マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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マルちゃんごっつ盛り坦々麺

2014年09月30日 07時54分36秒 | あれこれインスタント
これまでわんたん醤油ラーメン、コーン味噌ラーメンなどマルちゃんのごっつ盛りシリーズを食べてきた。

いずれもこってり感のコクがあって美味しいのである。

麺は一般的なものだが、スープは濃い目。喉にするすると入っていく大盛りシリーズは麺が90gも入っている。

たっぷり感でいただける。

この日は半年ぶりにいただいた坦々麺。

後のせスープはどろっとした液体。

ジュルジュルと袋から取り出す。



見た目も味も濃い目の麺をすする。

ネギや菜っ葉は大き目である。

これでないとラーメンは美味くない。

ありがたい具材の大きさに感謝する。

肉の塊が浮いている。

豚・鶏のミンチ肉であろう。

胡麻もたっぷりあったが、本来の坦々麺はこんなものじゃあない。

肉味噌でなければ・・・と思ったが、スープが美味しくて完食した。

辛さがほどよく身体が温まった。

思わず上着を脱ぎたくなった。

(H26. 3.23 SB932SH撮影)
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田原横田の行事

2014年09月29日 07時14分09秒 | 楽しみにしておこうっと
子供の涅槃が行われている東山中。

これまで奈良市の矢田原町須山町大野町日笠町や天理市の藤井町、山添村の勝原の行事を拝見してきた。

その他の地域においても行われているやに聞いているが、行事日は特定日でなく、大体が春休み期間中で子供が日程を決めている。

毎年替るだけに予め尋ねておかねばならない。

もしかと思って探していた奈良市田原の里の横田町。

ここら辺りだろうと思っていたが地図をもっていないから判らない。

須山町、矢田原町、和田町、中之庄町、大野町、日笠町、沓掛町、茗荷町などを巡っていたが見つからない。

そう思って停車した信号。

田原の里辺りの案内地図があった。

見上げてみれば信号に「田原横田」とある。

ここだったのか。

しょっちゅう通る道が何故に気がつかなかったのだろうか。

行事の場はおそらく白山神社の会所。

その神社は案内地図に書かれていない。

すぐ近くだろうと思うが判らない。

仕方なくすぐ近くのお店におられた婦人に尋ねた結果は「あそこ」だと云う。

道路からすぐ近くにあった白山神社。

境内には数台の車が停まっている。

会合をしているらしいが、まずは神社にお参り。

そうしておれば会所から男性が出てこられた。

おそらく不審者であろうと思って声をかけられたのであろう。

男性が話した「ねはんこう」。

かつては西地区と東地区に分かれて行われていた。

中学生の子供が村を巡ってお金を集めていた。

少子化によって随分と子供の数が減ったと話す。

行事の場はそれぞれの地区のヤドの家。

昼食・夜食にだされるイロゴハン、シロゴハン、セキハン、串団子、カマボコなどを食べていた。

夜遅くまで遊んでいた。

少子化となった20年ほど前からはヤド家でなく、会所に集まる合同体になった。

食事は子供が好きなカレーライスに替った。

お金集めは小さな子供にも分けあう。

年長者は多めになるようだと話すお金集めは西・東で競い合っていたようだ。

神社にヒサカキをおましていたと話す男性。

2月と6月、9月の28日の夜には大日籠りをすると云う。

念仏を唱えて語り合う籠りの夜は村のコミュニケーションの場になるそうだ。

白山神社は六人衆が勤めている。

毎月1日は清掃されている六人衆。

マツリに斎主を勤めているのは北森宮司。

誓多林町長谷町の神社造営などでお世話になった宮司さんだ。

話を伺った男性は同性。

もしやと思って伝えた宮司さんの名。

なんと弟さんであったのだ。

奇遇な出合いである。

話しをしている際に目に入った十九の文字がある石仏。

これも気になって尋ねた結果は十九夜さんだった。

石仏は如意輪観音さんで、3月19日に婦人たちが参っているという。

この日は道造りを終えて村の総会。

忙しい合間に教えていただいたことに感謝する。

総会が終わってから自治会長に取材の旨を伝えると話していた。

それから数時間後に電話が鳴った。

自治会長からの電話である日程は決まっているが、始まる時間は両地区のヤドで決めるそうだ。

教えてくださった男性もその1軒。

担っているのはもう一人の婦人。

数日後には決まるのでお許しをいただいて電話をすることになるだろうが、子供たちの顔を公開することは厳禁であると伝えられた。

(H26. 3.23 SB932SH撮影)
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長柄の御幣ハサミ

2014年09月28日 09時22分34秒 | 天理市へ
昨年11月に取材させていただいた天理市長柄町の頭屋のダンゴ盛り行事

その際に聞いていた「ゴヘイハサミ」も公民館で行われる。

ダンゴ盛りを終えて兄・弟頭屋が受け継いで、自宅で祀っていた大和神社の分霊を祀るヤシロ(長柄ではヤカタをヤシロと呼ぶ)はこの日再び公民館に祀られる。

ヤシロ(仮社祠)は神さんを祀っているので写してはならぬという約束で取材にあたる。

大和神社の祭祀を勤める三役の年預総代は任期を終えて替られたが、「ヤシロを写してはならん」ことも引き継ぎされていた。

この日集まった人たちはちゃんちゃん祭に奉仕する人足の渡人らだ。

北・出垣内と西・中垣内に分かれて席につくが、別に分けたのは席数の関係で単に分けただけだと云う。

一同が揃ったところで始まった神事。

お供えの葉付きのダイコンや巻きコンブなどは奉書に包んでいた。

燭台のローソクに火を灯して御酒口を開ける。

ヤシロ前に座った年預総代が二礼、二拍手、一礼する。

脇についたトーニンゴ(唐人児)も見習って頭を下げる。

大和神社の分霊に向かって一同も恭しく頭を下げる。

それから始まった「ゴヘイハサミ」。

充てる漢字は「御幣挟み」であろう。

進行役の総代に従って三方に載せた籤を引きあげるが、籤を引く作法も含めて三方に載せた籤も神事の一環で、撮ってはならないと伝えられていたので、拝見することに専念する。

本来なら宮入りの際に授かった御幣で籤を引きあげるのであるが、宮入りは二日後の23日であるため、作法には御幣でなく、予め用意された箸で挟むこととなった。

道具は例年と異なるが、挟んで引くのは兄トーニンゴだ。

引き上げる籤は次の頭屋決めであって、弟頭屋となる。

次に籤を引くのは弟トーニンゴ。

兄頭屋を引きあげる。

御幣の箸で挟んで引き上げることから「ゴヘイハサミ」と呼ばれている長柄の頭屋決め神事である。

挟んで引き上げた当たり籤には「中の5番」に「中の2番」とあったようだ。

垣内名と垣内で決められている順を発表するのは総代さんだ。

垣内の人たちはどこの住民であるかは、判っているようである。

次の決めごとは渡人の持ちもの道具だ。

予め用意しておいたあみだくじを席順に回してフルネームで書いてもらう。

一順して戻ってきたあみだくじを広げて発表される。

神事の一環、これもまた撮ることは厳禁である。

当たりの発表は行列順に従って3番の鉦鼓担ぎ、8番の長柄常持の錦旗、28番の長柄常持の樂鉦鼓、34番の長柄常持の長矛であった。

それぞれ二人ずつ当たった名前を発表されて会場はどよめいた。

「体調具合でどうしても担げない場合は代理を調整しても構わない」と総代が伝える。

あみだくじに外れたその他の人たちは無役に安堵された。

こうして役割決めが決まればパック詰め料理をいただく直会に移った。

神事を終えたトーニンゴはパック詰め料理をいただいて退席する。

年預総代の乾杯で始まった。

この夜の御幣ハサミ、頭屋のダンゴ盛り行事、門飾りなどを拝見してきた。

少しずつではあるが、長柄の在り方が見えてきたと思った。

(H26. 3.21 EOS40D撮影)
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三谷の春彼岸の大師講

2014年09月27日 07時23分30秒 | 桜井市へ
カンジョウカケ・オンダ・ケイチン取材のおりに聞いていた桜井市三谷の地蔵院の行事は年3回だ。

普段は無住寺の地蔵院に、かつて同寺で住んでいた僧侶がやってくる。

橿原市東池尻町の御厨子観音さんこと妙法寺の高野山真言宗の若ぼんさんである。

元々は僧侶のお爺さんが三谷の出だと云う。

村の大師講は12軒であるが、この日集まったのは7人。

神社行事に参列していた人たちとは何度か顔を合わすようになって馴染みがある顔ぶれに案内されて本堂に上がらせてもらった。

本尊にお花や御供を供えるのは僧侶である。

支度が整えば法要を始められる。

「寺は無住寺やし、ご本尊さんが盗まれてはあかんから写す・公開するは厳禁」と伝えられて取材する。

寺の存在も明かすのも・・・と云われたが、桜井市史・町史に載っている地蔵院。

唱える念仏は理趣経である。

焼香をあげる講中。

およそ25分間の法要であった。



それを終えれば当番の二人が炊飯器で炊いていた一升のアゲゴハンをいただく場になる。

アゲゴハンの具材は厚アゲと細かく刻んだネギだけだと云う。

かつては大きな鉄釜をマキで炊いていた。

火の加減が難しかったと話す。

出汁の素も入れているからであろう、とても美味しいアゲゴハンはアゲメシ若しくはアジゴハンとも呼んでいた。

県内で拝見し、味も知っているイロゴハンは数多くあるが、アゲゴハンの呼び名は初めてだ。

イロゴハンのメシ炊きをしていたのは婦人たちであるが、三谷では男性の講中だった。

男の料理は大胆に味付けされており、これがなんとも美味いのである。



この日の参加者は少ないから、「残っては申しわけない、あんたも食べてや」と伝えられて3杯もいただいてしまった。

彼岸の大師講は秋にも地蔵院で行っていたが、今では春だけだ。

秋のときには宮さんでアゲゴハンを炊いて集まった村人がよばれていると云う。

地蔵院の行事は、この日以外に8月の施餓鬼、正月初めの「年始」があり、いずれも村行事である。

取材を終えて温かい本堂の扉を開けたとたんに降りだした雪は吹雪の状態。

この日は一日中が寒い日であった。

(H26. 3.21 EOS40D撮影)
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腰越の岩屋枡形石仏

2014年09月26日 09時21分29秒 | 山添村へ
寒の戻りだろうか、この日の朝は寒かった。

一路目指して西名阪国道を東に向けて走っていた。

福住辺りから霙が降り出した。

針までくれば吹雪が舞う。

小倉から地道を通っていたが、山添村に入ったとたんに止んだ雪。

北野辺りになれば青空が広がった。

目指すは山添村大字北野から北に向かう腰越の岩屋枡形石仏だ。

彼岸の中日にはお大師講が参拝されると聞いていた。

その場はどこにあるのか、一度も訪ねていなかった地を探していたのである。

あの方角辺りであろうと思ってはみるものの、である。

あっちの道、こっちの道へと探し回る。

ふっと通りがかった牛ケ峰共同墓地。

この場は覚えている。

北野に鎮座する天神社で行われる神事芸能にホーデンガクがある。

平成18年10月13日に取材したホーデンガク。

侍烏帽子(つば黒烏帽子)を被り素襖姿を纏った渡り衆は天神社で奉納する前に立ち寄る地がある。

杉原(八柱神社)、津越(八幡神社)、腰越(若宮神社)、牛ケ峰(春日神社)である。

北野は奥、杉原、津越、腰越、牛ケ峰の五組からなる大字だ。

大正二年に杉原、津越、腰越、牛ケ峰に祀られていた神社を合祀された。

その名は美統(みすまる)神社とされた。

かつては杉原、津越、腰越、牛ケ峰の地を歩いてお渡りをしていたが、今では運行を許可されたクルマの荷台に乗って効率よく巡る。

巡行途中で休憩される地が牛ケ峰共同墓地だったのだ。

そこには六地蔵がある。

向かい側に目を向けた。

牛ケ峰へ登る参詣道と記されている。

脇にあった石標には「右大師道」の刻印があった。

そこから登っていけば牛ケ峰の旧村社地春日神社がある。



そこにはマツリのときに寄せたであろうと思える御幣を立ててあった。

背後は植林された杉林だ。

さらに登っていく急な山道。

ときおり冷たい風が杉林を通り抜ける。

どれほど歩いたかと思うが、万歩計はそれほど距離が伸びていない。



頂を越えて少し下った地にあった大きな岩。

それが標高600mの位置にある岩屋枡形石仏と称する場であった。

これより上にあった一枚岩。



高さ16mの断崖絶壁にあった枡型である。

この辺りは巨岩石が累々とある。



一枚岩の巨石が自然の節理によって分裂して下に転がって落ちたのが下方の岩屋だ。

丈六尺の金剛界大日如来磨崖仏が線刻されていた。



思わず手を合わせる。

岩屋の内部は空洞だ。

岩窟に不動明王、弘法大師、五輪等を並べ、護摩壇が設けられているようだ。

後日に聞いた話しによれば参拝は総代のお一人だったそうだ。

(H26. 3.21 EOS40D撮影)
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切幡社日のミトマツリ

2014年09月25日 09時12分28秒 | 山添村へ
山添村切幡に住むTさんが「してますで」と云っていた社日のミトマツリ。

この年は3月18日である。

小雨が降ってきたこの日であっても切幡ではするのだろうかと思って電話をかけた。

「お爺ちゃんが、明日は社日やいうて、ウルシや梅の木、ツバキを採っていたで」とお嫁さんが答える。

「朝にしてはんのやけど、午前中は所用があって出かけているから、午後にするやろと思います」と伝えられた。

時間を調整して訪れた切幡のT家は、奈良で名高い三輪素麺を委託製造している。

作業を終えてそろそろ始めようかと云って準備するTさん。

ウルシ棒に挿しているのは正月七日に極樂寺で行われたオコナイのお札だ。

切幡のオコナイは北出と下出の村行事である。

上出は「極楽寺」を墨書して、下出はかつてあった「常住院」の文字が書かれる。

ごーさんの宝印を押して参拝した村人にお札が配られる。

かつては当番の人がウルシの木も準備して、お札を挿していたが、今はお札配りだけになったオコナイ行事。

二枚のモチを供えておく。

行事が終わって帰るときに一枚貰う。

残りの一枚はトーヤが貰う。

それをワカモチと呼んでいた。

オコナイのトーヤは二人。上出・下出の二人である。

アイトーヤが採ってきたウルシ棒。

T字型に割いて墨書したお札を挿し込んでいた。

20年前の在り方である。

ウルシの棒がなくなってお札配りだけになったオコナイ。

仕方なく、Tさんは山で採ってきたウルシ棒をT字型に割って、そこに挿していく。

これ以外にお盆に載せた洗い米・小豆御供も準備する。



20年前には4月3日に神明神社で御田植祭をしていたと云う。

所作はないが、供えるのは杉苗で、村人に配っていたが、それもまた中断したと云う。

素麺業の前は凍り豆腐を作っていた同家。

急がしかった時代の先代は年末に正月のモチを搗いていた。

できたてのモチを千切ってツツジの枝の先に丸めるように挿していた。

ツツジの木の枝すべてにモチを挿した。

それをナリバナと呼んでいた。

先端から中央辺りまで、「モチの重さでだらりんとなって、それは見事なナリバナやった」と話す。

ナリバナは床の間に一年間飾っておく。

いつの日か思い出せないが、アオマメと煎ったハゼコメを一升枡に入れてキリコのモチを食べていた家の風習は「ハガタメや」と云うが、「今ではまったくしていませんなぁ」と云った。

年末の大晦日も「フクマル コッコイ」と声をあげる「フクマル迎え」もしていたが、素麺業が忙しくなったころから出かけられないようになったと話す。

そのようなかつての様相を話してくれたTさんは、家の前にある田んぼに向かう。

いつもの場の土手に挿すTさん。



「雨に濡れてはあかんやろ」と云ってお札はビニール袋に包んだ。

花が咲いたヤマツバキと梅の木も立てる。

お盆に半紙を敷いて洗い米と小豆を供える。



そうして手を合わす。

立ち去る際にはお盆を下げる。

「もう一軒しているはずや」と教えてもらった北出の畑。

オリエンタルシューズ工場に向かう道すがらにあるはずだと教えてもらったが、見つからなかった。

切幡では下出でもう1軒されている。

合わせても、たった3軒で行われている社日のミトマツリはそれぞれの家の在り方のようだ。



しばらく会話して帰ろうとしてその場を見ればカラスがいた。

お供えを乗せていた半紙が風で飛んでいった。

飛ばないように半紙の端を泥で抑えていたのであるが、カラスはお米と小豆を食べた際に半紙を足で蹴った泥がとれてしまったようだ。

(H26. 3.18 EOS40D撮影)
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薬師寺花会式二人展inクロネコならTABIセンター

2014年09月24日 07時20分28秒 | しゃしん
案内状が届いた。

写友人の野本さんは写真で、西村幸祐氏は切り絵で描く薬師寺花会式の様相。

知りあってからわずか半年で実現したコラボレーション二人展である。

野本さんが表現される写真のほとんどを拝見している。

とはいってもホームページ上である。

大きな画面で観たくなる表現師。

火の行事を捉えるのが実に上手い。

白飛びしないほんまもんの火の色に見惚れるのだ。

西村幸祐氏のお住まいは驚くなかれ、僅か数kmぐらいしか離れていない地。

町名でいえば同じ町内だが、当方は東城(ひがしんじょ)。

西村氏が住む地域は西城(にしんじょ)だ。

お住まいの町内は患者さんの送迎コースに入っているだけに馴染みがある地域。

我が家もそうだが新興住宅地。

展示会場におられるのではと思って開場一番に訪れたがどなたも不在だ。

圧倒される切り絵の描写に感動する。

黒・白のモノトーンだけでなく色紙で切り抜かれた作品もある。

描く情景に合わせて紙の選択をされているのだろう。



ゆったりとした時間。

たっぷりと一枚、一枚の作品をじっくりと拝見。

堪能させてもらった。

(H26. 3.18 SB932SH撮影)
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社日のナナトコマイリ

2014年09月23日 08時36分51秒 | 奈良市へ
社日のナナトコマイリはあるやも知れないと思って訪れた奈良市西大寺芝町の八幡神社。

西大寺の鎮守社で、建築の守り神として古来より崇められてきた。

境内社に住吉神社がある。

平成19年7月29日に住吉祭りを取材させていただいたことがある。

菅原天満宮の宮司を迎えて行われる芝町の夏祭りである。

朝早くにお参りにくる人が神社の鳥居をぐるぐる回るナナトコマイリをしていると書いていた『大和の神々』。

平成8年11月に奈良新聞社が発刊した本である。

随分前に発刊された本だけに在り方が替ったのか、それとも信仰がなくなったのか、判らないが、どなたも訪れず、であった。

『大和の神々』によれば、祈願するめいめいの婦人たちが神社にある各々の鳥居をぐるぐる回る民間信仰とある。

「三年参って、次の年はお礼参り」とか「七年間参って、もう一年参る」という人もありさまざまである。

そういうことであれば、満願となればお参りをすることはない。

もしかとすれば、当時、お参りに来ていた人たちすべてが満願したのかもしれない。

八幡神社の境内社は住吉神社の他に善女龍王神社、厳島神社がある。鳥居横には稲荷大明神が祀られている。

参道右側では厳島神社、戎社、若宮神社だ。

本社以外の境内社が7社。

七つの鳥居を巡拝してお参りをする社日のナナトコマイリはその社なのであろうか。

八幡神社祭祀を維持する座がある。

左座と右座の二座だ。

(H26. 3.18 SB932SH撮影)
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パナソニックエネループ電池

2014年09月22日 07時13分34秒 | しゃしん
ENELOOP LITE®の商号があるパナソニックのニッケル水素電池は充電式。

前年の9月に購入した同社製品のBK-3MCCは4本セット。

いつも3%割引のケーズデンキで特価1216円だった。

消費税アップまでに買っておきたかった消耗品はいつ買うか、「今でしょ」の暗示が働いて入店した。

型番BK-3MCCは1580円だった。

陳列されている上にあった型番BK-3LCC/2は2本セットで580円。

2セット買っても1160円だ。

「ENELOOP LITE®」があるから持ちは短いのであろう。

予備としてもっておきたかったので買った。

(H26. 3.17 SB932SH撮影)
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阪原富士講の石仏

2014年09月21日 09時03分40秒 | 奈良市(東部)へ
檀家総代に教えてもらった北出来迎阿弥陀磨崖仏。

北出橋付近にある対岸に彫られた磨崖仏は南北朝時代前期の文和五年(1356)の作らしい。



深い部分まで彫ってある磨崖仏。

拝見するに、劣化はそれほどでもないようだ。

檀家総代の話によれば宮さんに参ってから石仏の前で富士講の作法をして、会所でお籠りをしているらしいということだ。

講中は7軒。

かつての籠りは夜半までだった。

今では短時間に済ましているようだと話す。

いずれ尋ねてみなければと思った。

ここら辺りで佇んでいたら北出橋傍に3体の双体石仏が見つかった。

道祖神であろうか。



北出橋の傍らに祀られた石仏のお顔が愛おしい。

石仏右横には一本の竹が立ててあった。

先端部分に乾涸びたダイコンが残っていた。

姿・形からおそらく葬送に立てたチョーローソクであろう。

道向かいの場にも一本あったから間違いないだろう。

訪れて知る阪原の民俗。

マツリの田楽、神事スモウ以外に大師講・十九夜講・富士講などの講中の存在を知った日は葬送の一部も確認させてもらった。

(H26. 3.16 EOS40D撮影)
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