寺二月堂の「十七夜」盆踊りや、橿原市小房町のおふさ観音の「十七夜」の夏祭りがある。

十七夜行の盆踊りは、ともかく大勢の子どもたちで溢れるほど賑わう行事に地蔵盆があり、盛大に撒かれるゴクマキがある。

11月のマツリもそうだがゴクマキが賑わうのは、村外に住む外子たちが大勢やってくるからだ。

女将さんの話題提供は、そこまで。

伺いたい人は、地蔵盆の夜に年中行事の一部を教えてくださった元観光協会会長のYさん。

訪ねた公民館におられた。

その日は、一日限りのプロジェクト・イベントの「吉野森林セラピー拠点賑わいプロジェクト」実施日だった。

そのプロジェクトにも関与していたYさんとばったり出会えた。

この年から、八朔行事は9月1日に近い日曜日に移した。

ちなみに、今年の日程は、8月2日。

以前は、午後1時から始めていた神事を、夜の午後7時に移した。

行事の場は、社務所。

その場より山口吉野神社の拝殿に向かって拝礼。

豊作を祈願したあとは直会に入る。

そう話してくれたYさんが、9月24日に牛滝まつりを、春に祈願するお田植祭は、4月22日の固定日にしていると教えてくださった。

山口に牛滝まつりがあると知ったのは、昭和28年に発刊された『奈良県総合文化調査報告書-吉野川流域・龍門地区-』の記事もあるが、取材し、アップしたブログ記事の「大淀町馬佐牛滝社の牛滝まつり」に、平成30年8月12日投稿してくださったY・Gさんの指摘コメントだった。

「吉野町 山口の間違いかと存じます。吉野町 龍門地区の山口は志賀よりはるかに大きな神社の中にあります。9月の行事でした。60年前の遠い日の出来事です。懐かしいですね。」

また、平成30年8月12日の投稿はブログ「吉野山口の地蔵盆」の記事に。

同じく投稿してくださったY・Gさんのコメントの「吉野町山口は私の生まれ故郷。60年前の遠い日の思い出。あの頃は子供も多く、盆踊りもありました。盆踊りは17日の盆踊りが盛大で、各村々の青年団が高張り提灯で山口神社に集結します。山口神社の神殿の前の広場での盆踊り。浴衣と下駄で両親に連れられ盆踊りに。山口には多くの行事が有りました。何十年も前に訪れ時は多くの行事は無くなっていました。このブログを拝見していると涙が止まりません。」のコメントに、是非とも訪問したくなった山口の牛滝まつりである。



牛滝まつりが始まる時間は、午後1時。

その時間までに着いた山口の公民館。

前に拡がる稲作田園地に、作りものの大鳥が舞う。

稔り近くなった9月後半の大空に張りぼての大鳥が気持ちよさそうに舞う。

大鳥の姿はまるで鷹。

スズメやカラスを追い払う。

野菜畑のある山口の稲作地。

稲刈りを早くもしていた耕作地。



ハザにかけた収穫したてのお米。

次に予定する稲刈りはもうすぐだ。

おっと、こうしてはいられない。

祭りをはじめるにあたって運ばなければならない餅がある。



二つの桶にたっぷり詰め込んだゴクマキの白餅は、前日に搗いた。

臼、杵でなく電動餅つき機。

餅を絞って取り出す餅絞り機も器械頼り。

最後に綺麗に餅を丸めるのは手作業。



この日の行事は自治会が主催。

みなが集まって搗いた餅や神饌御供などは、車に積んで運んだ。



拝殿前に停めて運ぶ御供は、人手で運ぶ。

一旦は、拝殿回廊に置いて社家宮司が確認され、ものものが揃った。



本日に第一神事をされる場は、意賀美神社(おがみじんじゃ)。

中央に配置した吉野山口神社の左側に建つ。

元々は、吉野町・宇陀市の境ある山。

龍門岳・龍門の滝がある辺りにあったそうだ。

創建は500年前であるが、昭和59年に寄進し、今の位置に下ろした、と話す。

一度、龍門岳に登って岳のぼり行事を拝見したことがある。

平成19年4月17日、吉野町山口の嶽神社で行われた岳ノボリである。

新鹿路トンネル入る手前にある林道を、注意しながらひたすら低速で走った先に・・。

今では記憶も薄らいだ既知の道だが、よくまあたどり着いたものだ。

車を下りて、さらに登ったそこに鎮座する嶽神社。

情景は覚えているが、山道は記憶の外に消えてしまったようだから、もう一度、と云われてもごめん被る。

なぜなら、行きも帰りも西谷地区の人たちとともに行動したからだ。

とてもじゃないが、単独行動は危険を伴う山行きである。

吉野山口神社の右手にある社は、高鉾神社

春に行われる祈年祭・御田祭神事をされる社である。



自治会役員、みなそろって神饌御供を調える。

塩、洗米、お神酒。生鯖一尾にスルメ、昆布、キャベツ・カボチャ・大根・人参・茄子・キュウリの野菜に梨・葡萄・林檎・バナナなど7種の果物。



宮司とともに揃えていく。

当初は、神饌御供の真ん前に置いていたが、社殿前に移された御供餅も奉る。



自治会会長のNさんを頭に、自治会役員、氏子、生産組合員ら、普段着姿の一同がそろったところで整列された。

夏は、とうに終わったというのに、秋にも告げるツクツクボウシが鳴く社そうに神事がはじまった。

まずは修祓。

祓詞に祓の儀。



献饌、祝詞を「かしこみ かしこみ かけまつる おがみじんじゃの 神さんに」、と奏上される。



そして、玉串奉奠、撤饌、宮司一拝され、意賀美神社の神事を終えた一行は、場を移動し、境内社の牛滝社に参拝する。

素盞鳴尊を祀る牛滝社は、かつて存在していた吉野山口神社の境内の神宮寺である本地堂跡地に鎮座する小社にあり。



そのことを伝える由緒板に「本地堂跡 古来山口神社の別当寺として宮寺-本地堂があり、その鐘楼には、建長八年(1256)銘の釣鐘があった。これはもと添上郡辰市村(※奈良市杏町辰市神社辺りか?)の廃寺、聖峯山のもので、方々を転々とした末に、伊勢相可の豪商大和屋某が寄進したもの(※現在は吉野町佐々羅意運寺所有/「大和国添上郡辰市郷聖峯寺鐘」「建長八年丙辰二月廿八日」の刻銘がある銅梵鐘は平成4年3月に奈良県指定有形文化財に指定されている) 明治の神仏分離のため廃寺となり、最初は竜門小学校に転用されたか、明治十年ころ、破損甚だしく、取り壊された。その跡地に牛の守り神である牛滝さんとして祭り続けてきている」とあった。

朱塗りの小社は、昭和55年4月に復旧再建された牛滝社。

意賀美神社(おがみじんじゃ)での神事を終えた一行は牛滝社に参る。



当社に御供することなく、一同拝礼し、牛滝まつりの神事を終えた。

神事を終えたらお楽しみのゴクマキ。

嶽の神さん、古来より雨を司る八大龍王にお供えした御供餅。

ご加護をもらいたく孫も伴ってやってきた氏子たち。



自治会役員が、ほうれ、そらっ、いくぞっ、と放り上げた白餅に手が伸びる。



ゴクマキに盛り上がる歓声。

ほんの数分ですべてを撒き終えた時間帯だけ、境内を静かにしていたツクツクボウシは再び鳴きだした。

用意してきた袋にいっぱい詰め込んで、お家に戻っていく。



役員さんも解散されたこの場に佇んでいた。

牛滝社があるこの広地。



今では想像もできないが、相撲の土俵があった。

やや高い台地がかつての土俵。

男の相撲だけでなく、女相撲もしていた、という。

当時をとらえた写真も残されているそうだ。

その土俵周りを牛が歩き回った。

手綱をひく牛飼いの田主が連れてきた農耕牛が土俵の周りを歩かせる牛参りをしていた。



牛滝まつりの原点は、牛をひき連れて廻る牛参りだった。

その様相は牛の品評会だった、とYさんが話してくれた。

先に揚げた大淀町・馬佐の牛滝まつりも、かつては上半身裸に晒しで巻いたふんどし相撲に土俵もあった。

また、吉野山口同様に、手綱で引き連れた農耕牛も・・。

橿原市の五条野は、昭和30年ごろまで牛滝参りがあった。

たくさんの幟を立て、綺麗な衣装を牛に着せてやってきた素盞鳴神社。

牛滝参りは、牛の品評会。

草相撲もあった、と庚申講中に教えてもらったことがある。

橿原市の一町(かずちょう)も同じような状況だった。

取材当時は総代だったMさんが、記憶を遡って話してくださった。

農協主催の牛の品評会の場は、旧長法寺大日堂に鎮守社がある境内。

美しい化粧まわしのような襷を牛の背中に掛けて参っていた。

子供や大人が消防ホースをマワシに奉納相撲もしていた。

特筆すべきなのは願主7人の名が見られる絵馬である。

明治参拾四年に奉納された「奉納 大日如来」の絵馬に描かれた牛の姿。

農耕に飼っていた牛に袈裟をかけてお参りする姿である。

牛の品評会が催されていた時期よりも、もっと以前の時代の様相だと推定される牛参りの絵馬はとても貴重だと思う。

(H30. 9.24 EOS7D撮影)

大阪・本町通りにある春日の石灯籠

2021年10月28日 08時51分12秒 | もっと遠くへ(大阪編)
えっ、こんな大都会に。

しかもメインストリートの御堂筋から本町通りに沿って少し東に歩いた所にポツンと建つ石灯籠である。

その右横にあるお店は老舗の和菓子屋さん。

昔ながら、と思える板看板に刻まれた文字は「千鳥饅頭」。

お店に入って伺う時間もないから帰宅後に調べた店舗は「菓匠 千鳥屋宗家」本店。

本社は兵庫県西宮市であるが、寛永七年(1630)、創業時の所在地は、佐賀県佐賀市。

カステラや丸ぼうろを製造販売する「松月堂」であった。

時代は移って昭和2年。

福岡県飯塚市に松月堂の支店として「千鳥屋」を開店し、千鳥饅頭を製造・販売。

昭和42年、兵庫県尼崎・塚口に千鳥屋本店を開設。

そして、昭和61年に「千鳥屋宗家」を設立し、大阪・中央区を本店とした。



創業した江戸時代から391年の変遷を歩んできた千鳥屋宗家。

参考にしたウキペデイアに、お店の左隣に建つ古い灯籠との関連性は書かれていない。

特徴ある形式をもつ灯籠に彫り物の鹿の姿がある。



奈良・春日大社を思い浮かべるが、ここに建つ歴史文化を記すものは見当たらなかった。

再訪する機会があれば、是非とも尋ねてみたい春日の石灯籠であった。

(R2. 2.12 SB805SH撮影)

得体のしれない獣糞痕

2021年10月27日 09時25分20秒 | 自然観察会(番外編)
有名なコマーシャルに「玄関明けたら2分でご飯」がある。

ついこのフレーズが口に出た我が家の玄関、でなく中庭の雨戸。

朝、起床してすぐに開ける雨戸。

そしてガラス窓。

そこで気がついた、これまで見たことのない異様なモノ。

まだしっかりしていない眼であっても、こいつにはびっくりする。

眠たい目をこすってよくよく見れば猫の糞でもない。

猫の糞はたんまに放たれる。

臭いでわかる猫の糞であるが、これは無臭。

いったいこれは何だ。

廊下から身を乗り出すようにして見た糞と思える物体に見たことあるような“形”がある。

推定だが、白い方は硬い殻。

縁に特徴のある銀杏。

薄茶っぽいのが糞。

鼠ではない。

ときどき目撃する中型のチョウセンイタチ(※若しくはホンドイタチ)でもないような・・・。

もしかとすれば、あの破壊者。

大型で雑食性のアライグマ??。

それともハクビシン。

いずれにしても未消化の銀杏が物語る獣糞

(R2. 2. 8 SB805SH撮影)

大和郡山のラーメン大和の大和ラーメン

2021年10月26日 08時49分12秒 | 食事が主な周辺をお散歩
初の古民家写真展は明日からはじまる。

もう、待ったなしの本日はぎりぎりいっぱいの設営に全力を尽くす。

集まって作業する写真家は、7人。

YさんにMTさん、KBさん、Uさん、MOさん、KSさんに私の7人。

午前中いっぱいはパネルとかメッセージボード、タイトルつくり。

ペットボトルに水を入れて用意はできた。

これら一式を古民家会場に運ぶ。

位置を調えたころは正午を過ぎていた。

キリのえーとこで昼めしの行先を決める。

4日はお休みだったラーメン大和

ネットで見たら高評価のお店。

別途、用事のあるMOさん以外の6人が2台に同乗した車が行く。

毎週が月曜日、火曜日が定休日のラーメン大和。

開店していてほっとする。

ぞろぞろ入店した6人が選ぶメニューはさまざま。

ベースになるラーメンは、750円の大和ラーメン。

お味は豚骨醤油味。

お客さんの好みで作った味噌ラーメンもあればとんこつ味も。

麺の硬さも選べるラーメンは900円で食べられるお昼のセット料理もある。

セットはラーメン、ご飯に餃子。

餃子は4個もついているお昼のセット。

ご飯は無用と注文した相方。

女性に優しい店主が忖度したかどうかわからないが、餃子1個をおまけ。

ラーメンができあがるまで、先にその1個のおまけをありがたくよばれることになった。

ラーメン大和の餃子タレは味噌タレ。



久しぶりに見る味噌タレでいただくラーメン大和の餃子。

お味は・・旨い。

30年も前のことである。

子どもたちも美味いと云って食べていた味噌タレ餃子。

昼食は提供しなくなったから行くこともないお店はマリオ流ラーメン。

「まぼろし一杯」でわかる注文していた幻カレーだけはもう一度食べてみたいマリオ流ラーメン。

こてこてラーメンもよろしいが、幻と云われた牛肉は最高傑作。

その肉味を活かした幻カレーを思い出してしまった味噌タレに漬けて食べた大和ラーメンもまた美味いが、記憶にあるマリオ流ラーメンの餃子が一歩リードしているように思った。

ちなみに単品の餃子は7個で350円。

コスパのお昼セットがよろしいようで・・。

一挙につくる6人前のラーメン作りは時間がかかる。

旨味餃子の味に刺激されて箸休め。

カウンターテーブルに置いてあった壺に目線がいく。

壺の中にあるのは自家製キムチ。

ラーメンができるまでの時間にひとつまみ。



これがむちゃ美味い。

今まで味わったことのないキムチの味。

ギンギンのキムチでなく優しい味のキムチ。辛さもあるが甘さもあるキムチ。

ビールが進くんの旨キムチ。

単品売りのメニューにないキムチ。

お持ち帰りができたら、なお嬉しい。

注文してからおよそ20分。

ほぼ一斉に配膳されたラーメン。

作っている途中にボァーーの音。

調理されている店主の手にガスバーナー。

自家製チャーシューを炙っていたのだ。

脂身たっぷりのチャーシューは見るだけでわかる美味しい肌。



シナチクに煮玉子。

ネギはざく切りというか、ぶつ切りのようだ。

スープは極上の味。

麺を絡ませて口に入れてずるずる。

見た目以上のコクのある味。

美味しさが口の中で暴れる。

箸が止まらない兆候。

食べれば食べるほどに旨味を感じる。

特にネギが美味い。

間違っていたら御免だが、なんとなく九条ネギのような味。

とろとろチャーシューがこれまた旨い。

炙りの効きはよくわからないが、とにかく旨い。

煮玉子もとろとろ。

ラーメンスープによう合う味。

すべて美味しに爆発しそうだ。

(R2. 2. 7 SB805SH撮影)

大和郡山の魚料理魚魚屋(ととや)

2021年10月25日 08時33分11秒 | 食事が主な周辺をお散歩
初の古民家写真展に待ったなし。

4日後の2月8日に展示に間に合うだろうか。

何もかもが初めての取り組み。

展示写真の見栄えもあるが、1カ月間の開催期間中に何が起こるか予想のつかない日々。

考えられるだけ考えて工夫を凝らす。

この日の作業に集まった時間は午前10時。

正午の時間になっても夢中で取り組んでいた3人の写真家。

午後から参加する2人もおられるが、腹こなしはYさんとMさんに私。

さてどこへ行ってみようか、大和郡山市内の食事処。

そうだ、一度は味わってみたいラーメン大和

黄色いテント屋根が特徴のラーメン屋さん。

扉が開かないラーメン屋さん。

閉店でなく本日火曜日がお休みだった。

お休みなら他店舗を探すしかない。

ふと、右にあるお店は何だ。

居酒屋なのか、それとも蕎麦屋か。



お店は開いているようだ。

表の看板に書いてあったメニューに600円のオムレツに880円のいわしフライと和風オムレツ定食もある。

そうか、洋食屋なのか。

暖簾のかかっているお店は・・魚魚屋

漢字の魚を並べたお店の読みは「ととや」。

オムレツも売る魚料理店ってどんなの。

クエッションマークがふらふらと風船のように空に舞い上がっていた。

恐る恐る扉を開けたそのお店。

カウンター席もあれば長机が整然と並ぶ店。

数人のお客さんがそこにおられた。

食事を済ませたあとの時間を愉しんでいるかのように思えた。

注文できますか、と声をかけたら、ふにゃふにゃな回答。

食べられるようだが、待ってもらわなあかんようだ。

どれくらいで、と聞けば15分ほど・・。

それなら待ちましょうと3人の思いは一致した。

実は、ここへ来るまでに出かけた食事処。

奈良では有名なチェーン店。

天理ラーメンでなく、神座ラーメンでもない。

野菜たっぷりのラーメン店の一つ。

彩華ラーメンである。

なぜに大和郡山の矢田町に店舗を構えたのか、存知しないが、休日の昼時間は行列になるほどの人気店。

平日は存じていないが、試しに行ってみようと車を走らせた彩華ラーメン小泉店

駐車場は満車。

入口に並ぶ行列の人数を見てUターン。

そこでラーメン大和に来たわけだが、お休みの日。

食事処を探して回るわけにもいかず、魚料理魚魚屋に腰を据えたのだ。

店内に入った雰囲気はがらーん。

本日のおすすめにあった880円の寒ブリ塩焼き定食に心を奪われそうになったが、魚料理店なら海鮮。

どんな魚介が盛られてくるのか、愉しみのある1000円の海鮮丼に決めた。

待つこと25分。



配膳された本日の海鮮丼。

見た目でいえば質素。

テレビなどで紹介される海鮮丼は実に華やか。

彩色豊かな赤色が目立つ丼。

まぐろがメインの海鮮丼が主流。

そこにサーモンに雲丹。

海老にイクラ盛りがほとんど。

それを期待していたが・・・。



目がテンになった色気のない海鮮丼だが、食べてみなきゃわからない。

これまで見たことのない醤油入れ。

山葵を溶いて丼にぶっかける。



どれからでもいいか、というよりもお腹が減っていたから選択する気もなく箸をつっこんで一気にかけこむ。

えっ、である。

今まで味わったことのない海鮮丼。

不味いのではなく、むちゃくちゃ旨いのである。

どれもこれも新鮮さがどっと押し寄せてくる。

つるっと口に入った魚介。

イカも鯛もヨコワも・・。

白子のような食感のとろとろのたまごは絶品。

とにかく旨すぎる。

ガツガツ食べる海鮮丼。

食後に聞いた料理人。

その美味さの秘訣は仕入れにある。

奈良から遠い和歌山県の漁港まで出かけて美味い魚介ネタを仕入れる。

仕入れはその日の港の水揚げで決まる。

決まったなかで料理人の目利き。

その日の美味しさを提供してくれる。

ありがたいお店は、なんと開店してからもう25年以上にもなる、という。

大将、これまで知らなくてごめんなさい、またこれからも美味しいお料理を提供してくださいと伝えた。

ただ、お店は大将お一人で賄っている関係上、待ち時間は御免であるが、待っただけの値打ちのあるお味を提供してくださるのでご勘弁願いたい。

(R2. 2. 4 SB805SH撮影)

丸亀製麺大和郡山店の牛すき釜玉うどん+ジャンボカニカマ天

2021年10月24日 09時18分59秒 | 食事が主な周辺をお散歩
今日は外メシにしようと決めていた。

食事処は大和郡山市美濃庄町の信号角地にある丸亀製麺大和郡山店。

押熊町の節分行事を拝見する前に摂っておきたい食事はうどん麺。

あっさりいただけるうどん麺ならお腹に応えない。

それだけの量といえば、並。

肉が4倍増しとかいろいろあるが、どっぷり浸かりたくもない。

丸亀製麺なら並。

はなまるうどんなら小の量で充分にお腹を満たしてくれる。

肉丼に肉ぶっかけうどん。

寒いこの時季なら肉うどんと思って列に並びかけたときにくら替え。

いや、そうでなくメニュー替え。



急遽、切り替えたメニューは690円の牛すき釜玉うどん。

釜玉なしの牛すき釜玉うどんでもいいのだが、本日は大和郡山店でしか利用できない30%引きサービス券がある。



サイフに優しいサービス券は新聞チラシにあったもの。

賞味期限でなく、利用期限は2月11日まで。

恩恵に授かったサービス券を利用するからお安くなる。

なら、美味しい丸亀製麺の天ぷら探し。

前回の入店時には見当たらなかった170円のジャンボカニカマ天がある。

隣にあるゲソ天も食べたいが、ジャンボカニカマ天で充分。

超がつくくらいのジャンボカニカマ天は巨大な天ぷら。

一度食べたら病みつきになってしまったジャンボカニカマ天。

以上の商品をレジ支払い。

30%引いた現金支払い額は600円。

ありがたくいただく。

さて、牛すき釜玉うどんである。

うどん玉が入った椀をレジ前にある棚に置く。

その横で調理していた牛すきをぶっかけて手にする。

釜玉は別椀。

カニカマ天ものせたトレーをもってトッピング。

刻みネギに天かす盛り。

いつものようにぶっかけうどんなら生生姜もトッピングするが、牛すき釜玉うどんには無用。

牛すきの味を邪魔してしまうと判断して入れなかった。



これが実に旨い。

子どものころからすき焼きが大好きだった。

今でいうようなえー肉でもなかったと思うが、落とした生玉子に漬けて食べたらなお一層美味しくいただける。

ところが、丸亀製麺の牛すき釜玉うどんは、そういう食べ方ではない。

割った生玉子は、牛すきぶっかけにポンと、でもないか。



小器に盛った生玉子を滑らせて中央に配置。

見た目がいい牛すき釜玉うどんのできあがり。

ぐちゃっとひと搔きして混ぜる。

ここで留意すべきことは、ぐちゃぐちゃに混ぜんこと。

ほんの気持ちだけ、つまりひと搔きである。

そして箸で掬ったうどんをいただく。

ななな、んんと。

思っていた以上の美味しさに、こりゃたまらん。

牛すきの味が実に旨い。

脂の少ないすっきり味の牛すき。

えー味付けに感動を覚える。

がつがつ食べて完食したが、生玉子のない本来の牛すき味も味わいたい。

丸亀製麺さん、お願いしたら、提供してくれるかな・・。

そんな思いも浮かべながら、合間に食べるジャンボカニカマ天。

久しぶりに味わうこれもまた美味い。



テーブルに置いてある天ぷら用のだしソースをちょいがけして食べたら、またまた味が濃くなって美味いんだな。

(R2. 2. 3 SB805SH撮影)

ふり返る令和2年1月の介護まとめ

2021年10月23日 09時45分09秒 | むびょうそくさい(おかん編)
この月もおふくろの介護の関係で大阪・住之江に行くこと度々。

記憶は記録。

ふり返る際に思い出したい事項は書き記しておく。

4日は、二度目の入院措置

入院翌日の5日は、要求のあった石鹸箱にティッシュペーパー届け。

看護師の許可を得て、病室にもっていったミカンとバナナ。

夜中に、お腹が溜まった状態だ、と診断され、看護師さんは手をつっこんで管を装着した。

管を通して処置する排尿に排便。

おけげで、すっきりしたものだから、よう寝た、という。

朝に、頭は洗い、身体を拭いてもらって気持ちいい。

圧迫骨折の治療は安静加療。

身体を動かさないように・・・

朝食も昼食もおかいさんやから、味はもみない。

だから梅干しが欲しい、と伝えた看護師の回答は、高血圧対応のために減塩してますから・・といわれた。

そりゃそうやろ。

6日の見舞い。

昨夜は隣患者の呻き声で全然眠られんかった、という。

排便はないが、排尿はある。

朝食は、もみないから少ししか口にできんかったが、昼食は逆に味が濃いかってな。

そりゃ美味しかったと喜んでいる。

よう食べたもんだから、少ししか残さんかったそうだ。

病室冷蔵庫利用に、千円の電源カードを購入し装填。

3秒押しして冷蔵庫にセットする。

1日が百円であるが、5日間連続使用するには設定を5回繰り返しの操作手順。

バナナとミカンは冷やして食べたくなったら看護師さんにお願いするから、という。

午後2時20分、Kリハビリ療法士が来られて、両足の筋肉マッサージ。

現状具合から判断して、前回の入院時よりも早く退院できるかも・・いや、そうしたいという。

前回の退院後に3カ月間も装着していた背中コルセットギブス。

その後は、背中コルセットギブスをするケースが増えている、という。

拳を前方に力こめて押出し体操。

指の体操は頭、つまり脳活性化に右手は、てっぽう。

左手は、お金の丸。

それを交互に繰り返し、次に二本指指し。

逆は三本指さしに、これも交互に繰り返するリハビリ運動。

終えた時間は午後2時50分。

午後3時50分自宅に戻って記録されていた病院からの留守電。

8日には、西棟の353号に移る連絡に歓喜。

今、入院中の東棟に比べて西棟は新棟。

棟内も病室も明るいのが嬉しい。

7日、午前中に大床義肢製作のコルセットを装着した。

午後に来られた大床義肢製作の技師さんに32754円を実費、現金払い。

請求明細にあった基本価格は7000円。

内容は軟性・採型。胸椎支持部・軟性(加工)が23900円。

支払ったこのコルセット代のほとんどが戻ってくる。

手続きは、おふくろが住まいする区役所福祉課窓口。

2年以内に、領収書、医師意見書・装具装着証明書、後期高齢者医療証に、印鑑と金融機関の口座番号をもって申請すれば3ヶ月先に9割が給付され、戻ってくる。

つまり1割負担で済むコルセット料金である。

明日の8日、午前10時半に回復期リハビリ病棟の西棟に移る、と正式連絡があった。

Kリハビリ療法士は担当を外れ、富雄のA療法士に替わる、と伝えてられた。

午後2時から両足筋肉マッサージ。

その際に話してくれた昨年末の大阪・施設のアロンテイアで起こった事象は、おそらくこうだろう、と話してくれた。

圧迫骨折の考えられる要因は、回数の多さでなく、リハビリ運動時のおふくろの姿勢にある。

真っ直ぐ背を伸ばして、せなあかんとこを前屈みになっておれば、変な圧が加わり骨折した可能性がある、と・・。

車椅子に乗って懐かしいリハビリ療法室に上がった。

運動をせずに立ち上がりのみのリハビリ。

膝あげ程度の状態で、戻ってきたベッドに滑り込む方法を教わった。

ひとときのリハビリ運動を看てくれたKリハビリ療法士。

状況、要因などがわかって、気分も晴れやか。

午後2時40分に終了した。

ひとまずは、こういう状況になった、と実弟の次男に従兄妹のきみちゃんに連絡しておいた。

8日、10時半過ぎ。

入院日の4日に便の掻き出しをしてもらったが、それからも便通なく浣腸をしてもらった。

なんと、どっさり出てすっきりした・・って、まるで美爽煌茶のコマーシャル台詞やん。

この日は、同じ3階の東棟から、回復期リハビリ支援する西病棟に。

302号室から353号室に移った。

病室移転の際のバタバタに何かを落とすかも。

おふくろの緊急を要する急ぎのお願いは汗でびっしょり。

肌着の着せ替えは手際よく。

管理棟が替わった関係に、今度の西棟にも入院時同様に氏名記入、捺印替わりのサインをする。

午前中からの汗こき。病室移転の関係もあり、汗拭き介護は移った午後に。

なんとかしてほしかった汗処理。

下着交換は食事後にします、と伝えられてほっとしたようだ

9日は、大阪・住之江行き。

不在している住居関連諸々の手続きなどがある。

お昼時間に合わせて出発し、丁度ひる時に到着した大阪ふくちゃんラーメン長吉店

昼ごしらえににんにくたっぷりふくちゃん醤油トンコツラーメンを味わった。

食後に再出発。



まずは、区役所手続き。

区役所の保険年金課給付金を申請する。

口座に振り込まれる時期は、2月末の予定。

ゴミ収集に4階自宅前まで取りに来てくださるふれあい収集は、入院した関係で停止期間を、見通し考えて2月末までとした。



手続きした住之江区役所にこれまで無料だった駐車場が有料化になった。

令和元年5月から運用をはじめたリパーク住之江区役所。

本日利用の時間帯は午後1時8分から37分までで200円の利用代だった。



居住地に移動し、郵便物を確認する。

実は、郵便物転送申請を6日にしていたが、まだ整ってないようだ。

室内にあがって資料の整理。資料は、介護関係の他、歯科医院、眼科医院、耳鼻咽喉科医院に畠中医院など。

また、2月に申請する確定申告用の領収書も収集し、持ち帰る。

帰宅して領収金額を集計したら6万円ちょっとになった。

10万円以下であれば、申告しなくてえーんとちゃうのんとかーさんが云う。

いやいや、私が毎年にしている奈良図書情報館・確定申告のときに税理士さんが教えてくれたこと。

昔は、そういうことだったが、今は10万円以上なら得とか、以下なら別にしなくてもいいとか、いう指針はなく、医療費は経費なので申告しておけば非課税所得にされる可能性もある、と・・伝えたら・・。

そんなことは知らん。お父さんがしいや、といって資料などをぶちまけ、私はしません、という。

以前、かーさん独りになったときを考えて、おふくろの確定申告をしてきたら、勉強になるとか、云っていたが・・・

11日のおふくろ。

食欲がわいて、わいてきたからおかいさんからご飯に戻してもらったそうだ。

ご飯もパクパク食べて、喜んではりました、と看護さんが伝えてくれた。

実弟の三男が見舞いに来てくれた。

13日の見舞いに聞いた障害症状。

夜9時までは、機嫌よう談話室にいた。

トイレに用足ししてから部屋に戻って、しばらくしてから腹痛に激痛を発症。

夜中じゅうずっと難儀していたそうだ。

午後11時ころからは煩雑な腹痛。

原因は、前日に看護士さんが抜いた尿管に慣れてしまい、尿意に気づかず、膀胱に800ミリリットルも溜まっていたからだ。

そりゃ痛いわけだ。

排便も排尿も処置され、朝食も昼食も食べられるまで体調が戻った。

事件はもうひとつある。

前々日に買って持ってきた漬物。

タッパーに入れて冷蔵庫に保管。

昨日、それが談話室にそのまま気づかず、放置していたら真っ白な黴が発生していた・・と。

1日で食べられる量にしなあかんな、と反省するかーさん。

その事件に冷蔵庫が切れていたと、とある人の証言があった。

昨日、実弟の三男は、冷蔵庫&テレビカードを替えたそうだ。

ところが、再セット挿入に、冷蔵庫本体は緑色点灯で稼働中。

カードも残り1日6時間もあるし・・。

どうやら看護士さんがある患者さんと会話していた内容が、ごちゃ混ぜになって記憶していたようだ。

午後3時半、Aリハビリ療法士による運動があった。

マッサージ、歩行機械訓練に膝がよく上がるようになり、歩幅もとれている。

担当するA(リハビリ療法士。

久しぶりに見たおふくろの身体状態を心配していたが、先に現状を伝えておいたチョコチョコ歩き。

つまづき、転倒防止を考えたおふくろ本人が自己抑制をしているから、それはそれなりに筋肉がつくリハビリをしていきましょう、と。

14日の障害症状。

朝7時に排尿したらオレンジ色の尿。

しみる痛さの排尿に検査に出すと云ってたそうだ。

午後2時になってから、遅くなりました、と看護士さんの指示で2錠の薬剤を飲んだ、という。

見舞いから、自宅に戻ったら、大阪から郵便物の転送が届いていた。

15日は、再び大阪・住之江に出かける。

見舞いに気づいた忘れ物。居住地にあるパジャマを探しに来た。

ついでにみておく郵便物の滞留。

それから出かけた大阪ふくちぁんラーメン。

本日は、居住地に最も近い南加賀屋の店で新味ラーメンと五目あんかけを食べた。

16日、食べたくないから朝食も昼食も食べたくない。

診てもらったら色ちがうから味が感じないってに主治医はうがい薬をだしますって。

今朝初めての入浴に汗かいてたんで気持ちようなって、やけど入浴は椅子に座ってドブンと。

それからリハビリやけどインフルエンザ流行って閉鎖だから廊下で運動したらしい。

17日、奈良市社会福祉協議会のIさんより、携帯に電話があった。

介護再認定調査にW調査員を、1月29日の水曜午後2時に、田北病院へ派遣するとのことだ。

電話口で伝えた、現状の身体具合に治療、リハビリ状況。

その旨、大阪・ケアマネージャーのFさんに連絡した、

18日に転送されてきた大阪市福祉局/大阪市認定事務センター(介護保険担当)より「介護保険資格者証(介護保険暫定被保険者証/要支援1)。

翌日19日に、大阪・ケアマネージャーのFさんに、その旨を伝えたら介護再認定申請に介護保険者証手持ちしていないから紛失した、と届け出たことによる暫定証発行であった。

19日、本日も厳重管理下の見舞い面談。



今年はより一層注意すべき事項並びに、保健施設からの指示もあり、むやみに病室までの出入りを禁ずる対策をとられた。

過去、何度もあるインフルエンザ対策。

身体の弱い患者さんに、万が一インフルエンザにかからないよう。

家族面談であっても、理由なしでは棟内に入れない対策をする。

ちなみにおふくろから要求のあった海苔の佃煮。

おかいさんも、ご飯も美味しく食べたいから、買ってきて、と云われていた。

近くにあるスーパーオークワに、指定していた海苔の佃煮があった。

商品は、10g×6本入りの桃屋のごはんですよ、に、ついでに買ってきたデザートみかんも2個手渡した。

20日の見舞い。

病室には行けない。

そこで頼んだ、冷蔵庫カードの過不足。

看護士さんに確認してもらった結果、残時間が、1時間のカードが3枚もあった、という。

もし、カードの時間が、なくなっていたら交換をお願いしますと伝えておいた。

本日も、疫病防止策対応に4組の家族見舞い。受付の場に4組の家族が集中する時間帯に介護士さんも看護士さんもみな手をとられる。

大阪・ケアマネージャーのFさんから電話があった。

介護保険認定証の発行受け取りは、本人でないと受け取れないが市役所に問い合わせた結果、身元引受人の在所に転送を直接申請する用紙があるらしく、Fさんのわかる範囲で書いておく文書を市役所に送付する封筒も入れて奈良に送ると伝えてくれた。

その指定用紙に、氏名、住所、捺印し、介護事業所のKまで送り返してほしい、と伝えられた。

治療を終えて、おふくろが再び大阪に戻り、一段落した段階にFさんが復帰手続きをするので忘れないように云ってください、と・・・

21日の、入院病院の疫病防止策対応がさらに厳しくなった。

かーさんが、見舞いに行った今日。

なんと、病棟受付も兼ねていた談話室も閉鎖対応になったそうだ。

外部から持ち込まれる感染者予防対策のステージアップであろう。で、病室は待機状態になっていたそうだ。

大阪・ケアマネージャーのFさんから郵送された『介護保険送付先届』書類に項目記入・捺印。

大阪市住之江区保険福祉センター保険福祉課(高齢・介護保険)宛て封筒に入れて投函した。

23日、分包入りのご飯用佃煮がもうないから買ってきて、と連絡があったので、今回もまたオークワに立ち寄って6本入りの桃屋のごはんですよを買ってきた。

お願いした冷蔵庫カードの残時間調べ。

看護士さんは右往左往する。

なぜか。

テレビ兼用の冷蔵庫カードの構造が、理解し難いのである。

テレビの場合は、◎時◎分表示であるが、冷蔵庫の場合は、◎日◎時間表示。

表示がまったく異なる方式。

看護士さんは、毎日に病室へ入って点検している、と云われるが・・。

24日、介護士のHさんがきちんと調べてくださった冷蔵庫カード。

残は6日間もあり、テーブルに置いてあった利用済みカードは3枚。

いずれも少々残っているので、機械清算されたらお小遣いになるでしょう、と言われて挿入したらすべてが60円。

合計180円もあった。

見舞いに持参したサンフジリンゴ。蜜がたっぷりだったらしく、美味しい、美味しい、といってペロッと食べたようだ。

義妹のMさんから、朝に電話があった。

明日に予定していた見舞いは、急遽変更に本日25日の午後に来てくれたそうだ。

後追いに出かけたかーさんの見舞い。

その時間帯に小林町に住むSさんとHさんに遭遇したそうだ。

いつもいただく30kgのお米は、とてもおいしかった、と伝えたら稲作はやめた、という。

40歳代のときに旦那を亡くしたSさん。

Hさんら、農耕の先輩に支えてもらって教わった稲作に没頭してきた。

今もこうして仲ようしてもらってます、と云ったSさんは81歳、Hさんは83歳。

これまで何度も小林町の年中行事取材にお世話してくださった。

ちなみに小林町での初取材は、平成22年3月3日に行われた新福寺のオコナイだった。

はじめてお会いした村の人たちがあたたかく迎えてくださったことを覚えている。

26日の見舞いは、小林町の知り合いばかり。

昨日も見舞い遭遇したSさんは、Hさん。同町在住のM夫妻にも出会った。

28日、午後2時から車椅子に乗せてもらってレントゲン撮影していたおふくろ。

以前の容体と同じであれば、3ヶ月間。

リハビリ運動も、階段歩きに、院外の屋外歩行もしていた。

今回の圧迫骨折の容体はではまだまだ。

入浴時も椅子に座ってやし、感染症予防に4階リハビリ室も閉鎖継続に相成った状況に、今回の入院は長引くな、と思った。

かーさんにかかった電話は、大阪・住之江のAさん。

自治会会費の集金に班長さんが来られて、いつも不在に、集金ができなくてと、現班長さんが困っている、と・・・。

そういえば、Aさんに、伝えること、すっかり失念しており、まことに申し訳ございません、と電話口を通じて平謝りしたそうだ。

29日、インフルエンザ感染が下火傾向になった。

面会は緩和され、本日からは患者家族は病室見舞いが可能になった。

午後2時前に来られた奈良市派遣の介護再認定調査員はWさんだった、とおふくろが云った。

昨日、私が自宅に戻ったころ。

安静加療しているベッドに主治医のN医師が来られ、レントゲンの結果は特に問題なし、と伝えられたそうだ。

朝は、Aリハビリ療法士から歩行器なしで歩いてみよか、と云われて廊下を杖なしで歩いた。

独走でなく、後ろからいつ倒れても、介護に対応できる程度に、両手ですぐ支えられるように、見てくれていたらヨロヨロして不安定だと云われたそうだ。

夜中に便通もよおし。トイレ行きは6回にもなった。

軟便状態に、一部の薬はやめたそうだ。

横になって寝ているとき。

腰痛ですからと、Aリハビリ療法士のマッサージ。

少しは痛みもマシになったけど、左がなんとなく痛いなぁと感じるようだ。

介護支援専門員のIさんと話す機会が、たまたまあり。

今日の調査機会にリハビリ運動は、階段訓練をお願いしたら計画しますと。

そうしてほしいリハビリ改善。

帰りしなに、おふくろが・・おいしいお豆さんがちょっとほしい。

30日のおふくろは、今日も腰が痛いと、かーさんに訴えていた。

思い出したのは夜中に6回もトイレ行き。

軟便にお尻を拭くのに前かがみ。

手で突っ張っていたという。それが原因です、とAリハビリ療法士に伝えたら、なるほどと、それなりのマッサージをするようだ。

昨日の患者家族は病室まで行くことができたが、今日はまた元の状態に。

面談は、これまで通りの場の休憩コーナーに・・。

(R2. 1. 8、 9、19 SB805SH撮影)

二度目の圧迫骨折に再び入院

2021年10月22日 09時37分59秒 | むびょうそくさい(おかん編)
年末に連絡していた、と受付に伝えた正月明け早々、4日の診察。

これまで何度もお世話になっている田北病院行き。

大晦日から正月三日間は我が家で過ごしていたが、痛み箇所はぐるぐる回っている、というおふくろ。

前回、と同じ症状に、今度も圧迫骨折に違いない。

今日までの3日間は、どう痛かったのか・・。

孫のK夫妻が、東京に帰った元日。

夜に着いた、と連絡があった。

その通信に安心したのか、急に痛い、と云いだした。

痛みのある個所は右足臀部。

そこに貼った湿布薬剤。

しばらくは効き目があったが、就寝中に痛みを訴えた。

察知したかーさんが対応した腰に湿布。

さらに、服用した痛み止めの薬。

処置した時間は、午前4時半。

痛み止めは効いたようだ。

正月2日、朝7時半になっても痛かった、と訴える。

痛くて、痛くて、起床の立ち上がりが難しい。

少しずつ体制を整えるも、身体を動かすたびに酷く痛む腰痛。

なんとか椅子に座って少しマシになったその間にトイレ行き。

立ち上がれば、なぜか痛みはなく、廊下をさくさく動く。

また、用を足した便器から立つときも問題なく・・・。

座椅子に戻って、もう一度の痛み止め。

その後に摂った午前9時の朝食はパクパク食い尽くすほど、薬が効いている。

担当する主治医は、前回医師に代わったN医師。

レントゲン検査に、東芝製の1.5ステラシステム機器で検査するMRIも。

過去に圧迫骨折を発症したことを考えて、レントゲン検査の結果を待たずにMRI検査である。



家族は、終わるまで待機。

その間に出会った待合室に座っていた男性。

平成27年9月のイモ名月以来、久しぶりに出会った丹後庄町のYさん。

長話のできない肩痛みの患者として並んでいる、という。

10時に着替え。

そしてレントゲン撮影、MRI検査に不都合な一部入れ歯を外す。

二つの検査を終えたおふくろ。

検査台からの起き上がりに痛い、痛いを連発する。

その結果を診た医師の診察は、正午前の午前11時分から。

腰骨下から三段目の骨の下半分が圧迫骨折の診断結果。

先にとるべき対応は、前回の入院同様にコルセットの採寸がある。

そして入院手配であるが、現状は個室しかなく要相談の入院。

どうされますかの問いに、家族の答えは一つ。

入院、お願いします。

自宅で介護療養しつつ、大部屋の病室が空くまで待つことは考えられない。

看護師、介護士が就く病院の方が安心できるから、たとえ病室代が高い個室ベッドになっても仕方ない。

そうしてください、と伝えてから、空の確保にいろいろ動いてくれたようだ。

結局は、4人部屋の302号に落ち着くことになった。

採寸終えたときの立ち上がりにも痛がるおふくろ。

体形に合わせたコルセットギブスは、3日後の7日にできあがるそうだ。

この時点で丁度の正午時刻。

入院手続きに記載した既往症に介護認定要支援2級。

また入院のための検査がまだある。

胸部レントゲンに採血、検尿、心電図検査は、お昼時間も肥えた午後1時に終わった。

その間に、今日の入院状況を電話で伝えた大阪・ケアマネージャーのFさん。

入院が決まったとなれば、介護サービスは一時的停止しなければならない。

つまり入院は病院看護。

介護している状況から身を離れ、病院側の看護領域に移るから、介護サービスは一時的に停止するのである。

その手配のすべてはケアマネージャーさんがされる。

身体状態の変化(入院)をきっかけに、入院中の状態を調査する再認定調査依頼の手配もある。

その際の家族連絡先は、私の携帯番号を伝えてもらうため同意をとられる。

こういったケアマネージャーさんの実務もあるが、介護契約上、ケアマネージャーさんが所属する事業所でなく、上位の大阪・住之江の地域包括センターのBさんにも連絡しなければならない。

午後1時20分。ストレッチャに乗せられたおふくろ。

ベッド調整に、急遽空けてくださった4人部屋の302号に落ち着いた。

私は、院内コンビニエンスストアで買い、車中での食事

かーさんは、遅めの昼食に、おにぎりを食べていた午後2時過ぎ。

廊下に居た私が気づいた人物。

2年前の入院のときに世話なった急性期治療担当のKリハビリ療法士にばったり再会した。

担当がまだ決まってなければ、逆指名したいものだが・・・。

正式に決まった病名は第3腰椎圧迫骨折。

安静状態の確保に、腰部が捻転しないようにコルセットを固定装着。

離床支援に1ヶ月間の入院加療。

リハビリ歩行訓練は、生活動作改善に向けて訓練、また静脈血栓塞栓庄と肺塞栓庄予防に弾性ストッキングを対応するとあった。

入院申込書保証書の連帯保証人は、急ぎの一部書類を提出し、入院生活に必要な必需品を近くの「パレット」とか、百均用品を購入。

一旦は、自宅に戻って支度整え。

再び病室に戻った時間帯は午後6時になっていた。

おふくろは、排尿漏れにおむつを装着。

食事に看護士コール。

ベッドを起こしてもらって食べたが、ご飯が喉を通りにくい、という。

食事がつかえて痛いと、いうからお茶を飲ませてなんとか流し込んだ。

同部屋患者さんは、親切心からおふくろにアドバイス。

この部屋の室温は温い。

だから乾燥ぎみになるから、ご飯よりもお粥に替えてもらったら、という。

看護士にお願いしたら、おかずも柔らかくしてくれるので、と話してくれたので、早速スタッフステーションに伝えた。

この日は、午前9時20分に病院入り、退出が午後7時。

長い一日だった入院措置。

実弟の三男に、状況を伝えておいた。

(R2. 1. 4 SB805SH撮影)